久しぶりに「スタジオボイス」を買った。
「ポストジャズのサウンド・テクスチャー」5月号。
ジャズの超克。
というような話題の時に、
山下洋輔---坂田明---中村誠一の流れから
はにわオールスターズ---生活向上委員会---渋さ知らず
片山広明---コンポステラ---篠田昌巳
になるのかなあ。
案の定、この周辺を雑誌はとりあげている。
しかし、少しだけ新しい波の音が聞こえる。
菊池成孔が、関係アルバムで挙げているのが、ほとんど
マイルス・ディビスなんだけど
『ダーク・メイガス』の中に、マイルスのこの音楽のことを
「焼け死ぬようなロック」って言っている。
超克って、焼け死ぬことだったんだと、この言葉は、沁みた。
ジャズで、焼け死んだやつなんて、
パーカーでもドルフィーでもなくて
マイルスだけじゃないかって。
しかも、隣組のロックのフィールドで焼け死んだのだ。
あとは、ローランド・カークと、ジャニス・ジョプリンくらい。
詩人で、誰がおる?
と問うても、唇寒し。
やってるフィールドなんて、関係ないんだ。
焼け死ぬのに。問題は、「焼け死んでいるかどうかの」
「アクチュアルなパフォーマンス」が、どっかにあるかということ。
問題の所在を表現のフィールドにあずけたり
恒常的な、表現主体の倫理にあずけたりしても、何も越えることはできない。
「熱」、それがあって、自らの体温で、焼け死ねるかだろうね。
そういう音楽あるだろうか。
文学あるだろうか。
芸人いるだろうか。
てなこと思った。
--------------このこと、断然つづく
コレ、最高です(笑)
マイルスはこのライブあたりの後、ホントにしばらく死んでましたもんね。
このアルバムは持ってないので、聞いてみたくなりました。