SENTIMENTAL JAZZ DIARY

感傷的ジャズ日記 ~私のアルバムコレクションから~

BENNY CARTER 「JAZZ GIANT」

2007年10月03日 | Alto Saxophone

私の中ではジョーニー・ホッジスとベニー・カーターは特別な存在だ。
ベニー・カーターといえば1920年代から活躍していた〈超〉がつくほどの大ベテランだが、その明るい楽想のせいかとても親しみやすいアルト・プレイヤーである。95才まで生きて我々を楽しませてくれたという側面が影響しているのかもしれない。
ホッジスやカーターのアルトを聴いていると何か大らかな気持ちになってくる。些細なことで悩んでいる自分が小さく思えてくるのだ。いつ聴いても「ま、なんとかなるさ」という気持ちになれるから、私はちょっと落ち込んだ時などに彼らを聴くことが多い。
またベニー・カーターはトランペッターとしても魅力のある人だ。
このアルバムの「I'm Coming Virginia」を聴いてほしい。この哀愁感はどうだ、古き良きアメリカの匂いがプンプン漂ってくる。共演しているベン・ウェブスターのテナーやバーニー・ケッセルのギター、フランク・ロソリーノのトロンボーンなど、どれもカーターの吹くトランペットを見守るかのようなサポートをしているのも印象的だ。

話は変わるが、私は日本人だからこういうジャズを聴いて懐かしさを抱くのはおかしいのかもしれないと思っている。
古き良きアメリカなどというのは映画か小説でしか知らないはずだからだ。
しかしそこが人間の面白いところだ。国を超えて時代を超えて通ずる何かがあるのだ。
例えばサッチモの歌を聴いていると、昔近所に住んでいた世話好きのおじさんを思い出す。そのおじさんはしわがれた声でいつも私に笑いかけてくれていた。しかしある日突然そのおじさんが姿を消していなくなった。身体をこわしたのかどこかへ引っ越したのか私にはわからなかったが、それ以来、何か一抹の寂しさを感じるようになっていた。つまりそのおじさんは自分にとって育った風景の一部だったのである。
これではっきりした。懐かしさには時代も国境もないということなのだ。


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