今日の108円

1日1冊108円・・・・・・最近そうでもない。

NARUTO-ナルト- 巻ノ十一 岸本斉史 2002年3月9日 集英社

2015-04-30 07:31:01 | NARUTO-ナルト-
"第三の試験"の本選を前に謎のガマ仙人と修行を始めたナルト。だが、その頃、我愛羅に勝負を挑んだドスは一瞬の内に倒された・・・。そして、それを傍観するカブトと砂の上忍バキ!!恐るべき密約が今、明らかに!!
裏表紙より。
「・・・」(中点×3)なのか「…」(さんてん)なのか?
今まで「…」にしてたけど、見返すとこれは下に寄ってる。プレビューでは問題無いのに。
「・・・」は投稿画面だと間隔が空き過ぎに見えるけど、プレビューだと調度よく見える。
結論
投稿画面とプレビューで見え方が違うのが悪い。

ナンバー91:弟子入り志願!?

ナルト「オレの歳ならイタズラっ子で済んでも」
 「オッサンの歳ならそれカンペキに犯罪だってばよ!」
ガマ仙人エロ仙人の非道を糾弾するナルト・・・自覚があんならアウトだバカ。
エロ仙人 これじゃチャクラを上手く練れねーはずだのォ・・・
 おそらく別の奴がやったものだな・・・式が荒い・・・
 フン…まぁ大蛇丸ってとこだろうがのォ…
なんだかんだでナルトの修行を見るや、すぐ問題点(及び原因)を見抜き、さらにそれを解決。
この『ドスケベ』、タダモノではない。

ナンバー93:熱情・・・それぞれ!!

リー ボクはまだ・・・
 終わっちゃいない・・・
(回想)ガイ「自分を信じない奴に」
 「努力する価値はない」(回想終わり)
リー 絶対に・・・絶対に・・・
 あきらめないぞ!!
リー・・・(´;ω;`)ブワッ


ナンバー94:鍵・・・!!

イルカ「この方があの3番目にある顔岩の御本人」
 「三代目火影様だ!」
 「三代目は特に歴代の中でも最強と言われ」
 「プロフェッサーと呼ばれた天才だったんだぞ!」
(´・∀・`)ヘェー
このじーさんがねぇ・・・1話でナルトにしてやられてた気がするけど。
三代目「コラ!イルカ過去形にするでない」
ジジィwww
そんなことだから
子ども(たち)「えー!ほんとにじーちゃん強いのかぁー!?」
 「そうは見えねーなぁ!!」
木の葉丸 うん!ごもっともだコレ!
散々。
(自分にとって大切な人は)『この里・・・全ての者たちじゃ!』(どやぁ)
なお茶化せる機会はここが最後の模様。

ナンバー97:在り続ける理由・・・!!

我愛羅「ではオレは何のために存在し生きているのか?」
 「そう考えた時答えは見付からなかった」
 「だが生きている間はその理由が必要なのだ」
 「でなければ死んでいるのと同じだ」
自分探しについて語る砂漠の我愛羅クン(12歳)。
シカマル「何言ってんだ・・・コイツ」
奈良シカマルクン(12歳)にはちょっとまだ早過ぎたようですが、
ナルト ・・・オレには・・・
 分かるってばよ・・・・・・・・・
うずまきナルトクン(12歳)は分かるってばよ。
この辺が「主人公」と「その他大勢」の違いな訳ですね。
我愛羅「そしてオレはこう結論した」
 「『オレはオレ以外全ての人間を殺すために存在している』」
 「いつ暗殺されるかも分からぬ死の恐怖の中でようやくオレは安堵した・・・」
 「暗殺者を殺し続けることで・・・・・・・・・」
 「オレは生きている理由を認識出来るようになったのだ」
gkbr。
まさに環境が生んだバケモノやでぇ・・・!
ナルト こんな奴に・・・・・・・・・
 ・・・勝てるワケがねェ・・・
エロ仙人との修行で新術を習得し、自信に溢れていたはずなのに・・・!
幸いガイ先生の登場でその場は事なきを得る。

ナンバー98:誇り高き失敗者!!

