阿武山(あぶさん)と栗本軒貞国の狂歌とサンフレ昔話

コロナ禍は去りぬいやまだ言ひ合ふを
ホッホッ笑ふアオバズクかも

by小林じゃ

ランダムにサンフレ昔話 その17 カズの51日間(4) Jデビュー

2014-04-30 08:35:26 | サンフレ昔話

4回目はカズのデビュー戦、1999年11月20日(土)のガンバ戦(万博14時)について。

 

FW 11森山泰、26高橋泰

MF 15主税

MF 17服部、21大久保誠、38カズ、3沢田

DF 19上村、4桑原、23川島

GK 16下田

(SUB) GK1前川、DF6フォックス、MF9山口敏、13古賀、37コウジ

交代

70分 ユタカ→山口敏

73分 カズ→フォックス

82分 大久保→古賀

 

 オフィシャルツアーは7時45分観音の事務所前集合。そこまでは中島の香龍のところでH君に拾ってもらった。バスツアーは仲間内でワイワイ言っていれば時間を感じないし、しかも万博は関係者駐車場に着くので楽だ。別にメインのチケットを買っているH君と別れてゴール裏に入るとすでにメンバー表を持ってる人がいて、確かにカズがスタメン、コウジもベンチに入ってる。昨日の17人からベンちゃんが外れたようだ。番号も広報氏が言ってた通りでひと安心。M君(この人もカズと呼ばれてる)来て、なんでユニの胸にKAZUなのかと聞かれる。この時間になってもカズの知名度は低い。

 ピッチ練習。カズは素人目に見ても動きが硬い。走り方がぎこちないしバランスも、本当にコケそうに見える。コウジも無表情、緊張しているのだろうか。カズはシュート練習ぐらいからやっと落ち着いてきて、引き上げる時にはいつものようにひょこひょこ歩く。コウジは残って最後までシュート打ってたけどあまり入らなかった・・・

 そして選手入場、カズは一人だけ入場行進みたいに(いや入場行進なんだけど)手が振れてる。気合は入ってるようだ。立ち上がり、やっぱり硬い、ぎくしゃくしてる。今日はGK下田だから前川に怒鳴ってもらえないけど大丈夫か。でも12日と違って落ち着くのは早くてマコにスペース埋めろと指示してる。相手CKの時も12日よりはゴールに近いところでゾーンを受け持ってる。稲本が入ってきてドキリとしたが何とかクリア、今日はカズじゃないところに行ってくれ・・・。ゲームは沢田のゴールで1点リードして前半を終えた。

(この写真はサポーターO氏撮影)

 後半も一進一退、あまり見せ場もなく時間がたっていく。カズは守備では頑張っていたけれど、攻撃面でコンスタントに起点となる働きとなると、あと数試合待たなければならなかった。2人目の交代でカズが下がって、3人目の交代は古賀、コウジのデビューはなくなった。ゲームは後半追いつかれて延長も両者無得点で1-1の引分け。ゲーム後ガンバのゴール裏からブーイングが聞こえたから、あまり面白いゲームとは言えなかったのだろう。私もカズの動きを追うので精一杯でゲームの流れとかは全くつかめていなかった。帰りのバスに乗ったらどっと疲れが出た。カズの評価とか、次も出られるかとか、まったく見当がつかない。とにかくカズのデビュー戦をこの目で見た、チケット大事にとっとこう、感想はそれだけだった・・・

 


ランダムにサンフレ昔話 その16 カズの51日間(3) 前日練習

2014-04-28 20:20:07 | サンフレ昔話

3回目は、1999年11月19日(金)、ビッグアーチでの前日練習について。

 

 いよいよ前日練習、カズは明日スタメンなのか、無事に大阪に出発できるのか、今日でわかるはずだ。急いでビッグアーチ正面の階段登ってR1ゲートへ。しかし、そこに立ちはだかったのはS子さん。「おはよう!」いやでも今それどころじゃないんだよ。S子さんは全くカズのことを知らないから事情を説明しながらメインの階段降りてピッチに目をやると、カズは確かにいて、新聞記者と話してる。こっち見たから手を振ったら左手を上げてこたえてくれた。これは嬉しかった。

 S子さんに明日はカズのデビューを見に万博に行くんだと話しているうちに、選手たちはアウェイゴール側に移動して練習が始まった。メインは日陰で寒いから、我々も移動。最前列の通路を歩きながらさっきのシーンを頭の中でリプレイしてみて、とんでもない事に気づいた。手を上げてくれたのはコウジだ・・・だいたいカズは大げさな身振りはしない。そういうパフォーマンスができるのはコウジ、と思ってよく見たら2人ともいた。今年に入ってからは間違ったこと無かったのに、カズのことばっかり考えていたから・・・とにかく、今日来ているってことはベンチ入りの可能性があるってことで、これはますます明日が楽しみになってきた。

 日なたのアウェイゴール裏に座って練習を見た。ピッチが遠くて、二人の区別がつきにくい。エディ(トムソン監督)も2人の識別に手を焼いたみたいで違うソックスをはくように言われたという話を思い出してソックスを見たけど今日のソックスは似たようなもので判断材料にはならない。左で蹴る確率が高い方がコウジとわかっても入れ替わったらまたわからなくなってしまう・・・

