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SENTIMENTAL JAZZ DIARY

感傷的ジャズ日記 ~私のアルバムコレクションから~

GERALD WIGGINS 「THE LOVELINESS OF YOU...」

2009年08月02日 | Piano/keyboard

この名盤がオリジナルジャケットで復刻された。
いや~、嬉しいじゃないですか。
このジャケットの写真はピンが甘いし、タイトルのタイポグラフィもかなり精度にかけるものの、やっぱりこのジャケットを手に入れた喜びは格別である。
これはつい最近、銀座の山野楽器で半ば衝動的に手に入れたものだ。
家に帰ってきて、まず5曲目の「The Trail Of The Lonesome Pine」から聴く。
このアルバムは、確か4~5曲目辺りが気に入っていたのを何となく覚えていたからである。
ジェラルド・ウィギンスが弾く小気味良いピアノが部屋中に広がった。
「そう、そう、これ、このスウィング感だよ!」という感じ。
この軽やかで浮き立つような高揚感は彼ならではである。
これは現在のピアノトリオとは一線を画すもので、その時代の優雅さと気品を愉しむ作品だといっていい。

話は変わるが、昨日まで島根県に出かけていた。
出雲空港に降り立つと、辺り一面から森の匂いがした。
何時になっても梅雨が明けないので、周囲の山々に深い霧が立ちこめていたせいだろうと思う。
こうした湿り気が幸いして、いかにも神が宿る出雲の国へ来たという厳かな気持ちになれたのは幸せだった。
空港から車で約1時間半という場所が、今回の目的地だった。
私は車窓に流れる農村風景をぼんやり見ながら、頭の中で出かける前に聴いていたジェラルド・ウィギンスのピアノを思い出していた。
iPodを取り出して直に聴き直してみてもよかったのだが、イヤホンで耳を塞ぎたくなかった。
頭の中には、こびりついたいくつかのフレーズが何度も行き来していた。
その度に押し寄せる郷愁の念を感じた。こうした切ない感情を持てるのも旅の大きな魅力なのだと思う。
せっかくだから俳句の一つもひねり出せばよかったと後悔している。

GEORG RUBY TRIO 「Sepia Days with You」

2009年07月20日 | Piano/keyboard

ガッツプロの作品は音にメリハリがある。
目一杯ボリュームを上げて、まず2曲目を聴いてもらいたい。
この強烈な音の塊に思わずのけぞってしまうはずだ。
特に、まるで金属製のスティックを叩いているかのような、冒頭の迫力あるドラムには参ってしまうだろう。
私もクリスティアン・トーメというドラマーのことは全く知らなかったが、これがなかなかのテクニシャンである。名前をしっかり覚えておかねばと思っている。
ディター・マンデルシャイドというベーシストが奏でるベースもものすごい重量感がある。これもかなり攻撃的だ。
そして満を持して登場するゲオルグ・ルビーのピアノがやけに現実的に響いてくる。アグレッシヴなドラムとベースの間にあって、このピアノの音は安らぎだ。
しかし曲が進むにつれ、そのピアノも少しずつドラムとベースのリズムにかき消されていく。
何とも劇的な構成だが、それもそのはず、このアルバムは1917年から1950年代半ばまで存在していたドイツのウーファという映画会社が制作した映画の主題曲を、ドイツスタンダードとして彼らが演じた作品集なのだ。
この2曲目は「Frauen sind keine Engel(天使なんかじゃない女たち)」というタイトルになっているが、これはどうやら古いSF映画「メトロポリス」の主題曲らしい。
ライナーノーツを読むと、この映画は恐るべき機械支配の未来を描いた作品なのだそうだ。それで全てが納得だ。

