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SENTIMENTAL JAZZ DIARY

感傷的ジャズ日記 ~私のアルバムコレクションから~

HERB GELLER 「THE GELLERS」

2007年11月17日 | Alto Saxophone

これはお茶の水にあるディスクユニオンで見つけた。
ちょっと薄暗い急な階段を上がると2階と3階がジャズ館になっている。ここは中古のCDとLPが独立したフロアにあるので、掘り出し物を探すときには重宝する店だ。
ディスクユニオンは渋谷にも新宿にもあるが、なぜかこのお茶の水店に愛着があって上京した折には時々覗いている。
私がこういった中古のアルバムを探すときは、ある程度狙いをつけていることが多い。例えば今日は中間派の掘り出し物がないかどうかを最初に探そう、といった具合だ。
もちろん気に入ったものがあるとは限らない。今日は来てよかった、と思えるのはせいぜい3回に1回あればいい方である。
第一のお目当てがなかった場合は、第二希望の商品を探す。私の基準はこうした中古ショップでしかなかなか出会えないアルバムを探すことである。内容の好き嫌いはともかく、それは店内のあちこちにある。それを一つ一つ見ていって購入するかどうかを決めるのだ。決め手は価格も大きな要因ではあるが、私の場合それ以上にジャケットの雰囲気で判断する。
ここでご紹介するハーブ・ゲラーの「THE GELLERS」もそんな一枚だった。
ジャケットの裏面に写っているロレイン・ゲラーの表情に惹かれた。
彼女の録音は少ない。このアルバムが録音された5年後の1960年、30才でその短い生涯を終えた人だから当然だ。こうしたことも購入動機の一つになった。
家に帰ってきてすぐにターンテーブルに乗せる。フレッシュで勢いのあるハーブ・ゲラーのアルトが響き渡るが、それに負けないくらいロレイン・ゲラーのピアノが力強く感じられる。この音だけを聴いていれば彼女のような白人女性がそのピアノを弾いているとは思えないくらいの迫力だ。しかしこれはこれで夫婦の息がぴったり合った演奏であることには違いない。全体に何となくアットホームな雰囲気が漂うのもそのせいだろう。

それにしても美人薄命とはよく言ったものだ。
残されたハーブは彼女の後を埋めることができず相当なスランプが続いたと聞く。
この演奏を聴けばそれも納得できる。色々な意味で感慨深い一枚である。

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ERNIE HENRY 「SEVEN STANDARDS AND A BLUES」

2007年10月21日 | Alto Saxophone

やや鼻づまりのようなアルト。
音のタイプでいえばジャッキー・マクリーンに近いかもしれないが、アーニー・ヘンリーの方が先輩である。しかし彼の名がマクリーンのように一般に広く浸透しなかったのは、彼があまりに早く亡くなったためだ。そのために彼のリーダーアルバムは驚くほど少ない。確か3枚だけだったと思う。
この作品は彼が自動車事故で亡くなる直前に吹き込まれたもので、それだけでも感慨深いものがある。

私が彼の名を知ったのはセロニアス・モンクの傑作「Brilliant Corners」での演奏を聴いたときだ。
そう聞けば「ああ、あのアルト奏者か」と思い当たる人も多いのではないかと思う。
「Brilliant Corners」では当時絶頂期だったロリンズもさることながら、アーニー・ヘンリーの存在が大きかった。
彼はモンク独特の音世界を見事に表現していた。
普通のジャズメンなら投げ出してしまいそうな難解なテーマも場面展開も、彼は平然とこなして見せた。ここが彼の真骨頂なのである。
今にしてみれば彼のことをエリック・ドルフィーに近いフリージャズの先駆けにように捉える人もいるようだが、彼のリーダーアルバムを聴くと必ずしもそうした前衛的な演奏を好んでする人ではなかったように思う。
要するに彼には柔軟性があったのだ。環境に合わせて変幻自在になれる人で、郷にいれば郷に従うタイプだったのではないだろうか。
彼が長生きしていたら一体どんなジャズメンになったか、全くもって皆目見当もつかない。

