札幌・北海道のレトロ建物大好きおぢさん日記

札幌(北海道)のレトロでモダンな建物を見たり撮影するのを趣味としています。

札幌の古民家(蔵・倉庫)飲食店の建築探訪⑤

2022-05-07 23:04:57 | 古民家飲食店

ここでは、いわゆる古民家カフェとか食堂、レストランなど飲食店や食品を扱う店舗を載せていきます。

ほとんどの店舗には入ったことが無いので外観が中心となり、正確な情報がないお店もあります
私が見て気になったりレトロだなぁと思うお店、たまたま通りかかったら古いけど面白い建物であったお店など

そういうことでお店自体の情報や内容は各HPなどでどうぞ(笑)

(これまでの建築探訪で紹介した建物はダブるので載せません)

 

 

「珈房 サッポロ珈琲館 本店」

住所:西区八軒1条西3丁目1-63


2022年4月撮影

 

元北海道工業試験場の建物を活用したカフェ。
工業試験場は大正12年から西区のこの地に設置され随時研究棟が建設された
その後、昭和52年に現在の北区(北大敷地内)に移転している。

JR琴似駅付近は昔は工場が多く、すぐ近くに缶詰工場もあり、今も現存している事務所が歴史的建築物になっている。
店舗に隣接している道警の琴似庁舎が広い敷地を持っているので試験場の名残かも知れない。

建物は庁舎を改装したものであり、特に内装にそれが見られ天井も高く、当時を彷彿とさせる箇所もある
庁舎らしく箱型だが玄関が印象的だ。

サッポロ珈琲館は平成元年に工房をここに移し現在に至る
市内でも北円山店、平岸店、月寒店など歴史的建物をリノベーションして活用しており
レトロ建物が好きな人には素晴らしい会社であるといえよう。

 

 

 

「カフェレストラン 薫月」

住所:北区北25条西8丁目3-15


2021年8月撮影

 

薫月(かおるづき)は札幌北高のすぐ横にある住宅街のレストランであり
いわゆる古民家である。

玄関廻りは綺麗に塗装され窓枠は白枠に。
印象的なのは一部2階建ての窓が正面を向いており、ハーフティンバーと窓の桟が印象的で
この桟のスタイルは木々で見えないが1階の窓にもありそう。

薫月は2004年にオープンしているイタリアンのお店で味の評判が良さそうだ
飲食店がリノベーションをしてくれると利用しやすく中が拝見出来る。

コロナ過が少し落ち着いたらぜひ利用したいものだ。

 

 

 

「ル・クレエ」

住所:東区北13条東3丁目1-3


2021年7月撮影

 

ル・クレエは南向きの一方通行に面しており、天使大学、天使病院が隣にある。
店舗は2007年にオープンしており、建物は昭和初期に建てられた民家をリノベーションしたものである。

北区の「薫月」と似ているところは、2階の窓とイタリアンということ。
特に西向き正面玄関側にある2階の丸窓とアーチ型の窓が印象的だ
また南側に廻ってみると中小2つの菱形窓もある。
これらはリノベ後に取り付けたと思うがどうか?

過去に2度ほど利用しているが、特にランチはリーズナブルでコスパ良く
味も良いと思う。

古民家はちょっと暗さがあるくらいが落ち着ける
その点では申し分ないと思うが。

 

 

 

「ル・パティシエ・フルタ」

住所:東区本町1条2丁目1-10


2021年1月撮影


東区はタマネギが名産でタマネギ倉庫が各町にある
ここは1940年代に建てられたタマネギ倉庫であった。

所有者は法邑家で倉庫の後にアトリエ、カフェの「品品法邑」を営業しており
今も表示は残っていた。
すぐ近くにギャラリーもあり、かつてはカフェも併用していたので以前は何度か利用したことがある。

カフェ時代の壁は白く塗られたり、絵が描いてあったりしたが
2016年に現在のお店がオープンしてから目立つ色になった。

ル・パティシエ・フルタのオーナーシェフはいくつかの賞を取る実力者で
札幌のスィーツ界では有名だ。

 

 

 

「Nancy」

住所:中央区南15条西8丁目1-32


2021年8月撮影

 

この建物に関して情報は無く建築年も所有者も結局わからなかった
だが特徴あるファサードと壁の状態、何より上部にある屋号により古いものと判断した。

元々店舗が面している通称「東屯田通」は札幌でも歴史のある地区で
商業の盛んな地区である。

ネットでは分からなかったが、何かの手がかりが無いか探してみる
カフェナンシーはアンティークショップも兼ねており、固定ファンがいそうなお店だ。

 

 

 

「ありんこ研修所」

住所:中央区北4条西7丁目1


2021年8月撮影


建物は木造2階建て、店舗兼住宅として昭和10年頃に建てられたようだ
京王プラザホテル札幌の前にあり賑やかな駅前で歴史のある姿を遠慮気味に誇っている。
正面は塗装や修繕されているようだが横や裏に廻ると痛みがわかる。

ありんこは1978年設立で「おにぎり」の製造・販売店である。
1989年にこの店舗がオープンし、昼は近隣の会社員で賑わっていた。

現在は研修所として営業はしていない。

 

 

 

「ヤキニクネコスタイル」

住所:中央区大通西14丁目3-20


2021年2月撮影

 

