阿武山(あぶさん)と栗本軒貞国の狂歌とサンフレ昔話

コロナ禍は去りぬいやまだ言ひ合ふを
ホッホッ笑ふアオバズクかも

by小林じゃ

しばらく

2020-03-24 16:16:20 | 日記
図書館がお休みでもあり、ネットで読書していたら、花粉もあるのだろうけど目がちょっと厳しくなってきました。しばらくはできるだけPCから離れて本棚にある紙の本を読み直す程度にしたいと思います。という訳で、ブログの更新も少なくなりますが、落ち着きましたら、またよろしくお願いします。

たれこめて

2020-03-17 20:32:11 | ちょこっと文学鑑賞
今日は古今和歌集巻第二、春哥下から一首、


      心ちそこなひてわつらひける時に風にあ
      たらしとておろしこめてのみ侍けるあひ
      たにおれる桜のちりかたになれりけるを見て
      よめる 
                   藤原よるかの朝臣

   たれこめて春の行ゑもしらぬまにまちし桜もうつろひにけり


テキストは江戸時代の写本、朱字で訂正してあるが、歴史的仮名遣いだと「をれる桜」「春のゆくへ」となる。詞書に「風にあたらじ」とあり、よるかの朝臣は何の病気だったのか。私に言わせればこれは花粉症の歌であって、私もこの時期は引きこもりがちになってしまう。花見に誘われて花粉症だからと断ったら、サッカーは見に行くのに花見には来んのかと言われたことがある。しかし鼻がつまっていたら酒もうまくないし目もかゆいし、お花見ははっきりいって苦行である。一方サッカー観戦の90分間は花粉を忘れてギャーギャー言って終わる。終了後から翌日まで目喉鼻大変だけれども。それにどちらかというと宴会よりも桜の花を静かに眺める方が性に合っている。という訳で、サッカー観戦のついでに桜の木の下で弁当を広げることはあるけれど、お酒を伴うお花見はもう三十年ぐらいやってない、多分前にやったのは京都に住んでいた時の円山公園だったと思う。

 もっとも、今年は少し事情が違う。コロナの影響で例年以上に外に出る機会が少ない。東京では花見の自粛要請も出ている。こうなると、ひねくれ者の私としては、お花見をやってみたい。しかし、花粉の時期に酒がまずいのは変わらないし、だいたいずっと断り続けてるのだから、今更誘ってくれる人もいない。去年は一人で桜の木の下で弁当食ったが、目の前では子供たちがサッカーやっていて、選手から「何弁当ですか?」と聞かれたりもした。しかしサッカーも今月いっぱい軒並みお休みである。いくら静かに眺める方が良いといっても、まるっきり一人で花見弁当はさえない。やはり、いつもの阿武山の見える坂道でぶつぶつ言いながら眺めるだけにした方が良さそうだ。広島は縮景園の桜が今日一輪だけ咲いたそうで、まだ開花宣言には至っていない。咲く前に「たれこめて」を思い出したのは、せめて桜を見上げる機会だけは確保しなさいというお告げかもしれない。

はなしむなき売

2020-03-15 20:54:20 | 狂歌鑑賞
 今回も人倫狂歌集から、はなしむなき賣と題した四首を読んでみよう。四首目の最後は読みがよくわからないが、とにかく書いてみよう。


        はなしむなき賣

  仏店にてや往生なすならんうりあまりたるはなしむなきも

  両国の大きな長いはしにうるはなしむなきはちさしみしかし

  蒲焼の難をのかれてあきうとゝともにむなきの命つなきつ 

  からき世をわたるはし辺にもとてさへほそきむなきをあきなうてゐる


放し鰻とは、供養のために鰻を買って川に放すこと、と出てくる。放生会という仏教起源の儀式が元になっていて、放すのは鰻だけでなく雀や亀も行われたようだ。歌を見ていこう。

一首目の「仏店」は、上野山下仏店(ほとけだな)にあった大和屋という鰻屋のことで江戸で蒲焼の元祖を名乗っていた店だという。岡田村雄著「紫草」(大正五年)には、「大和屋のうなぎ」という項に、

「佛店といふは上野山下の中今は上野停車場の邊ををいへる里俗の稱なり」

とあり、仏店は住所の地名では無かったようだ。そして、

「大和屋は文化文政頃盛に行はれし店にて其頃出板の江戸見立番附の二段目に載せあるを見ても名高かりしこと知るべし」

さらに次頁の商標には、

「私儀数年此所にてぬらりくらりとうなぎしやうはい仕候」 

と読める。ぬらりくらりは江戸の昔からうなぎの決まり文句だったようだ。また、江戸買物独案内(文政七年)の商標にも「元祖」「元禄年中ヨリ連綿」と見える。年代については、「江戸の食と娯楽」に「世のすがた」(天保四年)からの引用として、

「うなぎ蒲焼は、天明のはじめ、上野山下仏店の大和屋といへるもの、初て売出す」

とあり、元禄からあったかどうかはわからない。

しかしとにかく仏店といえば蒲焼の名店であって、一首目は放し鰻で売れ残って逃がしてもらえなかった鰻は仏店で往生とある。蒲焼の名店は他にもあったが往生の縁語として仏店を選択したようだ。

二首目は両国橋の大きな長い橋のたもとで打っている放し鰻は小さく短かったと。青空文庫で読める岡本綺堂「放し鰻」(大正十二年)には、

「かれは両国の橋番の小屋へ駈け込んで、かねて見識り越(ご)しの橋番のおやじを呼んで、水を一杯くれと言った。  (中略) 番小屋の店のまえに置いてある盤台風の浅い小桶には、泥鰌(どじょう)かと間違えられそうなめそっこ鰻が二、三十匹かさなり合ってのたくっていた。これは橋番が内職にしている放しうなぎで、後生(ごしょう)をねがう人たちは幾らかの銭を払ってその幾匹かを買取って、眼のまえを流れる大川へ放してやるのであった。 」

とあって、両国の橋番が内職で放し鰻を売っていたとある。「めそっこ」とはアナゴやウナギの若魚で、アナゴについては、江戸っ子は20センチ前後のメソッコを最上としたとも言われているが、ウナギの小さいのは蒲焼には向かなかったようだ。一首目のように、売れ残ってもすぐに蒲焼にするという訳にはいかなかったのではないかと思われる。両国橋は浮世絵にも出てくる大きな橋で飲食店が並び下に屋形船も浮かんで夜でも昼のような賑わいだったという。それを「ちさしみじかし」の七文字で締めたところがこの歌の面白さだろうか。

