文屋

文にまつわるお話。詩・小説・エッセイ・俳句・コピーライティングまで。そして音楽や映画のことも。京都から発信。

●難解な詩なんてこの世にはないんだよ。傷ついたか無傷かだけよ。

2005年12月30日 16時56分47秒 | 


詩や音楽で、「難解」という認識がある。つまり「難解」と
その人は理解している。たとえば、アントン・ウェーベルンの
弦楽三重奏曲が、すんなり理解できる人が世の中に何人いるだろう。
パウル・クレーの絵を理解する人がたくさんいても
その理解が他人と一致することなど稀である。
要は、その作品を体験したときに、ある種の動揺があり
脳のどこか(心といってもいいけど)
に傷が生じたかどうかだけが問題であって、
「難解」と一旦は、片付けている人は、脳になんの
変化も起きなかったことを「難解」と言い訳しているにすぎない。
つまり、感じることを逸しただけなのだ。
脳の中は、記憶や感覚物(クオリア)が充ちていて
それらは自分の把握できる「1」の領野なのだが
それ以外の把握できない、未知の何かが忍び込んで
傷が生じたときに、人は動揺する。
もしくは、得体の知れない動揺を経て、新たなフイールドに
傷が記されるのかもしれない。
この傷が生じないと、人の脳は、更新されない。
恋愛も失恋もこの更新なのかもしれない。
「1」いう飽和した脳の容量、それが暫定的な自己という
ことかもしれない。だから「私」には「難解」となるが
動揺した時点で、暫時、脳は更新されていく。
詩が人の心を傷つけるためには、その言葉は稀であるだろう。
アントン・ウェーベルンの音楽が
1000人に一人、もしくは5000人に一人ぐらいか。
理解されるとして、その「一人」を根源的に傷つけたとした
その音楽の力はなんと強いのだろう。
1000人が1000人、理解したとしても
誰ひとりとして傷つきもしなかったらそれは
多くの「1」の肥大したただの「1」にすぎず
重層・重畳的に「1」なのである。


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10 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
申し訳ありません。 (望月悠)
2005-12-31 12:35:06
はじめまして、私は望月悠と申します。

もしかしますと、先日の話題をおっしゃって

いらっしゃるのでしょうか。それならば

私の軽はずみな発言を大変申し訳なく思って

おります。どうか、お許しいただければ幸いです。
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自分は勝手に (bunyahagi)
2005-12-31 21:38:20




まったく、自分は勝手にそう思っているだけです。

詩の価値や尺度なんて

まったくどうでもいいことのように思えます。

詩の価値や尺度自体、そんなものあるわけない。



岐路は、書くか、書かないかだけです。
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Unknown (望月悠)
2005-12-31 22:00:27
そうですね。私も考えを改め

さらなる精進ができるように邁進して

いきたいと思っています。

本当に、有難うございました。
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はじめまして。 (つつみ潤)
2006-01-01 20:10:36
文屋さま。はじめまして。

つつみ潤と申します。



僕も詩を書いていて、今、色々な事を勉強中です。



こちらのコメントを読ませていただいて、一言。



ここで言う「感じる事を逸した詩」が現代詩には蔓延っているとはおもいませんか?

あなたのおっしゃる、「理解」と「傷」の違いが文脈では良くわかりませんが、僕は常に、「1000人が1000人理解し、1000人が1000人傷つく」詩を創り続けたいと強く思っております。

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はじめまして (bunyahagi)
2006-01-01 23:06:34




つつみさん、こんばんわ。



「感じる事を逸した詩」って。

誰が逸しているのですか。

僕の文脈では、読み手を主体に

「感じることを逸して」しまっている、

と書いています。



それでもそういう詩があるならば

どんな詩のことを言っているのでしょうか。



「難解詩」がないように、

「千人千解」の詩なんてないと思います。



あるなら教えてください。



もしも無理にでもあげるならば

たとえば、

「スカッとさわやかコカコーラ」というような

商業的な惹句みたいなものでしょう。

もしくは、政治的なプロパガンダです。



作った人がそう意図しなくてもそれが

大衆に流布し、影響力を与えた瞬間にその

言葉は、政治的になります。



つつみさんの目指している

1000人が1000人理解し、

1000人が1000人傷つく

ような詩がこの世にあるのなら、どんな詩なのか

お教えください。



もちろんつつみさんは、別の意味で言っているのでしょうが



たとえば、僕は

八木重吉という詩人の書いた詩が好きです。



読むたびに僕は動揺します。

鼓動が激しくなります。



僕の脳のどこかに、痕跡をしるします。

ただ、その詩の言葉だけをとったときに

そこに何が書かれているか、何を言っているか

詩人の側に立って、十全に理解することはできません。



それでも僕は激しくその詩が好きです。



同様に、

石原吉郎という人の詩も、いつも揺さぶられます。

でも石原が、何のことを書いているか

そうしたことは十全に理解できません。



具体的に、誰かの詩を例に出して

語ったほうが、話がかみあうと

僕は思いますが、いかがでしょうか。



ゆっくり話していきましょう。

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例をあげてみます。 (bunya)
2006-01-01 23:47:43




