札幌・北海道のレトロ建物大好きおぢさん日記

札幌(北海道)のレトロでモダンな建物を見たり撮影するのを趣味としています。

木造校舎・廃校 旧浜益村の閉校①

2022-05-07 22:39:28 | 木造校舎・廃校

旧浜益村の閉校(小学校) 赤字はレポート済

  • 浜益村立浜益小学校〈初代〉(1963年群別小と統合し浜益中央小へ)
  • 浜益村立群別小学校(1963年浜益小〈初代〉と統合し浜益中央小へ)
  • 浜益村立幌小学校(1966年床丹小と統合し浜益北部小へ)
  • 浜益村立床丹小学校(1966年幌小と統合し浜益北部小へ)
  • 浜益村立浜東小学校(1972年黄金小へ統合)
  • 浜益村立実田小学校(1977年黄金小へ統合)
  • 浜益村立千代志別小学校(1979年浜益北部小へ統合)
  • 浜益村立尻苗小学校(1983年黄金小へ統合)
  • 浜益村立濃昼小学校(1992年黄金小へ統合)
  • 浜益村立浜益北部小学校(1999年統合により石狩市立浜益小学校〈当時:浜益村立〉へ)
  • 浜益村立浜益中央小学校(同上)
  • 浜益村立黄金小学校(同上)

中学校

  • 浜益村立黄金中学校(1951年石狩市立浜益中学校〈当時:浜益村立〉へ統合)
  • 浜益村立浜東中学校(1951年浜益中浜東分校となり、1954年再独立、1966年浜益中へ統合)
  • 浜益村立実田中学校(1951年浜益中実田分校となり、1954年再独立、1968年浜益中へ統合)
  • 浜益村立千代志別中学校(1966年幌中へ統合)
  • 浜益村立尻苗中学校(1951年浜益中尻苗分校となり、1954年再独立、1983年浜益中へ統合)
  • 浜益村立濃昼中学校(1951年浜益中濃昼分校となり、1954年再独立、1992年廃校)
  • 浜益村立幌中学校(1951年浜益中幌分校となり、1954年再独立、1999年浜益中へ統合)

※wikipediaより

 

 

増毛町から日本海オロロンラインを南下しながら
周辺の廃校をカバーして行きました。

 

「旧浜益村立千代志別小学校」

 

開校:1903(明治36)年
閉校:1978(昭和53)年
校舎:()年竣工

石狩市浜益区千代志別

 

千代志別は4月に大きな古民家を撮影してきた
残念ながらその建物はすでに跡形もなく、建物があったこと自体がすでにわからなかった。

千代志別小学校はそんな千代志別の一番山側の奥にあった
集落自体は日本海に面しているとはいえ両側がトンネルであり100メートルも面してはいないだろう。

川沿いに民家の間を縫って上流へ行くと行き止まりで左に橋を渡ると
正面に学校の敷地があった。

 


校門のプレートは無し

 


学校関係の建物のようだ 左手に記念碑があった
ただし草ボウボウだ

 

 

 

 


千代志別小学校閉校記念碑 とある

 


もしかして教員宿舎かも


校舎・校庭から海が見えたようだ。

2021年11月撮影

 

 

 

「旧浜益村立床丹小学校」



開校:1907(明治40)年
閉校:1966(昭和41)年
校舎:()年竣工

石狩市浜益区床丹


床丹小学校のある床丹の集落は千代志別と似ていて同規模に思えた
学校はやはり一番奥にあり緊急避難場所になっているのも千代志別と一緒。

ただこれくらいしか、ここに学校があったと思えるものはなかった
笹薮が侵出しているようでやがては全面が覆われそうだ。

ちょっと残念な思いで引き返す。



 

 

 

しかし、すぐ下の橋から通学路的な小道が石垣の端に見える


奥を見てみると ブランコの支柱のようなものがあった!
廻りは笹が深くて行く気になれないが
これは学校があった時に一緒にあったものだろうね。

2021年11月撮影

 

 

 

「旧浜益村立群別小学校」

 

開校:1880(明治13)年
閉校:1963(昭和38)年
校舎:()年竣工

石狩市浜益区群別


群別(くんべつ)は先の2集落に比べると大きいほうになる
その学校は国道からすぐ見える、おそらく町で一番大きな建物「石狩市浜益スポーツセンター」にあった。

その新しさから校舎はいったん全部解体して新築したものだろう
このように浜益地区は空知の炭鉱地区とは違い
海沿いのわずかな土地に漁港を作りニシンを獲ってきた。

ニシンがいなくなるのと炭鉱が閉山するのと人が居なくなるのは同じかも知れないが。

 


建物の左下に碑がある

 

 

 

 


*浜益村史より

 


センター隣の自治会館が趣のある建物だった。

2021年11月撮影

 

 

 

「旧浜益村立浜益中央小学校」

 