昭和中期に建てられた民家をリノベーションして営業をている
大通西14丁目という立地にビルではなく、このような民家が残っていたことに驚く。

中通りに建っている建物は現在の壁色からしてとても目立つ
ここ数年は飲食店が数店入っていたようだ
壁の色や中通りに面した細長い小さな窓は改装したもの。

ヤキニクネコスタイルは記憶違いでなければ同オーナーが猫を見ながらの飲食店から
猫を見ながら焼き肉にチェンジしたものだ。

 

 

 

「円山バル 地球防衛軍」

住所:中央区南6条西17丁目2-6


2021年7月撮影

 

こちらも情報は少なくて、推測だがこの店舗は昭和初期~戦後すぐくらいまでの住宅建築?
店舗前には木々が多く全景は撮っていないが桜の時期には綺麗だそうだ。

玄関や窓上部の細かい格子桟がお洒落に見える
中も見てみたいが場所柄お酒が飲みたくなるね。

お店は2006年頃から営業しているようでスペインやイタリアンが中心だ
長らく続いているのは味と雰囲気が良く固定客がいるからだろう。

 


木造校舎・閉校 札幌市の閉校②

2022-05-07 23:04:03 | 木造校舎・廃校

札幌市の閉校(小学校)

 

 

「旧札幌市立真駒内小学校」

 

開校:1961(昭和36)年
閉校:2012(平成24)年
校舎:1961(昭和36)年竣工

南区真駒内上町4-7-1


真駒内地区は厚別区のもみじ台と似て、団地の造成により人口の増加が著しく
その後の少子高齢化で人口減の地区となった。

1972年の札幌オリンピックは主会場や選手村が真駒内のため、開発が進み人口も安定して増加した。
真駒内小学校は地下鉄真駒内駅の近くにあり、五輪団地(旧選手村)も隣接している。

どんどん増える生徒数に対し、様々な対策を講じていた
やがて1983年から減少に転じ、2012年3月に閉校し校舎は解体された。
校区は真駒内曙小学校と統合し、「真駒内公園小学校」となった(旧曙小学校校舎を活用)

現在跡地には「市立札幌みなみの杜高等支援学校」のカフェもある立派な校舎が建っているが
旧校舎の大部分は北側の現在空き地になっているところに建っていた。


 

 

 


五輪団地

 

この空き地に旧校舎があった。

 


*2010年 グーグルストリートビューより


旧校舎時代のものであろう標識

2022年4月撮影

 

 

 

「旧札幌市立真駒内曙小学校」

 

開校:1968(昭和43)年
閉校:2012(平成24)年
校舎:1968(昭和43)年竣工

南区真駒内曙町2丁目1-1


真駒内地区の人口増加に応え、地区で3番目に開校をした。
1977年にはピークである1300人の生徒数であった。

1980年代までは安定した生徒数であったが、それから減少をたどり
2008年には300人強まで減っていた。
他の学校と同じく原因は地区の少子高齢化と言われる。

2012年に真駒内小学校と統合のため曙小学校として閉校になる
同年4月に統合学校である「真駒内公園小学校」として再スタートを切った。

付近はアイスアリーナが真向かいにあり真駒内公園も同様である
建物は耐震補強をしながら新学校として頑張っている
体育館は新築になった。

校舎内には1階にメモリアルルームがあるようだ
部外者は見ることが出来るかは未確認。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2022年4月撮影

 

 

 

 

「旧札幌市立真駒内南小学校」

 

開校:1966(昭和41)年
閉校:2012(平成24)年
校舎:1966(昭和41)年竣工

南区真駒内泉町3丁目13-1


南小学校は真駒内地区で真駒内小学校に続いて2番目に開校した学校である。

他の地区校と同様に1970年代にはピークの1,000人に達した
他の校が生徒数減少を続ける中、唯一生徒数を伸ばし1987年にはピークを超える1,100人までになった。

しかしやがては他校と同じく減少の一途をたどり2008年には400人を割った。
そんなこともあり南小学校は真駒内緑小学校と統合するため2012年に閉校
同年4月に「真駒内桜山小学校」として最スタートを切った。


2016年に築50年を迎えた旧真駒内南小学校の校舎は、改築の時期に入った。
近隣に位置する真駒内中学校の校舎が1967年建設であることを踏まえ、真駒内中学校の校舎を桜山小学校の敷地に移転し、新校舎完成後に桜山小学校校舎(つまり旧真駒内南小学校校舎)を解体することが決定された。
新校舎は2024年度から2か年計画で建設される予定で、校舎解体は2026年度に実施される。wikipediaより

解体されるころにもう一度撮影に行きたいね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2022年4月撮影

 

 

 

「旧札幌市立真駒内緑小学校」

 

開校:1973(昭和48)年
閉校:2012(平成24)年
校舎:1973(昭和48)年竣工

南区真駒内幸町2-2-2


1972年札幌オリンピックで使用された施設を活用し翌年に開校した。

他の先行3校が増加する生徒に対応が出来なくなり地区4番目としての開校だった。
一時は1982年に1,300人の生徒数を誇り地区で最も生徒が多い学校となる。

すぐ隣に南区区役所、区民センター、図書館があり環境も良い場所であった。

その後は他校同様に生徒数減少に歯止めがかけれず2008年には400人まで減少した
しかし4校の中で最も生徒数が多かったのだ。

 

2012年に真駒内南小学校と統合し「真駒内桜山小学校」(校舎は南小)となるため閉校した。
その後の校舎は、子どもを中心とする連携・交流の場として「まこまる」が開設され現在に至る。

卒業生が作った印象的な校門はそのまま残され、校庭にもオブジェがある。

 

 

 

 

 