手元にあったので

次の詩を掲げます。



中野重治の詩です。

大正時代の終りの作品ですが

僕にとっては、現代詩です。



 真夜中の蝉



 真夜中になつて

 風も落ちたし

 みんな寝てしまうし

 何時ごろやら見当もつかぬのに

 杉の木あたりにいて

 じいつというて鳴く

 じつに馬鹿だ



これだけの短い詩です。

この詩は、わかりやすい詩でしょうか。



要するに、難解というのは、メタファーが重層で

あまりにもいたずらに弄ばされている

そのことをつつみさんは、述べているのでしょうか。



わかりやすい

ということは、



「誰にでもわかる単純なメタファーを用いよ」

「誰にでもわかる日常的な経験をストレートに記せ」



ということなのかなあ。



詩は、メタファーを弄してはいけない。

それはよくわかります。でも

単純なメタファーでは表現できない感情というのも

あります。また単純なメタファーは

読者の前で、薄く死んだ言葉になってしまいます。

でもここが難しいところですが

単純なメタファーでその感情を伝え、人を揺さぶることが

できれば、それも僕は否定しません。素晴らしいことだと

思っています。



ただ、そんな詩は、久しく読んでいません。



つつみさん、

上記の中野重治の詩kご感想を

お聞かせください。

返信する
Unknown (つつみ潤)
2006-01-03 00:38:29
もし、読み手が、「感じることを逸して」しまっている詩ならば、それは詩として、価値のあるものなのでしょうか?

あくまで「千人千解」の詩は理想論ですが、目指さなければそれを達成できないと考えます。その詩が「政治的」と呼ばれても関係ない。読み手が「自由に」何かを感じてくれさえすれば。



僕の言う解りやすさとは、感覚的な表現で申し訳ないのですが、

①詩の間口がひろい

②たとえ作者の意図の範囲外でも、読者なりに噛み砕ける(読者が好き勝手に解釈できる)表現

ということです。



例に挙げていただいた『真夜中の蝉』は、読者十人十色の解釈が出来る詩という意味で、素晴らしいと思います。詩は詩人の意図どおりに解釈するものではなく、主役はあくまで読者なのですから。



僕がいう難解詩とは、ご指摘のとおり、「メタファーが重層であまりにもいたずらに弄ばされている」ということです。どんなに歯が丈夫な読者でも、硬い石を噛むように、傷ひとつつけることができず、作者の「自己満足」にしかなっていない詩のことを言っています。例えば、城戸朱理の詩なんかはそうです。詩の入口にも辿りつけない。というか、あの人は詩人なのでしょうか?僕はそうは思いません。



「単純なメタファーでは表現できない感情というのもある」「単純なメタファーでその感情を伝え、人を揺さぶることができる詩が素晴らしい。でも稀有である」とのご意見には同感です。



現在の詩壇が閉鎖的な理由がそこにあるのではないでしょうか。なぜなら、現代詩人は、誰かが言っていましたが、「美しくあるために意味を放棄する」などという不毛なことを繰り返しているからです。誰も美しさなど求めてはいないと考えています。



簡単なレトリックで、読者を揺さぶらせる詩人といえば、小池昌代だと思っています。



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レス感謝いたします。 (bunyahagi)
2006-01-03 21:56:06




>つつみさん



レスありがとうございます。

大切なことを考える機会を与えてくださって

感謝いたします。



でも

>『真夜中の蝉』は、読者十人十色の解釈が出来る詩という意味で、素晴らしいと思います。詩は詩人の意図どおりに解釈するものではなく、主役はあくまで読者なのですから。



という見解には、驚きました。





ぼくは、一度もそんなふうに思ったことはありません。



「詩は詩人のものである」



これが僕の信念です。

この思いがあれば、僕は身を切って詩を書けます。



読者のためなどとは、死んでも思いません。







つつみさん



お願いなのですが、このブログは、僕の

日録的なメモです。







折りいった話は、私信の往信で

存分に持続していきましょう。



僕は、あなたの詩をHPで読ませていただいています。



それらを引用しながら



詩の話をしていきましょう。







あなたの作品を興味をもって読みました。



まず私から御感想を私信でメールします。

待っていてください。









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事務的なこと (つつみ潤)
2006-01-04 02:10:50
この場で色々と考えた事、僕にとっても大変勉強になりました。ありがとうございました。



事務的なお話をさせてください。

①文屋さまのHPにリンクをはらせて頂きたく思います。

非常に素晴らしいページだと感じますので…。

②僕は純然たる勤め人です。個人的にメール頂くのは、大変嬉しく思いますが、返信に時間がかかる事が考えられます。ご了承頂きたく思います。
返信する
リンク (bunyahagi)
2006-01-04 18:11:49




つつみさん、



リンクの件、了解しました。

よろしくお願いいたします。
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