ナルト「いよいよ本選か・・・・・・」
 「緊張して・・・あんまり寝れなかったってばよ・・・・・・・・・・・・」
我愛羅との邂逅で自信を粉砕され、当面の問題であるネジ戦についても不安を抑えきれないナルト。
(回想)カカシ「点穴はな・・・」
 「はっきり言ってオレの写輪眼でも見切れない!」
リー「・・・・・・木ノ葉で最も強い体術流派・・・」
 「おそらく木ノ葉の下忍で最も強い男はボクのチーム内にいると・・・」
 「それがあの・・・」
 「日向ネジです・・・!」(回想終わり)
「自分が認める強い奴」が揃って高く評価してるもんな。しかもその強さを目の当たりにしてるし。不安に思わない方がどうかしてる。
このままだと主人公惨敗パターンか?でも挫折して立ち直る流れは「波の国編」の序盤でやってるからなぁ。『ケガはねーかよビビリ君』。

そんな主人公の下に勝利の女神が!
ヒナタ「失敗をするからこそ・・・そこから立ち向かっていく強さがあって・・・・・・・・・・・・」
 「そんな強さが本当の強さだと思うから・・・・・・・・・・・・」
 「ナ・・・ナルトくんはすごく強い人だと思う・・・」
ヒナタはナルトの嫁。
ナルト「オレってばお前のこと」
 「なんか・・・・・・」
ヒナタ「・・・・・・え?」
ナルト「暗くて地味でウジウジしてて」
 「変な奴だって思ってた」
・・・
(´・ω・`)ぶちころすぞ
ナルトてめーこのウスラトンカチ主人公だからって調子のtt
ナルト「けどお前みたいな奴って・・・・・・」
 「けっこー好きだってばよ!」
(ヒナタ無言)
下げてから上げて、完全にオトしよったで・・・!
なんだか気になる?カワイイ?なんのことです?

ナンバー98:本選、開始っ・・・!!

ナルト「ぜってー勝つ!!」
ふぅー!
ネジ ・・・自分を信じきっている目だ・・・
 ・・・まるで気負いが無い・・・
いやー白眼の洞察力はすごいナー。
ネジ「フフ・・・その方がやりがいがある・・・・・・・・・」
 「本当の現実を知った時・・・その時の落胆の目が楽しみだ」
ヒール感半端ねぇな!大蛇丸よりはるかに「嫌な顔」やでぇ。

いよいよナルト対ネジ戦開始!というところで次巻へ続く。


中忍試験終わりまで・・・ついでだからイタチ登場まで・・・いや、いっそ三忍編まで・・・10日前後かかるな。どうしよう。

NARUTO-ナルト- 巻ノ十 岸本斉史 2001年12月9日 集英社

2015-04-29 05:17:12 | NARUTO-ナルト-
白熱する"第三の試験"予選トーナメント! 我愛羅の対戦相手はリーだった。ヒョウタンの砂を自在に操る我愛羅に対し、鍛えあげた体術だけで立ち向かうリー!! 超人的な体術でリーは我愛羅を追い込むが…!?
裏表紙より。
最近読書速度が落ちてるから成功体験を重ねてみる試み。
 『NARUTO』のコミックスも早や10巻! あっちゅー間に2ケタです!
 よろしければ皆様、3ケタまではいかないと思いますが、飽きずに楽しんでもらえれば、うれしいかぎりっス!
前袖より。
まさか全72巻になると誰が予測できただろうか、ナルトだけに。

ナンバー83:絶対防御・崩壊!?

カンクロウ「あれが我愛羅の…」
 「絶対防御だ…!」
他里の奴(ナルト)に味方の能力をペラペラ喋んなwww
流石に弱点は口に出さなかったけども。

ナンバー84:努力の天才…!!

