文屋

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●オバマ大統領の演説の中の言葉で、パーカーを偲んでしまった。

2009年01月21日 22時19分01秒 | 日録雑感
テレビのニュースで、オバマ氏の演説を聞いた。
中で、「60年前までは、レストラン云々」という箇所でぐっときた。
夕刊をひらいて確認してみた。

「60年足らず前だったら地元のレストランで食事をさせてもらえなかった
かもしれない父を持つ男が、神聖な宣誓のためにあなたたちの前に立つこと
ができるのか、」

という言葉。泣かせる、しかも、それは隠喩ではあるが、直立している。
この演説の脚本は、27歳の人が創作したそうだが、
文学的である。それ以上に、当然のことながら政治的で巧妙である。
そう長くはない、昔、レイシズムの嵐のまっただなかでは
公園の水飲み場でも、「ホワイト」と「レイス」という区別が
あった。
その容貌から、白人と間違えられたビリー・ホリデイは
「なぜ、黒人たちとステージを共にするのか」と物を投げつけられたという。

この60年前という言葉。
ぼくは、チャーリー・パーカーを思った。

1948年頃、チャーリー・パーカーのコンボに加わった
マイルス・デヴィスは、18歳だった。
ニューヨークのサード・アベニューの52丁目あたりの
ジャズの店で、ジャズは、ダンスのためのバンド音楽から
個々人のソロパートを優先する、バップに移行してきていた。

それは、戦時の贅沢禁止の意味から
大編成のバンド音楽が禁制になったという歴史的背景もある。

それから、56年頃だろうか(うろ覚えだが)
放送局も、白と黒の区別があり
アラン・フリードだったかのDJが、黒人音楽を
つまりは、レイス(人種)音楽を積極的に取り入れ、
プレスリーが白人であるにもかかわらず
「ミステリー・トレイン」などの黒人ブルースを
カバーして、非難されたことなども
ちらちらと想起した。

オバマ新大統領の演説。
ニューヨークのアポロシアターの客が感激して
涙ぐんでいた。

パーカーもマイルスもコルトレーンもみんなみんな
もう死んでしまっている。

16歳ぐらいから、ジャズを聴き続け、
もう、40年も聴いている。
アメリカンPOPSまで視野に入れれば
ぼくは、もう生まれてこのかたずっと
アメリカの音楽を聴いている。

政治的なことを抜きにして
アメリカよ、蘇れ、と思った。

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