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まちがった「正義」の味方~なぜイジメはなくならないのか?~

2013年02月25日 23時29分32秒 | いじめについて

私は小学生のときに、いじめにあいました。

 

ここでは、「なぜいじめはなくならないのか?」ということを自分なりに考察させて頂きます。

 

質問1

みなさんは、たとえば、こういう場面を見たときにどういう気持ちですか?

Aさんは、クラスメートBに殴られ、お金を渡せ、と脅されて、毎日お金を渡しています。

クラスメートはそのお金でゲームをして遊んでいます。」

 

この状況を見て、

「Bはなんてひどいやつなんだ!」とか「Aはかわいそう」「Aも強気でいればいいのに・・。」

と思った方は、「いじめの経験者でない」方が多いと思います。(全員ではないですが・・)

 

いじめの経験者の多くは、その状況を見て、

「こわい。」「どうやったら、この状況から逃げられるんだろう。」

と、Aに気持ちが、はいってしまいがちです。

また下手すれば、Bが悪いやつだとも思えなかったりするんですね。

 

質問2

あなたがいじめ、というとどういう状況が思い浮かぶか、思いつく分だけ言ってください。

 

これで、たとえば

・カツアゲ

・暴力

・シューズや服などを隠される

・ノートや本などが隠されたり、破られたりする

・「くさい」「死ね!」など暴言を吐かれる

 

など思いついた人は、そのようないじめの経験者を除くと、

いじめ未経験で、テレビやマンガの世界でしかイジメを見たことがないという方なのでしょう。

上記のようなものは、「証拠がのこる」もので、

きちんと証拠さえ残してあれば、先生や親に自分がいじめられていることを信じてもらえますし、

あきらかにやった相手が「悪い」と思えることです。

とくに、カツアゲ・暴力・モノを壊されるなどは、法律的にも違反行為の可能性が高いです。

 

 

しかしですね、上記のようなイジメは、少ないと思われます。

(だからといって、そのいじめにあった人がたいしたことない、という意味ではありません。

このようないじめはそうとうひどいものです。)

 

実は、次のようなケースの方がイジメの総数としては多いと思います。

 

・自分の発言についていつも、クラスメートからクスクス笑われる

・クスクス笑われた理由を聞いても「だってね・・」と友人同士で目配せをするだけで教えてくれない

・今まで仲のよかった子が急に冷たくなる

・グループ内で、自分がいないところで他の子たちがコソコソ話している

・「あなたのここが悪い」とダメだしされる

など。

これが1・2回のことなら、気にしなくてもよいでしょう。

気にしすぎだったり、偶然だったり、自分が大きな失敗をして友人がいさめている、ということもありえるので。

 

でも、これが1週間以上続くようなら「いじめ」の可能性は大です。

 

このようないじめにあった子は必ずこう言います。

「いや、私が悪いんだし・・。」と。

 

それはどうしてかというと、

自分の細かい悪い部分を、たくさんの相手から指摘され、ほんとにそうだな、と思っていまうんです。

 

たしかに、その指摘の通り、悪い部分だったりします。

たとえば、目つきが悪い、とか、すぐ人の悪口を言う、とか、勉強できない、

君がいるといつも試合でうちのチームが負けるとか。

 

その指摘そのものは納得できちゃうので、

友人たちにもし不快なことをされても、「自分が悪い。」「私のここを直せば、◎◎ちゃんは仲良くしてくれる。」と。

 

でも、よく考えてみてください。

相手の悪い部分があるからって、

その子の行動・言動すべてを笑いますか?

 

おかしいでしょ!

 

私は「いじめ」とは「相手の人格を全否定する・相手の存在を認めない」とことだと思います。

 

一度、「あの子はここが悪い」と思うと、その子の成すことすべてが気に入らなくなるんです。

そして、「あの子は悪い子だから、とっちめてやろう。そうすれば、あの子も改善するでしょ。」と

正義感が芽生えるんです。

彼らは正義の味方の気分なのです。

だから自分たちがしていることは正しいことで、「いじめ」をしていることに気づいていない。

 

(まちがった)「正義感」のもと、「いじめ」がうまれることも多い。

だからいじめはなくならない。

 

しかも、目に見えない不快感、証拠もない。

でも、これも立派な「いじめ」なんです!