三首目は「むなぎ」と「つなぎ」が韻を踏んでいる。商人と共にウナギの命をつないだと言うが、現代人の目から見ると鰻を人質?に取られてるみたいでスッキリしない。

四首目のラストの字を「里」と読んでしまうと字数が足りないし意味がとれない。また「わたる」の「わ」も「王」とはちょっと違う気がするのだけれど、意味をとって上記のように読んでみた。正しい読みが分かった方コメントいただきたい。

人倫狂歌集の放し鰻売りの次には「はなし鳥うり」と題する歌がある。一首引いてみよう。

  のりなめし雀もありやねたんをもしたからきつてうるはなし鳥

他も舌切り雀を題材とした歌が多いようだ。実際の放し鰻、放し鳥は後生を願う信仰心からの行動であって、狂歌で読むのとは少しニュアンスが違っているのかもしれない。









根気が二流

2020-03-13 20:13:56 | ちょこっと文学鑑賞
タイトルの言葉は、司馬遼太郎「坂の上の雲」で、真之が大学予備門をやめて軍人への道を歩み始める場面、兄好古とのやりとりの中で出てくる。


「あしは、いまのまま大学予備門にいれば結局は官吏か学者になりますぞな」
「なればよい」
「しかし第二等の官吏、第二等の学者ですぞな」
━ふむ?
と、好古は顔をあげ、それが癖で、唇だけで微笑した。
「なぜわかるのかね」
「わかります。兄さんの前であれですが、大学予備門は天下の秀才の巣窟です。まわりをながめてみれば、自分が何者であるかがわかってきます」
「何者かね」
「学問は、二流、学問をするに必要な根気が二流」
「根気が二流かね」
「おもしろかろうがおもしろくなかろうがとにかく堪え忍んで勉強してゆくという意味の根気です。学問にはそれが必要です。あしはどうも」
と、真之は自嘲した。
「要領がよすぎる」


 なぜこれを思い出したかと言うと、狂歌の索引を作りながら、つくづく自分には根気が足りないなあと。世の中には江戸と上方の狂歌すべてを打ち込んでいる方もいらっしゃるというのに、貞国の二百十余首でぐったりしているのだから話にならない。思えば学生時代、親に言われて嫌々出かけた新聞社の面接で、「君は学者向きだろう、新聞記者に向いてない」と言われた。そこに入りたければ、いやそんなことはないですと反論しなければいけなかったのだろうが、もとより気の進まない面接だったのでおっしゃる通りとうなずいておいた。実際、研究者になりたい気持ちはあったのだけど、とにかく根気が続かない。学生時代、図書館は居心地の良い場所ではなかった。用例をみつける作業が、どうしようもなく苦手だった。今考えると、私には最初から無理な道だったと思う。それなら何が向いていたのか、いや、これは今更言っても仕方ない事だからやめておこう。

 ここ2年ほど、図書館は逆に居心地の良い場所に変わって、今は図書館に行く時間が中々作れないのが残念でならない。どうして学生時代に、と思うのだけど、その時やり切って成仏できなかったから、今このブログを書いているのかもしれない。索引は何とか完成したけれど、ブログの記事にリンクをつけようとしたら字数オーバーのエラーが出た。リンクのアドレスも字数に入るようだ。索引を何分割かして・・・というのは、くたびれたから次の機会・・・やはり根気が続かない。それに、貞国の狂歌の索引とか、自分以外に見たい人などいるのだろうか。という訳で最新の日時にはせずに索引を書き始めた時間、3つ前の記事としてとりあえず公開とした。それでも、根気が途切れ途切れであったとしても、前には進んでいきたい。索引をじっくり眺めて、次はどこを攻めるか考えてみたい。

仁和寺のマスク

2020-03-11 16:24:51 | 寺社参拝
 仁和寺で配布している薬師如来の梵字入りのマスクについて、仁和寺のツイートで、「梵字はフリー素材のようなものなので、皆様どうぞ画像保存などご自由にして下さい。 これで少しでも皆様の不安が和らぎますように」とあった。これはありがたいことで、早速こちらにも張らせていただきたい。



仁和寺には一度行ったことがあって、その時の御朱印。




昭和五十四年とあるから私は十六歳、春休みに友人数人で京都旅行した時のものだ。境内が広かった記憶はあるのだけど、なにせ41年前のことで記憶がはっきりしない。もう一度行ってみたいものだ。今日のところは、薬師如来の梵字にいつものお願いをしておこう。


 南無薬師瑠璃光如来 奉願疫病退散 おんころころせんだりまとうぎそわか







同じような言葉でも

2020-03-10 09:53:04 | 日記
ツイッターの同年代のフォロワーさんで日頃からとても尊敬している閻魔様(仮名)が、もう五十年も生きたのだから、感染症で神経をすり減らさなくても良いではないか、という趣旨のツイートをされていて、これはなるほどそうかもしれない。もっと心の平安を大切にしなければはならないと思った。
 
 その一方で、コロナの件に関しては厚労省寄りのツイートをしているフォロワーさんが、高齢の親がコロナで死んでも、それは運が悪かったということだ、みたいなツイートをリツイートしていて、これはとても受け入れられない。本人は意識していないかもしれないが、行政寄りから言われたくない言葉だ。「コロナは大したことない」もそうだった。

 しかし考えてみると、他人から見て自分がどんな立ち位置にいるかを意識して発言することは、あまりないかもしれない。他人の気持ちや受け取り方を予測するのは難しいけれども、特に病老死苦に関わるような事柄では注意しないといけないということだろう。他山の石としたい。

 1、2週間が瀬戸際と言ってから2週間たった。しかし今の対策は、ピークを低くするための自粛や休校であって、うまく行けば行くほど感染者数増加の傾きはゆるやかになってピークの時期は遅れるという。私もサッカーの再開を心待ちにしている一人であるからピークが遅れるのはジレンマではあるけれど、今はこれしか方策がないようだ。ピークを越えるまで、今の対策を徹底するしかないのだろう。経済的に影響が出ている職種も多岐にわたっていて、初動が遅れたために自分たちにしわ寄せが来ているという若者の不満はもっともだ。もう一度、政府からお願いした方が良いと思う。誰が呼びかけるかは頭の痛いところではあるけれど。それから、安全デマは困るが、心の平安は確かに必要だ。テレビ局はワイドショーの枠を減らして、音楽とか演劇とかその他芸術の番組に替えてみてはどうだろうか。私の趣味で言うならば、古寺巡礼とかでも良い。今日も締めくくりに、お薬師さんにお願いしておこう。


