goo blog サービス終了のお知らせ 

社会科塾講師☆ブログ~しゃかりき!~

元社会科塾講師が勉強方法や社会科について
書いています。

歴史模擬授業も展開中♪

まちがった「正義」の味方~なぜイジメはなくならないのか?~

2013年02月25日 23時29分32秒 | いじめについて

私は小学生のときに、いじめにあいました。

 

ここでは、「なぜいじめはなくならないのか?」ということを自分なりに考察させて頂きます。

 

質問1

みなさんは、たとえば、こういう場面を見たときにどういう気持ちですか?

Aさんは、クラスメートBに殴られ、お金を渡せ、と脅されて、毎日お金を渡しています。

クラスメートはそのお金でゲームをして遊んでいます。」

 

この状況を見て、

「Bはなんてひどいやつなんだ!」とか「Aはかわいそう」「Aも強気でいればいいのに・・。」

と思った方は、「いじめの経験者でない」方が多いと思います。(全員ではないですが・・)

 

いじめの経験者の多くは、その状況を見て、

「こわい。」「どうやったら、この状況から逃げられるんだろう。」

と、Aに気持ちが、はいってしまいがちです。

また下手すれば、Bが悪いやつだとも思えなかったりするんですね。

 

質問2

あなたがいじめ、というとどういう状況が思い浮かぶか、思いつく分だけ言ってください。

 

これで、たとえば

・カツアゲ

・暴力

・シューズや服などを隠される

・ノートや本などが隠されたり、破られたりする

・「くさい」「死ね!」など暴言を吐かれる

 

など思いついた人は、そのようないじめの経験者を除くと、

いじめ未経験で、テレビやマンガの世界でしかイジメを見たことがないという方なのでしょう。

上記のようなものは、「証拠がのこる」もので、

きちんと証拠さえ残してあれば、先生や親に自分がいじめられていることを信じてもらえますし、

あきらかにやった相手が「悪い」と思えることです。

とくに、カツアゲ・暴力・モノを壊されるなどは、法律的にも違反行為の可能性が高いです。

 

 

しかしですね、上記のようなイジメは、少ないと思われます。

(だからといって、そのいじめにあった人がたいしたことない、という意味ではありません。

このようないじめはそうとうひどいものです。)

 

実は、次のようなケースの方がイジメの総数としては多いと思います。

 

・自分の発言についていつも、クラスメートからクスクス笑われる

・クスクス笑われた理由を聞いても「だってね・・」と友人同士で目配せをするだけで教えてくれない

・今まで仲のよかった子が急に冷たくなる

・グループ内で、自分がいないところで他の子たちがコソコソ話している

・「あなたのここが悪い」とダメだしされる

など。

これが1・2回のことなら、気にしなくてもよいでしょう。

気にしすぎだったり、偶然だったり、自分が大きな失敗をして友人がいさめている、ということもありえるので。

 

でも、これが1週間以上続くようなら「いじめ」の可能性は大です。

 

このようないじめにあった子は必ずこう言います。

「いや、私が悪いんだし・・。」と。

 

それはどうしてかというと、

自分の細かい悪い部分を、たくさんの相手から指摘され、ほんとにそうだな、と思っていまうんです。

 

たしかに、その指摘の通り、悪い部分だったりします。

たとえば、目つきが悪い、とか、すぐ人の悪口を言う、とか、勉強できない、

君がいるといつも試合でうちのチームが負けるとか。

 

その指摘そのものは納得できちゃうので、

友人たちにもし不快なことをされても、「自分が悪い。」「私のここを直せば、◎◎ちゃんは仲良くしてくれる。」と。

 

でも、よく考えてみてください。

相手の悪い部分があるからって、

その子の行動・言動すべてを笑いますか?

 

おかしいでしょ!