 

私は自分がイジメをうけていることだと気がつかずイジメを受けていました。

一番仲の良かった子が、グループの中心核の子で、そのグループで1年以上みんなで仲良くしていました。

しかし、小5の秋ごろから、みんなの様子がなにか変なんです。

私をみて、クスクス笑ったりしたり、わたしの発言や好きなものをすべて否定したり。

私の家に遊びに来て、

私の持っているマンガを見て、「まだそんなの持っているんだ、こどもだ!」とか

おじいさんからもらったお気に入りのぬいぐるみに「ごんた」という名をつけていたのですが、

「ひどい名前。バカみたい」と言われ、クスクス笑われ、

ゲームが下手なので、ゲームをやらせてもらえなかったり。(←私の家なのに、だよ。)

また、その子たちと一緒に英語塾に行っていたのですが、私の言うことなすことバカにするんです。

 

そういう状況が続いたある日、母が「もしかしたらイジメを受けているんではないの?」と言われ、

私はかたくなに「ちがう」と言いました。

だって、「バカな自分が悪い」と思っていたから。

そして、何より、自分は悪い人間だと思い込んでいるので、

そんな私が「友達からいじめを受けている」なんて思ったら、

つまり、それは「友達がいない」と公言するものなんだから、

怖い。友達ができない自分なんて、母からも見捨てられる、と。

 

でも、母は見捨てなかった。

「いじめる方が悪い!」と。

 

そのときに、母は「ここを直した方がよい」ということは言わず、

「こうまでして、彼女たちと友達でいたいか?」という質問をされました。

 

長い沈黙を経て、

「ううん。」と言い、それによって、私は小5のときに一気に友達を失いました。

友達がいる、というステータスを維持するよりも、わたしは心の平安をとりました。

 

それから、半年以上は一人で過ごしました。

 

でもですね、そっちの方が「孤独じゃなかったんです!」

だって、もう、私がどんな本を読んでても邪魔する人はいない。「ごんた」と好きなだけ呼べる。

自分は自分でいたっていいんだ!と。

 

これは、中学3年のときに公民で「精神の自由」というものを習ったときに、

私がいじめから解放されて得たものは「精神の自由」だったのだ、と思いました。

また、いじめは「基本的人権を侵害したもの」だとも。

 

中3で公民を習ったときに、私はいろいろと、ツキモノが落ちた気がしました。

また歴史を勉強すると、「これっていじめじゃないかな?」と思う部分がたくさんあります。

帝国主義は一種の「いじめ」です。

植民地政策は、かつあげと暴力のいじめです。

「あなたの国は近代化が遅れている」という姿勢は「西洋近代化が正義」という考え方の名のもと、

アフリカ・アジア・南アメリカ諸国の政治形態を認めないという姿勢は、その国の個性を認めない、

ということです。しかも、多くの国が「近代化していない、自分が悪い。はやく近代化しなければ。」と

思ったのです。かれらの正義を正しいと思い、自分が悪いと思った、と。

(ただ、私は西洋近代の考え方が大好きで大好きで大好きでたまりませんし、

近代政治の考え方でどれだけ現代が恩恵を受けたか数がしれないほど多いです。)

 

いじめをする可能性は誰にだってあります。

でも気がつかないんです。だって「相手が悪い」って思いこんで、「正義」の名のもとに動いているんだから。

 

なので、「相手が悪い」と思って、後ろめたくなく行動しているときは、「もしかしたら、私は相手の人格を認めていないかも」「いじめをしているのかも。」と疑ってみてもいいかもしれないです。

どんなに相手が悪くても、過剰に、攻撃したり、グループを組んで相手を継続的にバカにしてはなりません。

 

また、継続的に何かつらいめにあっているときに、

本気で「自分が悪い」と思っていたら、それはそうじゃないかもしれない、と考え直してもよいかもしれません。

 

 

いじめを受けたら即座に逃げる、対処する、という形も大切だと思います。

 

相手にどんな理由があろうとも,いじめている方が悪いんですから! 