 


*南区役所裏側と隣接している

 

 

 

 

 

2022年4月撮影

 

 

 

「旧札幌市立豊滝小学校」



開校:1901(明治34)年
閉校:2016(平成28)年
校舎:()年竣工

南区豊滝495-2


豊滝小学校は定山渓の手前にある豊滝地区にあった。

国道230号から北側で、すぐ近くに除雪ステーションがありドライブ中の休憩所がある
豊滝市街地は逆の南側に多く開発され札幌では珍しい米作と果汁園が中心だそうだ。

生徒は最盛期の1970年代で150名がいた
これは現在の豊滝から考えるとそんなにいたのかと思ってしまう。

その後、生徒は8名まで減少し2016年に簾舞小学校に統合
校舎も解体された。

目の前にそびえる八剣山を見ながらのびのびと育ったことだろう
付近は今でもヒグマの出没地域でもある。

2016年のGoogleストリートビューには閉校後の校舎が写っていたが
跡地には学校があった証明は何も認めることは出来なかった。

 

 


旧学校の正面にあるごみステーションにて

 

 


この白樺の奥は校庭だった。

2022年4月撮影

 


*ストリートビューより サイロが校門に見える

 

 

 

 

「旧札幌市立石山小学校」



開校:1899(明治32)年
閉校:2019(平成31)年
校舎:()年竣工

南区石山1条4丁目1-1


石山小学校は南区石山地区にあった学校である。
その名の通り石の切り出し山である硬石山があり、札幌軟石の切り出し場として石山緑地で見ることが出来る。

学校は豊平区から続く平岸通り沿いにあり この通りはかつての定山渓鉄道と並んで走っている。
現在の校舎は旧石山小学校の校庭に建てられ、完成後に旧校舎が解体され校庭となった。

2019年に生徒数減少のため、石山南小学校と統合し、新校舎石山緑小学校」で新スタートを切る。
120年の歴史を閉じた石山小学校には、以前からの周年記念で作られた碑があり
そのまま新校舎の玄関近くに設けられた。

そこに新たに閉校の碑が加わった。

新しい石山緑小学校の校歌の作詞作曲は地元出身の大黒摩季さんである。

 

 

 

 

 

 

 

 


旧校舎はここにあった


2022年3月撮影

 


*ストリートビューより

 

 



「旧札幌市立石山南小学校」



開校:1981(昭和56)年
閉校:2019(平成31)年
校舎:1981(昭和56)年竣工

南区石山2条8丁目8-1


石山南小学校が1981年に開校したのは、石山小学校の区域で生徒が増えたためで
開校から38年で元に戻った形になった。

地図で見ると元々2校は近い距離にある
統合校が石山小学校跡地に建てた石山緑小学校になった

閉校後の校舎の転用はならず、札幌市より一般公募提案型売却となった
おかげで撮影時は札幌には珍しい閉鎖された校舎を見た。

正面玄関の絵は在校生が描いたのだろうか
とても味のある絵であったなぁ。

今後は何らかの形で活用されることになるだろうが
願わくば未使用の期間が短いほうが良いと思うので早く決まればいいな。

ちなみに石山緑小学校の玄関前には南小の開校記念碑がある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


2022年3月撮影

 

 

 

 

「旧札幌市立常盤小学校」



開校:1910(明治43)年
閉校:2021(令和3)年
校舎:1989(平成元)年竣工

南区常盤6条2丁目107


札幌市の閉校で一番最近なのは昨年2021年3月に閉校した
常盤小学校と石山東小学校である。

2校は校舎を残したまま閉校し、新設された芸術の森小学校に統合された。

札幌市内方面から来て学校の所で支笏湖方面と滝野方面に道が分かれる位置に校舎がある

常盤小は他の箱型校舎とは趣が違い個性があるファサードを持った校舎だ。
校門の表札だけが、古くからある学校を示している。

100年を超える歴史を持った学校であった。
常盤小学校は公募提案型売却となったが現在応募はなかったようだ。

 

 

 

 

 

 

 


2022年3月撮影

 

 

 

 

「旧札幌市立石山東小学校」

 

開校:1986(昭和61)年
閉校:2021(令和3)年
校舎:1986(昭和61)年竣工

南区石山東5丁目6-1


開校から35年で閉校になった石山東小学校は、学校の中では短命の方であろう。
常盤小学校と一緒に閉校になったが、どちらの校舎も使用せず新設の芸術の森小学校を使用した。

市街地を貫く453号線は私の家から支笏湖へ行くときに必ず通る道路で
今まで存在を知らなかったのは学校が奥まった場所にあるからだ。

校舎は真駒内川を背にしており一周は廻ることが出来ないが
建物に囲まれているより環境が良いと言えるかも。

常盤小学校同様に公募提案型売却となった
1件の応募があり売買契約締結に向け交渉中のようである
旧校舎を活用するのが売買の条件であり、まとまればしばらくは校舎は残る。

卒業生や近所の住民にしてみれば、そのままの形で活用して欲しいのではと思う。

 

 

 

 

 

 

 


2022年4月撮影

 

 


木造校舎・廃校 札幌市の閉校③

2022-05-07 23:00:14 | 木造校舎・廃校

札幌市の閉校(小学校) 赤字はレポート済

札幌市の閉校(中学校)

 

 

