お地蔵様もさむい。
昨日に引き続きまして高野山でございます。
順序が逆になってしまいましたが、高野山駅からバスに乗ってまず向かったのが、奥之院。何百本もの老杉がそびえる参道が、弘法大師御廓に向かっています。
朝日がまぶしいです。
弘法大師の足下に眠れば極楽往生できるという信仰から、20万基を超す墓碑が並んでいるそうです。その中には歴史上の有名な方々もたくさん。
苔が時代を感じさせます。
一門が眠るということでしょうか。
小田原とはまたずいぶん遠いところから、と思いますが、そのほかにも武田信玄やら石田三成、薩摩島津家あるいは有名企業、中には、えっ、こんな人までという墓碑がたくさん。浅野内匠頭と四十七士とか泉岳寺にお墓なかったでしたっけ? ここに分骨されたということなのでしょうか? 太平洋戦争の戦没者の碑も多かったです。
なんといっても墓碑なので粗相があってはいけないと、はじめのうちは見知った名前を見るたびに脱帽、手袋を外し、はじめましてむにゃむにゃ、と頭を下げていたのですが、なにせ20万基ですからこれでは永久に御廓にたどり着けないと気が付き、途中からだいぶはしょって歩きました 俄か信心が馬脚をあらわすってやつで。
さすがお坊様はお経を唱えながら歩いていらっしゃいます。
句碑も多くて、芭蕉や其角、さらには司馬遼太郎氏もありました。皆さま、ここを訪れたということなんですよね。
芭蕉の句碑。
おそらく景色は芭蕉が訪れた時とほぼ変わってないと思われます。
天寿を全うされた方ばかりではないので、この参道の両脇にあるものは、いわば悲しみの堆積物と言ってもよく、そう考えるとなんとも言えない気持ちになりますが、でも、そんなのは生きている人間の感傷に過ぎなくて、実際に感じるのは、ただ穏やかで静かな空気だけです。ここにいる人だけがすべてではないですが、それでも目に入る墓碑の数だけ人生があったと思うと感慨深いです。いつか私も向こう側へ行くわけですが、こんなにたくさんの人たちと一緒なら、彼岸を渡ったあとも淋しくないなあと思いました。何より弘法さまのお膝元ですもんね。
苔がかわいい。
緑の葉っぱはこうやまき。
御廓の近くになると俄然、人が増えてきました。どうやら別の路から上がってこられたようです。お寺関係の方やお遍路さんも多かったです。
この先に、弘法大師の御廓が。
弘法大師様はご入定後も変わらずお勤めをされていると信じられています。
祈ったからといって、この世の苦しみや悲しみが無くなるわけではないですが、そういった厄災も含めて、大師さまは、人間を静かに見つめていらっしゃるのかなと思いました。
一日にいっぱい歩かれましたね~
8枚目の写真、巨木の存在感と奥行きが感じられて特に素敵です。明るさもバッチリ
そしてお坊さん。
近場のお寺のお坊さんは日常的でソフトな感じがしますが、高野山や比叡山のお坊さんは修行中のせいか、厳粛で高潔なオーラを感じます。
絵になる~(*^,^*)
来年は真田幸村ですか。
大河はあまり見ないんですが、堺雅人×三谷幸喜だとチョット気になります^^;
広いので奥行きが出る場所がなかなか見つからなくて、8枚目のところを見つけた時は「ここだ!」と激写(笑)。
お坊様は確かに心が洗われますね。ご本人には習慣なのてしょうが、お経を唱えるその姿がとても死者への慈しみに満ちているような気がして、ちょっと印象に残ったんでした。
大河ドラマは私も毎年見ているわけではないですが、以前の三谷さんの「新撰組!」にはハマったくちなので、来年は見てみようと思っています