 南無薬師瑠璃光如来 奉願疫病退散 おんころころせんだりまとうぎそわか



栗本軒貞国 狂歌索引

2020-03-09 09:31:16 | 栗本軒貞国
歴史的仮名遣いではなく、声に出して読んだ時のアイウエオ順とした。

出典一覧(順不同)

 狂歌家の風(近世上方狂歌叢書9)
 狂歌桃のなかれ(『狂歌桃のなかれ』書誌・影印・翻刻)
寝 狂歌寝さめの花(武庫川国文21)※葵という作者名で入集
 芸陽佐伯郡保井田邑薬師堂略縁起並八景狂歌 (五日市町誌)
 狂歌あけぼの草序(五日市町誌)
 貞格冠字ゆるしふみ(五日市町誌)
 永井氏蔵屏風(内海文化研究紀要11号)
 岡本泰祐日記 (沼田町史)
 吉水録(加計町史)
 龍孫亭書画帳(加計町史)
 都谷村石川淺之助氏所蔵古文書(山県郡史の研究)
 戸河内狂歌集(戸河内町史)
 聖光寺辞世狂歌碑
 出典不明(尚古参年第八号 栗本軒貞国の狂歌 ) 
 出典不明(柳井地区とその周辺の狂歌 )
 出典不明(大野町誌)
 出典不明(山県郡史の研究)
 出典不明(徒然の友)
 小林じゃ(ブログ主)蔵掛軸 「福の神わさ」
雪 小林じゃ(ブログ主)蔵掛軸 「雪月花」

ア行
アイソニモ あいそにも少しは出して見せよかし月をかくしたけふのうき雲 
アカツキノ 
あかつきの星かあらぬか大尽をおきまとはせる床のしら菊 家
アキノキテ 
あきの来て恋風かよそへ吹からにむへ山の神あらしといふらん 家
アケテイテ 
明て居てなとかは外へうつるへき泣つふせとや見初たる目を
アズサユミ 
あつさ弓夕への風の涼しさにぬいたるかたもいるゝものゝふ 
アタマカラ 
あたまからかくれたるよりあらはるゝおきてをしめす福の神わさ
アツキヒオ 
暑き日をしのきかねてかふし山もかしらをひやす諏訪のみつうみ 家
アツキヒニ 
暑き日に人の肝まてひやさすはいかなたくみのこゝろふとそや
アトノツキニ 
あとの月に引たる駒のまくさともならて嬉しきけふのさや豆 家
アマグモオ 
雨雲をとくひ来りてしるしあれや祈るこゝろの空しからすは 家
アマヒキニ 
雩に感応のなき夏よりも悲しき秋のなかそらの雨 家  
アメツチノ 
あめつちのつくり初穂のみつきもの若菜は時をたかやさすして 家  
アメツユノ 
雨露のめくみに木ゝのまことをはあらはして咲花のくちひる 家
アリガタヤ 
有難やこのみに取て上もなきたち花様の御意をいたゝく家  
イイイズル 
いゝいつる言の葉もみな和歌めくや今朝は見るもの聞く物につれ 桃
イクチヨモ 
幾千代もかはりなし地と祝いぬるご夫婦仲もよし野塗師や 柳寝
イケヅツノ 
活筒のひとよきりより一夜酒の銚子にさゝん夏菊の花 家  
イチモンモ 
一文もなけれはちんともならぬ也銭てかはちをたたく風鈴 家  
イツシカニ 
いつしかに身はくちなはのあすしらぬそのひはかりの頼みかたきよ
イツマデモ 
いつまても長生の名は高砂や老も若木の十八の公 
イツマデモ 
いつ迄も位してよめ冠のていよき歌の格をたかへす
イノチガケノ 
命かけの勝負と山を打みれは気もすころくのさいか谷かな
イノチネワ 
いのち根は千万おくて長いきのたねおい初る宿のなはしろ
イモウリワ 
芋売は我ものにして詠らんあすのもふけをまつ宵の月
イロニメテ
いろに愛てゝあかねうらとも錦とも詠る人のきゝの紅葉ゝ家尚
ウカウカト  
うかうかとした間に年は境目の瓢たんからり明けの春駒    尚
ウカレイデ 
浮れ出で内には山の神もなく明屋計ぞ見吉野の里       尚 ○
ウチイワウ  
打祝ふ印地の石も年を経て粽の粉をひく臼となるまて 家 ◎
ウチツイデ 
うちついてとかめらりよかと忍路の人目の関はこへも得たてす 家
ウマカゴノ   
馬駕籠の心遣ひも南無あみた仏の道はろく字はかりて          家 ◎
ウマカゴヤ   馬駕籠や人足つれて西行にはるか高みのふしを見る旅        家        
ウラナイモ  
占も考て取れ早わらひの握りこふしの中のあてもの 家
ウルシニワ  
うるしにはあらねと是もぬり池のもやうと見ゆる青かいるかな 家 ◎
ウロクスモ  
うろくすも生るをはなつ海草の底のも中のけふの月影 戸
エチゴジノ 
越後路の雪吹をおもふ涼風やひいやりと身もちゝみかたびら 尚
オイテユク  
老いて行身の入まいのめてたさよ門田の稲と共につくつゑ 家
オイノミノ  
老の身のひらふ歩行路につく杖の其古を忍ふ竹馬 桃 ○
オギノハノ 
荻の葉のおとつれさへも悲しきに常なき風の吹秋はさそ 家
オトコダテ 
男伊達拍子うつにもうての骨つよいかほしてうたふかけ清 家
オトシワカヤ 
おとし和歌や八そし八雲の末はなをよむともつきし千載万葉 家
オノガツラニ 
己かつらにいつれましらとくらへみる紅葉の枝をためつすかめつ 家
オノレノミ  
おのれのみさゝにみたれてくたまきのなき上戸とや人のいふらん 家
オモワズニ 
思はずに転ばず雪に転ばされ寒さ忘れておかしかろとは 柳
オヤオヤノ  
親々の製の詞もいとふましわれても末にあはん恋中 家