「旧札幌市立もみじ台小学校」

開校:1972(昭和47)年
閉校:2011(平成23)年
校舎:1972(昭和47)年竣工

厚別区北5丁目12-1

もみじ台地域は、昭和40年代から昭和50年代にかけて札幌市施行の新住宅市街地開発事業により開発された。
開発から30年以上を経た現在、この地域では、人口減少を伴う少子高齢化が進展しており、それに伴い様々な課題が生じています。(札幌市役所HPより)

以上のような理由で子供が減少し開発当時に一気に建設された学校が不要になっている
旧もみじ台小学校は2011年にみずほ小、もみじ台南小と統合し
もみじの丘小学校となり38年の歴史に幕を下ろした。

現在の校舎は星槎札幌もみじ台キャンパスとして所有が移った
校舎や体育館はそのまま利用し、校庭にはもみじ台小時代のモミュメントがある。

尚、新設のもみじの丘小学校は、みずほ小学校の校地を継承した。

 

 

 

 


2021年12月撮影

 



「旧札幌市立みずほ小学校」

開校:1975(昭和50)年
閉校:2011(平成23)年
校舎:1975(昭和50)年竣工

2011年にもみじ台小、もみじ台南小とともに
「もみじの丘小学校」に統合され35年の歴史に幕を下ろしたが
校舎はみずほ小学校を使用している

在校生や卒業生は、とりあえず安堵したことでしょう
1975年に開校してから生徒数増のため1976,1977年と増築工事が完成した

さすがに3階建ての校舎となると大きく感じる
広いグラウンドにはなんとナイター照明まであるではないか

なにか、みずほ小学校の名残りは無いかとみて廻ったら
古いスクールゾーンの立て看板をよくみると確かに「みずほ小学校 8-16」と書いてあった。

 

 

 

 

 


2021年12月撮影

 

 

 

「旧札幌市立もみじ台南小学校」

開校:1979(昭和54)年
閉校:2011(平成23)年
校舎:1978(昭和53)年竣工

厚別区もみじ台南3丁目4

もみじ台南小学校は2011年にみずほ小、もみじ台小とともに
もみじの丘小学校に統合され32年の歴史の幕を下ろす

閉校後の校舎は「光生舎ゆいま~る・もみじ台」の所有となり
その後、校舎は解体され新しい施設が建っている
横にある体育館が旧もみじ台南小学校時代のものだそうだ。

施設には喫茶や交流スペースを設け地域との交流を大切にしている
との記載があった。

 

 

 

2021年12月撮影

 

 

 

「旧札幌市立もみじ台西小学校」

開校:1979(昭和54)年
閉校:2011(平成23)年
校舎:1979(昭和54)年竣工

厚別区もみじ台西3丁目4-1

児童数減で小規模校となっていたもみじ台地区の4校
(もみじ台小、みずほ小、もみじ台南小、もみじ台西小)を
統合し、もみじの丘小学校ともみじの森小学校の2校を新設する形で
2011年の3月に4校の閉校、4月に2校の開校が挙行された。

うち、もみじの丘小学校は旧みずほ小の校舎を
「もみじの森小学校」は旧もみじ台西小の校舎を使用している。

旧西小は4階建ての大きな学校だ
側面(川側)のレリーフが印象的である。

 

 

 

 

2021年12月撮影

 

 

 

「旧札幌市立上野幌東小学校」

開校:1992(平成4)年
閉校:2019(令和元)年
校舎:1991(平成3)年竣工

厚別区上野幌2条4丁目5-1

厚別区では2011年に続き、2019、20年も小学校の再編があった
上野幌東小学校と上野幌西小学校を統合し、ノホロの丘小学校を新設
上野幌小学校と青葉小学校を統合し、新札幌わかば小学校を新設した。


上野幌東小学校の校舎を使用して「ノホロの丘小学校」を開校した
これは児童数が西小に比べて倍近くいたこと
校舎が数年だが西小より新しかったことも要因ではないか
そうして旧校名では27年の歴史に幕を下ろしたのだった。

平成3年の建物だけあってデザイン的に面白い校舎でもある
正面玄関のファサードもお洒落だし
校庭へと続く道は校舎の1階部分をトンネルにしている。

 

 

2021年12月撮影

 

 

 

「旧札幌市立上野幌西小学校」

開校:1988(平成元)年
閉校:2019(令和元)年
校舎:1988(平成元)年竣工

厚別区上野幌1条2丁目6-1


上野幌西小学校は2019年、上野幌東小学校と統合し30年の歴史に幕を下ろした
新設のノホロの丘小学校校舎は東小学校を使用したので
この校舎は再活用を待っていた。

そして現在は「カミニシヴィレッジ」としてホール、グラウンド、スクエアの3つのエリアからなる地域コミュニティの核となった
名前に親しい「カミニシ」を付けてくれたのは地域の人にとってもうれしいかと思う。

ホールはレバンガ北海道のメイン練習場にもなっている。

さらに「認定こども園新さっぽろ幼稚園・保育園」が設置された。

正面玄関の湾曲した庇の2階建てが印象的である
おそらく閉校後に塗装され綺麗になり、グラウンドも広い学校だ。

 

 

 

 

 

2021年12月撮影

 

 

 

「旧札幌市立上野幌小学校」

開校:1900(明治33)年
閉校:2020(令和2)年
校舎:1979(昭和54)年竣工

厚別区厚別南7丁目9番1号


上野幌小学校と青葉小学校は児童数の減により2019年に統合し
「新札幌わかば小学校」が開校された
それにより上野幌小学校は
120年の長い歴史にピリオドをうった。
*昭和36年に国道274号線拡張のため現在地に移転する 尚、旧校舎のあった場所(厚別南緑地)には開校100年記念碑がある*