 サテの選手がトップの前日練習にくると、狭いエリアでのボール回しに苦戦するケースが多かった。密集の中で速いボールがまわるから正確な技術が要求される。でも、2人は普通にやってて、これにはちょっとびっくりした。私は双子が1年の時からユースを見ているけど、トップチームの中に入ってどうなのかということについては、全く予備知識がなかった。この時初めて2人の技術がプロで十分通用するものだとわかった。駒野についても、ユースを見始めた時に駒野がいたからそれが標準だと思っていた。駒野がユースを卒業したとあと同レベルの選手が全く現れないことで、そのすごさがやっとわかった。

 軽めの練習が終わって選手が引き上げてくる。カズとコウジはボールを回収して片付けた後、氷が入っていたクーラーの上に腰掛けてる。どうやら引き上げるタイミングがわからないようだ。

こちらの練習は終わったけれど、補助競技場ではサテライトメンバーがまだ練習していて、スタッフも動き回ってる。しばらくして、やっと引き上げろと声がかかって歩いてくる。最初はこういうところが難しいようだ。あとで聞いた話によると、この日の夜、大阪のホテルで好きなもの食べていいと言われたけど、勝手がわからずしばらく2人で途方にくれたそうだ。

カズは記者と話しながらで少し遅れて、最初にコウジが引き上げて来て、

続いてカズ。

 マラソンゲートでの出待ち中に聞いた話だと、カズはスタメン確実。一方コウジは17人遠征のためベンチから漏れる可能性があるとのこと。少し待ったけど、吉田高校の制服のブレザー姿で出てきた2人にフラッグにサインを入れてもらう。カズはそのまま森和と読めるサイン。翌2000年はの字が抜けて森和と読めるサインになり、01年からはKAZUと入ったポイチ風のサインに変わっていく。一方コウジはあまり上手ではないが読めないサインを書いていた。右手で書いているので聞いてみたら「マジックは右手」だと言う。「あした楽しみじゃね」と言ったら2人とも笑顔、本当に楽しみだ。

 帰る前に、広報氏に背番号の確認。番号なしレプリカがあるから番号貼り付けて応援したい。12日のチャレンジャーズリーグでは、36駒野、37コウジ、38カズだったけど、今回駒野がいないから変わるかもしれないと思った。そしたら、すでに天皇杯でも3人を登録していて12日と同じ番号だから、Jでもそのまま変わらないという話。3人はユースで天皇杯予選に出ているのに二重登録にならないのか聞いたら、全広島サッカー大会は天皇杯予選を兼ねているけど天皇杯ではないから大丈夫とのことだった。帰りにハンズで番号とKAZUのローマ字のシール買って前年購入のレプリカに貼り付ける。

(98年までのレプリカユニにはスポンサーは入っていなかった)

 これで準備完了。サンフレ史上初の高校生Jリーガー誕生の瞬間を待つばかりとなった。


ランダムにサンフレ昔話 その15 カズの51日間(2) 日曜日の練習

2014-04-27 09:39:26 | サンフレ昔話

 チャレンジャーズリーグから2日後、の1999年11月14日(日)、Aチームの練習(11時)とサテライトのチャレンジャーズリーグセレッソ戦(14時)を見るために吉田に出かけた・・・

 

 吉田に着くと既に選手が出ていて、ピッチはクラブハウスから遠い方でリハビリの器具が谷側のゴール裏に並べてあった。午後のサテライトに出ない選手ということで人数は少なく、フィールドは13人しかいない。その中にカズの姿もある。おとといの試合で落第ということにはならなかったようだ。13人のうちポイチは次節出場停止だから、サテのゲームに出る人の中から2人はベンチ入りできるということになる。

 アップメニューのあと、攻めのフォーメーションの練習。何度か書いたがエディ(トムソン監督)の戦術は守備的でボランチが前を向いて持って初めてサイドが上がってよいという感じだった。それで2班に分かれて、ポイチが起点になるセットとカズが起点になるセットでの練習だった。私には、次節のスタメンが濃厚なカズに戦術を徹底するための練習のように見えた。ポイチのプレーがお手本なんだろう。そして、時々ポイチがエディに質問しているのも、カズのために聞いてるように思われた。ここまでにサンフレユース出身者では安武亨、秋元雅博の2人がサンフレでJデビューしていたけれど、それぞれ2試合、1試合の出場にとどまっていて、トップチームに定着する選手は出ていなかった。ましてや高校生デビューなんて私にとっては降ってわいたような話でスタメン濃厚と聞いてもまだ半信半疑だった。だから本当に見ていて疲れる2時間で終わった時にほっとしたのだけれど、本人は楽々こなしていたのかもしれない。

 午後のチャレンジャーズリーグにはコウジと駒野が出場した。20日のガンバ戦のベンチ入りをかけてのゲームであったが、それほどモチベーションが高い印象は受けなかった。メンバーを書いておこう。なお、このゲームはコウジのワンボランチのように見えたので、両サイドはその左右に書いておく。前にも書いたように、この時期のサテの背番号は古いユニの若い番号を使っており、上で出るときの番号とは違っている。