ガイ「…確かにお前はネジと違う…」
 「忍術や幻術の天才でもなければ体術の天才でもない…」
 「けどなァリー…お前もネジを超える力を…」
 「その可能性を秘めてる天才なんだぞ……」
リー「気休めならやめて下さい!」
ガイ「気休めでもなんでもない…」
 「なぜならお前は…」
 「努力の天才だ」
いい話だナー・・・
リー「…………」
 「…果たしてそれは…」
 「本当でしょうか…?」
ガイ「…!」
おやぁ?
リー「いくら努力してもボクは強くなれないんじゃないかって…」
 「怖くて怖くてたまらないんです!!」
担当上忍のガイが『努力の天才』と認めるほどに努力していても、それでも上手くいかない現実に打ちのめされ続けているリー。モウダメロン・・・
ガイ「自分を信じない奴なんかに」
 「努力する価値はない!!!」(マイト・ガイ)
『!!!』だけど、怒鳴りつけるじゃない。諭す。
初登場時の描写(リーをぶん殴ったあと抱きしめる)がウソのような・・・いや、この師弟の関係を体罰だと騒ぐ気にならないのは、やはり愛に支えられているからか。

さぁガイとリーの師弟愛の回想からの「禁術・裏蓮華」で勝利を掴めるのか!?

ナンバー86:立派な忍者…!!

ガイ …リー……お前…
 「……」


 …お前って奴は…
(´;ω;`)ブワッ
それでも届かない現実はしにたくなる。

ナンバー87:予選終了…!!

ハヤテ「えーー ではこれにて"第三の試験"予選…」
 「全て終わります!」
リーと我愛羅の激戦を経ての最終戦・チョウジ対ドス、即終了。
なんという台無し感。これはひどい。

ナンバー88:サスケは…!?

カカシ「サスケに何の用だ」
 「事と次第によっちゃあ…」
 「捕まえて尋問する」
カブト「出来ますかねェ…」
 「アナタごときに…」
カカシ「そのごときと…試してみるか…?」
全話通して屈指の「引き」だと思う。

ナンバー90:修行どーすんだ!?

ナルト (おーーーーーー!?)
90話にしてヒロイン・オトハさんキタ━━━━━━(゜∀゜)━━━━━━ !!!!!
ま、それは冗談にしても・・・コレが最後まで役に立つんだから忍界は怖ろしい。
「ムッツリスケベが負けた?」
「な…何だってばよ!あのオープンスケベはぁ!!?」(うずまきナルト)
そして次巻につづく・・・これだけ引用すると酷い引きだな。



長期連載になる漫画は「ギャグを細かく放つ・・・そして時折ちょっといい話を混ぜる!」な感じがする。

スピリチュアルにハマる人、ハマらない人 香山リカ 2006年11月30日

2015-04-28 07:55:38 | 心理
いまスピリチュアルが大ブーム。かつてはアヤシイと思われていた「守護霊」「前世」「魂」の話題が、軽く明るく普通に語れるようになったのはどうしてなのか?そこには「人は死んでも生き返る」と信じる子どもの増加、「科学のお墨付き」を売りにした「脳トレ」「健康食品」ブーム、「自分の幸せ」だけが大事な内向き志向との隠れた共通点があった――。時代の空気を読むスペシャリストが、ブームの深層にひそむ、日本人のメンタリティの変化を解き明かす。
裏表紙より。
『スピリチュアル』といえば江原・・・誰だっけ?と思ったら、帯に
江原さんのこと
①大好き!②インチキ!
あなたはどっち?
間違いなく本文に出てくるわ、これ。

まず俺の立ち位置を明確にしておこう。
①江原啓之氏の著作を読んだことがあるか?→1冊だけある
題名は覚えてない、だけど定価で買ってもいいと思った。
自宅外(確か病院の待合室)で読んだから手元に無い・・・あ、これこそブックオフの出番か。