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こちらはあくまで私の意見です。多くある説の1つの意見だな~と思っていただければ幸いです。

 

 

※こちらは私個人の意見ですので絶対のものではありません。

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※現在,過去の記事を削除・編集しております。その中の記事の中でいくつかピックアップして

 ブログに再度アップしています。この記事はその1つです。

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6 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
選挙権は勝ち取ったものだった。。 (YASU)
2012-08-07 00:47:52
この記事を読んでふと思い出しました。
我々は長い年月をかけて様々な権利を勝ち取ってきたのだな~と。
長らく選挙に行っていない。。。
反省。
返信する
YASUさまへ (管理人(萬火))
2012-08-10 23:09:02
YASU様,コメントありがとうございます。

基本的人権は先人の方々が命をかけて
勝ち取ってきたものなので,大切なものですね♪

私も最近,選挙に行けないときがあったので,
反省・・。

返信する
かわいい ()
2013-11-19 22:36:09
私も昔からいじめは正義感でなされると思っていました

「いじめはなくならない」というのは悲観でも何でもないんですよね

こういうことやっちゃうんですよね人間て

でも、「好きじゃないからって」から「おかしいでしょ」までのくだりの
この書き方が好きです

こういう可愛らしい人がこういう可愛らしい書き方で書いてくれると助かるなぁ

「ひとつの説」というより、こういう認識はもう少し浸透して欲しいと思います

返信する
梨さまへ (管理人)
2013-11-21 22:30:49
梨さま,コメントありがとうございます!

ほとんどの人が「いじめは悪いこと」だとわかっているのに,自分が,その当の「いじめ」をしていることに気がつかないことが多いから,いじめはなくならないのかな?と思います。

また,いじめをしている方の子も,現状幸せじゃないから,自分の間違った「正義感」で動いていてしまうことも多々あるのかも?と。

いじめを減らすには,すべての子供が「幸せ」に感じるような世界をつくる,それは無理だとしても,現状の不満から脱却できるような娯楽や人間関係を築けるような世界をつくる必要があるのかな?と思います。
戦争をなくすためにユニセフが心がけていることと一緒で・・。
返信する
Unknown (かめさん)
2015-06-19 16:02:01
ふと、正義感で行われる虐めってあるのかなと、そう思って検索したらこちらの記事にたどり着きました。

やっぱり、あるんですね。
私を学生時代にいじめていた人も、正義感がとても強い人だったと記憶しています。そして、それは再開してしまった今も言動は変わらず……。


先述のいじめっこだけではなく、もしかしたら私は相手の人格を全否定しているのかも?と、考えて行動を改めるいじめっこは、残念ながら少ないのではと思います。

自分の行いに疑問を持ち、改めることが出来たら。
少しずつでも相手を思いやる事ができたのなら、もう少し優しい世界になるのでしょうね。

大分前の記事ではありましたが、無視できずに思わずコメントを残してしまいました。
返信する
かめさん様へ (管理人(萬火))
2015-06-23 22:15:46
かめさん様、
コメントありがとうございます。

コメント公開&返信が大変遅くなってしまい申し訳ありませんでした。

ほとんど人が、「いじめはわるいもの」だとわかっているのに、「自分が現在している行為が、その「いじめ」である」とは自覚している子は少ないなぁ、
と思いました。


相手が悪いから、と思えるからこそ、
残酷なことができるのかも、
と思うと、
正義感と残虐性、は表裏一体、
なのかもしれないです。
少しでも、いじめを受けている人が
いじめから逃れられたら、と思います。
返信する

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