 

私は「いじめ」とは「相手の人格を全否定する・相手の存在を認めない」とことだと思います。

 

一度、「あの子はここが悪い」と思うと、その子の成すことすべてが気に入らなくなるんです。

そして、「あの子は悪い子だから、とっちめてやろう。そうすれば、あの子も改善するでしょ。」と

正義感が芽生えるんです。

彼らは正義の味方の気分なのです。

だから自分たちがしていることは正しいことで、「いじめ」をしていることに気づいていない。

 

(まちがった)「正義感」のもと、「いじめ」がうまれることも多い。

だからいじめはなくならない。

 

しかも、目に見えない不快感、証拠もない。

でも、これも立派な「いじめ」なんです!

 

私は自分がイジメをうけていることだと気がつかずイジメを受けていました。

一番仲の良かった子が、グループの中心核の子で、そのグループで1年以上みんなで仲良くしていました。

しかし、小5の秋ごろから、みんなの様子がなにか変なんです。

私をみて、クスクス笑ったりしたり、わたしの発言や好きなものをすべて否定したり。

私の家に遊びに来て、

私の持っているマンガを見て、「まだそんなの持っているんだ、こどもだ!」とか

おじいさんからもらったお気に入りのぬいぐるみに「ごんた」という名をつけていたのですが、

「ひどい名前。バカみたい」と言われ、クスクス笑われ、

ゲームが下手なので、ゲームをやらせてもらえなかったり。(←私の家なのに、だよ。)

また、その子たちと一緒に英語塾に行っていたのですが、私の言うことなすことバカにするんです。

 

そういう状況が続いたある日、母が「もしかしたらイジメを受けているんではないの?」と言われ、

私はかたくなに「ちがう」と言いました。

だって、「バカな自分が悪い」と思っていたから。

そして、何より、自分は悪い人間だと思い込んでいるので、

そんな私が「友達からいじめを受けている」なんて思ったら、

つまり、それは「友達がいない」と公言するものなんだから、

怖い。友達ができない自分なんて、母からも見捨てられる、と。

 

でも、母は見捨てなかった。

「いじめる方が悪い!」と。

 

そのときに、母は「ここを直した方がよい」ということは言わず、

「こうまでして、彼女たちと友達でいたいか?」という質問をされました。

 

長い沈黙を経て、

「ううん。」と言い、それによって、私は小5のときに一気に友達を失いました。

友達がいる、というステータスを維持するよりも、わたしは心の平安をとりました。

 

それから、半年以上は一人で過ごしました。

 

でもですね、そっちの方が「孤独じゃなかったんです!」

だって、もう、私がどんな本を読んでても邪魔する人はいない。「ごんた」と好きなだけ呼べる。

自分は自分でいたっていいんだ!と。

 

これは、中学3年のときに公民で「精神の自由」というものを習ったときに、

私がいじめから解放されて得たものは「精神の自由」だったのだ、と思いました。

また、いじめは「基本的人権を侵害したもの」だとも。

 

中3で公民を習ったときに、私はいろいろと、ツキモノが落ちた気がしました。

また歴史を勉強すると、「これっていじめじゃないかな?」と思う部分がたくさんあります。

帝国主義は一種の「いじめ」です。

植民地政策は、かつあげと暴力のいじめです。

「あなたの国は近代化が遅れている」という姿勢は「西洋近代化が正義」という考え方の名のもと、

アフリカ・アジア・南アメリカ諸国の政治形態を認めないという姿勢は、その国の個性を認めない、

ということです。しかも、多くの国が「近代化していない、自分が悪い。はやく近代化しなければ。」と

思ったのです。かれらの正義を正しいと思い、自分が悪いと思った、と。

(ただ、私は西洋近代の考え方が大好きで大好きで大好きでたまりませんし、

近代政治の考え方でどれだけ現代が恩恵を受けたか数がしれないほど多いです。)

 

いじめをする可能性は誰にだってあります。

でも気がつかないんです。だって「相手が悪い」って思いこんで、「正義」の名のもとに動いているんだから。

 

なので、「相手が悪い」と思って、後ろめたくなく行動しているときは、「もしかしたら、私は相手の人格を認めていないかも」「いじめをしているのかも。」と疑ってみてもいいかもしれないです。

どんなに相手が悪くても、過剰に、攻撃したり、グループを組んで相手を継続的にバカにしてはなりません。

 

また、継続的に何かつらいめにあっているときに、

本気で「自分が悪い」と思っていたら、それはそうじゃないかもしれない、と考え直してもよいかもしれません。

 

 

いじめを受けたら即座に逃げる、対処する、という形も大切だと思います。

 

相手にどんな理由があろうとも,いじめている方が悪いんですから! 