この映画会社ができた1917年といえば、ドイツにバウハウス(BAUHAUS)ができる2年前だ。
バウハウスといえば、知る人ぞ知る世界の最先端を行った建築&工芸美術学校である。
学生の頃、私はこのバウハウスに心底のめり込んだ。
この学校には様々な工房があり、どの分野の授業も刺激的であったが、中でもオスカー・シュレンマーが行ったトリアディック・バレエには度肝を抜かれた。
それは立方体、円錐、球体という幾何学形態のコスチュームを着た3名のダンサーが、まるでロボットのように動き回るという、ユーモラスでいながら恐ろしいくらいに未来を感じさせるパフォーマンスだったのだが、私はこのダンスで当時(日本はまだ大正時代)のドイツの底力を感じたものだ。
このゲオルグ・ルビー・トリオのアルバムを聴いていると、ジャケットにもあるような懐かしさと同時に、なぜかそれとよく似た近未来的な感情が沸き上がる。
表面はセピア色をしていても、中身はぴかぴかに磨き上げられたシルバーに近い印象なのだ。




JOHN WRIGHT 「SOUTH SIDE SOUL」

2009年07月05日 | Piano/keyboard

SOUTH SIDE SOUL、深夜12時を過ぎた頃が似合うアルバムだ。
ボン、ボン、ボンと腹に響くベース音、まるで歩くスピードに合わせるかのようなドラム、そして十分タメの効いたブルージーなピアノ、これがシカゴのサウスサイド魂なのだ。
こういうピアノを弾く人は、常に変わらぬ信念を持っている人に違いない。
ジョン・ライトはきっとまっすぐな人なのだ。
なぜならどの曲からも、黒人ならではの喜怒哀楽が自然な形でこぼれ落ちてくるのを感じるからである。
無理してひねった表現などしないところに好感が持てる。
決して大スターにはなれないかもしれないが、いつまでも心に残るタイプの人である。

よくよく考えてみれば、ジョン・ライトなんていう名は平凡極まりない名前だ。
そういえば先日亡くなったマイケル・ジャクソンも、その生き方に反して名前は実に平凡だった。
そんな意味からも、彼らは全ての黒人の思いや憂いを代弁する人たちだったのかもしれない。
マイケル・ジャクソンは歌やダンスや曲作りでそれらを表現したが、ジョン・ライトはマイケル・ジャクソンほど器用ではなかった。
彼はできる唯一の表現手段として、何も考えずにブルースを演じた。
その結果、まるでキング牧師が、多くの聴衆の前で演説した時のように「思いを伝える」ことに成功したのである。
そういう意味で、この作品は恐ろしいくらいに存在感がある。

ずいぶん前の話だが、サンフランシスコの近郊の町で、小さな教会に立ち寄ったことがある。
牧師の話を真剣に聞いていた黒人たちの目には涙が溢れていた。
ちょっと覗いただけだったので、何の話しをしているのかはわからなかったが、小さな子どもがお母さんの背中に手を当てて、心配そうに見上げていたのが印象的だった。
ジョン・ライトのピアノを聴くと、いつもこの光景を思い出す。
良くも悪くもこれがアメリカなのだ。

JOHN HICKS 「Beyond Expectations」

2009年06月09日 | Piano/keyboard

「Every Time We Say Goodbye」、このバラードが大好きだ。
今夜は静かにジョン・ヒックスが奏でるピアノに聴き入っている。
心休まるひとときだ。
後半になると音数がやや多くなってくる。
これもジョン・ヒックスならではだが、それは彼特有のセンチメンタリズムなのだ。
今回はそれが嫌みにならない。
いつもこうならいいのに....と思う。

このアルバムに好感が持てるのは、そうしたジョン・ヒックスの好調さにもあるのだが、何より音のバランスのいいことが一番の要因になっている。
それもそのはず、このアルバムもRVGの録音だ。
ピアノの音色はエッジが丸く、暖かい。
ベースは硬質ゴムのようにボンボンと跳ねる感じが何とも心地いいし、シンバルはシャキーンと研ぎ澄まされていて鮮烈だ。
こうした音の重なりを聴いていると、やっぱり良質なジャズは演奏テクニックだけでは生まれないことを実感する。