新設学校の校舎は上野幌小学校である。
校舎の半分ほどは厚別南地区センターと図書館が新設前から入っているようだ。

先のもみじ台地区と同じように宅地化で急激に児童が増え
既存の校舎だけでは入りきらなくなり学校を新設した
だがその後は児童数の減により閉校という流れの様だ。

現在の校舎にあるライトグリーンの塗装ラインは上野幌小学校の閉校後に
されたようである。
4階建ての大きな校舎は増え続ける児童を受け入れるため
昭和54年から60年まで第6次にかけて増築に増築を重ねたものだ。

 

 

 

 

2021年12月撮影

 



「旧札幌市立青葉小学校」

開校:1968(昭和43)年
閉校:2020(令和2)年
校舎:1968(昭和43年)年竣工

厚別区青葉町6丁目2

厚別区では2011年、19年、20年に小学校の再編がなされ
計8校あったうち4校を新設学校の校舎に活用した

残り4校のうち2校は民間の学校法人やコミュニティセンターに
1校は解体され福祉施設に
そしてこの青葉小学校だけが校舎は閉鎖されたままだ。

青葉小学校は開校時は「下野幌小学校」で昭和56年に青葉小学校に改名している
大規模な改修や耐震工事も済ませていた。

昭和48年には児童数1,760名のマンモス校になり
共栄小やひばりが丘小を新設し児童数を減らしていった。

校舎は他の校舎と比べると確かに古さは感じるが、他の地方都市ならば
何かに活用してそうだ
札幌市も民間も使用用途が無いものか? 
まだ閉校して2年 いつか転用されるニュースを見たいものだ。

 

 

 

 

2021年12月撮影

 

 


木造校舎・廃校 石狩市の閉校①

2022-05-07 22:53:59 | 木造校舎・廃校

石狩市は1996年(平成8年)に市政施行 石狩市となる
この時点での各町村を石狩市として記載します。

また2005年(平成17年)の市町村合併により、厚田村、浜益村が統合されたが
両村は別枠で記載します。

石狩市の閉校(小学校)

  • 石狩市立若葉小学校(2010年紅葉山小と統合し石狩市立双葉小学校へ)
  • 石狩市立紅葉山小学校(2010年若葉小と統合し双葉小へ)
  • 石狩市立石狩小学校(2020年八幡小と統合し石狩市石狩八幡小学校へ)
  • 石狩市立八幡小学校(2020年石狩小と統合し石狩八幡小へ)
  • 石狩町立樽川小学校(1949年石狩市立花川小学校〈当時:石狩町立〉へ統合)
  • 石狩町立若生小学校(1951年発泉小と統合し石狩東小へ)
  • 石狩町立発泉小学校(1951年若生小と統合し石狩東小へ)
  • 石狩町立参泉小学校(1953年石狩市立生振小学校〈当時:石狩町立〉へ統合)
  • 石狩町立八の沢小学校(1962年五の沢小へ統合)
  • 石狩町立志美小学校(1978年花川小へ統合)
  • 石狩町立五の沢小学校(1982年)
  • 石狩町立石狩東小学校(1989年統合により八幡小へ)
  • 石狩町立高岡小学校(同上)
  • 石狩町立美登位小学校(同上)

中学校

  • 石狩町立樽川中学校〈旧〉(1973年)
  • 石狩町立石狩中学校〈旧〉(1980年統合により石狩市立石狩中学校〈当時:石狩町立〉へ)
  • 石狩町立高岡中学校(同上)
  • 石狩町立生振中学校(同上)

 

「旧石狩市立石狩小学校」

開校:1873(明治6)年
閉校:2020(令和2)年
校舎:1956(昭和31)年竣工

石狩市横町39

 

令和2年、昨年の3月で閉校した学校で、北海道初の円形校舎は1956年に建てられた。
さすがにまだまだ現役の趣がある

校庭からは「番屋の湯」がすぐそこにあり石狩浜も目の前だ
ただやはり少子化の波には勝てなかったようです。

円の中心に螺旋階段があるとのことで機会があればぜひ撮影したい。

2021年5月撮影

 

 

 

「旧石狩市立美登位小学校」

開校:1900(明治33)年
閉校:1989(平成元)年
校舎:()年竣工

石狩市美登位694

 

石狩美登位地区の少し高台になっている場所にある
平屋の小さな校舎は転用されて頑張っている

私の通った小中高の学校はすべて坂を上るので親しみが沸いた
雪が積もっていたので碑や全景などが撮影出来なかったので再来したい

現在は「美登位創作の家」として活用されているのは喜ばしい。

 

2021年2月撮影

 

 

「旧石狩町立美登位小学校」

 

開校:1900(明治33)年
閉校:1989(平成元)年
校舎:()年竣工

石狩市美登位694

 

この学校は2度目の訪問で
前回は雪がまだ多い今年の2月だった

校舎の下にまずは碑がある
これは人物名がたくさん彫られており、関係者にはいい記念だ

スロープを登って、レンガ造りで印象深い校門にはしっかりと表札プレートがある

 

それからグラウンド側に廻ると校舎の全景が見えた
こちらにはロープの進入禁止が無いので少しだけ入らせていただいた

小さな体育館が可愛らしい
玄関には再活用先の名前もある この日は誰もいなかったようだが
管理はきちんとされているように見受けられた。

子どもが遊んだであろうコンクリのオブジェ?も数体グラウンド側にあった。

 