この作品での曲は全部いいが、特にといわれれば3曲目「I've Got The World On A String」が好きだ。
この曲はリタ・ライスの歌などでも知られているが、この明るさ、優しさ、明快さに心惹かれる。ウィントン・ケリーのピアノともピタリと合っている。
ここではアルト・サックスの良さが充分に味わえる。ぜひ聴いていただきたい。
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BENNY CARTER 「JAZZ GIANT」

2007年10月03日 | Alto Saxophone

私の中ではジョーニー・ホッジスとベニー・カーターは特別な存在だ。
ベニー・カーターといえば1920年代から活躍していた〈超〉がつくほどの大ベテランだが、その明るい楽想のせいかとても親しみやすいアルト・プレイヤーである。95才まで生きて我々を楽しませてくれたという側面が影響しているのかもしれない。
ホッジスやカーターのアルトを聴いていると何か大らかな気持ちになってくる。些細なことで悩んでいる自分が小さく思えてくるのだ。いつ聴いても「ま、なんとかなるさ」という気持ちになれるから、私はちょっと落ち込んだ時などに彼らを聴くことが多い。
またベニー・カーターはトランペッターとしても魅力のある人だ。
このアルバムの「I'm Coming Virginia」を聴いてほしい。この哀愁感はどうだ、古き良きアメリカの匂いがプンプン漂ってくる。共演しているベン・ウェブスターのテナーやバーニー・ケッセルのギター、フランク・ロソリーノのトロンボーンなど、どれもカーターの吹くトランペットを見守るかのようなサポートをしているのも印象的だ。

話は変わるが、私は日本人だからこういうジャズを聴いて懐かしさを抱くのはおかしいのかもしれないと思っている。
古き良きアメリカなどというのは映画か小説でしか知らないはずだからだ。
しかしそこが人間の面白いところだ。国を超えて時代を超えて通ずる何かがあるのだ。
例えばサッチモの歌を聴いていると、昔近所に住んでいた世話好きのおじさんを思い出す。そのおじさんはしわがれた声でいつも私に笑いかけてくれていた。しかしある日突然そのおじさんが姿を消していなくなった。身体をこわしたのかどこかへ引っ越したのか私にはわからなかったが、それ以来、何か一抹の寂しさを感じるようになっていた。つまりそのおじさんは自分にとって育った風景の一部だったのである。
これではっきりした。懐かしさには時代も国境もないということなのだ。
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FRANK STROZIER 「fantastic」

2007年09月06日 | Alto Saxophone

今日はレコード棚からこの一枚を取り出した。
これを購入したのは20代の前半だったと思う。たぶんジャズを聴き始めて2~3年の頃だ。
私にとって当時の憧れはウィントン・ケリーだった。あの独特の節回しと転がるような指使いを毎日のように聴いては一人悦に浸っていた。どのジャズ専門誌などでもビル・エヴァンスが最高のピアニストだと書かれていたが、私はビル・エヴァンスの良さがさっぱりわからなかった。だいたいにおいて知的だとか美的だとかいうピアノには興味がなかったのだ。ジャズにおいては何より飛び跳ねるようなスイング感が大切だと思っていた。だからウィントン・ケリーはもちろん、エロール・ガーナーのようなエンターティナー性を発揮する人が私のお気に入りだったのである。
このフランク・ストロジャーのアルバムは、そんなウィントン・ケリー・トリオを聴きたいがために購入した。共演しているブッカー・リトルとの相性が良かったのと、レアな雰囲気を持つジャケットにも惹かれた部分があった。
内容は典型的なハードバップで、ほとばしるような熱演が展開されている。
フランク・ストロジャーにとってこれが初のリーダーアルバムということもあってか彼自身かなりとんがった印象はあるものの、その一生懸命さがひしひしと伝わってくる。新人はこうでなくてはいけない。何曲かいい感じのオリジナル曲も書いているので、そちらの方にも才能があったのだと思う。
肝心のウィントン・ケリー・トリオは相変わらず安定したバッキングを行っている。彼らが脇を固めると自ずと全員が生き生きしてくる。やっぱりこうしたファンキーなアルバムには欠かせない人たちなのだ。ビル・エヴァンス・トリオではこうはいかない。やはりそれぞれの活躍する土俵が違うのだということを実感させられる演奏だ。
フランク・ストロジャーのアルトもさることながら、このアルバムの花形はブッカー・リトルのトランペットである。彼の短い生涯の中においてここでの演奏は重要だ。ファンならずともぜひ聴いていただきたい。タイプとしてはクリフォード・ブラウンとリー・モーガンの中間に位置する人だ。彼もまた天才の一人であったことがここで証明されている。