FW 14大木、10松永

MF 13古賀、8吉田幸生

MF 6宮崎、15コウジ、2駒野

DF 7大畑、4池端、5山下

GK 16植田

(SUB) GK1加藤寿、MF9松岡、FW12池田学徳、11秋元

 配られたメンバー表を見ると、セレッソは加地が出ている。こちらはサブのGKがいなくて加藤コーチがのっているけど、広報氏に聞いたところによると準公式戦だから登録外の選手を使わないでくれと運営から言われたそうだ。だから公式記録には加藤コーチの名前は載らなかったと思われる。余談であるが翌2000年12月にチャレンジャーズリーグ京都戦(ビッグアーチ)を99年同様トップチーム同士でやった時に、ウエミーが一発退場になった。相手のエンゲルス監督は練習試合感覚で代わりの選手を入れるように要請、他の選手が入ってゲームは続行された。しかし、準公式戦だから公式記録を出さないといけない。審判団と競技してウエミーがイエローもらったあとに交代したように改ざんされた公式記録が出されたそうだ・・・

 このゲームに話を戻したいが、池端が負傷してサッカー公園に救急車が来てそのまま入院になってしまったこと、宮崎光平のミドルが決まった事は書いてあるがスコアを書き漏らしている。カズのことで頭がいっぱいだったのかもしれない。コウジも足を蹴られて交代したが、これはたいしたことなかったようだ。駒野は中々上がるタイミングがつかめず悩んでいるようだった。昨日新聞に記事が出たせいか、ゲーム後コウジにサインを求めるファンが何人かいた。私も次にもらっておこうかなとノートに書いている。

 後年稲田寮長に聞いた話であるが、この99年、木曜日の放課後に森兄弟と駒野は寮長さんの車で府中町の揚倉山Gへ、ここでエディの特訓が行われていたそうだ。寮長さんは就職活動と呼んでいたが、エディも3人が将来クラブを支える選手になることはわかっていたのだろう。しかし、トップの監督が練習以外の時間を使ってユース選手の特訓をしていたという話はあまり聞いたことがない。エディの監督時代は守備的な戦術で成績も中位にとどまっていたけれど、降格することなく将来の中心選手を育てた事は知っておいてほしいと思う。

 


ランダムにサンフレ昔話 その14 カズの51日間(1) チャレンジャーズリーグ

2014-04-26 12:22:33 | サンフレ昔話

 GWの間に、99年のカズのデビューについて書いてみたい。この年終盤のドキドキが始まった11月12日のチャレンジャーズリーグ京都戦(広島スタジアム)から話を始める。

 チャレンジャーズリーグはサテライト公式戦が終わったあとのシーズン後半、関西のJクラブを中心に行われていたサテライトの準公式戦で、サンフレも参加していた。この時期は日本代表の海外遠征でJリーグは中断していて、京都とのチャレンジャーズリーグをトップチーム同士でやろうという話になったようだ。以下、当時のノートの文章をできるだけそのまま書き写してみる。

 

99年11月12日(金)広島0-0京都(13時広スタ・チャレンジャーズリーグ)

FW 11森山泰、26高橋泰

MF 9山口敏

MF 17服部、21大久保誠、38森和、3沢田

DF 19上村、4桑原、23川島

GK 1前川

交代

61分 3沢田→36駒野
    26高橋→14大木

77分 21大久保→37森浩


 サテのCLをトップ同士でやると聞いて、軽い気持ちで見に行って、いつもユースを見ているホーム側のペナの前あたりに腰を下ろした。アップが始まって出てきた選手の中に、平日にもかかわらずコウジとコマの姿があって、ゴール付近を行ったり来たり並んで走ってた。ラッキーと思う反面、カズはどうしたのか気になる。先月の国体ではこの二人が優秀選手に選ばれて、カズだけ出遅れたように見えた。しかし最近のJユースではむしろコウジよりカズの方が好調だと思っていたのに、呼ばれなかったんだろうか・・・そしたら、加藤GKコーチの「カズ」という大きな声。センターサークルあたりでスタメンのビブスを受け取るカズ。これは、えらい事になった。次節はポイチが累積で出場停止、ボランチに一つ空席があるんだった。このビブス受け取った瞬間が、51日間のドキドキの始まりだった。選手入場の時、恥も外聞もなくメイン中央の人をかきわけて写真を撮る。

(左から半分切れてるのが11森山、26ユタカ、17コータ、3ケンタロ、9トシ、21マコ、1前川、23シン、38カズ、4クワ、19ウエミー)

 キックオフ、相手は三浦カズが出ているようだが、私にとって今日のカズは紫の38番。そして、ライバルはダブルボランチを組むマコ。ヨースケ(池端)とかDFもう一枚入れてクワを上げる可能性もあるからだ。先月ぐらいからマコがサテで真剣に練習しているのは知っているけど、今日だけカズに譲って欲しいという気持ちだった。