廻りは畑ばかりだ
ここに学校があったとは 昔は集落があったのだろうか

2021年10月撮影

 

 

 

 

「旧石狩町立石狩中学校」

 

開校:1947(昭和22)年
閉校:1980(昭和55)年
校舎:(?)年竣工

石狩市弁天町51-2


昨年に閉校した円形校舎の旧石狩小学校の隣
現在、番屋の湯があるところに かつての石狩中学校があった。

 

番屋の湯の南側の塀の外に小さく開校33周年の碑がある
学校自体が33年で幕を閉じたので実質は閉校の碑であろう

 

 

訪問時は碑の前に強烈なハマナスの群生があり
トゲのおかげで近寄れず、枝をはらうことも出来ず、満足に見れていない

また裏側も堀に近接しており何が彫ってあるのか、ないのかもわからなかった。

ここに碑があることはまったくわからない様子だ
冬くらいにならないと全貌を見ることは出来ないかも知れない
何故、この花を植えたのかなぁ

 

この学校と生振中、高岡中の3校が統合し閉校した新しい石狩中学校は
石狩市志美にあり開校してすでに40年を超えている。

2021年10月撮影

 

 

 

「旧石狩町立南線小学校」

 

開校:1900(明治33)年
閉校:現在に至る
校舎:1956(昭和31)年竣工

紅葉山了恵寺 石狩市花川南2条5丁目16-5

南線小学校は現存する現役小学校で
ここでは了恵寺に移設された泰安殿と門柱を載せます。

泰安殿とは戦前に天皇・皇后の写真と教育勅語を祀り全国の学校に置かれた建物です
戦後にGHQにより取り壊されたが、北海道でもいくつか現存している。

ここの泰安殿は昭和20年に当時校舎のあった花川南3条西2丁目から移設したもので
この泰安殿は他と比べると質素であると言えよう。

 

 

門柱は昭和31年に花川南3条1丁目の現校舎が新築され
その後の改装を経て平成15年プール建設にあたり了恵寺に移設した

何故、了恵寺かというと「移設先に困っていたから」の住職の証言があったようです
元々、泰安殿がすでにあったので、では門柱も となったのかも知れない。

 

 

紅葉山了恵寺には広い庭とたくさんの碑がある
南線小学校の泰安殿と碑は、本堂の向かって右手に住職の住宅があるので
その裏手にあり。

お寺の敷地内なのでくれぐれも失礼のないように手を合わせて廻りたい。

 

2021年10月撮影

 

 

 

「旧石狩町立参泉小学校、生振中学校」

 

<参泉小学校>

開校:1902(明治35)年
閉校:1953(昭和28)年 生振小学校に統合
校舎:(?)年竣工

石狩市 ?

<生振中学校>

開校:1947(昭和22)年
閉校:1980(昭和55)年 石狩中学校に統合
校舎:1947(昭和22)年竣工

石狩市 ?


両学校とも以前の校舎跡地は現在わからない
ただ門柱、表札は現在の生振小学校に残されている

参泉小学校は生振小学校に統合され閉校に
生振中学校は生振小学校に併置して開校したのちに石狩中学校に統合されて閉校した

 

現在の生振小学校校舎は、昭和56年(生振中学校が統合の翌年)に火災で全焼し
現在の場所に同年新築されたものである

その際に古い門柱や表札を一同にまとめたのではないかと思う

体育館の横に整然と並んで立っていた







 

 

 

 

 

 

 

現在の生振小学校は体育館の窓、校舎右端の半円箇所など意匠的に見どころありであった。

 

 

 

 

2021年10月撮影

 

 

 

「旧石狩町立志美小学校」

 

開校:1899(明治32)年
閉校:1978(平成53)年
校舎:(?)年竣工

石狩市志美65-48

 

志美小学校の碑は、以前は現在地から国道225線に出たところにある
海鮮品 丹野商店の敷地の端に置かれていた。

その後に現在の「防災ひろば」の一角に移設されたが校舎がどちらにあったのか
何故、移設されたのかは現在調査中で詳しいことはわからない

ストリートビューでは2011年まではそこにあったが2018年時ではなくなっていた。

 


 

 

 

 

2021年10月撮影

 

 

 

「旧石狩町立若生小学校」

 

開校:1886(明治19)年
閉校:1951(昭和26)年
校舎:(?)年竣工

石狩市八幡1丁目1-24

若生小学校は跡地でグーグルマップに記載されているが
マークの位置は民家になっている

閉校は昭和26年に新設された石狩東小学校に統合されたため。

目印としては下の写真の建物で、右の道を直進し道なりに右に曲がるとマークの家にあたる


左の住宅がマークの位置にあたる 車は河川敷をここまで入れる

右側に真新しい立札があった 草ぼうぼうの中を歩いて近寄る。

 

 

 

 


この図により小学校は、ほぼこの立札の場所にあったと判明。


当時は河川と船が重要な交通機関だったので川べりに役場も構えたのだろうか
今は自然いっぱいの遊歩道のようだ。

2021年10月撮影

 

 

 

「旧石狩町立石狩東小学校」

 

開校:1951(昭和26)年
閉校:1989(平成元)年
校舎:1951(昭和26)年竣工

石狩市八幡1丁目459-58

若生小学校と発泉小学校を統合し、新設された石狩東小学校は38年という比較的早い年で
八幡小学校に統合されて閉校となった。

すでに校舎もなく宅地に変わったとの情報があり

若生小学校跡地へ向かう目印の建物 これの逆側へ行く

逆側はこんな道 ここを直進


途中から左折して住宅街に入り、目指すは「八幡めぐみ公園」

なんということはない小さな公園だがその奥に

 