ーーーーーーーーーーー

こちらはあくまで私の意見です。多くある説の1つの意見だな~と思っていただければ幸いです。

 

 

※こちらは私個人の意見ですので絶対のものではありません。

ーーーーーーーー

ーーーーーーーーーーーー

※現在,過去の記事を削除・編集しております。その中の記事の中でいくつかピックアップして

 ブログに再度アップしています。この記事はその1つです。

 ーーーーーーーーーーー

 ランキングに参加しています♪押して頂けると嬉しいです。

ランキングの順位があがると,なんかうれしくなり,更新も楽しくなります。

にほんブログ村 教育ブログへ
にほんブログ村

 

人気ブログランキングへ

 

 

 


「ポンコツ」はハッピーな証

2012年11月16日 23時21分56秒 | いじめについて

最近,旦那に「君はポンコツになってるね」と言われました。

たしかに「ポンコツ」なんです,最近。

言い間違いが多いし,大ボケが多い。

 

なんで,「ポンコツ」になったのか?と考えたんですが,

小5でいじめに合うまで,「ポンコツ」だったな~と思いました。

 

別に頭が悪いわけではないんですが,時々大ボケをかます,トロく見える私。

それが,小学校のクラスメイトには,私は「馬鹿」に見え,蔑みの対象になったのですね。

家に対する妬みが根底にありましたが,いじめをする人々の心の中には

私を蔑む気持ちがあったのでしょう。

強いやつをいじめる奴はいない。弱いと思う人をいじめるのだから。

だから,いじめをする人は卑怯だ!弱いと思う相手にしか強気で出ないんだから!

 

 

小5でいじめられたときに,

「もう二度といじめられたくない!」と決意し,

クラスメイトに弱さを見せることはなくなりました

一人でいるのが好きな性格のためもありましたが,

一人でいるのが平気な顔して教室にいると,嫌なことをクラスメイトは言ってこなくなりました。

反応がない人をいじめても面白くないのでしょうね。

 

中学でも高校でも大学でもクラスメイトには弱さは見せませんでした。

気を許した相手に無意識にボケたことをすることはありますが,

今現在の大ボケに比べると,たいしたものではありません(笑)。

 

社会人になると,しっかりせざる負えないので,ますます弱さを見せることはありませんでした。

 

相手に弱さを見せたら,つけこまれる。相手次第ではいじめられる!」

という気持ちがずっとありました。

 

それがなぜ,今,大ボケができるようになったのか?というと,

仕事をしていないせいもあるのでしょうが,

「信頼できる相手しかいない状態」であること,

つまり幸せな気持ちでいっぱいなのが

一番大きいと思います。

 

現在,信頼できる家族と暮らし,信頼できる友人たちとしか会っていません。

なので,「弱さ」をみせても大丈夫だと心の底から安心したのだと。

 

旦那や実母は,私の大ボケを本気で笑って,私を愛してくれるのがわかる。

私が精神的に安定しているから,娘も笑顔になる。

 

「ポンコツ」は私にとって,幸せな証なんですね。

小5でいじめを受けて,もう約20年になる。

この20年,ずっと,気をはって,がんばって生きてきたんだな,と思います。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーー

ランキングに参加しています♪押して頂けると嬉しいです。

ランキングの順位があがると,なんかうれしくなり,更新も楽しくなります。

にほんブログ村 教育ブログへ
にほんブログ村

 

人気ブログランキングへ


マリー・アントワネットの悪いイメージがついた背景、および、自分のいじめられた背景について振り返る

2012年09月08日 11時49分12秒 | いじめについて

先日の記事で、

名古屋市博物館で開催されていた「マリー・アントワネット展」に行ってきたことを書きましたが、

そのときに、思ったことを1つ書きたいと思います。

 

