阿武山(あぶさん)と栗本軒貞国の狂歌とサンフレ昔話

コロナ禍は去りぬいやまだ言ひ合ふを
ホッホッ笑ふアオバズクかも

by小林じゃ

11年ぶり

2020-04-26 10:24:11 | 囲碁
 今回は囲碁のお話。いつもサッカーの試合を見ている動画サービスは今は世界中サッカーやってなくて一時停止にしてある。そして、この二ヶ月は家にいることも多く、今月末のカード払いはびっくりする程少なかった。そこで11年ぶりに、囲碁のネット対局室「幽玄の間」に有料登録してみた。11年前は胆のう炎の手術を受ける前に、しばらくお休みしようと退会してそのままになっていた。

 そしたら私が囲碁から離れていた11年の間にAIが強くなって碁がかなり変わっている。幽玄の間に居座っている3種のAI相手に、一流のプロ棋士も中々勝てない。定石もAIの登場でかなり様変わりしていて、解説付きのプロの碁を観戦して「よくある進行」と参考図が出ても見たことのない形ばかりだ。昔の知り合いもいなくなっていて、浦島太郎とはこのことだろうか。

 それでもせっかく登録したのだから、コロナを忘れて囲碁を楽しみたい。11年前の棋力はぎりぎりの7段、しかし今は無理なので、一つ下がってのんびり打ちたいと思っていた。そして予定通りすぐに6段に落ちた。ブランクもあるし、年を取って読みも集中力も落ちている。仕方ないと思った。しかし6段だとそこそこ勝てる。相手も自分のヘボにかなり付き合ってくれる。それでまた7段に戻った。おそらくこの繰り返しになるのだろう。

 自分の対局以外に、プロの碁を鑑賞することも幽玄の間の楽しみなのだけど、こちらも緊急事態宣言と共に公式対局はストップしてしまった。その代わりに毎日のようにプロ棋士の早碁を見ることができて、これが結構面白い。内容としては時間をかけた公式戦の方が濃いのだろうけど、素人にはそんなことはわからない。早い展開の碁が次々に見られて、今はこれが一番の楽しみだ。

 その中で気になる存在なのが、藤沢里菜先生、女流のタイトルを2つ持っていらっしゃる。藤沢秀行名誉棋聖(故人)のお孫さんということでも知られているが、私にとっては、お父さんの藤沢一就八段には前に登録していた時に指導碁を打っていただいたことがあって、これは忘れられない一局だ。



4子で、私にしてみれば精いっぱい戦った碁だ。上の場面、左上は取られたけれど、中央攻めていけるのではないかと思った。しかしこのあとコウでしのがれ、代わりに左下を取ったけれども10目足りなかった。日付を見ると2006年、里菜先生が11歳で入段したのが平成22年とあるから、その4年前ということになる。

 その里菜先生の碁は、終盤が強く、早碁でも勝率が良い。もちろん素人にはどこが優れているとか言えないのだけど、今は観戦するのが楽しみになっている。先週の日曜はNHK杯に登場ということで、これはどうしても見たい。テレビはほとんど見なくてチャンネル権も無いのだけど、ちょうどネットで同時放送のNHKプラスが始まったところで早速登録した。NHK杯も、かなり久しぶりの視聴であった。里菜先生の相手は小林覚先生、私より少し年齢が上だが、同年代と言っていいだろう。



久しぶりにNHK杯を見て気になった事、それは、石が碁盤の交点から微妙にずれていることだった。これは人間が碁盤と碁石を使って打つ以上当たり前のことだ。しかし考えてみると私はずっとネット対局で碁盤と碁石ではもう三十年以上対局していない。ネット対局室ではもちろん石が少しずれることは無いから、そこが気になるのだろう。できれば、久しぶりに碁盤と碁石で打ってみたいと思うが、今は碁会所も閉じていて難しそうだ。



対局は序盤から白番のさとる先生が手厚く打ち進めて優勢だったようだ。そして、中央黒の一間トビを切り離すワリコミの手が、勝負の決め手のように思われた。解説の吉原由香里先生はこのワリコミを見て、「気付きませんでしたぁ」と笑ってごまかした、とその時は思った。しかし、この記事を書くにあたって見直してみるとそうではなかった。ワリコミを見てまず、ゆかり先生は聞き手の長島梢恵先生と一緒に驚いてみせて、そのあとに「気付きませんでした」と笑ってる。





盤上の解説の前に、表情で何が起きたかを伝えている。これは素人にはありがたいことで、ゆかり先生の解説スキルの高さだろう。昔見ていた頃に比べると、解説も進化していると感じた。