開校:1964(昭和39)年
閉校:1999(平成11)年
校舎:1964(昭和39)年竣工

石狩市浜益区浜益


学校は先の群別から石狩方向へすぐ近くにあり
国道を下ると海 という下りの途中にあるのでつい通り過ぎてしまった。

車は校門の下か、前庭まで乗り入れることが出来るようだが
ここは一度校門への石段を登ってみることだ。

門柱と左手にトーテムポール 左側に碑が並び、右手に体育館と雑草の校庭がある
その体育館が実に味のある意匠じゃあないか
あの小窓と外壁の質感が好きだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


*浜益村史より

 

2021年11月撮影

 

 

 

「旧浜益村立浜益尋常高等小学校」

 

開校:1878(明治11)年
閉校:1963(昭和38)年
校舎:()年竣工

石狩市浜益区浜益50-22

 

下の写真の通り門柱とプレートは道路を見下ろす形で
ネットにへばりつくように建っている
以前は階段があり校門の位置はここだったのかも知れない。

尋常小学校のあと、1951年から高校として使用され
2011年に浜益高校が閉校となった。

校舎は浜益中学校が移転して使用している。

 

 

 


*浜益村史より

 

 

 


*浜益村史より

 

 

 

 

2021年11月撮影

 

 

 

「旧浜益村立浜益中学校」

 

開校:1947(昭和22)年
閉校:2011(平成23)年
校舎:1973(昭和48)年竣工

石狩市浜益区川下141


浜益中学は昭和26年から、この川下の地にあり幾多の学校を統合している
やがて浜益高校が閉校になり2011年にそちらに移転した。

イメージでは浜益中学と言ってもここは川下
住民にしてみれば川下中学校にして欲しかったのではないか?
そんな意識が窓に貼られた文言に表れているとおもった。

校門は残るがプレートは無い
超えてすぐの住宅はかつての教員住宅かも知れない
校舎は一直線に伸びスマートな造りが遠くからでも見える
前庭、グラウンドと校舎の間を通りぐるっと1周が出来るように道がある

果たして一番遠い対面から見る校舎は
一見個性のないように見えるが奥に山を抱き、とても趣がある校舎ではないか
何か別の活用があればいいが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


*浜益村史より

 

2021年11月撮影

 

 

 

「旧浜益村立幌中学校」

開校:1947(昭和22)年
閉校:1999(平成11)年
校舎:()年竣工

石狩市浜益区幌

 

幌中学校も他の地域と同じように海の街だが学校は山側にある
学校は地域にとって重要な避難場所だからかな
平屋であるが他に高い建物がないのですぐに目に入る。

木造校舎が立派に残っていた
しかし、よく見ると玄関上にあったであろう庇が無い
ガラスが数枚割れていた
そして校舎から用具倉庫?へ続く連絡通路が崩壊している
倉庫側へは中に入れそうだがもちろん止める。

続く体育館だけはちょっとだけ新しいので改築したのだろう
1束の桜の木が見事に咲いており癒された。

隣の小学校と共同の碑があり閉校も同じだったようだ
珍しいが地方では過疎化により当然のことかも知れない
付近には教員住宅と思われる空家が数棟あった。

この木造校舎は朽ちるのを待つだけかもしれない。

 

2021年4月撮影

 

 

 

「旧浜益村立北部小学校」

開校:1965(昭和40)年
閉校:1999(平成11)年
校舎:(1965)年竣工

石狩市浜益区幌

 

北部小学校は幌中学校の道路を挟んだ東側にある
卒業生は必然的に古い校舎の幌中学へ進学をしたのだろう。

校舎は2階建てで昭和40年の竣工であり、廃校の中では新しいほうだ
元は「幌小学校」であったが床丹の学校と合併し北部小学校となった。

カマボコ型の体育館は健在であるが、ここも校舎との連絡通路が一部破損しており
ここから校内に入れるかもしれない(もちろん入らないし入ってはいけない)

建築物で目を惹いたのはお洒落な校門だ
幌中学と同様に教員住宅らしき空家があった
生徒はもちろんだが教師も廃校によって生活が変わるものだろう。

 

2021年4月撮影

 

 

 

「旧浜益村立濃昼小中学校」

開校:1897(明治30)年
閉校:1992(平成4)年
校舎:(昭和)年竣工

石狩市浜益区濃昼22-6

 

濃昼(ごきびる)は、近年は古山道が再び拓かれ登山ファンやハイカーなどで終末などは賑わっています。
さらに北上し、学校へは国道から標識に従い一旦左折し海へ向かって行きます
濃昼山道の入口のところで右に川を渡り、今度は山側へ走ると最奥に平屋の建物が見えてくる

これが濃昼小中学校で現在は個人の住宅として管理されているので門内には入らないほうが良いだろう

正面玄関の庇部分は残念ながら無くなったが校舎はほぼ現存しており、
季節柄、桜の花が綺麗だった。

 

2021年4月撮影

 

 

 

「旧浜益村立尻苗小学校」

開校:1894(明治27)年
閉校:1983(昭和58)年
校舎:(昭和)年竣工

石狩市浜益区送毛37

 

