文屋

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●ヤナーチェクの呼吸。

2012年02月05日 19時15分53秒 | 音楽


ぼくは、ヤナーチェクの悲しみがわかるような気がする。
そして、それは、彼の部屋を撮影した、写真家
ヨセフ・スデックと重なる。その重なり方が
自分では気にいっている。
ヨセフ・スデックは、彼の父親がヤナーチェクと親交があったと
... いう縁で、作曲家の残された室内を撮影する。
スデックはそのときすでに、戦争によって片腕を失っていた。

ヤナーチェクの呼吸。
彼が、最後の弦楽四重奏「ないしょの手紙」を創作した部屋。
そこに、どんな空気が充満していたか。
どんな凍てる悲しみがたゆたっていたか。
音楽を聴くと、清い湧水のように満ちてくる。

「ないしょの手紙」という、俗っぽい副題がついているが
作曲家が死ぬ目前に書いた、渾身の一曲である。
生きているときの記憶の集約。凍結。
それは、38歳も年のひらいた人妻へのラブレターとして
作られている。

西洋音楽の正統とはかけ離れた、奇妙な旋律。
震えるような不安定な抑揚。
まるで、発語のような、そう言葉を朗詠するような
声の翻案。

あえてソナタ形式を無視し、あふれだす恋情に
身投げしていく。
しかし、そうした挿話を知らずとも、切々とした
弦楽四重奏のたたずまいは、時代を超えて
わたしにとどく。
この音は、ヤナーチェクの愛と生とを交換した音なのだ。

それから、数年たち、主のいないこの部屋へ踏み込んだ
写真家。第二次世界大戦では、ナチスによって
撮影対象を制限させられ、自らの身辺をずっと撮り続けた人。

その人が、ヤナーチェクの息が潜む空間を撮った。
日常への愛。ファインダーが、空気に迫っている。

ヤナーチェクの「in the mists」、「霧の中で」を聴く。
悲しみは清澄であっていい。
1912年の作。不幸な祖国、チェコスロヴァキアは当時
母国語を奪われ、ドイツ語が公用語となっていた。
忍び寄る、暗雲。
... そして、作曲家は音楽界からはほとんど認められることはなく
60歳になろうとしていた。

生涯のほとんどを、一地方都市であるブルーノで
作曲をつづけた。その光景を
ヨセフ・スデックは、撮っている。

同時期に作られた、ピアノによる小品
「草陰の小径にて」にも通じる
霧がふる、個的な場所。その場所は
思いが充満する、霧まみれの袋。

ピアノは、その袋から嘆息を漏れいだす。

少しの歌謡、旋律。それが、民の歌を代弁する。

三人のピアニストによって、聴く。

◆アンスネス
◆バーレニーチェク
そして、ヤナーチェクの化身のような
◆ルドルフ・フィルクスニー

2012年2月4日の朝、霧に洗われる


ピアニスト、ルドルフ・フィルクスニーは、5歳のときに、ヤナーチェクに出会い、以後ずっと師事した。
彼の述懐によると、ピアノの教え方は、特異で、いきなり
小品の作曲をさせたという。
技巧の鍛練には厳しく、同時にイマジネーションの飛躍ももとめたようだ。
幼いころ、その宿命から孤児として育てられたヤナーチェクが、ただ、様式にのみ埋没する固苦しい、アルチザンであろうとするならそれは理解できるが、どうもそうでもないらしい。
... 相当に、変わりものであったであろうことが、うかがえる。

フィルクスニーで
「草陰の小径にて」を聴く。

組曲第一集には、それぞれ文学的なタイトルが付されている。

1私たちの夕べ
2風に散った木の葉
3一緒においで
4フリーデクの聖母マリア
5彼らは燕のようにしゃべる
6言葉もなく
7おやすみなさい
8こんなにひどく怯えて
9涙ながらに
10フクロウはとびさらなかった

小さな声で語られる、内面の秘話(悲話)。
楽譜どうりに曲をたどっても
その内面は、見えない。
まるで、親子のように生きた
このピアニストだけが弾ききる、静かな述懐。
弱音の美が際立つ。

似たような、関係は
ディーリアスとフェンビー
にも感じられる。

曲想は、まったく違うが
ヤナーチェクとディーリアス
何か、通じる。

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