このワリコミによって、さとる先生の勝利は決定的と思われたが、このあと里菜先生が一瞬の隙をついて左上の白の一団を切り離し、逆転勝ちとなった。もちろん里菜先生を応援していたのだけど、同年代のさとる先生が終盤息切れというのは自分も終盤はくたびれているから100パーセントは喜べない終わり方だった。

番組のラストの「私の一手」というコーナーも昔は無かった。里菜先生が挙げた一手は、逆転の場面よりずっと前の、序盤に中央の要点ではなく地合いのバランスを取りながら攻めを意識した一手だった。



里菜先生は「一応先の長い碁になったかな」と締めくくった。終盤に力があるからこその言葉だろう。私には到底真似できない芸当だ。とにかく自分の碁は全く期待できないけれど、観戦の楽しみは大きくなった。しばらくはこれで乗り切りたいものだ。

柴朴湯

2020-04-08 10:58:31 | 日記
昨日は自分の通院、コロナ流行の折あまり病院には行きたくないが花粉の薬が残り少ない。私の場合GW直前まで症状が続くので、もう一度もらっておきたい。最近運動不足でもありバスは避けて午後から歩いて出かけることにした。汗ばむような日差しの中、運動不足で体も重く快適とは言えない徒歩だった。広島市立の学校は昨日が始業式ということもあり、可部南地区では下校中の小学生の姿も見られた。女の子3人がぐちゃっとひっついて一冊の本を読みながら歩いている。ニュースでは校庭で間隔をあけた始業式の様子を映していたけれど、それは外向けのポーズに過ぎないようだ。35分歩いて14時10分ごろいつもの漢方医に着いたら、まず入り口にできるだけマスクをしてほしいと張り紙がある。中は前回同様すいていて診療開始20分前着だといつもなら15人から20人待たないといけないのに、午後の4番目だった。ちょうど業者が空気清浄機を持ち込んだところで、看護師さんが設定をしていた。しかしこれも気休めのような、無いよりはましだろうか。

3時前には名前を呼ばれて診察室へ、調子はどうかと問われて、今歩いてきたら体が重くてどうも体調が良くない、コロナで引きこもっていたら気分も晴れないとぶつぶつ言ったら、今は花粉やコロナで憂鬱になる人が多い、96番を出しておきましょうと言われた。

そのあといつもの電気マッサージ、看護師さんに背中や手足にペタペタ吸盤みたいなの付けてもらってうつぶせと仰向けと10分ずつ、この時期これも気にならないといえば嘘になるけどここに来たからにはやってもらいたい治療だ。終わって下の薬局で薬を受け取ったら、花粉の薬ともうひとつ、96番は冬にアレルギー喘息が出た時に飲んでいた柴朴湯だった。たしかに私は冬になるとゲホゲホいって呼吸器は弱いけれど、それを言ったのではない。話を聞いてなかったんかいなとその時は思った。

しかし帰ってネットで柴朴湯の効能をみると、

「喘息や気管支炎で痰をともなうとき、こじれて長びくカゼの咳、また、抑うつ感や不安神経症などにも適応します。 」

とあって、たしかにコロナ鬱にはこれが良いのかもしれない。またこのページには、

「基本処方である小柴胡湯と、咳をしずめる半夏厚朴湯を合わせた方剤 」

とあって、前にもらった109番と同じように、貞国も歌に詠んだ小柴胡湯は漢方薬ではベースになる存在のようだ。そして、私が漢方薬で一番気に入っているのは、食間に白湯で飲むこと。仕事、用事を中断して、猫舌ゆえ少し白湯をさましてから服用する時間を作る、それだけで少しリラックスできてストレスが減じるような気がする。気分だけかもしれない。でも、今はその気分が重要なのだ。人によってはコーヒーでもお茶でも良いのだろうけど、今は特に、そういう時間が必要だと思う。まだまだコロナは長期戦、心の平安を保ちつつ、なんとか生き延びたいものだ。

銅山跡の桜

2020-04-03 09:46:23 | 三篠川
 昨日の午後、ほんの二十分足らすの短い時間であったけれども、三篠川の川土手を歩いてみた。まずは、自宅裏の川土手から西の阿武山。




写真の右側、可部の町に近い斜面には桜の木がぽつぽつ見える。




三篠川に目を移すと、冬季のしゅんせつ工事で土砂が運び出されて、前日までそんなに降った訳でもないのに、小正月にとんどが行われた河原は土手の際まで水につかっていて、その中に石が並べてある。




ほかの場所ではこの石の並びが瀬になって機能しているところもあるのだけれど、うちの裏は山に近い所が淵になっていて、今のところ石を並べた効果はなさそうだ。少し上流に歩いて、今日のお目当ては金明鉱山跡に植えられている桜、まだ満開ではないと聞いていたが、結構咲いていた。