国道231号をさらに北上を続け、送毛の街を目指し国道を左に分けて海側に下る
送毛川の対岸に校舎らしき建物を見る

坂を上り学校敷地に入ったところで閉校の碑があった。
また手前の施設は改築されたようで外壁がきれいだ
隣に校舎棟、奥に体育館と思われる建物と教員住宅と思われる家がある

現在は宗教法人の道場として活用されており、敷地奥に入るのは止めた
尻苗地区があるのに尻苗小学校があるのは送毛地区です。

 

2021年4月撮影

 

 

 


木造校舎・廃校 小樽市の閉校①

2022-05-07 22:30:10 | 木造校舎・廃校

小樽市の閉校(小学校)

  • 小樽市立富岡小学校(1969年小樽市立稲穂小学校と緑小へ分割統合)
  • 小樽市立桃内小学校(1990年小樽市立忍路中央小学校へ統合)
  • 小樽市立堺小学校(2006年稲穂小と小樽市立花園小学校へ分割統合)
  • 小樽市立量徳小学校(2012年花園小と小樽市立潮見台小学校へ分割統合)
  • 小樽市立祝津小学校(2013年小樽市立高島小学校へ統合)
  • 小樽市立若竹小学校(2013年潮見台小と小樽市立桜小学校へ分割統合)
  • 小樽市立色内小学校(2016年北手宮小、手宮西小、手宮小と統合し小樽市立手宮中央小学校、小樽市立長橋小学校、稲穂小へ分割統合)
  • 小樽市立北手宮小学校(2016年色内小の一部、手宮西小、手宮小と統合し手宮中央小へ)
  • 小樽市立手宮西小学校(2016年色内小の一部、北手宮小、手宮小と統合し手宮中央小へ)
  • 小樽市立手宮小学校(2016年色内小の一部、北手宮小、手宮西小と統合し手宮中央小へ)
  • 小樽市立天神小学校(2018年小樽市立奥沢小学校へ統合)
  • 小樽市立最上小学校(2018年)
  • 小樽市立緑小学校(2018年入船小の一部、最上小と統合し山の手小へ)
  • 小樽市立入船小学校(2018年奥沢小、花園小、山の手小へ分割統合)
  • 小樽市立豊倉小学校(2020年小樽市立朝里小学校へ統合)

 

小樽市も古い都市で、人口の減少が止まらず学校の統合による閉校が増えている

今後もその可能性が高い町だ。

 

 

「旧小樽市立豊倉小学校」跡

 

開校:1912(大正元)年
閉校:2020(令和2)年
校舎:1972(昭和47)年竣工

小樽市朝里川温泉1丁目23-1

 

豊倉小学校は地理的には札幌寄りの朝里川温泉地区になる
南北に長い温泉地区の手前側になるだろうか
ちょっと先の頭上には開通した高速道路がある。

一応住宅街の一番奥にあたるが廻りは森でヒグマが出る場所だ
よくここに毎日生徒も先生も通ったものだ
私なんぞはビビッて体育館の奥まで行けなかった…


小樽市は北海道でも古くから栄えた町なので学校も歴史ある学校が多い
豊倉小学校は朝里地区で創立から100年を超えて閉校した
この辺の土地名が以前は豊倉だったために付いた校名だ。

校舎は可愛らしいが体育館は堂々としている
後から改築したのかも知れない

校庭には遊具が残り、校門のところに手作りのような校名表記がある
「とよくら」の横に描かれているのは学校の略地図かな
なんとも微笑ましい学校です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2021年9月撮影

 

 

 

「旧小樽市立若竹小学校」跡

 

開校:1926(昭和元)年
閉校:2013(平成25)年
校舎:1972(昭和47)年竣工

小樽市若竹町22


若竹小学校は札幌寄りにあり、高台と坂が多い街の中に建っている
校舎は何代目かわからないが、閉校年から8年しか建っていないのに劣化が目立つ気がする。

在校生は潮見台小学校と桜小学校に通うことになった。

正門はすでに草木に覆われ入口にはがっしりと立入禁止
工事現場で使用するような柵なのでもしかしたら解体の可能性もあるかも…

地形により学校を望めるのはこの角度だけのようだ。

戦後、米駐留軍による同校の使用などあったそうで
何故、若竹小学校が選ばれたのか興味深い。

 

旧東山中学が「教育委員会庁舎」となり3階に閉校記念室として
「東山」「石山」「住吉」の3中学校と「量徳」「若竹」の2小学校の思い出の品々を展示している。

無料で閲覧できるが職員の業務の都合があるので電話をしてから行くべきかな。

 

 

 

 

 

 

 

2021年9月撮影

 

 

 

「旧小樽市立天神小学校」跡

 

開校:1934(昭和9)年
閉校:2018(平成30)年
校舎:1979(昭和54)年竣工

小樽市奥沢5丁目3-1

 