コーヒーを一杯飲む間に、曲は「Up Jumped Spring」という曲に変わった。
フレディ・ハバードの名曲だ。
この可愛らしいメロディが、いかにも春の喜びに満ちている。
こうした曲を取り上げるジョン・ヒックスもまた心優しい人だったのだろう。
彼は2006年に亡くなった。
一度くらいは彼のステージを観たかった。


KETIL BJORNSTAD 「Floating」

2009年05月24日 | Piano/keyboard

澄んだ空気の中で響き渡るピアノ。
やっぱりノルウェーの音だ。
大きく切れ込んだフィヨルドの海岸線を、船に乗って湾内から見上げるとこんな音が聞こえてきそうだ。
Floatingというタイトルが示すように、水の上をプカプカ浮いているような感覚が心地いい。
加えて、小さかった頃に聴いた童謡にも似た懐かしさがこみ上げてくる。
きっとメロディにトラディショナルな部分があるからだろう。
これは日本人でも充分共感できる音だ。
これほど音楽に国境はないということを実感させられるアルバムもない。

ケティル・ビョルンスタは根っからの詩人である。
彼は短い言葉、例えば「夏の終わり」「夕暮れの空」といった類の言葉から連想されるイメージを、彼なりの方法で音に変換しているように思う。
そうでなければ、これほどまでに情景が浮かぶ音を作ることはできないのではないだろうか。
コテコテのジャズからはこうした感情はなかなか得られない。
要するにECM的なサウンドかと聞かれればそうともいえるが、そんな風ないい方で片付けたくはない作品だ。

このアルバムの魅力は強力なパレ・ダニエルソンのベースと、爽やかなマリリン・マズールのシンバルワークにもある。
先日マリリン・マズールの「エリクシール」も聴いてみたが、やっぱり実力者が奏でる音は深みが違うと思い知った。
ここではベテラン3人の余裕たっぷりな掛け合いをじっくり楽しもう。
ただほどほどにしておかないと、感極まって涙まで溢れてきそうだ。

BIG JOHN PATTON 「Let 'em Roll」

2009年05月04日 | Piano/keyboard

ごく希にだがオルガンジャズを聴きたくなるときがある。
ソウルフルで思わず身体まで火照ってきそうなヤツだ。
ジミー・スミスもいいが、今日はビッグ・ジョン・パットンを聴く。

メンバーにはグラント・グリーン(g)とボビー・ハッチャーソン(vib)がいる。
正直言ってこのアルバム、彼らのリーダーアルバムといっても過言ではないくらいの作品である。特にグラント・グリーンは全編に渡って大活躍しており、彼なくしてこの作品の成功は考えられない。
この人のギターにはいつでも魂が入り込んでいる。
テクニックがどうのこうのと言う以前に、持って生まれた抜群のリズム感覚が彼の指を自然に動かしているような気がする。
1曲目のタイトル曲を聴けば誰でも納得するはずだ。

ボビー・ハッチャーソンもオルガンとの相性という点でいい。
2曲目の「Latona」では、グラント・グリーンに負けず劣らぬリズム感覚で、随所でしっかりしたソロをとっている。
彼が登場すると体感温度も低くなるし、理性的なムードが高まってくる。
このアルバムが見た目よりもはるかに品がいいのは、間違いなく彼のせいである。

肝心のビッグ・ジョン・パットンを意識するのは、3曲目になってからだ。
「Shadow of Your Smile(いそしぎ)」、この曲はオルガンのために書かれた曲だと思わずにはいられない。
それくらいこの曲は見事にはまっていて唸らせる。涼しげなサウンドが実に心地いい。