とにかくずいぶん久しぶりにこのアルバムを聴いた。若い頃に聴いたアルバムだけに最近購入したものとは決定的に愛着感が違う。私にとってはもう手放せない一枚になってしまった。
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GERRY MULLIGAN MEETS JOHNNY HODGES

2007年08月14日 | Alto Saxophone

これも長年の愛聴盤、全くもって文句のつけようがない作品だ。
ジェリー・マリガンは「ミーツ~」と銘打った作品をいくつか残している。モンクやゲッツなどとのセッションは有名だが、このジョニー・ホッジスとの競演作は特別だ。何せ自分が憧れた大先輩との共演だから気合いの入れようが違うのだ。
ジョニー・ホッジスは言うまでもなくデューク・エリントン楽団の花形スターである。彼のアルトはあのチャーリー・パーカーも脱帽したくらいにそれ以後のサックスプレイヤーに大きな影響を与え続けた。
彼のアルトはその楽器の特性を超えて人間の身体の一部としての機能を持っていた。つまり彼のアルトはホッジスの人間性までも映し出す鏡のような存在だった。正しく彼の分身だといってもいい。
2曲目の「What's the Rush」でのホッジスを聴いてほしい。私の言っていることが決して大袈裟なことではないということがわかるはずだ。身体の底から絞り出すようなやるせなさが深い感動を呼ぶ。これは誰にも真似できない芸当だ。

このアルバムには決定的な魅力がもう一つある。
とにかく音がメチャクチャいいのだ。これが本当に50年代の録音かと思えるくらいだが、私の数あるアルバムコレクションの中でも10本の指に入る録音の傑作だといっていい。
ホッジスのアルトやマリガンのバリトンは色艶抜群だし、クロード・ウィリアムソンが弾く転がるピアノの高音域もきれいに録れている。またバディ・クラークのベースのゴリゴリ感も、メル・ルイスのシンバルワークも実に迫力があって嬉しくなる。
聴いていてこんなに快感を得られるアルバムも少ない。
やっぱりこれは名盤中の名盤だ。一人でも多くの人に聴いてもらいたい。
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JOHN HANDY 「IN THE VERNACULAR」

2007年07月23日 | Alto Saxophone

何とも怪しいアルバムだ。
皆さんもこのジャケットを見ただけでそう思うだろう。ジャケットの写真に写っているジョン・ハンディは椅子か何かに腰掛けてサックスを吹いているのだが、その何かが消されているのでまるで尺八を吹く虚無僧のように見えてしまう。
思わず笑ってしまいそうだが、彼の場合はこれでいいのだ。このジャケットを手がけたデザイナーはその方が彼らしいと思ったに違いない。私も同感だ。
怪しい、或いはいかがわしい、そういった言い回しが彼にとってはほめ言葉になるのだ。
この資質を植え付けたのは他ならぬチャーリー・ミンガスである。ミンガスのグループに在籍していたハンディは、ミンガスから一種独特なエモーショナル表現を学んだのだと思う。鬼気迫るというか何かに取り憑かれたような演奏は、より艶めかしいムードでいっぱいだ。