カ行
カイテクレタ 書てくれたきしやうもあてになら坂やこの手の外ににせかけた筆 家 ○
カゲウツル 
影うつる花の鏡に洗ひけり月を見た目も雪をみためも 尚○
カコムゴオ 
かこむ碁をみな打やめて寒き日はすみに目を持冬籠かな 家
カコムゴノ 
囲む碁のしぬる処を生かすのは手かさな医師のこうてこそあれ 家
カゾウレバ 
算ふれば三百四十六つ間敷皆春の日の長生喜の友 尚 ○
カドグチニ 
門口に柳四五本うゆれともひとりふちさへとらぬわひ住 家
カナラズト 
必とかいた誓紙を反古にした男の心にうつ五寸釘 家 ◎
カミケホドモ 
髪毛ほともにくけはないに目や鼻のあないやらしと人はなせいふ 家
カミノマエ 
神の前鳥居のかさ木よゝふりてうるほふあめかしたそ目出度 
カワズヨリ 
蛙より鶯はまたたけ高くひとふしのある歌やよむらん 家
キエノコル 
消残る雪のたへまを見あくれは尼上か嶽もところまんたら 家
キガカリモ 
きかゝりもなくて山々うれしとは花見にかきる言葉なるらん 家 ◎
キカバヤト 
聞かばやと思へど道のほとゝぎすさぞな鳴くらん死出の山路は 柳寝
キギノハモ 
きぎの葉もちりつるてんとたまらぬや三味とむの胸のたきのしらいと 都
キセソメテ 
きせ初ていはふ袴のまち中にはゝをやらしやれ四つ身小袖で 家
キョウワシオ 
けふは汐のひのもとのみか蛤のから迄かち路ひらふ海原 家
クイコンダ 
喰込た二八の君かそはにのみ何やかやくをたしに遣ふて 家
クガイシテ 
くかいしてつとめの年も十かへりの花やかにして出るさとの松 家
クリカキノ 
栗柿のこのみの為とありかたや時しもあきの国の御下向 家
クロゾメノ 
黒染の桜のこれも油煙やら硯の海に花の浮むは 柳
ケイセイノ 
傾城のおなかにそれとみゑの帯かたふ結むた客か有やら 桃
ケサノアキ 
今朝の秋風の音にも驚ぬ御代や目にしる稲の出来はゑ 桃尚  
ケサワハヤ 
今朝ははや板ひく山もかんな月しらけかけたる横雲の空 家  
ケサワハヤ 
今朝は早や福寿草そら咲き出て梅の立枝の花を待かは 
コイカゼオ 
恋風を引込病ひの悪性はいくつもかさねてきるさよ衣 家
コウシンノ 
庚申の夜を寝た罪かふつゝりと見さる聞かさるものもいはさる 家  
コウロホウノ    香爐峯の夫にはあらで青すたれ掛てこそ見る卯の花の雪    尚        
コガラシノ 
こからしの御剃刀をいたゝいてかみなし月の寺の冬かれ 家◎
ゴケザヤデ 
後家鞘でみのおさまりもなりかたなせつぱつまりし年のこじりは 尚
コシキタテテ 
こしきたてゝ宿の煙を賑はさはみを祝ふなる餅は幾度 家
コトブキワ 
ことふきは千船百ふね数つみてよするしほやのいそのとしなみ 家
コノカミニ 
此神に追ひつくものはあら磯やたすきはつさぬ翁のいとなみ 家 ○
コノカミノ 
此神の御手にもたれてことの葉のみちをこのめやはるの筆柿 家
コノゴロワ 
此ころは無常の風もよそへふけ寺てもおしむ花の命そ 家
コノゴロワ 
この頃はよし野初瀬に浮れ来る人の盛を花や見るらん 尚 ○
コレハコレハ 
是は是はともよういふたよし野山こちとは花に口あけたのみ 尚

サ行
サアダテオ さあ伊達をこきの賀しやもの是からは千歳の春の花をやらしやれ 
サオノサキ 
竿の先のことつてなれと天竺へとゝける心もちつゝし売  家◎
サトビトノ 
里人のかたるを聞けば浄るりのほとけも古き時代ものなり 薬 ◎
サムキカオヤ 
寒き顔やこたつにあたるすき風に鴛鴦のふすまそ思ひやらるゝ 尚
サモオモキ 
さも重き御盃をいたゝいて軽いあたまのあからさりけり 家 ◎
サルモキカラ 
猿も木からおちこち人に訊ひとはれ永くも栗の枝つたわれよ 柳
ザレウタノ 
され歌の道はこと葉の花盛りはくの小袖のよい旅ころも 家
サンゴヤワ 
三五夜はあれとけふしも聖霊のたんこて愛る盆の月かけ 家
ジアイカラ 
地合からつくつて見てもしつの男は顔のはたけに出来ぬ恋草 家
シカッタル 
呵たる子供よゆるせ今朝の春まつにほたえたきのふ一昨日 家 ◎
ジゴクダニ 
ぢごく谷右も左も鬼あざみざいごう人の通ふ農道 山
ジジイワ 
祖父は■■しかりのよをふり捨て祖母あはかわいやなんとせんたく 戸
シャミセンモ 
三味線も花の當りは除て弾けちりてん人はちとさわり心ぞ 尚
ショウギニモ 
将棋にも妙をゑしとてついちよつと指てもかくや馬を飛する 家
シラサギワ 
白鷺はとんとけしきに見えぬのに烏がはねをとる四方の雪 
シラサギワ 
白鷺はとんだけしきも見えぬのに烏か羽ねをとる四方の雪 
シラユキニ 
しら雪に同しはいろをあらそはん鷺のねくらの岡の松か枝 家
シンコクノ 
神国のならはせなるか仏の座雑まな板でたゝくなゝ草 家 ◎
スズカゼオ 
すゝ風をたゝみこめたる扇にもあまるあつさや大仏の鐘 
スベッタル
 辷たる跡もゆかしやうかれ出て我より先に誰かゆきの道 家尚雪◎
スミゾメノ墨染の桜の是もゆゑんやらすゝりの海に花の浮むは柳寝
セキフダオ 
関札を打た八月十五日御つきのかけてひかるやとやと 家
ゼニカネノ 
銭かねのおさまる御代や毘沙門のよろいかふとはとかめ人もなし 家 ◎
センジュツモ 
仙術もおよはし年の口あけてこちがふき出す春のすかたは 家 ◎
センジュツワ 
仙術は学ひ得ねともかんなへのつるに乗してくむ菊の酒 家 ◎
センドウモ 
せん頭も混本も読歌の会言葉の海に乗出しては 桃 ○
センネンノ 
千年のつるへに汲し若水はなをよろつよのかめにおさまる 家尚 ◎
センマイノ 
洗米のよねの祭りはしつかりと手に取てしる老のお初穂 桃
センヤクノ 
せんやくのわしをふり捨又外にしやうさいこまてなした悪性 家 ◎
ゾウギョウノ 
雑行の神はいのらし一向にくとくのもわしやおまむきにして 家 ◎
ソウジギワ 
そうち際立てきたなし煤払の箒てよこす軒のしら雪 家 ◎
ソエダケノ 
添竹の杖にすかりてよはよはと霜をいたゝく翁くさかも 家 ◎
ソコヤココ 
そこやこゝむね上かさる其数も扇のほねの十二三軒 家
ソノトキノ 
その時の涙の川の行末やけふの手向のことの葉の海 家
ソノナニシ 
其名にし大さかつきの影さしてはら一はいにみつる武蔵野 内 ◎
ソマガモツ 
杣かもつおのか音になけまつにのみきをこらしたる山郭公 家
ソマハサゾ 
杣はさそひとり心でかこつらん枝をおろした花のまさかり 家尚 ◎
ソラダノメ 
空たのめなりともみよそ月の名の立まち居まちふし待にして 家