「パンがなければお菓子を食べればいいじゃない。」

という言葉をご存じの方も多いと思います。

これは、「食糧がないほど生活が苦しい」という意味で、「(主食である)パンがない」

という意見を、

単に目の前にパンという食べ物がないのならお菓子で代用できるでしょ、

という、国民の生活苦がまったくわかっていない、いかにも世間知らずな人が言った内容です。

 

 

この言葉は、マリー・アントワネット自身が言ったものと思われがちですが、

実はそうではありません。

 

ほかの貴族の女性が言ったもですし、時代も違います。

 

ですが、この言葉を、マリー・アントワネットならいかにも言いそうだ、

というイメージが先行してしまい、現在にいたります。

 

マリー・アントワネットは、フランスにとっては、

長年の敵であったオーストリア(ハプスブルク家)からフランス王家に嫁いだ女性です。

外交革命の結果、フランスとオーストリアの和解の証として、(のちの)ルイ16世と、マリー・アントワネットは婚姻をしました。

 

いくら国のトップが和解したからといっても

フランス国民の中には、オーストリア(ハプスブルク家)に良い感情を持っていない人々もいました。

 

なので、アントワネットに、少しでも落ち度があると、必要以上に反発した心が出てきてしまう人もいたでしょう。

同じことをほかの人がしても気にならないのに、彼女がすると、許せない、みたいな・・。

 

マリー・アントワネットの浪費が激しくて、フランス財政は傾いた、とも思われがちですが、

彼女の浪費も影響はあったでしょうが、

それ以外の出費、たとえば、ルイ14世時代からの戦争の費用、アメリカ独立戦争への支援なども

大きいのです。

 

たしかに、当時の国民生活を考えれば、マリー・アントワネットも、自粛すべきだとは思います。

でも、私には、彼女は浪費しているから悪い女性だ、と定められているような気がしてなりません。

 

実際に、浪費額だけを見れば、ナポレオンの妻のジョゼフィーヌの方が多いのです。

でも、ジョゼフィーヌのことを悪く言う人はあまりいません。

 

 

つまり、マリー・アントワネットに落ち度はあるものの、

最初から良い印象をもたれていなかったから、

そういう風にみなされてしまったのだと思います。

 

これは「いじめ」でも一緒。

最初から、イメージが悪いと、何をやっても悪くとられる。

自分がやっていない(言っていない)ことでも、

「あの人ならやりそうだ(言いそうだ)」と思われ、どんどん悪役になってしまうんです。

 

私がそうでした。

もともと、地元で、うちの家をライバル視している家があり、

その家の子が、私のあることないこと悪口を言って、

「あの子(←お私のこと)は裏で友達の悪口ばかり言ったり、馬鹿にしているんだ。」と

当時の友達に思われ、いじめに発展しました。

 

実際に、私は悪口を言ったりも馬鹿にしたりもしていませんでした。

でも、「大きい家に住んでる金持ちだから、悪いやつ。」というイメージが先行してしまったのです。

 

でも、大きい家なだけで、毎日の生活は質素でした。

ブランド品も買わないし、他人と自分の家を比較したりもしてませんでした。

むしろ、ほかの家がうらやましい、と思うことも多々ありました。

古い家なので、トイレもお風呂も外にあるんです。

冬にお風呂に行くのはつらかったし、夜中のトイレはとても怖かった。いかも和式だし。

トイレの前を狸や野良猫が横切ったりもして、悲鳴をあげたりも・・。

なので、トイレもお風呂も家の中にあるのがうらやましくてうらやましくて。

 

でも、ほかの人からすれば、「馬鹿にしている」と感じたようです。

 

 

だから、小5のとき、私がいじめられたのは、私がどんなことをしてようが、起こったものだと思います。

 

実際に、小5で「いじめ」そのものは収まったものの、中学でも、私の家を敵視している家の子が裏で動き、

できた友達がことごとく私から離れ、ほぼ孤立していました。

ただ、中学は勉強が楽しくてしょうがなく、1人でも平気だったので、あまり私は落ち込みませんでしたが。

 