 

 

跡地となっているのでこの公園を含む一帯に校舎があったのだろう
廻りは新しい住宅が多いので宅地になった。

2021年10月撮影

 

 

 

 

「旧石狩市立高岡小学校」

開校:1899(明治32)年
閉校:1989(平成元)年
校舎:()年竣工

石狩市八幡町高岡28-5

 

高岡地区は石狩から当別にかけての高台地区で当別町にも高岡小学校があり廃校になっている
高岡中学も隣接していたらしく廃校の碑がある

パッとみて体育館を再生活用したのかと思ったら取り壊し新築したそうだ
ただ基礎に残る金属蓋はかなり古そうなので基礎だけ再利用したかな?

校舎があったと思われる場所には「ふれあい研修センター」が出来ており地域の集会場となっている。

 

 

2021年4月撮影

 

 

 

「旧石狩町立八の沢小学校」

 

開校:1927(昭和2)年
閉校:1962(昭和37)年
校舎:()年竣工

石狩市八幡町


一つ前の五の沢小学校と同じく、かつては油田があった。
その採油のため職員用の住宅が建てられ、集落が出来あがる

そして職員の子供たちのために学校が建てられた


グーグマップで「石狩市八の沢小学校跡」で場所を知らせてくれる
実際はポイントよりさらに進んだ場所にあった。

 

五の沢小学校跡地から先に進むとすぐに「五の沢線」の標示とのぼりがあったので目印に右折し山中を走る

1車線の道でときおり退避場はあるが対向車が来たら面倒である
それにしても建物一つない山中の林道を学校を探しに行くのは
よくまぁこんなところにと不安にもなる。

 

建物か何かあったような平地もあるが、およそ人工的なものは見当たらず
綺麗に撤去したと思われる

結局学校は少し下り坂の右の山側がぽっかりと開けており
碑と地図板、校門門柱があった。

 

車はその前だけきちんと駐車スペースが整備されてあった
校舎があったと思われる場所は鬱蒼とした笹薮と樹木が生い茂り
その跡を見つけるのは困難だった。

 

 

熊の心配をしながら撮影だけ急ぎ、そのまま直進して里に下りた

2021年10月撮影

 

 

 

「旧石狩町立五の沢小学校」

 

開校:1910(明治43)年
閉校:1982(昭和57)年
校舎:()年竣工

石狩市八幡町高岡


五の沢小学校は近くの八の沢小学校と同様に、石油採油のために出来た職員の集落に住む
子供たちのために建てられた学校です。

ゆえに石油の採掘が終われば離職、閉校は避けられない運命にある
校舎の解体は2009年(平成21)と比較的最近なので旧校舎の写真は多く存在するが
木造校舎に緑のトタン屋根が美しく映えていた
現存していたらどれだけ素敵だったろうか

碑はあくまでも開校65周年の碑で、校舎が現存中に建立されたものだ
この碑の裏手に体育館が縦にあり、L字型で校舎が正面を向く

敷地内は残念ながら遊具やバックネット等が見当たらず
完全に撤去されたようだ

この地に石油が出ていたということは史実としてずっと残るだろう

 

2021年10月撮影

 

 


木造校舎・廃校 当別町の閉校①

2022-05-07 22:48:23 | 木造校舎・廃校

当別町の閉校(小学校) 赤字はレポート済

  • 当別町立獅子内小学校(1951年8月1日太美小と統合し当別町立西当別小学校へ)
  • 当別町立太美小学校(1951年獅子内小と統合し西当別小へ)
  • 当別町立材木沢小学校(1965年当別町立当別小学校へ統合)
  • 当別町立三番川小学校(1971年青山中央小へ統合)
  • 当別町立四番川小学校(1973年青山中央小へ統合)
  • 当別町立青山小学校(1975年弁華別小へ統合)
  • 当別町立二股小学校(1975年青山中央小へ統合)
  • 当別町立金沢小学校(1989年当別小へ統合)
  • 当別町立高岡小学校(1991年西当別小へ統合)
  • 当別町立青山中央小学校(2000年弁華別小へ統合)
  • 当別町立川下小学校(2004年当別小へ統合)
  • 当別町立中小屋小学校(2006年当別小へ統合)
  • 当別町立蕨袋小学校(2007年当別小へ統合)
  • 当別町立東裏小学校(2008年当別小へ統合)
  • 当別町立弁華別小学校(2016年当別小へ統合)
  • 当別町立当別小学校(2022年当別中へ統合し、当別町立とうべつ学園(義務教育学校)へ)

※wikipediaより

 

「旧当別町立弁華別小学校」

開校:1892(明治25)年
閉校:2016(平成28)年
校舎:1937(昭和12)年竣工

当別町弁華別242

 

当時ダムカードを求めて当別ダムへ向かう途中でした
すごく素敵な学校を見て帰りに撮影しようと寄ったのが始まりで
まだレトロ建物に凝ってはいなかった。

 

その後にもう一度行き、細部まで撮影をしてきた
ぐるっと一周廻ることが出来る。

イチョウの黄色がやけに綺麗だった

 

 

2019年7月
2020年10月撮影

 

 

 

 

「旧当別町立蕨岱小学校」

開校:1911(明治44)年
閉校:2007(平成19)年
校舎:1958(昭和33)年

当別町蕨岱2315

 

