文屋

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★自宅の近所の公園にいた、高校生。単なるできごとではないような。虚ろのさらに虚ろへ

2006年06月23日 19時18分35秒 | 日録雑感



奈良の高校生、ぼくの自宅のすぐ近くで保護されたそうだ。
今朝、そのあたりにTVレポーターのような人が
カメラを抱えて立っていた。
雨の中、公園の滑り台に座っていたという。
かたわらに自転車。

奈良から京都まで、雨中を疾走してきたのだろうな。

その高校生のことを
家人は、かわいそうだと言う。
娘は、それにうなずかない。

辛かったのだろうと、思う。

いまの高校生にとって、楽しいことや面白いことが
もう飽和してしまっていて、
飽和したまま、立ち竦んでいたら、世の中の
ぶっとく重たい壁が、知らず知らずのうちに
ひとりの人間の重しとなって強く
圧してくるのだろうな。

雨の公園の滑り台、
見たかった、サッカー。

世界は、いくつもあるのに、
重くのしかかってくる、単一の世界像は、
幼いがゆえに、単一的性格を濃くして
コンクリの塊みたいに認識されるのだろう。

それを、笑ったり、軽く逃げたり
そういうことのできない世の中なのかなあ。

絵空、

絵空でもいいじゃないか、
その単一のコンクリだって、
「誰かの物語」だったりするんだから

単純な、自分の絵空をどこかに見つけておかないと。

複数だよ。

血脈や小枝みたいな、絵空の回路。

幼いからこそできるのに、

強烈なフリーキー。

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