この3人の他にオーティス・フィンチ(ds)がいる。
この人、目立たない存在ではあるが、スティックさばきもなかなかのテクニシャンだ。もっと見直すべき人だと思う。

ついでにいうが、タイトルがノリノリな雰囲気でいい。いかにも60年代というジャケットもいい。
これからの季節にもってこいだ。




CLAY GIBERSON 「Spaceton's Approach」

2009年04月26日 | Piano/keyboard

アッパー・レフト・トリオのファンである。
彼らの「Sell Your Soul Side」を手に入れてからかなり経つが、未だに愛聴盤として聴き続けている。
こういうことは滅多にない。
ちょっといいなんていう程度のピアノトリオなら山ほどあって、しばらく聴いた後、ほとんどお蔵入りになってしまうケースが多い。
生き残るのは、せいぜい10枚に1枚あるかないかではないだろうか。
私の中のロングランは、アラン・パスクァの「Body And Soul」を筆頭に、ニューヨーク・トリオの「The Things We Did Last Summer」、カルロ・ウボルディの「Free Flight」あたりである。
もちろんこれは最近(ここ10年程度)発表されたアルバムでの話だ。
これらの難関を突破してきた強者だけが、いつしか時代を超えた名盤となって残るのである。

クレイ・ギバーソンはアッパー・レフト・トリオの中心的存在である。
彼の名はまだ日本では低いと思われるが、既に4枚のリーダーアルバムを出しているほどの人気者だ。
顔だけを見ると、痩せているせいか、かなり神経質そうだ。
でも演奏しているピアノはどれも柔らかく、優しく、静かで、爽やかだ。
時折見せる彼独特の節回しが心地いい。
この作品は1回や2回聴いただけでは印象に残りにくい側面があるものの、噛めば噛むほど味が出てくる、そんな作品に仕上がっている。大抵の人はその味が出てくる前に聴くのを止めるから、その良さがいつになってもわからないのだ。
この良さはアラン・パスクァの「Body And Soul」にも通じるものがあり、これからがますます楽しみだ。

収録されている曲は全部で7曲だが、1曲1曲がそこそこ長い演奏なので、トータルに聴くとかなり聴き応えがある。
どの曲も甲乙つけがたいのだが、私は4曲目の「Trust」の曲調が一番彼らしいと思う。
この‘そこはかとない’さりげなさが彼の特徴なのだ。
しばらくはじっくりと付き合っていこうと思う。もう1年聴き続けられたら本物だ。

MAL WALDRON 「MAL 4」

2009年04月18日 | Piano/keyboard

最も日本人に愛され、最も日本を愛した男だ。
過去に24回も来日したというから、ニューヨークのジャズメンの中では抜きん出ている。
それもこれも彼の持つフィーリングが、日本人のハートとぴったり一致しているからだろう。
それをひとことで「暗い」と片付けてはいけない。
重く引きづるような哀愁感は、深い情念の底から湧き出てくるものだ。
故に彼の演奏を聴くと、古寺を訪ねる時のように厳かな心境になるのである。

マル・ウォルドロンといえば「レフト・アローン」、そして「オール・アローン」が有名だ。
2枚とも奇しくもアローンの名がついた盤だが、この2枚は日本で受けたアルバムなのだ。
本場アメリカでは日本ほどの人気はないと聞く。それよりも「ソウル・アイズ」の方が圧倒的に支持されているらしい。
共にスローなバラードであり、哀愁感という点では双方とも甲乙つけがたいのだが、あくの強さに違いがあるので興味のある方はぜひ聞き比べてほしい。
この微妙な違いこそが東西の決定的な差なのである。

このマル・フォー(1958年録音)は、マル・ワンから続いたシリーズの最終章であるが、最初のトリオ作品でもある。
私はこのアルバムが大好きだ。
彼独特のメランコリックなナンバーと、絶妙なスイング感を持つナンバーがほどよく配置されているからである。
まず1曲目の「Splidium-Dow」、このノリの良さでぐいぐい引き込まれていく。私にとってはこれくらいがちょうどいいテンポで、ついつい指もそれに合わせて動き出す。
そして2曲目の「Like Someone in Love」。この曲の持つ哀愁感こそがマルの真骨頂であり、独特の「日本らしさ」なのである。この曲は当時のジャズ喫茶で大人気曲だったというが、それも頷ける演奏だ。

マルは来日したときにファンからサインを頼まれると、「あなたのともだち」とか「あなたの兄弟」といった言葉を日本語で書いたという。
私たち日本人はもっともっと彼を愛すべきなのだ。