 急に決まったゲームのせいか、レフェリーがまずい。三浦カズの怒鳴り声が響く。こっちのカズは、最初はうろうろしているばかりで、ほとんどボールにさわれなかったが、前川の大声の指示もあって、いいポジションがとれるようになる。前川とはサテで何試合かやってるからね、今日は前川でよかった(下田は代表で遠征中だった)。前半は、生き残りに必死なマコやシンの積極的なプレーが目立ったぐらいで、見せ場なく終わる。カズの評価が気になるところだが、良くも悪くもない、としか言いようがない。引き上げてくるカズにスタンドから「カズ」と声がかかる。ユースで一つ上の林君(当時経大1年)だ。思わずカズの表情が緩む。ほんとは同期のサチヲやイケちゃんに会いに来たんだろうが、心強い応援だ。

 ハーフタイムを終えて、出てきた選手の中に38番を見つけてほっとするが、コウジとコマの出番はまだ先のようだ。カズは相手CKの時はマークにつかず、こぼれの位置に。まだ一対一は半人前ということだろうか。こういうことがいちいち気になる。しかし、受けたパスはミスなく100パーセント味方につなぐカズの持ち味が出てきた。後半16分、ケンタロに代わってコマ入る。カズとのコンビで見せ場を作って欲しいと思うが、動きが硬い。ユースのゲームでも、コマはあまり上がっていかない。中盤の選手が前を向いて持たないとサイドは上がってはいけない、というエディ(トムソン監督)の戦術を忠実に守っているようだが、物足りなく思っていた。今日も、積極的に行こうという気持ちはあったようだが、三歩上がって五歩下がる、みたいな場面が多かった。コウジは後半32分、マコに代わって入った。コウジにとっては時間が少ない。ポジション的には双子のダブルボランチだが、カズと違うところを見せねばならない。コウジはほとんどの時間をカズより高い位置でプレーしてシュートも打った。しかし、焦って力んだのか枠にいかなかった。ゲームはスコアレスドロー。ユースの3人に興味がなければ、全く内容のないゲームと言われるかもしれない。

(翌日の中国新聞、カズの右で三浦カズがこけてる写真は新旧交代を印象づける意図だったかもしれないが、この日から15年たっても三浦カズが現役とは普通思わんよね・・・)

ダウンのあと記者の求めに応じてカズとコウジが写真に撮られてる。ユースでは意識して一緒にいないようにしていて2ショットを撮るのはかなり難しいから、ずるいなあと思うし見慣れない光景だ。

 外に出ると、多くの人が三浦カズが出てくるのを注目していて、ユースの3人はノーマーク。みんな今日のゲームの意味をわかってないな。まずは、寮長さんが3人とがっちり握手。寮長さんにとっても、ユース3選手が同時にトップのゲームに出るってのは初めてだったはずだ。コウジの感想の第一声は「(三浦)カズはレフェリーにぶち文句言いよった」あこがれの人もピッチで実際対戦するとちょっとイメージ違ってたようだ。まあ、審判にも問題あったけどね。カズは「今日出ることは日曜のユースの試合のあとに言われてたけど90分とは思わなかった」次節の万博にオフィシャルのバスツアーで行くことを告げると、「頑張ります」もう、出る気でいるようだ。コマは、どうだったと聞いても、「ハイ・・・」コマは何聞いてもハイと大丈夫ですしか言わないんだけど、これはかなり悔しいハイだったようだ。寮長さんの車で帰っていく3人に手を振って、心地よい疲労感。カズは楽しみだけれども、あさってからの練習が正念場。長い一週間になりそうだ・・・

 


短歌 その7 (2014年1~4月)

2014-04-25 22:04:09 | 短歌(まとめ)

 

 

        平成二十六甲午年初夢 

  紫のトワやヒビキが駆け抜けた三年先のEスタの夢

 

        安佐市民病院皮膚科

  「あっ帯状疱疹です」と早口に主文最後のアヤコ先生

 

       週末雨 

  病みたれば行かれぬたったそれだけのメールも打てず春の雨ふる

 

       エイプリルフール 

  数ヶ月文章練った力作も反応ゼロの我が四月馬鹿

 

        花 

  しあわせはまだ先にあり しかはあれど今日の桜を仰ぎてぞ見る

 

        帯状疱疹 

  胡麻すれば背中ぞ痛きソーセージ転がす時はわき腹にくる

  サッカーを文字で見ていた二日分のヒゲをそってる日曜の夜

 

        思蛸焼娘 

  タコヤキにうどん牛丼みな食べて塩谷語る唇なつかし

 

        迷惑

  ちいとばかりかばちたれたい気分じゃけ聞いてほしいんよいやあんたによ

 

       増税 

  量り売りの大野のアサリの大粒の8パーセント重き持てゆく

 

        小保方女史

  わるものなミリョク新たに加わったと科学わからないけれどみている

 

       通院読書 

  牧水の歌集を読めば病院の待合室に山ざくら花

 

        薬袋

  減量可と赤マジックで書いてあるが痛けりゃ飲むわこのおおばかたれ

 