こうやって写真に撮ってみても石を並べて作ったばかりの瀬は少し不自然だ。土手を降りて、水面に近いところで対岸の桜を眺めてみた。







この桜の木の上の谷にあった金明鉱山は、主に銅を採掘していて、私が子供の頃はすでに廃鉱で、緑青を含んだ緑色の水が三篠川に流れ込んでいた。少し下流には弁柄工場があって、こちらは酸化鉄の赤い水、五十年前のこのあたりは清流とはいえなかった。この川の鮎をたくさん食べたから、祖父は早くに癌で亡くなったと母は信じている。もっとも、母方の祖父は二キロ圏内の被爆者であったから、そちらの影響かもしれない。子供の頃は廃鉱と書いたが、今ウイキペディアを見たら廃鉱は私が7歳の時となっている。しかし、ここが稼働していたという記憶はない。芸備線が大正四年に開業した時に、深川村の中心の中深川ではなく、下深川に駅が作られたのも金明鉱山の銅を運び出すためであった。私が腰をかけているこちら側にむかって、当時は橋が掛けられていたという。

短い時間でも、やはり外に出ると気が晴れる。次はもう少し上流へ足を伸ばしてみたい。


闇夜のヤギ

2020-04-01 09:29:17 | エイプリルフール

 今年も桜の季節になりました。しかし疫病蔓延で大変な世の中、私も日々お薬師様やアマビエ様アマビコ様そして少彦名命にお祈りしておりますけれど、一向にトンネルの出口が見えません。一昨日は延期になったオリンピックの日程が決まったというニュースがありました。とんでもなく愚かな、鬼が笑うとはまさにこの事でございます。来夏まで生き延びられるかどうか、全くおぼつかない事でございます。

 もちろん最近はサッカー観戦に出かけることも出来なくて、家にいることが多く、ストレスもあって体重が増えて行く一方です。好きな言葉ではありませんが、引きこもりも決して楽な生き方では無いことを知りました。思い切り声を出してサッカーを応援するのは一体いつのことになりますやら。そういえば最近、夜中に寝ておりますと、どこかから動物の鳴き声がする。うちは山が近く、鹿はよくやって来ます。しかし、鹿のピイという鳴き声とは違う。メエと聞こえるのです。それもどうやら隣の四畳半、フラッグやユニフォーム等応援七つ道具が置いてある部屋から聞こえるような。色々考えてみますと、最近は騒音問題からタイコを叩けないグランドが多く、代わりに持って出かけるヤギ皮のタンバリン、これが夜な夜な啼いていると思われます。ヤギも狭い四畳半に押し込められているのが嫌なのでございましょう。

 さて、このような日々を、いかに生きるべきなのか。辞世の歌を詠んでおく、というのはいかにも後ろ向きでございます。仏門に入ることも考えましたけれど、こないだ写経した薬師瑠璃光如来本願功徳経には、話題の歯磨きうがい手洗いの後のくだりで、坊主にしっかりお布施しろと書いてありました。宗教というのはそういうものでございましょう。いや、宗教でなくともお金がなくては生きていけませんけれども。とにかく、出家にも費用がかかるようでございます。それではどうやってこの陰鬱たる日々をやり過ごせば良いのでしょうか。昨日、春名風花さんのツイッターで、「沁みる」という漢字の使い方が話題になっていました。調べてみると、中国には「沁人心脾」という成語があって、体にしみわたり人を気持ちよくさせる、また、文学詩歌が人をすがすがしい気持ちにさせるという意味でもあるようでございます。今必要なのは、まさにこれ、文学詩歌芸術ではないでしょうか。芸術の分野は今は自粛で大変厳しいと聞きますけれど、国の方でもなんとか考えてもらわなければなりません。そして、すがすがしい気持ち、長く忘れていた感情かもしれませんが、この言葉を見た時に、あなた様の事を思い出しました。今年はシートを敷いての花見は自粛とのことでございます。それなら、桜餅でも食べながら、桜の下でお話したいものでございます。いや、ふられたのを忘れた訳ではありません。ちゃんとソーシャルディスダンシング、2メートルの距離は守るつもりです。 桜餅は松江のが好物ですが、今は移動も自粛で買いに行く訳にも参りません。その辺ので結構でございます。桜の木の下で、文学詩歌についてすがすがしく語り合おうではありませんか。来年まではわかりませんが、なんとかこの四月を生き延びて、五月の風に吹かれたいものです。桜の咲き誇りたる卯月の始めの日に、あなた様の事を思ひ出でて、一筆申し上げ参らせ候。めでたくかしこ。


  たれこめて君のくちびる思ひ居れば闇夜に May とヤギ皮の泣く