天神小学校は80年続いた古くからある学校で
奥沢や松ヶ枝から合流し、坂を登って行けば望洋台や赤井川村へと繋がる道にある

また海方面に向かえば小樽潮陵高校や龍徳寺に出て国道5号線にも繋がる。

校舎の正門にはしっかりと立入禁止処置がなされている
だが写真の通り進入は容易だが止めよう。

正門側をちょっと離れて見ると木々の間から校章が見えた
葉があるうちは綺麗に撮れないが仕方がない。

坂側からは体育館と校舎が見える
こちらも立入禁止処置である

1階の窓にはベニヤが打ち付けており対策が講じてある
4階建ての校舎は堂々としておりいかに以前は生徒が多かったかを物語る。


閉校年の2018(平成30)年は「最上小」「緑小」「入船小」とともに閉校になった
いずれも歴史があり多くの卒業生を輩出した学校である。

このうち、「最上小」は松ヶ枝中学の新校舎として活用され
「緑小」は解体された 
「入船小」も土地転用のため、この10月から解体が始まった。


果たして「天神小」は?
小樽の地元有名ブロガーさんの情報で

「小樽市は旧天神小学校の建物に、市の清掃事業所と事業内職業訓練センターを移転させる方針を示したということで、移転は2023年度を予定しているとのことです。」

これから説明会を経てから正式決定だが
OBもまずは一安心でしょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2021年9月撮影

 

 

 

「旧小樽市立松ヶ枝中学校」跡

開校:1957(昭和32)年
閉校:2020(令和2)年
校舎:1992(平成4)年竣工

小樽市松ヶ枝2丁目4-1


松ヶ枝中学校は昭和32年開校でやはり小樽にしては新しいほうだろう
現在の校舎は2代目であり、当初は木造の校舎だったと聞いた。

坂の町小樽でも最も高い場所にある中学校のようで、なるほど下町からの通学は疲れたろうなぁ
その替わり下校は楽しいね

 

この日は実は2回目のチャレンジで
実は数か月前に行ったときは坂の下でロープが張っており立ち入り禁止だった

旧最上小学校に行ったので何気なくついでに坂を上って行くとロープがなく
グランドで少年サッカーの練習をやっていた。
校舎前の駐車スペースは父母の車がたくさんいたが一角に停めさせていただき
父母とは反対の校舎の撮影をした。

市中心部へ向けての全面ガラス張り校舎は見事であった
体育館が見えなかったのは砂利があるので奥まで行けなかったからだろう

重機が1台と積まれた砂利を見て、解体が近いのかなぁ?
いや、何かの整備だろう

 

スキー授業のときは履いたまま滑って帰ったという坂道から小樽の港が見えた
今日はツイていたなぁ

 

校舎は旧最上小に遷ったのに、これはこのままだった

 

2021年9月撮影

 

 

 

「旧小樽市立最上小学校」跡

開校:1952(昭和27)年
閉校:2018(平成30)年
校舎:1986(昭和61)年竣工

小樽市最上1丁目31-1

 

最上小学校は天狗山に向かう坂道の道路沿いにあった。
最上町といえば山の方で天狗山、最上公園、そして小樽市の火葬場などがある町

学校は1952年の開校と歴史ある町、小樽にしては新しいほうだ
開校当時の校舎は現在のグラウンドのある場所で、建て替えを機に校舎とグラウンドの場所を取り換えた。

現在残った校舎は、より古く近くの高台にあった「松ヶ枝中学校」に代わった。
在校生は新築された「山の手小学校」へ、同じく閉校した「入船小学校」「緑小学校」の生徒たちと通うことになった。

 

まだ新しくどっしりした外観の立派な校舎
正面にあった校章の跡だけが、以前は別の学校だったのだなと思い出されることだろう。

 

2021年9月撮影

 

 

 

「旧小樽市立富岡小学校」跡

 

開校:1901(明治34)年
閉校:1969(昭和44)年
校舎:1901(明治34)年竣工??

小樽市富岡1丁目5-12


富岡小学校は、あまり例のない学校のようだ
学校があったのは現在の保健所、医師会館、福祉センターの場所です

医師会館




福祉センター

 

現地に行けばわかるが、グラウンドを挟んで隣に稲穂小学校がある
つまり小学校が2校並んで建っていたのだ。


左が富岡小学校側の福祉センター 中央・右が稲穂小学校のグランドから校舎へ続く

 

元々は稲穂小学校が先に竣工し、その後に富岡小学校が出来た
もっとも最初から富岡小学校ではなく「女学校」として建てられた
男女一緒の学校で勉強が出来ない時代が確実にあったのですね。


福祉センターも中々味のあるファサード
小学生のころ、ここに卓球をしに来たのです 懐かしいなぁ




戦後に、女学校は「富岡中学校」になる。

しかしそのわずか10年後の1957(昭和32)年に児童が増えたため「富岡小学校」となった
閉校する1969(昭和44)年まで富岡、稲穂と二つの小学校が隣合わせだった

グラウンドのない富岡小学校の運動会は小樽公園のグラウンドを使用したらしい
(体育の授業はわからぬが)

 