       雨夜開窓   

  夜の雨に花粉平気と窓あければアケビの花の甘き漂う

 

       週末畑仕事 

  土曜日の朝寝のならひいかにせむジャガイモの芽の胸張るを欠く

 

       総体予選 

  技ありの決勝ゴール祝うようにフェンスの上に咲く藤の花

  ノーゴール 悔しいジャッジは胸にしまい「楽しかった」と爽やかに言う

  やりきった満足感と引退を語る4月の総体予選

 

       病未癒  

  お彼岸の墓参りのあとひと月も安佐北区から一歩も出とらんわ

 

     わやは取り返しのつかざる台無しと思ひしが 

  「わや楽しい」副詞のような用例を高校生のツイートで知る

 

         不負怪我

  五ヶ月で治すとコバタク言い切れば焦るなという常識吹っ飛ぶ

 

       マーシーはどうしてると聞かれて 

  伝説の動画のマーシー今もずっと踊りつづけているとこそ聞け

 

       団地夜景 

  カーテンは夜更ける前に閉めるべきか 灯りまばらな亀崎の丘

 

       久しぶりの文化センターにて

  体開き左に強いパスを出したタクムの7が輝いている

  「大丈夫ですか」とリクト問う声に力のあれば縦に首ふる

   たくましく大きく強く速くなった二ヶ月ぶりの君かけぬける

 

        惜蹴球春

  サガン鳥栖に逆転勝ちのTLを静かに読めば春去らんとす

 

        病院前魚屋

  おばちゃんに「キモたっぷり」とすすめられたハゲの刺身は540円

 

        惜春 

  今シーズンたぶん最後のアレグラをのめばホッホッ青葉ずく鳴く

 

 


ランダムにサンフレ昔話 その13 くつみがき

2014-04-25 19:11:47 | サンフレ昔話

 今回は2004年8月21日J12ndステージ第2節セレッソ戦(ビッグアーチ)での洋次郎と一誠のパフォーマンス。洋次郎の話題が多くなっているが、サンフレで一番応援している選手なので・・・。なお、写真は私が撮ったものではなく、当時クラブのカメラマンが撮ってホームゲームのテントで販売していたもので300円だったと思う。右23番は田中俊也、主審奥谷。

 この年の洋次郎は高校3年生ながらプロ2年目、初のJ1でのシーズンとなった。しかし、1stステージでは中々出番が来ず、初出場は6月26日、最終節の磐田戦で、J1デビューは12節に途中出場したユース同期の前田俊介に先を越される形になった。

 8月14日に始まった2ndステージでは、駒野の離脱で夏休み中の3節まで一誠が右サイドに入った。そして2節セレッソ戦前日の練習ではFWチアゴが何回目かのリタイア、またかいなとノートに書いてある。セレッソ戦のスタメンを書いてみよう、4-4-2で中盤は台形、上がり目のワイドにタツローと洋次郎が入った。

 

FW 11茂木、27中山

MF 24木村龍朗、26洋次郎

MF 8カズ、6ベット

DF 17服部、3小村、2リカルド、36一誠

GK 1下田

(SUB) GK33上野秀章、DF25吉弘、28吉田恵、20FW大木、23田中

 

セレッソの方はメンバー表順に書いておこう。

GK22羽田

DF23下村、3柳本、15千葉、4布部、MF6濱田、7久藤、8森島、11徳重、FW9古橋、20西澤

(SUB) GK21伊藤、DF16齋藤、MF2マリオ、FW18御給、27苔口

 

 立ち上がりタツローと服部のコンビで左を崩してチャンスを作るが、相手が修正対応してきてそれ以降は前線にボールが収まらず、一進一退。セレッソの先制点は19分、一誠のパスを西澤がカットしてリカルドを抜き去り、最後は古橋のゴールだった。この直後、小野監督はサブの吉弘にアップを命じる。これはおそらく一誠との交代を視野に入れていたと思う。一誠はプロデビュー戦となった7月24日のナビスコ東京V戦で豪快なミドルを決めたものの、前節市原戦(市原臨海)では対面村井慎二にかなりやられて厳しいJ1デビュー戦となったようだ。この失点につながったパスミスから消極的なプレーが続くようならば交代ということだったのだろう。しかし、この日の一誠はこの場面以外は守備のカバーがさえていてヘディングのクリアから洋次郎のミドルにつなげた場面もあった。守備でサポーターのコールも何度かもらった。

 0-1のままハーフタイムとなり、後半頭から小野監督は茂木→大木、龍朗→吉田恵の2枚替え、ベンちゃんが入ったことで少し前線のリズムに変化が生まれ、73分ベンちゃんの同点ヘッドは全くのフリーの状態でのシュートだった。そして77分に元気→トシヤの交代のあと、決勝点は83分、服部のクロスのこぼれを洋次郎が決めた。J1デビューは先を越されたが、俊介よりも3ヶ月早いJ1初ゴールだった。

