文屋

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■「ボン書店」の鳥羽茂という男の空気にふれた。一瞬に光るそれは喜びだった。

2009年04月03日 16時31分56秒 | 文学全部
内堀弘著『ボン書店の幻』(ちくま文庫)を読んだ。
以前に、白地社から出ていたことは記憶していたが、文庫になっていた。
私自身、詩や詩書、同人誌の発行などに関わってきたことが
この本を読んで、喜びとなった。
あるいは、励みにもなった。
あやうさや、はかなさ。でもこのまたたくような、あやうさは、
そうなのだなあ、輝きでもあると思った。
戦前の一時期、昭和初期に詩の潮流としてあった
モダニズム詩の詩書を、個の情熱で出版しつづけた
鳥羽茂という人の幻を追った書物。
史実をつづれば、そこには、鳥羽の無情が浮き彫りにされるが
読後、じっくりと鳥羽という人物の情熱を反芻、味読していけば
そこに、強い意志が見えてくる。
「詩という象(かたち)を愛していたのだろうな」と。
詩の精神や、詩のこころなどといったそんなもんじゃない。
詩が、文字になり行になり頁になり、意匠され
書物になる。その時間は、詩が象になっていく時間なのだ。
人は、別にそんなことはしなくてもいい。
でもそれをしなければ、詩はどこにも痕跡すら残らない。
この時間の齟齬や、矛盾のうちに、喜びはある。
本書は、まさに齟齬や矛盾を浮き上がらせている。
あとがきに描かれた「梨の墓標」が泣かせる。
でも私にはなぜか、VANの石津謙介氏との軽い交差の
くだりが強く印象に残った。
詩を身に抱き、それを象にしようと意志することは
献身的なダンディズムやディレッタンティズムなのだと。

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