何度聴いてもスゲぇと思うしかない曲というのが誰にでもあると思いますが、ユーミンの「きっと言える」(1973)は、本当に何度聴いてもスゴい。
去年もこの曲の事を書いたのですが毎年書くぜよ、覚悟!
そんで、この曲は、作りがスゴイ。
でも、作りがスゴイからスゲェ曲だと言うのではなく、スゲェ感動したんで、ヨック考えてみたら、スンゲェ構造の曲だったというコトなので、別に、構造はどうでもイイのよ。(なんじゃ、ソリャ?)
それでですね、どいういう作りかというと、天と地の往還構造なのヨ。モシクハ、今と未来の往還ね、この曲。
珍しく楽理的に言いますんで、メンドくさかったら、この段落、トバシて下さい。
はい、行きます。
さて、こん曲は、16小節でワンコーラスになっているんですが、所謂ツー・ファイヴ(IIm7-V7-I)をワンコーラスの中で、転調して三つのキーでやってます。省略してIIm7-Iだったり、V7-Iだったりもしますが、ハッキリ言って、ツー・ファイヴを転調させる事だけで出来ている曲です。
しかしソレがスゴい曲になってるのヨ!!!
そんで、その転調は、順番に「E♭→F♯→A」という転調です。
コレが、二コーラス目には丸ごと上に転調しまして、「A→C→E♭」です。
というコトで、それぞれのコーラスの後半が、次のコーラスの前半のキーにつながっていますね。まぁ、そいいうコトなので、行って戻って、戻って行って、という構造になるのです。
コレ、聴いてる側は、なんだか、フワっと浮いたり、微妙に地に足がついたり、また浮いたり、にナリマス。
歌詞も含めて考えると、「今」が最初の1コーラス16小節で、全体に上に転調した次の16小節が「未来」ね。それで、実は、「未来」方の16小節は、最後が1小節長くて、次のワンコーラスの1小節目までを取り込んじゃってます。しかも、4小節前からコードトーンを無視したかのように上昇フレーズが、リズム的には半拍遅れて、裏へウラへと入ってくるという事で、これは、「未来」が少しでも長く続いて欲しい!というコトの表現でショ!!!「今」へ戻るのを少しでも遅らせようとしているんだとワタシは思う!
更に、しかも!
なのですが、「今」に戻った16小節(正確には15小節)の前半は、二回ともサックスソロなのです。
要するに、希望に満ち溢れた「未来」から、「今」に戻ったショックで、歌が無いんだ!そして、その「今」の方の16小節の後半は再び「未来」へ向けて歌が入る。そこは次の1コーラス(つまり「未来」)の最初のキーと同じなのだ!!!
だから、「今」が常に「未来」への助走になっているという、そういう構造!
んんん~。凄い・・・!
スゴ過ぎる!!!
しかも、しかも、しかも!
この「今」と「未来」は、基本的に同じメロディを持っている。同じメロディで違うキー。つまり、ボヤっとしてると、同じように見えるけど、既にして違う世界だと言う事。
だからこそ、「ありきたりの街角でもいい すれちがっても きっとわたしはふり返るはず」なんだろうし、「あなたが好き きっと言える どんな場所で出会ったとしても」なのでしょう。
「今」であっても「未来」であっても「わたし」には分かる、という事を音とコトバの両方で表現しているんデショ、これって。
ホントにスゲェです。
10代でこんな曲をつくってしまうなんて・・・。
ホントにユーミンは化け物です。(←ココだけ抜き出して読まないように。)
去年もこの曲の事を書いたのですが毎年書くぜよ、覚悟!
そんで、この曲は、作りがスゴイ。
でも、作りがスゴイからスゲェ曲だと言うのではなく、スゲェ感動したんで、ヨック考えてみたら、スンゲェ構造の曲だったというコトなので、別に、構造はどうでもイイのよ。(なんじゃ、ソリャ?)
それでですね、どいういう作りかというと、天と地の往還構造なのヨ。モシクハ、今と未来の往還ね、この曲。
珍しく楽理的に言いますんで、メンドくさかったら、この段落、トバシて下さい。
はい、行きます。
さて、こん曲は、16小節でワンコーラスになっているんですが、所謂ツー・ファイヴ(IIm7-V7-I)をワンコーラスの中で、転調して三つのキーでやってます。省略してIIm7-Iだったり、V7-Iだったりもしますが、ハッキリ言って、ツー・ファイヴを転調させる事だけで出来ている曲です。
しかしソレがスゴい曲になってるのヨ!!!
そんで、その転調は、順番に「E♭→F♯→A」という転調です。
コレが、二コーラス目には丸ごと上に転調しまして、「A→C→E♭」です。
というコトで、それぞれのコーラスの後半が、次のコーラスの前半のキーにつながっていますね。まぁ、そいいうコトなので、行って戻って、戻って行って、という構造になるのです。
コレ、聴いてる側は、なんだか、フワっと浮いたり、微妙に地に足がついたり、また浮いたり、にナリマス。
歌詞も含めて考えると、「今」が最初の1コーラス16小節で、全体に上に転調した次の16小節が「未来」ね。それで、実は、「未来」方の16小節は、最後が1小節長くて、次のワンコーラスの1小節目までを取り込んじゃってます。しかも、4小節前からコードトーンを無視したかのように上昇フレーズが、リズム的には半拍遅れて、裏へウラへと入ってくるという事で、これは、「未来」が少しでも長く続いて欲しい!というコトの表現でショ!!!「今」へ戻るのを少しでも遅らせようとしているんだとワタシは思う!
更に、しかも!
なのですが、「今」に戻った16小節(正確には15小節)の前半は、二回ともサックスソロなのです。
要するに、希望に満ち溢れた「未来」から、「今」に戻ったショックで、歌が無いんだ!そして、その「今」の方の16小節の後半は再び「未来」へ向けて歌が入る。そこは次の1コーラス(つまり「未来」)の最初のキーと同じなのだ!!!
だから、「今」が常に「未来」への助走になっているという、そういう構造!
んんん~。凄い・・・!
スゴ過ぎる!!!
しかも、しかも、しかも!
この「今」と「未来」は、基本的に同じメロディを持っている。同じメロディで違うキー。つまり、ボヤっとしてると、同じように見えるけど、既にして違う世界だと言う事。
だからこそ、「ありきたりの街角でもいい すれちがっても きっとわたしはふり返るはず」なんだろうし、「あなたが好き きっと言える どんな場所で出会ったとしても」なのでしょう。
「今」であっても「未来」であっても「わたし」には分かる、という事を音とコトバの両方で表現しているんデショ、これって。
ホントにスゲェです。
10代でこんな曲をつくってしまうなんて・・・。
ホントにユーミンは化け物です。(←ココだけ抜き出して読まないように。)
おお!
「時をかける少女」(芳山クン!)とか「リインカネーション」とかも確かにソウデスね!
戻ってくるってコトですもんね。
ポップミュージックごときで、輪廻までしてしまうユーミンはやはり、化け物デスよね。
その辺りからホホォーと感心しながら読ませて
いただきました。素晴らしい考察ですね!
つまるところ、この曲の構造は、ユーミンだけに
「時をかける少女」か「リインカネーション」だと
いう理解でよろしいでしょうか?
え、全然違いますか、スミマセン。。。