札幌・北海道のレトロ建物大好きおぢさん日記

札幌(北海道)のレトロでモダンな建物を見たり撮影するのを趣味としています。

木造校舎・廃校 旧穂別町の閉校

2024-05-04 17:27:35 | 木造校舎・廃校

小学校  赤字は今回レポート

穂別町(2006年・むかわ町を新設)

  • 穂別町立和泉小学校累標分校(1966年)
  • 穂別町立大和小学校(稲里小大和分校から改称、1968年稲里小へ統合)
  • 穂別町立茂別小学校(1970年穂別小へ統合)
  • 穂別町立新登川小学校(1970年)
  • 穂別町立長和小学校(1975年休校、1983年廃校)
  • 穂別町立福山小学校(1981年)

むかわ町

  • むかわ町立稲里小学校(2009年むかわ町立穂別小学校へ統合)
  • むかわ町立和泉小学校(同上)
  • むかわ町立生田小学校(2010年むかわ町立鵡川中央小学校へ統合)
  • むかわ町立仁和小学校(2017年穂別小へ統合)
  • むかわ町立富内小学校(2018年穂別小へ統合)
  • むかわ町立宮戸小学校(2023年鵡川中央小へ統合)

中学校

穂別町(2006年・むかわ町を新設)

  • 穂別町立和泉中学校(1950年むかわ町立穂別中学校〈当時:穂別町立〉へ統合)
  • 穂別町立新登川中学校(1957年長和中へ統合)
  • 穂別町立大和中学校(1960年稲里中大和分校から独立、1968年廃校)
  • 穂別町立長和中学校(1968年稲里中へ統合)
  • 穂別町立福山中学校(1982年)
  • 穂別町立稲里中学校(1998年)
  • 穂別町立富内中学校(2001年穂別中へ統合)

むかわ町

  • むかわ町立仁和中学校(2012年


旧穂別町は2006年に旧鵡川町と合併し「むかわ町」となる
北は国道274号線や道東道があり南は太平洋までの
南北の縦長の町になった。

町内は縦中心に道道74号線が走っており、派生した集落に学校がある。

 

 

「旧穂別町立福山小中学校」


※穂別町史より

 

開校:大正10(1921)年
閉校:昭和57(1987)年
校舎:昭和36(1961)年竣工

むかわ町穂別福山



国道274号線を夕張から日高町へ行く途中の福山にパーキングがある
トイレと奥に芝生の広場があるくらいで何もないところだが
さらに奥に「福山小中学校」があった。

パーキングの夕張側に奥地に入る道があるので徒歩で進む
空き家ばかりで寂しい光景が続く
以前はこの道に校門があったようだ。

右手にぽっかりと空いた土地があり、ここが学校と校庭の跡地だ
鵡川(川)側にポツンと小屋があったが何の小屋かは不明
他はこの時期でも雑草が多く、さらに奥へ行くのは断念した。

結局、学校だったことを示すものは一つもない
パーキング奥の広場には開基の碑があったくらいだった。


パーキング


左側の道を行く


廃墟多数

 

右側にぽっかり広場 校舎と校庭があった

 

 

 

ここはパーキングの奥地

 


右奥に開基50周年の碑があり

 


2024年4月撮影

 

 

 

 

「旧穂別町立長和小中学校」


※穂別町史より

 

開校:明治40(1907)年
閉校:昭和51(1976)年
校舎:昭和35(1960)年竣工

むかわ町穂別長和



高速道東道の「むかわ穂別インターチェンジ」
その入り口付近に旧長和小中学校校舎があった。

先日、十勝へ旅行をしたときに道東道を利用し、
むかわ穂別インターで、ほんの一瞬だが体育館に見える建物がはっきりと見えた。

今回の旧穂別町巡りは、この確認が最優先であった
インターの料金所の手前に駐車場があるのでお借りした
すぐ目の前に異質な柱(煙突?)が3本と下に朽ちて倒れたような建物の残骸

これが旧長和小中学校の木造校舎である。

見かけた体育館らしき建物は樹木のおかげでよく見えない
昔は校舎と繋がっていたと思うので中間の校舎は先に解体されたようだ。
体育館は道東道からのほうがすっきり見える
ただ農業か畜産の別利用がされたようで現在は未使用に見えた。

高速道なので柵内にはもちろん入れず近寄るのも憚れるが
目の前の残骸と高速道路の料金所がどうも不釣り合いだ
きれいに片づけてあげたらいいのに、と部外者なので勝手に思う。


校舎の煙突部分だけ立っている

 

 

 

 


以前は体育館まで校舎があったが半分ほど先に解体されたようだ


2024年4月撮影

 