 そのあと写真のくつみがきパフォーマンスとなったわけだ。ところが、私は喜び過ぎていたのか見ていない。そして翌日の新聞には、ユースお決まりのポーズと書いてあったけれど、ユースのゲームでも見た記憶がない。おそらく旗振ってる間に終わっていたのだろう。後の槙野の時代のパフォーマンスに比べるとささやかなものだが、高校生2人がJ1のピッチでやってのけたところに値打ちがある、ということにしておこう。

 このあとの洋次郎は4節清水戦(日本平)の途中交代以降はベンチ入りもなく、翌05年も出場ゼロで06年には愛媛FCにレンタルとなる。なぜ、小野監督の構想から突如外れてしまったのか、そこはよくわからない。サテライトリーグにまわっても、洋次郎は洋次郎らしいプレーを随所に見せていたと思うんだけどね・・・

 


短歌 その6 (2013年)

2014-04-24 18:47:28 | 短歌(まとめ)

 

 

       故郷山 

  阿武山はふるさとの山 かんちゃんのループシュートが稜線を這う

 

        不可捨恋 

  いらんもん捨てられんのよと嘆く君にまた誘ってねとまた言われてる

 

       倉敷駅前ふるいち 

  梅干でココロの隙間埋めておいて ぶっかけうどん飲み込むとするか

 

      出雲市駅前居酒屋 

  一夜干かみしめながら二点目のトワのゴールを思い出してる

   八雲立つ出雲は蕎麦ともうひとつ さるぼう貝のきつね寿司かも

   はつなつの出雲の国の白イカの白星肴に飲めば楽しも

 

      名文不浮

  末文の言葉探して目をつぶれば空梅雨なのにゲコゲコとなく

 

      チュウブYAJINスタジアムに初めて幕を出して応援す

  コバタクのグランデヴィオラ広島がYAJINのごとくヒビキわたれり

   矢のようなヨシトのミドル突き抜けてジュニアユースの夢の幕明け

 

       不逢恋

  あきらめは悪い方だが五回目のまた誘ってねに砂糖つぎたす

 

      君怒去 

  完全で無欠な憎悪じゃなかったと去りゆく背中思い出してる

 

      待恋 

  草の上にねころびじっと君待てばムクドリ騒ぐEスタの空

 

      ヒビキのリプライ

  作られた言葉あふれるTLを「はい!」の三文字が切り裂いてゆく

 

      入場待機列 

  女性サポの「覚えてますか」の低い声もタバコの匂いもごめんわからん

 

      サンガタウンにて田森君に会ひし時 

  倍速の広島弁を君に贈る サインふたつと写真とる間に

 

       京野菜料理の店にて

  お通しの菜の名わからず問いければ答えは壬生菜わずかに辛き

 

       伴SCキャプテンGKリクト君

  PKをバチッと止めて首ふって長髪なおしているリクト君

 

       突然電話 

  困った時だけでごめんと言う君の半年ぶりの声に聞き入る

 

 


ランダムにサンフレ昔話 その12 メンバー外練習

2014-04-24 12:42:15 | サンフレ昔話

 極端な例ではあるが、プロのBチームを考えるという観点から2009年6月13日のメンバー外練習をふりかえってみたい。写真左側の久保竜彦の右が茶島雄介、中央丸谷拓也の左が中山雄登(現熊本)。

 この日はクラブユース選手権U-18の中国予選を応援するため、タイコの人と2人で吉田へ。ついでだからサテライト練習も見ることにして午前中から出かけた。天然芝のピッチではリハビリ組の佐藤昭大とくわしんが並んで歩き、そして楽山がタオルを労働者風に頭に巻いた独特のスタイルで走る。ユースの森保兄弟もこの時そろってケガしていて仲良くではないが一緒に走ってた。

 この日のサテ練にはユースの選手も混じっていた。クラブユース予選は最近立ち上げたばかりのクラブが相手のためかゴリさんは2年生中心で臨む方針で、出ない選手がプロの練習に来たようだった。プロ選手の方はフィールドばかり6人しかいなくてGKの練習生が1人来ていた。フィールドだけだと練習メニューが限られて来るので、広島市内の大学生GKを借りてくることは時々あった。この日の練習生が借りてきただけなのかプロ候補だったのか、それはわからない。プロのメンバーは、

久保、丸谷、篠原、清水、西河、岡本、練習生(GK)。

ユースの方は、

茶島、中山、大森(GK)、浅田、玉田、宮本、砂川、宗近。

3年生6人と2年生2人という構成。

アップのあとのミニゲームはユースの方が1人多いから1本目は茶島がフリーマンで始まった。立ち上がりからユース2年の砂川の動きが目立っていて、プロの選手はついていけない。5分もしないうちに森保コーチが試合を止めて何か言ってる。そのあともユースの方は茶島が持った時に砂川、浅田、玉田が動き回ってパスコースはたくさんあるのに対して、プロの方は動きが悪くて茶島もパスの出しどころがない。久保は普段から弱いものいじめはいかんと言っていて高校生相手だとモチベーションが上がらないのはわかるが、他の若手はもうちょっとやってほしいと思った。前半はユースが3-1でリード、ハーフタイムに森保コーチの2度目の説教があった。