当別町の農業地帯にあり廻りは畑が多い
前庭には柵があり近くには寄れないが、芝生を見るときちんと管理されているので活用しているのだろう

白ペンキの玄関はとても綺麗だ。

 

2020年10月撮影

 

 

 

 

「旧当別町立川下小学校」

開校:1905(明治38)年
閉校:2004(平成16)年
校舎:1956(昭和31)年

当別町川下755-10

 

ここも畑の中の学校だった
校舎は以前は転用していたようだが現在は?少し痛みが目立ってきており今後どうなるか

前庭は雑草が伸びてきている
玄関前まで行けるが、もちろん中には入れない。

 

2020年10月撮影

 

 

 

「旧当別町市立高岡小学校」


開校:1900(明治33)年

閉校:1990(平成2)年
校舎:()年竣工

当別町高岡1813-1

石狩市八幡にも旧高岡小学校があり、両校は近い位置にある
この高台一帯を高岡と呼んでいたのだろう

さて久しぶりの現存校舎である
しかも木造だ
隣に神社がありそこの境内からグラウンドを通して正面に校舎を見ることが出来る

 

開校から100年以上経っているので現校舎は何代目かの校舎であろう
体育館への連絡通路はすでに改修されており、体育館の窓も同様だ
ただ壁は木造のままだった

現施設の名前がある標識の裏を覗くと旧小学校の門と学校の表札プレートがあった!

 

木造部分の造りがいいなぁ


裏側から校舎を遠望すると体育館が正面にあり高台にある校舎が絵になった

 

現在は札幌の福祉施設が運営をしており、訪問時は建物の工事中であった
果たして木造校舎はどうなるのか?今後が気になります。

2021年10月撮影

 

 

 

「旧当別町立東裏小学校」

開校:1901(明治34)年
閉校:2008(平成20)年
校舎:1959(昭和34)年竣工

当別町東裏2796-1

 

当別町は廃校が多いが、現存している校舎も多い
中には放置せざるを得ない学校もあるが東裏小学校は家具関係の製作所に転用しているようだ

校舎は平屋で長く、廊下を見てみたい
平屋造りは敷地が広くないと出来ないだろう。

 

 

2020年10月撮影

 

 

 

「旧当別町立材木澤小学校」

 

開校:1915(大正4)年
閉校:1964(昭和39)年
校舎:()年竣工

当別町東裏2796-1

 

当別市街から外れ石狩方面へ向かう途中の枝道へ入る
本当にここに学校があったのだろうかと半信半疑で行ったら真新しい木造の建物があり
そこが小学校跡だった。
焼き物の工房のようだが、旧校舎の活用ではなく新築に見える
校庭のスペースは狭いので旧校舎もそんなに大きくは無かったのでは。

 

2021年4月撮影

 

 

 

 

「旧当別町立青山中央小中学校」

 

開校:1901(明治34)年
閉校:2000(平成12)年
校舎:1978(昭和53)年竣工

当別町青山奥

青山中央小学校の開校当初は「青山奥小学校(簡易教育所)」として始まり
同年にやはり同じ簡易教育所として「青山小学校」も開校している。

「青山小学校」

*当別町史より

当別ダムが完成し「青山小学校」は水中に没した。

 


中央小学校はダムのさらに奥地になる

この日は水没した旧道が顔を出していた

 

だいたい渇水季節にはこうなるらしい。

さてダム湖を過ぎると左手に学校校舎が見えてくる
少し高台に建てられており間近になると木々で見えなくなる。

校舎を見るのは3経路
まず手前の広場奥から ご覧の通り車は通れない

少し歩くとバックネット裏手に グラウンド側に出るらしい

 

そしてグラウンド超しに校舎が見えた

 

 

 

グラウンド隅に材木、校舎の前に砂利と建築資材置き場に使っているのだろうか
バックネット横にあった建物は潰れている(用具か更衣室か)

 

道路に戻り少し進むと登校路らしい ここはロープと立て看板が見えたのでストップ

 

 

さらに道路を少し進み藪が覆いかぶさる道を進むと体育館の裏に出た

 

 

 

 


2021年10月撮影

体育館のドアが開いていた もちろん進入しない
校舎側にも回れるが止める
さらに体育館の上部に行く道が続いているがここで引き返す。

小中学校だけに、この場所にしては大きな校舎である
ただ典型的な?機能とコストを重視した造りのようで魅力には欠ける。

 

現校舎の前に建てられた旧校舎は実に立派な木造校舎であったようだ。

段差が無くなり? 右側が解体された跡がある

 


素敵だなぁ
*閉校記念誌より

 

*当別町史より

 

 

 

 

「旧当別町立金澤小学校」

 

開校:1899(明治32)年
閉校:1989(平成元)年
校舎:()年竣工

当別町金沢


金澤小学校は明治期は初め分教所であった

国道275号線と平行に走りやがて合流する鉄北線沿いに学校がある
この鉄北線は医療大学やパンのノルトエッセン、またお洒落な住宅やギャラリーなどがある。

校舎は2002(平成14)年に取り壊されてすでに無かった
現在は個人の敷地であるが住宅なのか商用なのかは確認できなかったので奥の撮影は止めた。


レンガの門柱にはまだ校名のプレートがあった。

 

 

また裏手にはバックネットだけが残っていた
植物が絡みまくるこれもいつまで持つものか

 

付近には神社と消防施設がある




こういうのは初めて見た


2021年10月撮影

 

旧校舎

*当別町史より