まぁそういう奇妙な?形はよろしくなく閉校したようだが
住所は富岡なのだから富岡小学校を残してもと思うかな。

在校生は稲穂小学校と緑小学校に転校したが稲穂への転校は場所がほぼ同じな転校であった。

現地に閉校の碑等は見ることは無かったが保健所の中とかに
その痕跡でもあればいいな

 

*当時の写真は同窓会様のFBよりお借りしました

2021年9月撮影

 

 

 

 

「旧小樽市立緑小学校」跡

開校:1920(大正9)年
閉校:2018(平成30)年
校舎:1971(昭和46)年竣工

小樽市花園5丁目2-4

 

改めて知ったのは緑小学校の住所が緑町ではなく、花園町なこと
確かに真上には小樽公園があるので花園なんだなと納得。

さて緑小学校は大正9年尋常小学校から始まる歴史のある学校であった
多くの卒業生を出し、閉校時の校舎も鉄筋コンクリート3階建てである
残念ながら解体年は昨年であり興味を持つ前であったのが悔しい。

すっかり更地になった奥の真ん中に植え込みの島があり
それを囲うように入口からL字型の校舎だった
私が覚えている緑小学校はまだ木造校舎だから何十年前のことだろう

門柱には校舎のプレートも外され学校があった証が無いと思ったら
そばに石碑があり、その裏に緑小学校父母と教師の會と刻んであった。

在校生は新築された「山の手小学校」で同じく閉校になった最上小学校と入船小学校の生徒と
クラスメートになっている。

 

 


*2015google ストリートビューより

 

2021年8月撮影

 

 

 

「旧小樽市立堺小学校」

開校:1902(明治35)年
閉校:2006(平成18)年
校舎:1992~(平成4~7)年竣工

小樽市東雲町9-12


旧堺小学校に最初に訪れたのは昨年で
旧寿原邸の内部見学に訪れたときの駐車場が堺小学校の校庭であった。

門柱にプレートこそないが立派な校舎と石碑がある
校舎は3方向に延びる形で三笠市役所と少し似ている
玄関は校庭側と裏側にもありそちらが正面玄関のようで校章もそのままなのが嬉しい

大変歴史のある学校で途中に中学校に一時なったので小学校としては98年の歴史であったが
学校としては100年を超えた歴史だ

石碑には「北の学習院」と彫られている
小樽は当時北海道の商業の中心地であり全道はもとより本州からも経済界などの住宅が出来
その子弟が多く通ったことで名門学習院と称された。

場所も港を見下ろす高台にあり、上部に水天宮、旧寿原邸、近くに旧板谷邸などの旧家も多い

現在は小樽市のいくつかの団体が活用しており当分は校舎も安泰であろう。

2021年8月撮影

 

 

 

「旧小樽市立東山中学校」

開校:1947(昭和22)年
閉校:2002(平成14)年
校舎:1981(昭和56)年竣工

札幌市花園5丁目10-1

 

東山中学は、比較的近くに別の中学があり廃校になっても他よりは生徒もましだったかも知れない
幸いにも市の教育委員会の庁舎として活用されており、取り壊しをされずに済んだ。

正面玄関には校章と校名の跡が残り寂しさを感じる
中は古さはあまり感じず、やはり木造校舎とは違う
体育館も新しくスポーツ施設として使われているようだ。

前庭はあまり広くなく現在は駐車場に活用
すぐ上に小樽公園と桜が丘球場があり、校舎へ向かっての斜面は冬のスキー授業として使われた。

ちなみに田上義也設計の「坂牛邸」も校門横の細い坂を登り切ったところにある。

 

 

閉校記念室は「東山中学」のほか、「石山中学」「住吉中学」「量徳小」「若竹小」の
校旗、卒業アルバム、周年記念誌、記録写真など、思い出の品々を展示しています。

この日は突然行って見学させていただいたが、職員の方がずっと立ち会っているので業務の邪魔をして申し訳なかった
電話してから行くべきですね。

 

残念ながら現在はコロナのため4月から、しばらくお休みとのこと

まだまだ色んな展示があった
他の学校分は随時紹介します。

 

大きな学校であった 体育館は校舎と山に囲まれている
もっと古い写真では校舎は写真の左、草のない箇所にあったらしいが火事で焼失したとのこと。

 

角を挟んで同じ意匠です アーチ型が実にお洒落に見える素敵な外観だった
生徒玄関が左側に見える。

2019年5月、2020年6月撮影

 

 

 

「旧北海道小樽商業高等学校」

開校:1913(大正2)年
閉校:2020(令和2)年
校舎:2002(平成14)年竣工

小樽市緑3丁目4-1

 

北海道小樽商業高等学校は大正2年創立の伝統ある学校で、何度か名前が変わったり「科」が増えたり減ったりであった
特に商業科は当然として、いち早くコンピューターの勉強をする情報処理科は当時としては珍しいかと思う。

校舎は木造2階建ての校舎から順次鉄筋コンクリートに改築され現在に至る
過去の写真を見ると、非常に複雑な校舎に見えた。
またプールも作った時は珍しかったのではと推測する。

令和2年に、小樽工業高等学校と合併し「北海道小樽未来創造高等学校」となった。
校舎は小樽工業高校を使用し、この校舎は国立小樽海上技術短期大学校が使用して廃校を免れた

まだ充分に使える校舎なので大事に使ってほしい。

 

*撮影は統合による廃校が決まり、閉鎖される前に急いで行った。
「小樽商業」を表示するものはもうない。

 

 

坂の途中にあるため、このような独立した施設もあり 何の施設かは分からず。道場?