 後半は茶島がユース側に戻ってユースが1人多い。森保さんとしても前半でユースがリードするとは思わなかったからこういう予定だったのだろう。流れはますますユースに傾いてスコアはトータルで7-2だった。プロの2点は一人気を吐いた丸谷だった。もちろん、技術、フィジカルともプロの選手が上なのは言うまでもない。問題は、少人数のメンバー外練習っていうのは監督も見ていないしモチベーションが上がらなくてユースに負けるような練習になってしまっているということだ。ダウンのあとプロの選手を集めて森保コーチの3度目の説教、前2回より声が大きくなっていてネットの外の我々のところまで聞こえてくる。

「繰り返し言ってるけど、無駄な時間はない」

 この年のメンバー外練習を数えたら70日、ACLがあった翌2010年は80日あった。これを無駄にするのはいかにももったいない。ベンチに入れない人がいる以上メンバー外練習はなくならない。そしてモチベーションが下がってしまうのは昔から見られる傾向だ。選手本人の問題と言うかもしれない。しかし、クラブとしても何かアイデアが必要ではないだろうか。今は森保監督の下、新人もたくさんとってBチームの遠征も積極的に行われている。あるいは既に新しい変化が生まれているのかもしれないけれど。

 あれから5年、あの日はゲストだった茶島が今はベンチ入りをかけてチャレンジする立場にある。今のサンフレはボランチもシャドウも入り込むのは中々難しい。もう一人の大卒ルーキー皆川もそうだが、正直、難しい時に入ってきたなあと思う。もっとも、クラブも即戦力として採ったのではないだろうから、焦る必要はない。それに、昨夜ACLグループステージ突破が決まったことで過密日程はまだまだ続く。どこかでチャンスが巡ってくる可能性はある。あるいは、今が頑張りどころかもしれんよ。

 

 


短歌 その5 (2012年)

2014-04-23 16:31:23 | 短歌(まとめ)

 

 

        平成二十四壬辰年 元日

  ぶちぶちとカズノコ食えばぶちぶちと まだぶち悪い年と言うまあで

 

        公園で犬の散歩の啓太君に会ひし時

  みぎひだりステップ踏んで走り出せば見えぬボールに犬がとびつく

 

        啓太君のCK@川内小

  武田山に向ってコーナーキック蹴る背中の10が光る春の日

 

        本場夏柑

  だだ甘いだけはダメじゃろ果物はすいいのが良し萩の夏みかん

 

        題不知

  脱獄も槙野も仕事もほっといて話しこんでる公園の隅

 

        待周防徳山君

  いつか君を見送りそこねたバス停の明日の時刻と振るマフラーと

 

       不審雉 

  安芸矢口手前のトンネル出たところにいつもいる雉置物だろうか

 

        二月十余日差入

  チョコならば幸せだったか問いながら かみしめている揚げおかき塩

 

       グリル大山 

  米子駅二階の隠岐のイカ丼は割子も付いて言うことぞなき

 

       決定力不足 

   我が人生ゴールはなくてパスばかりとハットの君を妬ましくみる

   そこでパスか打つところじゃろ言いながら二文字足らぬメール悔やめり

 

       啓太君十八番 

  右サイド上がる選手をちらと見てななめうしろに蹴る得意技

 

       頓原町一福

  琴引の舞茸天と濃口のつゆがよく合う一福の蕎麦

 

       カンジのFK 

  ペナの外両手でボールセットしてにっこり笑う君たのもしき

 

       プログレスリーグ最終節

  引き分けてまわれ右した暗き背にさあ行こうぜと叫び続ける

 

       サンフレ初優勝

  本当に優勝したよ ハルキ君のカッパの向うセレモニー見ゆ

 

        一年生好紫花

  カンジらがなぜか何度も歌い出す 心にいつも紫の花

 

        場所取りのあとAシティへ

  フウの木に優勝の二字となえながら 君とあるいた立冬の朝

 

 


ランダムにサンフレ昔話 その11 J1J2入れ替え戦

2014-04-21 19:07:49 | サンフレ昔話

 今回は07年の降格について。こちらもその年全体を総括するのは面倒なので、いくつかの場面を点描しながらふりかえってみる。

 この年のノートに最初に不安を書いているのは5月26日の清水戦(ビックアーチ)。終盤に戸田とヨースケのゴールで逆転勝ちしたものの、前線で寿人と龍一が孤立して8-0-2みたいに見えた。元々ミシャの守備はブロック作るからコンパクトではない時間が出てくるものだが、この07年の夏場はそれが顕著であった。

 8月29日のFC東京戦(ビッグアーチ)は0-5と大敗。ウェズレイの欠場で寿人の1トップ。寿人と右サイドの駒野をケアしながら最終ラインにプレスをかける、という相手の当たり前に見えるやり方になすすべもなく、ベンチが無策とノートに書いている。我々は洋次郎の起用など、メンバーの入れ替えを期待していたが、選手起用も硬直化していたと思う。聞くところによるとミシャのミーティングは毎回誕生日会のようなものだったとか、ワンマン体制が一度悪い方向にはまってしまうと立て直すのは難しかったということだろうか。