タ行
ダイコクノ 大黒の槌よりもなほ鋤鍬て田から打出す百姓の業 尚
タトエミズオ 
たとへ水をさゝるゝとても湧かへるむねの湯玉のなとかさむへき 家
タマクシゲ 
玉くし笥ふたりを思ふ我恋はあけていはれぬ姉と妹 桃
タンザクノ    短尺の帆うらをうつてみゆる哉風なき庭の花のしら浪    家    ○    
タンザクワ 
たん尺は真帆とも三井の鐘の音やせゝのあたりにひゝく風鈴 家尚 ◎
チュウシュウ 
中秋の兎はあれとそれよりも蚊かもちを搗夏の夜の月 
チュウトコウ 
忠と孝おしゆるやかな国の春明けの烏も軒の雀も 尚 ◎
チュウトコウ 
ちうとこうおしゆるような玉の春あけのからすも家の鼠も 曙 ◎
チョウズバチ 
手水鉢氷ついたる柄杓にて夜半のさむさは汲すしてしる 家柳
ツイタトコロ 
ついた所つかぬ所も見ゆるなり亥の子の餅もあらかねのつち 尚 ◎
ツキノヨブ 
月の呼ふ卯の花よりもしらみあい春の名残もなつの曙 家
ツキハナノ 
月花の野山にもこの口よりそ心の駒は浮れ出る也 尚
ツキミセン 
月見せん秋の中てやおくて田のいねず今宵は月くそはらふて 岡
ツジギミト 
辻君と木の下陰を宿とせははなや今宵の名残ならまし 家 ◎
ツマオコウ 
妻を乞ふ雉子のりんきのむねの火にやけのゝくさも角くみてみゆ 家
ツユシズク 
露雫ものなきはらをさくられてあはぬなとゝは君かさかほこ 家
デホウダイ 
出ほうたいいふきもくさのより合ふてひとひか百首にむかふきうよみ 家
テラクサイ 
寺くさい処はなれて神道の龍頭をにきる高砂のかね 家
トシゴトニ 
としことにかはらぬ星の契りにはあきといふのを口舌なるらん 家
トシツキオ 
年月を経る艾又もみあふてふたゝひきうをすへのやくそく 家
トソノサケ 
屠蘇の酒つい一と丁子明けの春きみかよいわいきみかよいわい 尚 ○

ナ行
ナガイキノ 長いきの本けはこゝしや幾千代をかけかんはんの軒の松か枝 家
ナガナガト 
長々とすへて見るほどせんさいのながめにあかで立ぞかねつる 
ナガメヤル 
詠やる目にもたまらて飛石のうすうすうすと降今朝の雪 
ナガレユク 
流れ行年の瀬ふみか町なみの中をはたかて渡るかんこり 家
ナキゴエモ 
鳴声もせんしゆせんしゆと蟬の羽のうすきは夏のころも手の森 家
ナキヨカトテ 
なきよかとて土やはものをおもはす■伏見人形の西行法師 家
ナナクサニ 
七草にかゝめた腰をけふは又月にのはするむさしのゝ原 家雪◎
ナナクサニ 
七草にかゞめた腰を今日は又月に伸ばする見よしのゝ花 尚 ○
ナラサカヤ 
なら坂やこの手をつけは塚の前むかしのけふかおもひ出さるゝ 家 ◎
ナレモマタ 
なれも又柱を建てふしん場にはやむね上のもちをつく蚊や 家
ニオウモン 
仁王門てる月影に浮雲よ出さはつて握りこふし喰ふな 家
ニワノモワ 
庭の面はきのふの夏の打水にましてひいやりふく秋のかせ 家
ノウインニ 
能因に味あわせたやあめならて古市に名の高き歌賃を 尚 ◎ 

