「伊東静雄論5」、16枚。
編集工房ノアに送る。
なんだかずっと、他のことは何もできなかったから、解放された気分。
他のこと、いっぱい想像力がひろがってもいいんだけど
結局は、「一杯やりたい」とおきまりの欲望が目覚める。
伊東の詩は、保田与重郎や萩原朔太郎などに手放しで激賞されていたわけだけど
その評価の仕方が、とっても前時代的だった。
伊東の中にも、自我を超越したようなメタな部分があって、
透徹した自我から透徹した自我まで、ぐるりと一周してくる過程で
まるで、痕跡を残すように
作品が記された。
これは、モダニズムの継承から始まった、戦後詩の
ある種の混濁した倒覚(倒立)と質としては同じなんだと思った。
朔太郎は、察知はしていたが、伊東の倒覚からははぐれていた。
じゃあ、透徹した自己などというものを
詩を書く者として、肯定するか、否定するか、まだそこがはっきりしない。
昔、大阪まではるばる訪ねてきた三島由紀夫を「凡人」とだけ
評した伊東。
出版記念会で東京へ出て、歴々の人々と飲み
結局は、中原中也の家に一宿一飯の恩義をさずかった。
でも、その夜のことは、日記などでもあまり書かれていない。
多分、よっぽど荒々しい一夜だったろうな。
それとも、ひとこともしゃべらなかったか。
伊東は、「ただ、詩を書いた人」なんだろうな。
美しい、そして激烈な。
それだけなのかもしれない。
幸福なことだと思う。
編集工房ノアに送る。
なんだかずっと、他のことは何もできなかったから、解放された気分。
他のこと、いっぱい想像力がひろがってもいいんだけど
結局は、「一杯やりたい」とおきまりの欲望が目覚める。
伊東の詩は、保田与重郎や萩原朔太郎などに手放しで激賞されていたわけだけど
その評価の仕方が、とっても前時代的だった。
伊東の中にも、自我を超越したようなメタな部分があって、
透徹した自我から透徹した自我まで、ぐるりと一周してくる過程で
まるで、痕跡を残すように
作品が記された。
これは、モダニズムの継承から始まった、戦後詩の
ある種の混濁した倒覚(倒立)と質としては同じなんだと思った。
朔太郎は、察知はしていたが、伊東の倒覚からははぐれていた。
じゃあ、透徹した自己などというものを
詩を書く者として、肯定するか、否定するか、まだそこがはっきりしない。
昔、大阪まではるばる訪ねてきた三島由紀夫を「凡人」とだけ
評した伊東。
出版記念会で東京へ出て、歴々の人々と飲み
結局は、中原中也の家に一宿一飯の恩義をさずかった。
でも、その夜のことは、日記などでもあまり書かれていない。
多分、よっぽど荒々しい一夜だったろうな。
それとも、ひとこともしゃべらなかったか。
伊東は、「ただ、詩を書いた人」なんだろうな。
美しい、そして激烈な。
それだけなのかもしれない。
幸福なことだと思う。
おととしイタリアのアマルフィ半島で
「海がアジテートしてる」という言葉を
ききました。
空は明るいのに
ものすごく大きな波が
どんぶらこどんぶらこ
うちよせている朝でした。
よく考えたら
アジーテートって
波だたせる って 意味だったんですね。
詩の心を波だたせるブログ
期待してます。
追伸
『言葉は京でつづられた』
愛読してます。三鬼いいな。