 10月27日の千葉戦(ビッグアーチ)、2点リードを終盤あっという間に追いつかれて引分け、同点ゴールは山岸だった。こういうゲームを見せられては、入れ替え戦を覚悟せざるを得なかった。ゲーム後、バスの待機列整理に出てきた高田豊治さんを捕まえて、このままじゃこのあと入れ替え戦も含めて一つも勝てない。何か手を打つべきじゃないかと訴えてみた。サンフレにとっては幸いな事に、一つ下の17位甲府も不振を極めていて自動降格は免れそうだ。入れ替え戦まではまだ一ヶ月以上あるのだから、そのための体制という手もあると思った。しかし、高田さんの返事は「今更動かない」というものだった。もっとも、高田さんは03年サンフレに復帰したときはGMであったけれど、07年の時点ではそうではなかったようだ。今ウィキを見ると06年からホームタウン推進本部長とある。訴えても権限はなかったのかもしれない。

 そして、12月5日の入れ替え戦初戦は西京極。全く好材料がなくて厳しい状況だったが、応援するしかない。オフィシャルツアーで出かけた。ゲームは田原に2点取られて絶望的な展開、しかし情けないことに、これは予想通りだった。いや、少なくとも一ヶ月前から予想できた事だった。まったく、応援していても座して死を待つという心境だった。この時期の強化部はミシャに丸投げで何も仕事をしていないように見えた。翌年以降好転したからといって、これで良かったとは思わない。

 そんな中で飛び出した86分の龍一のゴールは嬉しかった。このアウェイゴールで流れが変わるかもしれない、それにかけるしかなかった。このとき、私にとっては思いがけないことが起きた。それは、龍一のゴールを喜んでいたら、突然隣に覆面男が現れた。わたしゃプロレスとかに疎いので何の覆面かはわからない。そして、私と肩を組んでガニマタでぴょんぴょん何回か跳ねてから去って行った。その時は、まだ時間が残っていたし確かめる余裕はなかった。ゲームはそのまま2-1で敗れた。

 ゲーム後片付けていたら後ろから声をかけられて、振り向いたら関西の大学に進学したユースOB3人、後に岡山に入った福本尚純や今は札幌にいる金山隼樹がいた。ユースを離れたあともサンフレを応援に来てくれるのはうれしいことだった。そして、3人の顔を見た瞬間、さっきの覆面男は遊佐克美ではないかとひらめいた。ガニマタで跳ねる足に見覚えがあった。遊佐はこの年は7月8日のナビスコ準々決勝鹿島戦(ビッグアーチ)で途中出場、ペナの中で得意技のダイブを披露したが、家本主審はPKもシミュレーションも取らず私としては残念だった・・・。そこで、龍一や遊佐と同期の金山に今日遊佐は来ていたかと聞いてみた。そしたらさっきまでそこにいたと言って笑う。これで答え合わせは終わった。現役サンフレ選手と肩を組んでゴールを喜んだのは、さすがにこの時だけだ。龍一のゴール、遊佐の登場、そして金山との会話は、サンフレ観戦歴20年間でもワーストに情けないこの時期唯一といっていいほどの明るい思い出だ。この日のチケットには龍一にサインもらってコレクションに加えた(画像)。

 この結果を受けての12月8日の第2戦(ビッグアーチ)は、1-0で勝てばアウェイゴールが効いて残留できる。そして、ゲームもその通り0-0で進んだのだが、1点を取る力がなかった。終了間際、槙野のオーバーヘッドがころころと右に外れたシーンは忘れられない。入れ替え戦だから仕方ないが、目の前で入れ替わるのは辛いものだった。二度とやりたくないもんじゃね・・・

 選手たちが挨拶に来た頃、B6に監督続投反対の幕が出る。私がいたバックスタンドからは降ろせと非難の声が上がった。でも、これを用意できるということは試合前から続投が決まっていたということだ。そのあとに社長や強化部長がサポーターの前でハンドマイクを握ったけれど、どうして降格したか、どう立て直すかという話はなかった。ただ、ミシャを信頼して任せると繰り返した。この年は戦術、選手起用が硬直していたにもかかわらず、全く修正できないまま降格の日を迎えた印象だった。原因があって結果が出ている。続投させるにしても、今年の反省の上に注文をつけるのが当然だと思うが、そういう話ではなかった。別室に移って第2ラウンドがあったようだが、私は帰ることにした。何ヶ月も情けないゲームを見せておいて、これはないと思った。何度も言うが、翌年からの成績が良かったからといって、これで良かったとは思わない。

 ただ、この日のゲーム後、寿人がサポーターの前で残留宣言をしたのは、重要なことだった。その時は腹が立っていたからすんなり耳に入ってこなかったが、これがなかったら今のチームはどうなっていたかわからない。寿人の貢献度というのは、本当に群を抜いている。

 降格というのはつらいものだ。しかし、ガンバやジュビロも落ちる時代、3度目はそのうちやってくると考えておいた方がいいだろう。その時どう行動するか、若いサポーターも頭の片隅に置いといてほしいと思って書いてみた・・・