ハ行
ハギススキ 萩薄紅葉も鹿も虫の音もこよひにつきの秋はくれけり 家
ハシラニワ 
柱にははるといへともしら雪のまたふる暦捨られもせす 家
ハズカシト 
はつかしとくはへそめたる其指の血をは誓紙にいつかそゝかん 家 ○
ハズカシヤ 
恥しや舌も廻らぬ石臼にお引き廻しはご免あれかし 柳
ハズカシヤ 
はづかしやいなかもめんのをりわるふ目をばそなたにあけて貰ふた 徒 ◎
パッチリト 
はつちりと照る月なみのかけは二ツこよひそ秋の眼なりけり 家
ハナゾメノ 
花染の布子の別れ悲しさよあすの袷のはらわたをたつ 家
ハナハチルナ 
花は散るな月はかたふくな雪は消なとおしむ人さへも残らぬものを 辞尚柳 ◎
ハナモミジ 
花紅葉高いもひくいも楽しむや峯は提重谷は握り飯 龍
ハハチョウト 
はゝてうと落た枯木に真黒なからすのうらをみする白雪 家◎
ハマリビト 
はまり人の多いか無理か五月雨に恋の淵とも見ゆるいろ里 家
ハラワヌオ 
はらはぬを神も愛させ給ふらん鳥居の袖につもるしら雪 家
ハリヌキノ 
張ぬきのうなつき女夫中のよさ牛と寅との一ツちかいて 家内 ◎
ハルハメサキ 
春は目さき霞むはかりかこゝかしこのほりかちなる風巾かな 
ヒイデタル 
ひいてたる名を取り梶やおもかちのよふそろうたる船ののり組 
ビイドロノ 
ひゐとろの徳利とみりや薄氷あれあれ金魚もうこくぬり池 家 ◎
ヒオトモス 
火をともす寒紅梅にふる雪のあかりはからしものよみの窓 家 ◎
ヒキアゲテ 
引上てさこの子もゐぬ網の目に風のみとまる秋の夕くれ 家
ヒトツナラズ 
一ツならす又二柱みつしほもよみつくされぬいつくしま山 家尚 ◎
ヒトフシニ 
一ふしに千代をこめたる火吹竹ふくとも尽し君が長いき 柳寝
ヒトリズミ 
独りすみ誰とふ人もなつの夜やみしかふつかふてつちさへ居す 家
ヒナザケノ 
雛酒の残りに酔ふも昨日しいたそのもうせんのあけの日の色 家 ◎
ヒバリブエ 
雲雀笛たんぽゝてんてんつくづくしねをはるの野に誰が囃すやら 柳
ヒマクレタ 
ひまくれた女房をおもひ出しけりひとりめし喰ふ秋の夕くれ 
ヒャクソウ 
百草を嘗めて知つたる神農もよもぎほもちの味は知るまい 山
ヒョウタンノ 
ひょうたんの軽口ちよつとすべらかす鯰のせなへ押付の讃 尚 ○
ヒルメシモ 
昼飯もきのふのやうに覚けりそれから後のはるの夕くれ 家尚
フクルオモ 
ふくるをもいさしら雪の夜咄にこしを折たる窓のくれ竹 家
フッタフラヌ
 降たふらぬとふやらうその河水もすこしは跡をにこす夕立 家
フミダシノ 
ふみ出しの豆にもいたくこまるらんはたして逃る節分の鬼 家 ◎
フンドシニ 
ふんとしに取ついてそりやひねられな角力芝居に飛入の蚤 家 ○
ホンガント 
本願と同し数なる十八のきみかちからをのほる藤なみ 家 ◎
ボンノウノ 
ほんのうの病をなをす良薬は熊膽よりもにかのおたとへ 家 ◎ 

マ行
マシロナル 真白なる扇の紙は雪に似てふれる手毎の風もひやひや 家
マタモヨニ 
又も世にたぐひはあらじものずきのきっすい亭の山川の景 吉
マチナミノ 
町なみの御神燈をは鯛をつる漁の火とも見よゑひす講 家 ◎
マチワビテ 
待わひて帰へるにしかじとこちらから泣くやうなぞやゝよほとゝきす 尚
マッサキニ 
まつ先にすゝんてとしのかしらめく梅は諸木のこのかみの庭 家 ○
マッシロナ 
真白な霞のきぬは山の腰の女滝男滝の脚布かふとしか 家 ◎
マツノイロハ 
松のいろは竹のいろはを手習に六十一文字は千金の春 尚
マメガラワ 
豆からは産湯の下にたかねとも七あしにしをしめす御仏 家 ◎
マンボウノ 
万法の水上なりと汲てしる華厳か瀧のうつゝたかひのは 家 ○
ミズドリノ 
水鳥の名にあふ加茂の宮居とておしの集る冬籠かな 桃
ミチワヨシ 
道はよし得ても危なし猿も木からおちこち人に笑はれぬやう 柳
ミナヒトモ 
みな人もけふは重陽花よとて弟草の愛にひかるゝ 家 ◎
ミナミマド 
南まど日南に梅のかを出して春風そふく大としの関 家
ミヌヒトニ 
見ぬ人に語りてそれと家つとや気も勢筆にう津志見のたき 都
ミネノクモ 
峯の雲谷の雪気の疑ひを麓にたれて見よし野の花 尚 ○
ミネノクモ 峯の雲谷の雪気のうたかひをふもとにはれてみよし野の山 雪◎ 
ムカシオトコ 
昔男とはの給へとあいそめてきりやうのなひに恋さめやせん 桃 ○
ムサシノノ 
武蔵野の秋の外にもゆく年の尾花に師走の月は入けり 家◎
ムサシノモ 
むさし野もなとか及はむ空々と真如の月のすめる此はら 桃 ○
メオコスル 
目をこする握りこふしておもひ出すうちくたかれし人の事のみ 家
メオトダキ 
めをと滝そのみなもとはかわれどもすえはひとつにやはりおほのぢゃ 大 ○
モノヨミノ 
ものよみの窓にはたおりきりきりす誰かおこたりをいさめてや鳴 家 ◎
モミジチル 
紅葉ちる龍田にあらて水うりのかはよりそこはくれないの色 家

ヤ行
ヤブラヌオ 傷らぬを孝と学んてうみの親へかくし女房に切てやる指 家
ヤマトミズ 
山と水たのしみめつる智仁者のすみゑのいほかしつか成けり 
ヤワラカナ 
和らかな其上を又よねの手にもまれて丸むさとの餅搗 家 ◎
ユミヲナガ 
弓を流す案山子もあるか壇の浦におはなの浪のよせて見へけり 
ヨミカタモ 
よみかたもさくりあしにて和歌の道みへぬめくらかのそく八重垣 家
ヨモギュウガ 
蓬生か衣にあらて黒もしのその袖垣にかくすなたまめ 家