 

以前はここに生徒用のスロープがあった。

以前の生徒玄関はもっと海側にあり、写真のようなスロープが長い間利用されたが
新校舎になり玄関が変わるとスロープは無くなり入口は最奥になった。

 

 

昭和53~54年当時の生徒玄関
右に旧校舎、奥に新校舎、その右隣に新校舎の二期工事中の珍しい写真。

 

2019年5月撮影

 

 


木造校舎・廃校 新篠津村の閉校

2022-05-07 22:07:09 | 木造校舎・廃校

新篠津村の閉校(小学校) 赤字はレポート済

  • 新篠津村立新篠津小学校〈旧〉(1977年統合により新篠津村立新篠津小学校〈新〉へ)
  • 新篠津村立新篠津第一小学校(同上)
  • 新篠津村立新篠津第三小学校(同上)
  • 新篠津村立新篠津第四小学校(同上)
  • 新篠津村立新篠津第五小学校(同上)

 

「旧新篠津村立旧新篠津小学校」

 

開校:1900(明治33)年
閉校:1978(昭和53)年
校舎:1954(昭和29)年竣工

新篠津村第46線北15


かつての尋常小学校からいくつか名前を変えて最後は新篠津小学校として
その役目を終えた学校は現在の役場にあった。

庁舎までのアプローチには町役場らしく銅像や碑がある
二宮像はここにあった。

 

 

さらに右手には広場があり、ここにもモミュメントがあり町民の広場なのだろう
庁舎の隣には保健センターがあるが閉校の碑はここにあった。

新篠津村は昭和50(1975)年に村内5校の統合となり
どれか一つを使用するより新築をしたほうが良いとの決断になった

旧小学校は解体されたり改築され転用されたりしたが
どちらかというとここのような立派な碑はないように感ずる。

 

 

 

 

 

2021年11月撮影

 

 

 

「旧新篠津村立新篠津第三小学校」

 

 

開校:1900(明治33)年
閉校:1977(昭和52)年
校舎:()年竣工

新篠津村第42線南7


第三小学校は校門が残っていたので分かりやすかった
校名のプレートはヒビ割れで落ちていたものを戻して撮影した
このレンガの門柱は趣があるね

中にある建物は第三地区集落センターで
校舎を活用したものかは不明で閉校後に建てたものかと思う

しかし校門の他にも学校があったのだと思わせるものがあり
他の地区小学校に比べると良い方だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

2021年11月撮影

 

 

 

 

「旧新篠津村立新篠津第四小学校」

 

 

開校:1900(明治33)年
閉校:1977(昭和52)年
校舎:()年竣工

新篠津村第40線南47


第四小学校を現在ここにあったと記すものは無かった
あるとすれば緑の避難場所の看板に「第4地区多目的研修集会施設」と
「第4研修センター」の看板による。

以前は旧校舎の一部を使用してようだが新築された綺麗な施設にかわった
確かに住民にしてみれば新しい施設のほうが良いだろう。

場所はすぐそばに石狩川が流れ隣は神社がある平地の中にある
新篠津村は平地が多く広大な敷地の学校が作れたことだろう。


 

 

 

 

2021年11月撮影

 


*新篠津村史より

 

 

 


木造校舎・廃校 留寿都村の閉校

2022-05-07 22:03:56 | 木造校舎・廃校

留寿都村の閉校(小学校)

  • 留寿都村立旭野小学校(1969年)
  • 留寿都村立登小学校(1985年)
  • 留寿都村立黒田小学校(1995年)
  • 留寿都村立三ノ原小学校(2009年留寿都村立留寿都小学校へ統合)

 

「旧留寿都村立三ノ原小学校」

 

開校:1898(明治32)年
閉校:2009(平成21)年
校舎:(昭和46)1971年竣工

留寿都村三ノ原

 

旧栄小学校跡を後にし、国道230号線をひたすら走る
留寿都村に入り、リゾートや道の駅も過ぎてもうすぐで洞爺湖町に入るというところまで来た。

グーグルマップに表示されるので指示に従い、真狩村に続く「三ノ原ニセコ線」を右折するとすぐに校舎が見えた。

 

2009年の閉校でまだ新しいほうだが校舎は1971年のもの
平屋で惚れ惚れするほどの一直線だ。

奥に体育館、バックネットも健在で校庭の廻りには鉄棒などの遊具と
教員住宅らしい住宅もあった。

校門がある玄関側に閉校の碑もある
これだけ当時の姿を残している閉校舎は珍しいのではないか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

道路からは昆布岳と洞爺湖サミットに使われたウィンザーホテルが見える。
いいロケーションだなと最後にもう一度校舎を撮影しようとしたら
羊蹄山がそこにいるではないか!

