JAZZ SINGER REIKO OSHIBUCHI 押淵玲子オフィシャルブログ

福岡で活動しているSINGERです。乳がん闘病中(再発転移あり)の事や、音楽の事など。
そして、趣味の着物リメイクなど

押淵玲子CD、画像など

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尚、CDは2,800円のものは800円を2,500円のものは500円を
「がんの子供を守る会」また「あしなが育英会東北レインボーハウス建設募金」に寄付いたしております。

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2016年12月4日(日)18:00~
ANIME JAZZ THE LAST
10年間皆様に愛されて続けてきたANIME JAZZ LIVE
ライブはこの日が最後となります。
どうぞ、お見逃しなく!

放たれた言葉

2015-07-15 13:07:32 | 日記
副作用は前の抗がん剤に比べたら軽いと
主治医はかる~~く言ってくれちゃったが
8年経つと、8歳年取るわけで
前はシコリがあって、そこが痒かったり痛かったりしたくらいで
一般症状のない状況だったので
ホルモン治療も長年に渡り
なんで困難に息苦しいのか、というゼホゼホもあり~の
モロに肺に転移しちゃってます症状がある中では
結構辛いよ。

体力なくなってるしね。

予想できるものもあったから
それは耐えるしか無いよな、と思ってるけど。

お家で大人しく過ごすことしか出来ない日々。

つまらん・・・・

こういう時は、つまらんことが続いて起こったりする。

見てくれは健常者、実は患者・・・みたいな感じから
脱毛が大分進んで、見てくれも患者へ。
まあ、それでも太ってるから
そんなに重症に見えないし
歌う声がちゃんとでないという以外は
いや、違うな
今はいろいろ食べられない以外は
至って普通に元気そうなおばさんだったりする。

そこで、色んな人が色々不用意な発言をする。
これは誰でも有りうることで
気をつけていても自分自身も言っちゃったりして
「あの時のあの言葉、どうか忘れてください」と
穴を掘って土下座したくなるようなこともあったりする。

言った本人も自覚があるときは一生苦い思いとして覚えているのだが
だいたい、言われた人しか覚えていない。

昔に言われたことや
今、また言われて更に傷つくことや・・・

8年前に乳がんになった時に
ちょっと親しくしていた医学生から笑われた
相手は酔っていたのだが
「え~?まじ~?ぎゃはは!ざまあみろって感じっすよね~」
普通に仕事している時に「実は乳がんになったのよね」と言ったから
相手は冗談だと思ったのかもしれないが
お前なんか医者になる資格はない!
と心の中で叫んだ。

今は立派な医者になっているらしい。
何度か会ったが「今度必ずライブに行きます」なんていうが
一度も来たことはなく
私のライブなど行く気はないだろうから
そんな事をわざわざ言いに来なくていのに、といつも思う。

きっと、奴は私のこの姿を見たら
「え~?またハゲっすか~?ぎゃはは~、笑える~」とか言うだろう。
ああ、こんな奴が患者を診るのかと思うとうんざりしてくる。


そして、最近続けて父と母の所を訪ねたいという問い合わせがあったのだが
「ご両親を施設なんかに入れたんですか!」
と言われる。
ゴージャスでとても恵まれた施設だし
あのまま実家で惨めな生活になるよりずっと良い選択だと思うし
私が受け取るであろう遺産は全部使って入れたのだ。
そして、私は自分自身の闘病もあり
おそらくは両親を看取ることなく、私は先に死んでしまうだろう。
私が死んだ後に、何不自由なく過ごせるように選んで入れたのだ。

事情もわからない人にそんな事を軽々に言ってほしくない。

そして、そういう人達から必ず言われるのは
ご自分よりご両親を大事にして下さい。
貴方は色々ご活躍で丈夫そうだから。


それが違うんだな。

活躍というか、ライブを続けているのは
自分の人生の集大成をしたいからなんだな。

両親は私の病気など全く気にしない。
姉が他界する時もそうだった。
亡くなる2週間前に父は「何故そんなにお金がかかるんだ!」と姉に電話で文句を言っている。
彼らは子供が先に死ぬなんてことは何とも思っていない。
私だったら、子供に先立たれるなど耐えられない。
今回、がっつり悪変して「あと数年かもよ」と父に言っても
「子供がふたりとも先に死ぬのか。じゃあ、あとの面倒は誰が看るんだ?」と言われた。

きっと私が死の床にあっても
電話でギャンギャンと文句を言ってくるのだろう。

そして、姉も閉口していたが
「死ぬことは何も恐いことじゃないんだ」と
古い漢詩を持ちだして死について延々喋る。
やめてください・・・。
姉も私もこんな年齢で死にたくないのだ。
遣り残したことは山ほどあるのだ。
90を過ぎてもまだ生に執着している人の講釈なんて聞きたくない。

まあ、両親だけではなく
「こんな病気の人に比べたら貴方なんて幸せじゃないの」なんて
そんな言葉もよく聞く。

確かに子供が短い人生を終えるのは心が痛む。
きっと健康であれば、色んな事ができただろうに、と。
しかし、大人も結構大変なことはあるのだ。
仕事の途中で人生を終わる訳にはいかない。
だから、死期を冷静に見つめて死ぬ準備をしなくてはいけない。
この作業は結構切ないものがある。
これが「幸せ」だと言えるのだろうか。

同じように引っかかるのが「キャンサーギフト」

癌になって良かったなんて思わない。
病気になったことで人生が輝いたなんて
そんなわけがないじゃないか。
誰だって、普通に年を取り
子供たちの成長した姿を見て
安心してしを迎えたいに決まっているし
ずっと夢を追い続けていたいし
それが出来る年齢まで生きていたかったと思う。
それを患者自身ではなく、他人から「キャンサーギフトですよね!」なんてキラキラした目で言われたくない。

私の周囲の多くの人は
「元気そうにしているけど、本当に休んでね」と
心から私のことを気遣ってくれる。
有難いことだ。

だからだろうか?
時々放たれる不用意な言葉が妙に引っかかったりする。

とりあえず
せっかく副作用にも耐えているのだから
抗がん剤が早く効いて
私らしい歌を歌いたい。