ラ行
ライネンノ 
来年の事を聞して笑れな早くおひ出せせつふんの鬼 家 ◎

ワ行
ワカタケノ 若竹の子の生立はまつすくなのほりの竿にこめよ幾千代 家
ワシャウメノ 
わしや梅の花の兄貴と呼れたいアノ児桜に枝をつらねて 家 ○
ワスレント 
忘れんとすれはなをなを忘られぬこのもの覚へつれなかりけり 家
ワッサリト 
わつさりと見し草餅もひなの日の一夜過れははやかひた色 家 ◎
ワランズノ 
わらんずの豆にもいたく困るらんはだしでにぐる節分の鬼 尚 ◎








水をむけては

2020-03-08 17:27:52 | 狂歌鑑賞
今回は、「人倫狂歌集」から口よせと題した歌を紹介しよう。最後の挿絵の歌は、上の句の読みに自信がないのだけど、とにかく引用してみよう。


(二十七丁表)

          口よせ

  しにうせし人はしらねとわかむねのうかんたまゝにしやへる口よせ

  弓とつる遠まはしにもその人のまつ口うらをひくあつさみこ

  なき夫に水をむけてはあつさよりこちらのかみをおろすきになる 

(二十七丁裏) 挿絵

  るりこはく水晶のすゝのくりことに世になきたまをよする口よせ


ここで目を引くのは口寄せをしている女性の挿絵



ぱっと見、幽霊みたいな涼しさを感じる絵だ。色々道具が描かれている。「カラー図解付き 江戸がわかる用語事典 」の巫女(いちこ)の項には、

「梓の木で作った弓の弦をたたきながら口よせをするので梓巫女(あずさみこ)とも呼んだ。梓弓を入れた箱を風呂敷で包み、黒帯に白足袋をつけていた。」

とあり、二首目の「あつさみこ」はこの口寄せ(職業)の別名とわかった。そしてここにも絵がついていて、



イラストによって随分印象が違う。そして道具も少し違うようだ。もう一例、東海道中膝栗毛の日坂宿で弥次さんが巫女(いちこ)に死別した妻を口寄せしてもらう場面、

「いち女れいのはこを出してなをすこと、さしこゝろへてやどの女、水をくみ来る、彌次郎すぎさりし女房のことを思ひだして、しきみのはに水をむけると、いち子は先神おろしをはじめる」

弥次さんがシキミの葉に水を向けて、巫女の神おろしが始まったとある。ここにも挿絵がついていて、



死別した妻の霊に責められて泣く弥次さんとそれを見て笑う喜多さんが描かれている。昭和2年の本では少し違っていて、



この老婆は霊なのか、それともあとから登場する・・・いや、そうだとするとネタバレになるので触れないでおこう。そして巫女の前の茶碗にシキミの葉らしきものが描き加えてある。人倫狂歌集の挿絵でも、茶碗の中に葉が描いてある。今も使う「水を向ける」という表現はこの口寄せが語源で、依頼人が水を向けて、然る後に巫女が口寄せを始めるという段取りだったようだ。このあと巫女が神おろしの向上を述べたあとで、「なつかしやなつかしや、よく水をむけて下さつた」と弥次さんに語り始める。神おろしのお終いには、巫女が、

「アヽ名残おしや、かたりたいことといたいこと、数かぎりはつきせねど、冥途の使しげければ、弥陀の浄土へ」トうつむきていちこはあずさの弓をしまふ

昭和の本では最後が「弓を鳴らす」になっている。このあと巫女の部屋に夜這いという展開になって最後に狂歌があるのだけど、昭和の本は活字なので、是非読んでいただきたい。

ここまでを踏まえて、人倫狂歌集の歌をみてみよう。恐山の口寄せの体験談を読むと、イタコは結構一方的に話し続けるらしい。「我が胸の浮かんだままにしゃべる」はそういう光景と思われる。

二首目は口裏(占)を引くという言葉が出てくる。ネットで引くと「相手の心中を察して話をもちかける 」「本心を言わせるように誘いをかける 」と出てきて、巫女の側が探りを入れている状態だろうか。

三首目は「水を向ける」が出てきて、しかし下の句の「かみをおろす」にどうつながるのか。これは梓巫女が「神を降ろす」と未亡人が「髪を下ろす」が掛けてあると思われ、巫女の話を聞いているうちにそういう心情になるということと解しておこう。

挿絵の歌は一応、瑠璃、琥珀、水晶の鈴と読んでみたけれど、そのような道具は出てこない。間違っているのかもしれない。「世に無き魂を寄する口寄せ」と、怖い下の句に呼応する上の句が、私の力不足でよくわからないのは残念なことだ。

絵についても、人倫狂歌集のは独特で、積み上げられた米粒のようなものが何なのか、これもわからない。梓の弓はアイヌのムックリと関連があるという指摘も読んだけれど、アイヌは口寄せはしないそうだ。わからない事だらけで、スピリチュアル系に強い方がいらっしゃったら、ご教示いただきたい。

オイルショックの記憶

2020-03-05 21:09:18 | 日記
 マスクの転売防止に1973年、オイルショックの時にできた法律を活用するという。この頃まだ子供であったため、オイルショックが何たるものか全然理解していなかった。今調べると中東戦争から色々な出来事が重なって複雑だ。時期も1973年(第1次)と1979年(第2次) があってピークは1980年とウイキペディアにある。私の認識ではオイルショックとは小学生だった1973年の方で、ピークと書いてある1980年は高校生、その頃は既にオイルショックは昔話だった記憶があり、ウイキペディアの記述とはずれがある。

 小学5年生だった1973年のオイルショックで一番記憶に残っているのはやはり、トイレットペーパー不足だろう。ある日学校で担任の先生が、トイレットペーパーが学校でも不足しているから紙をトイレには置かない、トイレに行きたい人は先生に言って決められた長さをもらってからトイレに行くように言った。長さは忘れたが大と小で違いがあった。誰かが小の時はいらんと言ったら、女子は小でも使うんだと先生が返して、これは男子生徒の多くが初めて聞く話だった。その頃は学校で大をするのは恥ずかしい事だったから、私は期間中一回ぐらいしかもらわなかったと思う。今調べてみると、原油不足が紙不足につながる懸念は確かにあったものの、実際に不足していた期間の生産量は落ちていなくて、この時も流言飛語が原因だったようだ。また、石油には関係ない砂糖なども噂で不足になったのを覚えている。