学校の行きかえりも、ほぼ一人ぼっちでしたが、その分、英単語を覚える時間に当てるなどできて気楽だった覚えが。

家で覚えた英単語を、頭の中でシュミレーションしたりして。

行き帰りに勉強しちゃうと、家で漫画読んだりドラマ観たりできる時間が増えるので♪

 

実際に、その家の子は、私をつぶそうとしていたみたいですが、

最終的に私はつぶれず、現在に至ります。

行きたい高校・大学に行って、今までに続く親友やお友達ができ、

やりたい職業に就けたし。念願の子供も生まれたし。

 

マリー・アントワネットは、現在、彼女のイメージが見直されています。

展覧会でも、それがよく反映されていました。

 

彼女の場合は、処刑という悲劇な形で人生が終わってしまいました。

現在、少しでも、彼女の正しい姿(良い部分・悪い部分もどっちもはっきりさせる形)が見直されるといいな、と思います。

 

 

※こちらはあくまで、私個人の意見で、絶対的な意見ではありません。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーー

ランキングに参加しています♪押して頂けると嬉しいです。

ランキングの順位があがると,なんかうれしくなり,更新も楽しくなります。

 

にほんブログ村 教育ブログへ
にほんブログ村

 

人気ブログランキングへ


復刻盤で失われた幼稚園から小学校の思い出を取り戻そう

2011年06月23日 10時17分48秒 | いじめについて

事前予約投稿のアップです。

ーーーーーーーーーーーーー

この前,Wiiで,ファミコンやスーパーファミコンなどの古いソフトをダウンロードできることを知り,

そのソフトを購入するためのカードやクラシックコントローラーなどを買いに行きました。

 

それで,スーパーファミコンの「スーパーマリオワールド」「マリオカート」や「ゴエモン」などを購入しました。

 

ずっと前の記事(2010年3月30日の記事)でも書いたのですが,

私は小学校時代にゲームでは苦い思い出がありました。

 

私がゲームで失敗しても成功しても,友達から非難を言われ,つらかったです。

私という存在でいる限り,それは続く地獄です。

 

ですので,当時は友達に嫌われたくない一心で,

「接待ゲーム」みたいなことをやるようになって,「ゲームとは疲れるもの」だと思っていました。

 

それが,結婚したあとで,旦那があまりにも幸せそうにゲームをするので,

「ゲームって楽しいものなの?」と気がつき,

そして,Wiiで「スーパーマリオブラザーズWii」をやって,心からゲームを楽しめるようになりました。

(詳しくは,2010年3月30日の記事をご覧くださいませ♪)

 

しかし,やはり,Wiiのゲームは新しいもので,当時私がやっていた作品とは違います。

でも,その当時にやっていたゲームそのものをすることができる!と知ったため,

それをダウンロ―ド。

そして,やり始めたら,

ほんとにあの当時は気をつけて他人に気にいられるようなプレイをする必要がなく,

自分のペースでやっていいんだ!と心の底から思えて,すごく楽しかったです。

 

最近は復刻盤などがたくさんあり,幼稚園~小学校のつらい思い出の中,

さようならをしてしまったものと,今になって会うことができて助かります。

 

今,辛い幼年時代~学生時代を過ごしている子たちもいるでしょう。

その子たちが大人になってから,その世界に戻ってこれるよう,

永遠に復刻盤などがリリースされるような体制が続くといいなぁと思います。

 

 

------

 ランキングに参加しています♪

 

にほんブログ村 教育ブログへ
にほんブログ村

 

人気ブログランキングへ


「秀でてはいけない&かといっても劣ってもいけない」人生

2010年03月30日 14時08分18秒 | いじめについて

今日は、私のテーマ別歴史というか、いじめを経験した人の心の闇についての話です。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーー

2月に「スーパーマリオブラザーズWii」を購入し、つい先日、クリアできました!!sun

最後のクッパから逃げるのに苦戦しましたが、なんとかなりました♪coldsweats01

ゲームクリア後は、スターコインを集めて、9面で新しいゲームをやれるそうなので、今、ちまちまとスターコインを集めています。cat

 