廻りをよく見て落ち着いて撮影したいものだ。

 

 


2022年4月撮影

 

 

 

「旧留寿都村立黒田小学校」

 

開校:1909(明治42)年
閉校:1995(平成7)年
校舎:(昭和38)1963年竣工

留寿都村黒田

 

真狩村の閉校訪問はこれで終了
再び、留寿都村を目指す。

国道230号線に戻る 情報では現在は「黒田芸術文化交流センター」として活用されているとのことで、確かにマップにも表示された。

230号線から農道のような道路に入り真っすぐ進む。
やがて大きなサイロのある農家でT字になる。

指示方向は左方向へ だが進んでみたがどうにもよくわからない
民家の横を抜ける砂利道があったので行ってみるとそこは違った。

あきらめ気味にサイロの農家まで戻ると、左ではなく右方向にそれらしい建物が見えた。

それが黒田小学校だった。

 

車道を挟んで正面向かいに駐車スペースがある
ここから石段を登り校門の間を抜けて前庭と校舎を見る。

 

 

 

 

玄関口が白いのは後から塗装したのだろう
右が教室、左が体育館のようだ。
校舎側は傷みが目立つ もしかしてもう交流センターとしての再活用は
終ったのかも知れない。

 

 

 

 

 

校門越しに見る校舎と、後志を代表する山々がとても素敵に見えた。

 


サイロのある農家と羊蹄山


2022年4月撮影

 

 

 

「旧留寿都村立登小中学校」跡

 

開校:1910(明治43)年
閉校:1985(昭和60)年
校舎:(昭和43)1968年竣工

留寿都村登

 

再び国道230号線を札幌方面に戻る形で進む
ルスツリゾートを過ぎて、右手に登川温泉がある道道へ右折

そこから少し行くと右手に平屋の「留寿都村僻地保険福祉館」がある
この隣の敷地に登小学校があった。


この福祉館は以前は教員住宅ではないだろうか?

 

 

現在、学校があったことを示すのは閉校碑、校門と表札、そして体育館が現存していた。
今は校庭は土木工事の事務所などに使われプレハブが建ち資材が置かれている。

校門の表札には中学校の名前もあるので小学校校舎に統合されたのだろう。

 

 

 

 

 

 

 


2022年4月撮影

 

解体前の写真を見ると体育館との位置関係から正面に校舎があったようだ
それにしても、この校舎が受け入れた生徒がかつてはここには居たのだ。


留寿都村史より

 

 

 

 

 

「旧留寿都村立旭野小学校」跡

 

開校:1919(大正8)年
閉校:1969(昭和44)年
校舎:(大正8)1919年竣工

留寿都村旭野

 

登小学校跡からさらに先へ進む
道は舗装から砂利道になったりまた舗装になったり1車線が続く

コーンのある橋を渡るのも少し怖いくらいだ
かつて登山道を走った時は何とも思わなかったのに……

途中に大きな農場が右手に見えたのがまだ幸いで、進むのがとても心細い。
しかしやがて明確な二股に出会うとそこが旭野小学校のあった場所だ。

 

 

 

 

降りるのもちょっと怖かったのでクラクションを鳴らしてから降りた。
広場の奥に閉校の碑があるが広場は校庭だったのだろう
現在は砂利置場になっていた。

碑の後ろにシンボルツリーらしき木があるので、この横か後ろに校舎があったか
残念ながら留寿都村村史でも旭野小学校の写真はなかった。

 

 

 

 

この地にかつては学校があったのだ
私は撮影も程々に切り上げ車に戻り安堵した
今日が晴天で良かったよ。

留寿都村の閉校巡りも終了した。

2022年4月撮影

 

 


木造校舎・廃校 喜茂別町の閉校

2022-05-07 22:02:01 | 木造校舎・廃校

喜茂別町の閉校(小学校)

  • 喜茂別町立第二喜茂別小学校(1979年)
  • 喜茂別町立栄小学校(1985年)
  • 喜茂別町立御園小学校(1988年)
  • 喜茂別町立羊蹄小学校(1998年)
  • 喜茂別町立双葉小学校(2003年、跡地はアトリエに転用)

 

「旧喜茂別町立栄小学校」跡

 

開校:1909(明治42)年
閉校:1985(昭和60)年
校舎:(大正12)1923年竣工

喜茂別町栄

 

この学校は前回の訪問時に大雪が降り、見ることが出来なかった。
雪が融けたら行程的に一番最初に行く場所だ。

まずは中山峠の道の駅から
車が多かったし、まだスノボもやっていたよ。

 

中山峠から喜茂別町市内に向かって降って行き、左手に「ドライブイン栄(どちらかと言ったら野菜の直売所的な)」を超えたらすぐのところ。

中には地域の会館らしき建物と左手に閉校の碑があった。

 

 

 