この「IN THE VERNACULAR」は、1曲目に入っている「I'LL CLOSE MY EYES」で有名な盤だ。
この曲はブルー・ミッチェルのヒット作「BLUE'S MOODS」の冒頭にも入っている曲なので知っている方も多いはずだ。
この曲のメロディは実に明るい。しかしながら彼が吹くとブルー・ミッチェルが吹いた曲の雰囲気とは明らかに違ってくる。もっと粘り気があるような演奏なのだ。ぜひ比べて聴いていただきたい。
但し私個人的にはこの「I'LL CLOSE MY EYES」よりも、3曲目の「SUGGESTED LINE」や続く「PROBLEM TOO」の完成度が高いと思っている。ジョージ・タッカーのぞくぞくするようなベースラインの上で、ハンディのサックスはもちろん、リチャード・ウィリアムスの雷トランペットやローランド・ハナの硬質ピアノが、飛び跳ねるようなアドリヴを展開している。
これは典型的なハードバップだが、ここまで迷いがないと聴いていても心が熱くなる。

このアルバムはショップの店頭で購入した。このジャケットだから正直悩んだのを覚えている。
しかし結局この怪しさに負けたのだ。
以来こんなアルバムを店頭で見つけるたびにぞくぞくした感覚を味わっている。
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ART PEPPER 「the art of pepper」

2007年07月05日 | Alto Saxophone

ひどいジャケットだ。だが中身は極上、長年の愛聴盤である。
この当時(50年代中期)のアート・ペッパーはどの作品でも輝いているが、これはその中でも群を抜いている。
彼の代表作といわれる「モダン・アート」や「ミーツ・ザ・リズム・セクション」よりも、個人的にはこの作品の方が好きだ。
特にここに収録されている「BEGIN THE BEGUINE」や「SUMMER TIME」は、多くのジャズマンの演奏と比べても1,2を争う出来だと思う。嘘だと思ったら聴いてみるといい。決して大袈裟な話ではないのだ。
彼のどこがいいかを言葉で説明するのは難しい。
もう天才的なひらめきの連続であるアドリヴ展開にはまったく隙がない。高いところから低いところへ流れ落ちたかと思うと、時々魚が跳ねるようにジャンプする。この見事なイントネーションが彼一番の持ち味である。
このアルバムではそんな彼のアルトが全編において堪能できる。これを聴かずしてペッパーのことは語れないといっていい。

もう一人忘れてはいけない存在がいる。カール・パーキンスである。
わずか1枚しかリーダー作を残さずに亡くなった彼のベストプレイがここに収録されている。
リズムに乗って飛び跳ねる彼の強靱な指先は、リアルな録音にも助けられて一層たくましさを感じる。
ペッパーを相手に一歩もひけをとらない彼の堂々としたピアノを聴くにつれ、もっともっと聴きたかったという思いが一層強くなってくる。
この2人の天才が私たちにウエストコーストジャズの楽しさ、明るさ、自由さを教えてくれた。
私はこんな彼らに出会えたことをいつまでも幸せに思うだろう。
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SONNY CRISS 「go man !」

2007年06月23日 | Alto Saxophone

いやはや何とも品のない演奏だ。
この人のアルトはよくチャルメラ・サックスだといわれるが、全くもってその通りである。「SUMMERTIME」の出だしからして屋台のラーメン屋を思い出す。
しかしこれがやみつきになるからジャズとは不思議なものだ。この作品は圧倒的な人気盤だからやみつきになっている人は数多いのだろうと察しがつく。とても毎日は聴けないが、一度聴くとしばらくはハイな状態が続く。まるでドラッグのようだ。

それにしてもソニー・クリスの吹きっぷりはすごい。
音色は確かにチャルメラだが、アドリヴの凄みはチャーリー・パーカーにも負けていない。
次から次へと浮かぶメロディを何の躊躇もなく吹き続けている。この疾走感が彼の最大の魅力だ。
バラードにおいても彼の魅力は失われない。ソフトな曲をこんなに高らかに吹く人も珍しいからだ。ここに色気を感じるのは私だけではないだろう。