私はあまりゲームに興味がなく、中学から最近まで全くしていませんでした。

しかし、結婚してから旦那がすごく楽しんでゲームをするものなので、「ゲームって面白いものなのか?」と感じ始め、CMでWiiFitを見て、「ちょっと太っちゃったから、WiiFitやってみたいな~」と行ったら、あっさり旦那も「うん!Wii買おう!」と言ってくれて、3年ほども前にWiiを購入。

その後、WiiFitだけはやっていましたが、いわゆるゲームらしいゲームはやっていなかったのですが、小学校のころにやっていたスーパーマリオのゲームの復刻バージョンのようなソフトが売りだされるということを知り、気軽にお店に行ったら、売り切れ続出なので「これは面白そうなゲームなんだろうな!やってみたい!」と感じ、ついにゲットしました。

やってみたら、ハマるハマる。

内容が面白いだけでなく、小学生のころに出来なかったことが出来、小学生時代にぽっかり空いた心を取り戻しているような気分で好きになりました。

 

どういうことかというと、私って接待ゲームしかしてなかったんですよね、無意識に。coldsweats01

当時は最新ゲーム機(スーパーファミコン)を持つことができる家庭って少なくて、最新機器(スーパーファミコン)を持っていたウチの家に、自然と友達が集まったんですね。

子どもって残酷だもので、秀でている子やずば抜けて出来ない子には攻撃をするし、妬みを持った相手にはひどい物言いをします。

 

最新機器を持っていたウチの家庭(さらに大きい家でもあったため)、妬みの対象でもあり、私は当時あまり学校の成績は良くないし今思うとかなり個性的な子だったので蔑みの対象でもあったんですね。coldsweats02

でも、私自身はそれを気がつかなくって、また友達と遊びたい年頃だったので、友達が「あんたのところでゲームしたい」と言ったら、喜んで家に呼んでいました。

 

それで、ゲームが上手に出来ると「家にゲームがあるから、良くできるのは当然じゃん!あんたは私たちが帰ってもゲームできるんだから、私たちにゲームさせろ!」と言われ、逆にゲームができないと「家にゲームがあるのに私たちより出来ないなんて、馬鹿でしょ!宝のもちぐされだ!あんたとゲームやりたくないから、うちらだけでやらせて」と怒られました。

そのときは、「なんてひどいことを言うの!」と相手を非難する気持ちがなくて「私がいけないんだ!」と本気で落ち込み、ゲームが上手に出来るように努力をし、そのうち、一緒にゲームをする相手に合わせてゲームする術を覚えました

しかし、小5のときに、その妬みと蔑みがさらにアップしたうえに思春期まっさかりの時期なので、いじめに悪化。

幸い、いじめていた子が私の家によく来ていたので、言葉の端々に感じられるトゲに母がいち早く気づき、「その子たちといて、気持ちがよくないなら、一人で生きる方を選ぶこともできる」と母が言って、私を救ってくれました。

その後は、マンガと勉強に打ち込み、どんどん成績が上がり、そのあとで、中3の公民で基本的人権を習って「相手がやったことは小さな人権侵害だった。」とやっと心から相手を憎むことができ、中3・そして高校に入って、初めて心から許せる友達ができ、大学で詳しく歴史を多角的な視野から勉強することで「人の心の闇と相手も悪いが私にも落ち度はあった(でもそれでもいじめをする方が格段に悪い!)」を認識することができました。

ということで、私にとっての「ゲーム」は「苦痛」で、たとえ人間関係が円滑になってもそれは「疲れるもの」でしかありませんでした。

高校時代のお友達とするゲームだけが唯一楽しかったのですが、そのときは、自分が接待ゲームをしていたために今まで楽しくなかったことには気がつきませんでいた。(お互いスマブラで容赦なく戦っていて、楽しかったな~。また一緒にゲームもしたいなぁ。)

しかし、小学校のころにやったものとほぼ同じ形式をすることで小学生のころの違いがはっきりわかり、私の出来がどうあれ「一緒にがんばろう!」と言ってくれる旦那に癒され、初めて「ゲーム」は「楽しいもの」だと感じることができたのです。