EUGENE MASLOV 「AUTUMN IN NEW ENGLAND」

2009年03月20日 | Piano/keyboard

これは大推薦のピアノトリオだ。
1992年の録音だから決して新しいものではないが、以前から評判が高かったアルバムだったにも関わらず、絶対数が少なかったことと、それまでのジャケットに今ひとつ品がなかったため(だと思う)、いつしか市場からぱったりと消えてしまい、マニアの間では幻の名盤に数えられていた作品だ。
それが2007年になって、装いも新たに再発されたのが本盤である。
ジャケットが替わるだけで、こうもイメージが違うものかとただただ驚くばかり。
以前は紅葉した葉っぱで埋めつくされていたようなジャケットで、タイトルも安っぽい手書き風のものだった。
そのジャケットでこの演奏内容を想像することは難しい。中身はもっと穏やかで品のある演奏なのだ。
今回新たにつくられたジャケットが必ずしもすばらしいというわけではないが、前回のジャケットの雰囲気を踏襲しつつ、かなり中の演奏をイメージできるようになった。
私はこういうことが大事なんだと思う。つまりジャケットも演奏も録音も一体となった作品が望ましいと考えているのだ。

ユージン・マスロフはロシア生まれのピアニストである。
出すアルバムはどれもこれも質が高いものだ。まぁ通好みの人といっていい。
この人からは、まるでどでかいスピーカーのようなキャパを感じる。要するに生み出す音の広がりや余裕が、半端なピアニストとまるで違うのである。
ピアノタッチが柔らかいというのもその要因の一つかもしれない。
それとこのアルバムは録音のバランスがソフトでとてもいい。
気持ちよく伸びるベースと、やや奥に配置されたピアノとドラムスが、このジャケットにあるような静けさや侘びしさを盛り上げてくれる。
洗練されたジャズというのはこういうピアノトリオのことを差すのかもしれない。

今日のようなどんよりとした曇り空には、こういうジャズが似合っている。
静かな休日の朝である。




MARCIN WASILEWSKI TRIO 「January」

2009年03月04日 | Piano/keyboard

この一週間はほとんど家にいなかった。
週の前半は岩手まで出かけていたのだが、片道だけでも優に半日は列車に揺られていた。
以前は長時間列車に乗っているのが苦痛だった。じっとしているのが耐えられなかったからだ。
しかし今は違う。それなりに楽しめるようになってきた。
好きな本を取り出してはそれを読み、眠くなったら寝る。駅弁も楽しみの一つだし、iPodを聴きながら移りゆく外の景色をぼんやり眺めるのもいいものだ。

出かけるときは秋田経由で岩手県に入った。
秋田までは海が見える景色が続く。私はiPodの中から最近手に入れたこのアルバムを選びスタートボタンを押した。確か鳥海山の麓に差しかかった頃だったと思う。
マルチン・ヴォシレフスキーの何とも静かで穏やかでピアノが、海沿いのひなびた風景によくマッチしていた。
彼のピアノはキース・ジャレットから灰汁を取ったような清々しさだ。
或いはトルド・グスタフセンのピアノをちょっと暖めたような優しさだ。
若いのにとても才能のあるポーランド人だと思う。
事実彼が参加しているアルバムはどれもこれも水準以上の出来に仕上がっている。
トーマス・スタンコのアルバム然り、シンプル・アコースティック・トリオ然りである。
彼が出す音には、メロディやテクニック等を超えた不思議な「想い」が入り込んでいる。
上手くいえないが、何か心の奥底から沸き上がってくるような感情が彼の指に伝わって、それが音をつくり出しているような感じさえするのである。
それがECMの魅力なんだよ、といわれればそれまでだが、もしそうだとしたら、これはECMの中でも最高の作品と言っていいかもしれない。

遠くまで来たという感覚と、これから大勢の知らない人たちと会うという期待とが入り乱れて、このアルバムの印象はますます強くなっていく。
これだから一人旅はやめられない。