この地区に限ったことではないが、現在からみると何故ここに学校がと思うことが多い。

喜茂別町史に解体前の校舎の写真があった。
現在の地区会館のところくらいにあったように思える。

 

 

すぐ隣に倒壊したままの民家がある
昔は集落になっていたのだろうか。


2022年4月撮影

 

 

 

「旧喜茂別町立喜茂別中学校」

 

開校:(調査中)年
閉校:(調査中)年
校舎:(調査中)年竣工

喜茂別町伏見272-2

喜茂別中学じたいは現在は別所に移転しているので校舎は使用されていない
向かいに新築された綺麗な施設があるが、ここが場所的に校庭だったようだ。

老朽化か耐震による移転かと思うが思ったより校舎はしっかりしているように見えた。

喜茂別町市街地の入口に位置しており
尻別岳がくっきり見えるのが喜茂別町らしい。

 

 

 

 

 


2021年11月撮影

 

 

 

「旧喜茂別町立羊蹄小学校」

 

開校:1909(明治42)年
閉校:1998(平成10)年
校舎:1934(昭和9)年竣工

喜茂別町比羅岡


*喜茂別町史より

 

名が示す通り羊蹄山を望む絶好のロケーションにある学校だった
校門が残っており緩いスロープを降りて校舎へ登校したようだ

車道側の壁には壁画が残っており、うんていなど遊具、バックネットが現存し
最奥に碑があった。

すぐそばには一般住宅があり敷地がどうなっているかは不明だが
家人が外にいたので一応断ってから撮影をした。

シンボルツリーと思われる樹木と羊蹄山が美しく見える学校
今回は残念ながら山はすっきり見えなかったのでいつかまた訪問したい。

 

 

 

 

 

 

 


2021年11月撮影

 

 

 

「旧喜茂別町立御園小学校」

 

開校:1917(大正6)年
閉校:1988(昭和63)年
校舎:(昭和31)1956年竣工

喜茂別町御園

 

再度国道230号線へ戻る
今度は喜茂別市内を目指すが、苫小牧方面に抜ける国道276号線に入るため右折。

鈴川の町で道道695線へ右折し御園の町に入る
そのまま行くと左側に御園小学校があった。

山を背にし一直線に伸びる校舎
両サイドに教員住宅らしき建物があるが体育館は見当たらない

正門には表札があり、少し戻ったところの入口に閉校の碑があった
校庭は草木が生い茂り資材置き場になっていた
それゆえにあまり校舎に近づかずズームで撮影する。

以前の写真とはかなり変わっており改築している
小窓がとてもいいではないか。
躯体的には残っているのかも知れない

もう少し情報を得てからなら近づけただろう。

 

 

 

 

 

 

 

 


この木はシンボルツリーかな


遊具も確認できた

 


校庭からは羊蹄山と尻別岳が寄り添って見える角度だった。


2022年4月撮影

 

 

 

「旧喜茂別町立双葉小中学校」

 

開校:1904(明治37)年
閉校:2003(平成30)年
校舎:(昭和44)1969年竣工

喜茂別町中里

 

一度国道276号線に戻り苫小牧方面へ進む
次に目指す双葉小学校は木造校舎が現存している。

現在は「雪月花廊」という飲食、宿泊施設が運用しており主にライダーに人気があるようだ。
そこは木造校舎を活かしつつ楽しい空間を作り上げようと現所有者の思惑が見える。

訪問時もたくさんのバイクやキャンピングカーが駐車しており
空いていたらカフェ利用しようと思ったが次回に譲る。

 

 

 

 

 

 

入口に碑が二つある
校舎前に二宮像もアピールしているかのようだった。

 

 

 

 

 

 

体育館は校舎に比べると新しく感じる
校庭の大きなシンボルツリーにはブランコが掛けられていてとても楽しそうだ。

いつかは利用し中を拝見したいものだ。

 


2022年4月撮影

 

 

 

「旧喜茂別町立第二小学校」跡

 

開校:1918(大正7)年
閉校:1978(昭和53)年
校舎:(大正7)1918年竣工

喜茂別町知来別

 

276号線からUターンし国道230号線に戻る
そのまま喜茂別市内も抜けて一路中山峠に向かうが、途中を右折することになる。

グーグルマップでは上のタイトル通りで表示されるので間違えることは無いが
左手にある住宅で大きな池があるお宅がある
そこを過ぎたらすぐに右折する。

喜茂別川を渡り、そのまままっすぐ行くと表示された場所に着くが
何もない

他のレポートでは体育館が現存しており、隣に農家もある
確かに農家はあったが倒壊したり破損していたりの空家になっていた。

 

 

 

よく見ると校門が残っていた
コンクリートもボロボロで表札も無いが校門で間違いないだろう。
またタイヤが半分埋められていたので遊具であろう。

 

 

 

 

 

 

もし何も知識がなく通りかかったらまったく気づかずに通り過ぎるはず
今回の閉校巡りでは最後に最も「こんなところに学校があった」の極みだ。


2022年4月撮影