実は、旦那より、私の方がゲームをクリアする点では秀でていました。(旦那は作戦を立てるのが得意)

それで「よしココは君にまかせた!」と私を信頼して、ゴールするのを託してくれるし、私が苦手なところ(水中で泳ぐ系が苦手)は、「ここは僕が敵を露払いしておくから、君はとにかく進んで!」と言われたり、お互い背中を向けあいながら信頼して戦うことができるんですね。

そうすると、「100パーセントの力を出していいんだ!」と心の固まりが取れ、100%の力を出す気持ちよさ、を満喫できるのです。

 

ゲームだけでなく、

小学校~中学校時代での苦い経験から、

「秀でてはいけない&かといっても劣ってはいけない」

という気持ちがあり、テストの点数は隠し(聞かれたら答えるけど)、家でしか勉強をしず(図書館とか友達同士とで勉強しない)、塾は遠いところに行き(バス・電車で50分ほどの予備校)、勉強以外は相手のレベルに合わせて動いていました。(勉強は好きだったし、受験もあったから、嫌いな相手よりも高いレベルに達すれば、選べる学校の幅が広がるんで)

 

でも、まわりは大人になったので、相手の良いところも悪いところも見分けれるようになっているだろうし、今よく会う友達や旦那はとても信用できるので、今は100%の力を出して生きても良いんだろうな~と、感じ始めてきました。

なので、いろんなことに、相手との差は気にせず、100%の力を出して頑張って、ダメなところはダメだ!とスカっとした気持ちになりたいです。happy01

 


ノートのかなしい思い出

2009年02月28日 12時38分54秒 | いじめについて

テンプレートを変更しました。

こちらのgooさんのブログをお借りした理由に、好みのテンプレートが多かったから、という理由が1つありました。

新作テンプレートが出たり、季節の変わり目などには、テンプレートを変えて気分転換をしたりします。

 

私は、わりとデザインとかにこだわる方(美術自体が好きなのでそういう関係は大好き)、で、学生時代にノートは楽しみの1つでした♪

高校までの学校では、無難なノートに、表紙に教科名をちょっと凝ったレイアウトにしてただけですが、持ち物についてうるさくない塾では、ノートの表紙に、教科ごとのイメージを描いていたりしてました。(数学だと、三角定規とかの持ち物とか、カラフルな関数のグラフとか)

大学になると、「無印良品」さんの茶色の無地のものを買って

、表紙にデザインを施したりも。みんなに見られる可能性があるから、

バラとか星などの幾何学文様などにして。

そういう、ちょっとした勉強生活の息抜きが、今になっては、すごく楽しかったな~と思いました。

 

ちなみに、私はノートの表紙に、題名や自分の名前を書かないと気が済まないタイプでした。

たぶん、これは、昔ノート(すごくお気に入りのかわいいノート)を盗まれたことがあって、あとで他の人が使っているのを見つけたのですが、私の使ったページだけ切り取られていたことがあり、結局、私のノートだと証明ができなかった悔しさがきっかけでした。(本当にその人が犯人だと言い切れないですけれど・・

そのため、表紙と裏表紙にしっかり、私のものだという痕跡を残しちゃえば、誰にもとられないし(←誰もほしがらないから)、表紙いっぱいいっぱいにイラストや文字が描かれているから表紙を破いて使うことはしないだろうから、安心という意味もあったりで♪

それに、自分だけのデザインを施すのはすごく楽しかったしね♪

ちなみに、そういうことで、私は絶対にクラスメートにさえノートを貸すことはありませんでした。(本当に仲の良い友達は、とっても出席率が良かったので、彼女たちに貸すことはなかったですし、たぶん、その子たちにはノートそのものを貸していたとは思います。信頼関係でなりたっているのが、友達関係なので

クラスメートに貸して!と言われたときは、自分のノートをコピーした紙を渡していたりも・・。

 

なんか暗い話になってしまって、すみませんでした。

ふっと、過去のことがよみがえってしまいました。