 もうひとつオイルショックで嫌な思い出といえば、それまで少しずつお年玉を貯金していたものが、父の会社の資金繰りで消えてしまったことだ。当時、広島の経済の中心だった東洋工業(現マツダ)のロータリーエンジンは音は静かであったが燃費が悪く、オイルショックの直撃を受けた。父は東洋工業の本社に近い今の南区で鉄工所を経営していたが、その時は相当苦しかったらしい。その後もちゃんと教育を受けさせてもらったのだから、お年玉が無くなったぐらいで済んで良かったと今は思う。しかし子供の時の忘れられない思い出であることに変わりはない。今の子供たちも窮屈な思いをしているだろうけど、今の状況がちょっと嫌な思い出ぐらいで早く過ぎ去ってほしいものだ。




「狂歌仕入帳」 大正期の狂歌

2020-03-04 20:24:18 | 狂歌鑑賞
 柳縁斎貞卯と関係があった大阪の都鳥社で検索したところ出てきたのがタイトルの狂歌仕入帳。これは蟹廼屋(野崎左文)の編になるもので、前半は追悼の歌合などが載っていて、後半の詠草の部分は、途中に「左文翁自画賛」とあり蟹廼屋の詠と思われる。狂歌は東京、大阪、奈良の地名が入った歌が多く、大阪都島社で発表した歌も多数入っている。大正四年頃からの日付が入っていて、ウイキペディアの野崎左文の経歴と照らし合わせると隠居後の詠のようだが、新聞記者の経歴もあることから世相を詠んだ歌が目を引く。いくつか引用してみよう。


        庭前露

  電燈の色にもにはの白露は夜ごと光つてイルミネーシヨン

電燈で露が光ってイルミネーションと詠んでいる。この時代イルミネーションと言ったらどんな光景を思い浮かべたのだろうか。

       御即位式

  かしこしな国威をにぎる御手をもて民をなでんの御即位乃式

  よろこびも此上はなし一天のみくらゐをつぐ万乗の君

大正天皇の即位の礼は大正四年にずれこんだ。すでに御病気がちだったようだ。一首目の「なでん」の横に朱字で「南殿」と書きこみがある。

       寄国祝

  めでたしな年をまたいで新領土ふみひろげたるあし原の国

一次大戦中のことであるが、大正四年から五年へ「年をまたいで新領土」はどこのことだろうか、私の歴史の知識ではよくわからない。

        展望車富嶽

  展望車不二のながめも一等とめづるは雪の白切符客

  人穴にはひる心地ぞ展望車富士を見るころくゞる隧道

一等車の切符が白切符だったようだ。どんな展望車だったのか、今度は鉄道の知識がなくてよくわからない。

       電車値上げ

  土手に生ふる松の外にも値上りのけふから目立つ外濠電車

  賃金をませし電車を唱歌にもこわねを上げて唄ふ子供等

  つむじより曲る電車のわかれ道横に車を押す値上げ論

値上げ論は横車を押すものだと詠んでいる。よくある話かもしれない。

       海の博覧会

 海博を見て行くも目の薬なり真珠の玉はよう買はずとも

大正五年の海事水産博覧会(東京・上野公園) のことのようだ。

       大正琴

 はりがねの音色は遠くつたはりぬ電信機にも似たる琴とて

大正琴は当時新しい楽器だったようだ。

       煽風器

  煽風器そばで私が起すのじやないと張子の虎は首ふる

  煽風器かけて寝らるゝ御隠居は左り団扇にまさる老楽

扇風機は明治からあったが量産されたのは大正に入ってからだという。

       天気豫報

  うみ路からいたくも風のふき出物あすの天気ははれとこそ見め

  疑ひの雲さへ出て晴といふ豫報もあてにならぬ秋の日

  間違ひのなきぞめでたき君が代の五風十雨の天気豫報に

天気予報を新聞、ラジオで知ることができるようになったのは大正末期のことで、この歌が詠まれた頃、天気予報は交番に張り出されていたそうだ。五風十雨をネットで引くと「世の中が平穏無事であるたとえ。気候が穏やかで順調なことで、豊作の兆しとされる。五日ごとに風が吹き、十日ごとに雨が降る意から。 」とある。最近あまり使わない言葉だろうか。

         理髪師運動

  運動にボートは漕がで理髪師が乗るは鋏の音のちよき舟

  理髪師がはさみ仕事の運動にいづる庭球(テニス)の芝も五分刈

  理髪師が議員選挙の運動に仲間の手までかり込んで来る

大正六年の歌。翌大正七年から理髪師の資格試験が始まっていて、それを求める運動があったようだ。しかし三首目には議員運動とあって、これは選挙運動のようにも思える。ちょき(猪牙)舟とは、舳先が細長く尖った屋根なしの小さい舟のことで江戸の川船として使われたとある。

          同盟罷業

  鋸も大工はとらで資本家のきをひいてみる同盟罷業

  長いものにいつか捲かれて罷業さへよりの戻りし製鋼会社

大正八年の歌。この年のストライキは497件と空前の件数となったが、このあと恐慌がきて減少に転じたとある。

         飛行郵便

  雁がねの翅はからで郵便の文字も空ゆく世とはなりにき

  先着をきそへる中に郵便のふくろをしよつて帰る水田氏

  大鵬のはがきも持つか数百里四時間にゆく飛行郵便

大正八年十月に東京大阪間で郵便飛行のテスト飛行が始まって、3機のうち水田中尉の飛行機は往路で不時着となってしまった。二首目はそれを詠んでいるようだ。あとの2機は往復飛行に成功とある。しかしこの歌のせいで失敗の水田さんだけ覚えてしまった。三首目の大鵬、相撲取りの大鵬は昭和の横綱だけのようで、ここは中国に伝わる伝説の巨鳥のことのようだ。
 
          簡易食堂

  君が代の昌平橋に市人の腹つゞみうつ簡易食堂

  薯(イモ)ばかり出すとて簡易食堂に客よぶうぶう不平鳴らすな

大正九年の歌。昌平橋の簡易食堂は公設で、大正七年の米騒動の後、地方からの労働者や学生のために作られたとある。

         国勢調査

  宣伝のビラを富士ほど積上げて一夜に出来る国勢調査

大正九年に行われた日本最初の国勢調査を詠んだ歌。このビラについては、最近、遅生様のブログに画像が出ていた。

こうして見てみると、この時代の狂歌も中々面白い。他の人の詠も読んでみたいものだ。