 

 

 

「旧むかわ町立稲里小中学校」

 

開校:明治38(1905)年
閉校:平成21(2009)年
校舎:平成11(1999)年竣工

むかわ町穂別稲里224

 

旧穂別町と旧鵡川町を繋ぐ道道74号線
旧稲里小中学校は74号線沿いにあった学校だ。

校舎、校門、バックネット、記念碑、教員住宅などが現存しており
そこは平成21年の閉校と平成11年竣工の校舎だからだろう。

校舎は竣工から約25年で、まだまだ新しく見える
また敷地内に以前の校名プレート付の門柱が残っていた。

平成11年の段階ではまだ学校としての活用、又は近い将来を見据えて住民が利用できる施設に活用しようと思ったのだろうか。


尚、中学校は新校舎の竣工前、平成10年に閉校している。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


2024年4月撮影

 

 

 

 

「旧穂別町立茂別小学校」


※穂別町史より

 

開校:昭和26(1951)年
閉校:昭和45(1970)年
校舎:昭和27(1952)年竣工

むかわ町穂別289-21

 

旧茂別小学校の開校と閉校を見てみると、19年間しかないことがわかる

これはこの地区にあった炭鉱の閉山によるもので
産炭地が多い空知地区ではよくあることだ

ヤマが開けば多くの人が集まり町が出来るが
ヤマが閉じれば一気に人がいなくなる
そして学校も無くなる 校舎はすでに解体済。

道道74号線沿いにあった茂別小学校を示す唯一の物は、今は私有地だろうか
道路沿いにある雑草の中に半ば埋もれている石碑があった。

閉校後に立てられたようだが閉校記念碑ではないようだ
いずれにしろあると判っていても、よほど目をこらさないとわからないものであった。


現在は私有地と思われる 校舎はすでに解体済 写真左側の雑草の中に碑がある

 

側溝を超えてすぐの木の下に碑が


木の下

 

 

 

 


2024年4月撮影

 

 

 

 

「旧むかわ町立和泉小中学校」

 

開校:明治28(1895)年
閉校:平成21(2009)年
校舎:昭和33(1958)年竣工

穂別町和泉



旧和泉小中学校も道道74号線沿いにある

一段低くなった敷地には校舎、体育館はおろか、遊具、周年記念碑、閉校記念碑、校名プレート付の校門、閉校の看板、さらに
道路にあるバス停は「和泉小学校」だ。

校舎は平屋の一列で体育館と繋がっている
造りは未確認だが、おそらく木造モルタル校舎かと思う。

現在もしっかりと再活用をされているようだ
今までいくつも閉校、閉校跡を見て来たが木造モルタル(未確認)校舎の中で、
最も当時の姿を現存している学校だと思った。

 

 

 

 

 


体育館は昭和40年の竣工

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


2024年4月撮影

 

 

 

 

「旧むかわ町立仁和小学校」

 

開校:明治27(1894)年
閉校:平成29(2017)年
校舎:昭和29(1954)年竣工

むかわ町穂別仁和



旧仁和小学校は道道74号線と厚真へ抜ける道道59号線が交わる近くにある。

その昔は「似湾」という名前の土地だった。

校舎は現存しており、平屋の木造モルタル造りと思われる
校名プレート付の校門も健在だ
玄関前に半ば埋まった旧?校門があったのは驚いたが…

残念ながらよくある玄関上の校章は無かった
グラウンドは道路を1本隔てているがバックネットが2面あり
中学校と共同使用かと思う。

記念碑は校舎の裏側にあたる体育館の前にある
※仁和中学校を参照

 

 

 

 

 

 

 

記念碑は校舎の裏側、体育館前にあり

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


2024年4月撮影

 

 

 

 

「旧むかわ町立仁和中学校」

 

開校:昭和22(1947)年
閉校:平成24(2012)年
校舎:()年竣工

むかわ町穂別仁和



旧仁和小学校が前面にあり、その奥にほとんど似ている校舎が
旧仁和中学校の校舎だ

おなじ場所にあり同じような校舎で、しかも独立しているのは珍しい。

大体、小学校と同じだが、奥にあるのは体育館だろうか
これも小学校と共同使用と思われる

その体育館の玄関前にそれぞれの閉校記念碑があるが
面白いのは小学校の記念碑が中学校寄りにあることだ。

推測だが先に閉校し先に記念碑を建てたのは中学校で
最初に建てやすい場所を選び、その後に小学校も体育館前に
建てようとしたらそこしかなかった

たいしたことではないが勝手に推測してしまう
小中とも木造校舎であればなお嬉しいことだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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