②江原啓之氏は「何か見えている」と思うか?→見えている
動物は白黒でしか見えないところを、人間はカラーで見える。だから「視覚における突然変異」により「その人だけに何かが見える可能性」は否定できない、と思う。

③江原啓之氏にオーラや守護霊を見てもらいたいと思うか→思わない
結局「俺」には見えない訳で、1回頼り出したら見える人間(=江原氏)に頼り続けるしかなくなる。頼ると楽になるとしても、俺は江原氏よりは長生きするつもりなんでネ。

④江原啓之氏はどういう人間だと思うか→優れた洞察力と柔軟性を持っている
「一般大衆に受けるやり方を実践した」から「一般大衆の目に触れる機会を得た」んだと思う。そうでなければ商売にならないまま消えていたはず。
まとめると「油断ならねぇ人物」だと思ってる。こりゃ思考放棄の連中が信者化するわーっていうね。

さて、この本の著者はどういうスタンスだか読んでいこうじゃないか。

第1章 人は死んでも生き返る?

そして女性が飛びついた

「僕が救われるのは奥さん方のおかげです。男性は信じないけど、信じてくださる奥さんの力は強いんです。かたくなな旦那をねじ伏せる力を持っているんですね」
 それを受けて林氏は「男性って、なんであんなふうにかたくなに受け付けないんですかね。女の人は、その点、柔軟ですよね」「目に見えるものしか信じないというのは、すごく狭量だと思います」と、スピリチュアルな現象に対して懐疑的なことを「柔軟性がない」「狭量」と批判し、それはまた世の男性の欠点でもあると指摘している。
『『週刊朝日』(二〇〇六八月十八・二十五日号』での江原氏と林真理子氏の対談より。
まさに「女の論証テクニック」で吹いたwww
「林真理子=女」との対談で「奥さん方=女」を持ち上げる・・・油断ならねぇ。
そしてそれにあっさりひっかかる林氏。江原氏の「計画通り・・・!」。


第2章 スピリチュアルのカリスマたち

「サムシング・グレート」からのメッセージ
 たとえば、筑波大学名誉教授で、世界的にも著名な遺伝子工学者・村上和雄氏は、遺伝子研究の過程で「サムシング・グレート」の存在に気付いた、と言う。村上氏の著作から引用しよう。
最近は科学者が「霊魂」的な主張をすることもある、という流れの話。
今度は完全に孫引きになるけど気になったから書く。
ヒトの遺伝情報を読んでいて、不思議な気持ちにさせられることが少なくありません。これだけ精巧な生命の設計図を、いったいだれがどのようにして書いたのか。もし何の目的もなく自然にできあがったのだとしたら、これだけ意味のある情報にはなりえない。まさに奇跡というしかなく、人間業をはるかに超えている。そうなると、どうしても人間を超えた存在を想定しないわけにはいかない。そういう存在を私は「偉大なる何者か」という意味で十年くらい前からサムシング・グレートと呼んできました。
(『生命の暗号』サンマーク出版、一九九七年)
『精巧な生命の設計図』『意味のある情報』・・・そういうのはあくまでも人間の勝手な定義じゃねーの。
それに『人間業をはるかに超えている』という一文が「(現代の)人間業をはるかに超えている」という意味に見えてしかたない。
どうも科学者の傲慢が感じられるんだよなぁ・・・いつまでも孫引きでぐだるのはよろしくないから、「村上和雄」という名前を覚えておく。

