異人館に向かう坂道にある時計。あの日から止まったまま。
去年、神戸を訪れるたびに新しい建物が多いなとは思っていました。
それが、阪神淡路大震災の結果だと気が付くのに、少し時間がかかりました。
21年という月日は、それぐらいの長さです。
けれど、被災した方たちにとって、悲しみを癒すのに充分な時間ではないということを、
今朝の式典をみていて強く感じました。
うすっぺらな同情や共感など求められてはいないでしょうが、
自分の周りに、喪失感や生き残った罪悪感を抱え続けている人たちがいることは心に刻んでおこう。
そんなことを考える21年目の夜です。
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