札幌・北海道のレトロ建物大好きおぢさん日記

札幌(北海道)のレトロでモダンな建物を見たり撮影するのを趣味としています。

北海道開拓の村の建築探訪②

2021-05-20 13:30:52 | 札幌市厚別区

 

  • 21-旧近藤医院 - 古平郡古平町 - 1920年(大正9年)築(医院棟)

以前は古平町にあった近藤医院の分院として建てられた 裏手の文庫蔵はその際に買収したものである
大正8年の大火で当初の分院を失い、自らが設計して建てたのがこの建物。
だからか文庫蔵には医学書のほかに建築書も多数残っているという
当時の診断室、手術室の様子がわかる。

 

 

  • 22-旧近藤染舗 - 旭川市 - 1913年(大正2年)築

「近藤染舗」は、明治31年(1898)創業の旭川で最も古い染物店であるが、この建物は店の繁盛に伴い、
大正2年(1913)、地元の建築業者により新築されたという
のれんは藍染で、藍の産地は現在北海道では伊達市のみとなっている
印象的な看板は電話番号も載っており当時の看板の様式がうかがえる。

 

 

  • 23-旧武岡商店 - 静内郡静内町 - 1898年築

武岡家は、旧徳島藩の家老「稲田邦植」に従い、明治4年(1871)に淡路島から移住。
明治15年(1882)から、米穀、雑貨、荒物等を扱う商家であったという。
よくある店舗と住宅の兼用建物だが、面積が広く庭も広い
洋風窓や床の間もあり当時の繁栄をしのばせる。

 

 

  • 24-旧大石三省堂支店 - 帯広市 - 1907年(明治40年)頃築

名前からして本屋かと思ったらお菓子屋であった
元は愛媛の大石氏が家族と札幌に移住し、その三男が帯広の中古店を大正14年に購入して開業したのがこの建物
しかし昭和30年で菓子業から撤退したとのことです。
今でも帯広は菓子業が盛んであり、往時はその一翼をになったのでしょうか。

 

 

  • 25-旧太田装蹄所 - 札幌市中央区 - 大正後期

元は国道12号線沿いにあったようです
馬が運輸や農耕の中心であった時代にはこのような作業所や馬具の製造販売店はかなりあったようだ。
蹄鉄は資格のいる免許制で行われており、2階には弟子部屋もある
住居も兼ねており客間から子供部屋まである建物です。

 

 

  • 26-旧藤原車橇製作所 - 雨竜郡妹背牛町 - 1903年(明治36年)築

兵庫県出身の宮大工、藤原氏が深川に入植し、その後明治36年に開業した製作所です
車橇製造は今では馴染みが無いが当時は運搬などに必需だったようだ
建物は住居兼作業所で、中央に広く台所を配し部屋から部屋へは台所を通るようになっている。

 

 

  • 27-旧本庄鉄工場 - 石狩市 - 1897年(明治30年)頃築

建物があった場所は石狩湾と石狩川に挟まれた狭い地区で、石狩川側に面していたらしい
この建物自体は本庄氏が大正14年に古屋を購入し鍛冶屋とした。
当時の職人の建物は、住まいと作業場が混然とし建物の質も高いとは言えないようだ
それだけにこのように保存されることは重要である。

 

 

  • 28-旧広瀬写真館 - 岩見沢市- 1924年(大正13年)築(1991年(平成3年)再現)

この建物は大正末期から昭和33年まで岩見沢市で開業していた写真館兼住居の再現である
ファサードから採光採りがある北側のデザインがレトロモダン木造建築に思えるし見栄えがする。
内部も洋風の作りや什器備品が目立つが、住居部分は和風中心とのこと
ただあれだけの斜めのガラス窓がある北側の強度はどうなんだろうと変に心配してしまう。

 

 

  • 29-旧札幌拓殖倉庫 - 札幌市中央区 - 1907年(明治40年)築

札幌拓殖倉庫は現在も札幌で創業100年を超える企業として健在である
かつて本社は北6条西1丁目にあり事務所と倉庫があったが、鉄道の高架化に伴い取り壊された
しかし貴重な札幌軟石を使った建物として、そのうちの1棟を移築したのがこの倉庫です。

造りは当時多かった木骨石造り、社章の「五稜星」は当時の開拓使の旗印としていくつかの企業が
「五稜星」を用いた社章を使っていた。

 

  • 30-旧札幌農学校寄宿舎 - 札幌市北区 - 1903年(明治36年)築

札幌農学校(現北海道大学)は、明治9年(1876)現在の時計台付近に開学した。
明治36年に現在の大学の位置へと移転して寄宿舎も新築され、同40年に“恵迪寮”と命名された。
当時は玄関棟と2棟36室および厨房棟があったが、ここでは玄関棟と2棟12室を復元した。

恵迪寮は今でも北大生の寄宿舎として、代々引き継がれているので思い出深い建物でしょう
復元は全体では無いにしろ見学には結構広いので廻る順番を考えて行ったほうがいいと思う

 

 

  • 31-旧札幌師範学校武道場 - 札幌市中央区 - 1929年築(1998年(平成10年)移築)

この建物は、北海道教育大学札幌校の前身である北海道札幌師範学校の武道場として昭和4年(1929)に建設された。
入母屋造り、平入りの和風建築意匠を強調した木造平屋建ての建物で、剣道、柔道場として使用されたが、
戦後昭和24年(1949)からは一時図書館、ついで第二体育館として利用された。

学校自体は1951年に廃止されており、現在の教育大学札幌分校は北区あいの里にあるが
当時は中央区の中央図書館に隣接している公園が当時の校舎跡だそう。

 

 

  • 32-旧土谷家はねだし - 二海郡八雲町 - 1887年(明治20年)頃築

「ハネダシ」の呼称は、海岸の地形に合わせて海側に跳ねだすように建てられた事に由来するという。
ハネダシが海岸線に連なる光景は、ニシン漁全盛時の日本海沿岸を特徴づける光景であった

陸側に出入り口で床に開口部を持つ建物である。

 

 

  • 33-旧青山家漁家住宅 - 小樽市 - 1919年

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「青山家」は小樽市祝津の三大網元(青山、白鳥、茨木家)の一つで、開拓の村ではその青山家の本宅と
それに連なるニシン漁場の建物が、集約的に保存されており、数少ない貴重な遺構の一つとある。
開拓の村の中でも最も広大な敷地を使用しており、森の中ではあるが海を思い浮かべながら見学をすると
情景が浮かぶかも知れない。

当時の大網元の繁栄と漁に関わる施設など初めて見るものが多いはず。

「青山家別邸」
は小樽に現存しており国の登録有形文化財に指定されている。

 

 

  • 34-廊下(再現)

建物自体は再現であり、やはりこの種類の建物で現存しているのはもはや無いらしい
ニシン漁のためなので日本海側ならではの建物だったようだ。

 

 

  • 35-旧秋山家漁家住宅 - 苫前郡羽幌町 - 1920年(大正9年)築

この住宅は焼尻島にあったもので、やはりニシン漁を中心とした漁家住宅である。
秋山家は秋田から明治末期に移住し昭和53年まで住んでいたそうだ。
住宅は屋根に棟飾りを持つ洋風の意匠もある。

 


最新の画像もっと見る

コメントを投稿