このアルバムが人気盤である背景には、彼の親友でもあるソニー・クラークの参加も大きい。
「AFTER YOU'VE GONE」なんかはクリスの勢いに触発されて、クラークも負けじと突っ込んだ指さばきを見せている。このインタープレイは必聴である。
またベースはリロイ・ヴィネガーと私にとって嬉しいバック陣が揃った。
タイトルも「go man !」、よぉ~し、と思うのである。


【明日からしばらく留守にします...】
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GREG OSBY 「The Invisible Hand」

2007年06月01日 | Alto Saxophone

内容はジャケットのイメージ通り、ダークでハードボイルドだ。
甘いピアノトリオなどを聴いた後に、これくらいピリッとした寒色系の音を聴くと背筋が伸びる。
しかもこのアルバム、かなり個性的な音に仕上がっている。
それもそのはず、メンバーの顔ぶれがいつもとかなり違う。
ゲイリー・トーマスやジム・ホールはとりあえず置いておく。問題なのはアンドリュー・ヒルの存在だ。
その昔ブルーノートのアルフレッド・ライオンが彼の類い希な才能を見抜き、次々とレコーディングさせたのは有名な話だ。
しかしライオンの惚れ込みに反して商業的には成功しなかった。創造性の高さと商業的な成功とは必ずしも一致しないいい例である。
彼独特の「間」はモンクのようでもある。曲の解釈やリズムの取り方が他の人間と違うのだ。しかも彼は決してスタンダードを弾こうとせず、全ての曲をオリジナルで揃え、かたくなにそれを演奏した。残念ながらこれでは売れるはずがない。一部の熱狂的なファンを作っただけである。

しかし今は良くも悪くも当時と違う。グレッグ・オスビーのような奏者がいるからだ。
一頃の彼はヒップポップ路線を突き進んでいたが、またこうしたストレート・アヘッドなジャズに戻ってきた。
そこで、アンドリュー・ヒルと出会う。二人の複雑な「間」がピタリと合ったのだ。
その証拠がデュエットによる「the watcher」である。実に見事な演奏だ。
お互いに思いはたっぷり入っているがどちらかの感情には流されない、そんな意識が交錯する行き詰まるバラードだ。
こんな緊張感のあるバラードなんてそうそう聴けるものではない。
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LOU DONALDSON 「BLUES WALK」

2007年05月27日 | Alto Saxophone

ブルーノート1500番台は正にモダンジャズの花形だった。
1500番台とは、ブルーノートのレコード製造番号が1501番から1600番までの100枚を指している。但し1553番は欠番だったため実際は99枚しか存在しない(もっと正確にいうと1592番のソニー・クラークも最初はなかった)。
ここに登場するプレイヤーはマイルスに始まって、バド・パウエル、セロニアス・モンク、ファッツ・ナヴァロ、ソニー・ロリンズ等々、蒼々たる面々が顔を揃えている。

もう相当昔の話になるので定かではないが、私が最初に買った1500番台のアルバムはたぶん1521番と1522番の「A Night at Birdland with Art Blakey Quintet」だったと思う。田舎のレコードショップで悩みつつ2枚まとめて買ったのでよく覚えている。このアルバムでクリフォード・ブラウンらと一緒に熱い演奏をしていたのがルー・ドナルドソンだった。私はその時に初めて彼の存在を知った。
その後、1545番の「Wailing with Lou」や1591番の「Lou Takes Off」、そしてこの1593番「Blues Walk」を手に入れた。
彼はとにかくわかりやすいメロディを魂を込めて吹くことに専念した。このアルバムはそんな彼の良さが最もよく現れている作品だといえる。

その後結局ブルーノート1500番台のレコードは全て手に入れてしまった。
今になってみれば無駄なことをしたものだと思う。
中にはただ持っているというだけで2~3回くらいしか聴いてないアルバムも含まれているからだ。もうこんな買い方はしないだろうとは思いつつ、今でも時々取り出してはカビ臭いジャケットを眺め、悦に入っている自分が情けない。
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