第3章 江原啓之という現象

「私」がより幸せになりますように

 現代のスピリチュアルの祈りの文句は、「世界やすべての人類が幸せになりますように」ではなくて、「私がより快適に暮らせますように」なのではないだろうか。自分がより快適な状態になることで、相対的に他者が不幸になることも可能性としてはあるのだが、ほとんどのスピリチュアルの本ではそのあたりのフォローはされていない。
 たとえば、スピリチュアルな波動やパワーを使って、「ステキでリッチなあの彼が手に入りますように」と願い、それが実現されたとして、その陰には恋人を奪われて泣く女性がいるのかもしれない。しかし、現代のスピリチュアルでは、そこへの配慮は不要らしい。もし、泣く女性が「私も幸せになりたい」と願うなら、彼女は彼女で別のスピリチュアル本なり何なりを見ればいい。その基本にあるのは、「自己責任」の姿勢なのである。
「責任を持て」と教えられてきた現代人がスピリチュアルに染まるのは必然・・・!
そして責任を負うのが嫌いな俺が染まりきらないのもまた必然・・・!

イメチェンの原動力「オーラ」

 江原氏を一気に人気者にした原動力のひとつに、この「オーラ」という概念があったのは間違いない。「オーラ」は、江原氏が初期の頃から主張する「まわりの人に幸せを与えることでしか、人は本当の意味での幸福は手にできない」といった"霊的法則"とは直接、関係するものではないが、江原氏から「オウム真理教くささ」を消し去り、怪しい霊能者から人を幸せに導くカウンセラーにイメージチェンジさせるためには、どうしても必要なものだったに違いない。
俺が読んだ江原氏の本は霊的法則云々書いてあった。初期の本だったのか?・・・いや違う。「今までは重湯的なことを書いてたけど、そろそろおかゆ、そしてご飯的なことを書きたい」といったことが書いてあったから、むしろ新しめの本か。
『本当の意味での幸福』・・・江原氏もまた「哲学者」かもしれぬ。

「個人の幸福」のその先は?

 一般の人たちにもスピリチュアルを知ってもらうためには、まずそれが決して世俗からかけ離れたものではないこと、「現世利益」「個人の幸福」を追求するものでもあることを強調しなければならない。
 しかし、それはあくまでスピリチュアルの入り口でしかなく、本当はその先にある「たましいを磨くこと」「自分のためではなく他人の幸せのために何かをすること」を目指さなければならないのに、人はなかなかそこに向かおうとせずに、いつまでも「私のオーラは何色?どうすればもっとお金がもうかるの?」としか言わない。自分を世に広めた「オーラ」によって、いまでは逆に活動を妨げられている。それが、最近の江原氏なのではないだろうか。
江原氏が読み切れなかったのは「一般大衆の馬鹿さ加減」かねぇ?


第4章 スピリチュアルで癒されたい

限りなく内向きな問い

 実際、彼女たちが求めているのは、積極的な自信の持ち方といったスキルを身につけることですらない。内向きに構成された問いが最後に求めるのは、「そのままのあなたでいい」「自分の中にいる本当の自分を愛そう」といった受容や慰撫のことばなのだ。
心理学者の信田さよ子氏が、女性誌の「お悩み相談」の回答者として受けた体験からの考察。
アニメ版の「ボクはここにいてもいいんだ!」が思い出されるが、女性がクリスマス・イヴにこだわることとの関係も考察の余地があると思われる。しかし残された時間は少ない(現在7時38分)。

第5章 スピリチュアルちょい批判

"むなしさ病"の恐ろしさ
かつてオウム真理教事件が明るみに出たとき、世間は、一流大学を出て弁護士、技術者、医者、公務員などの職を得た若者たちが、誇大妄想的にして反社会的な教義を唱える"尊師"の言うなりになっていたことに驚いた。
 そして、「他人とは違う自分でありたい」「自分にしかできない何かをして世の中の役に立ちたい」と純粋な理想を抱いて大学に入り、社会に出た若者たちが、結局、自分は歯車のひとつにすぎないことや、要領のいい人間、コネのある人間だけが得をすることなどを思い知らされ、むなしさややりきれなさに苦しんだ末にこの教団に入って行ったことを知った。
ここまで簡潔にオウムの件をまとめた情報を見たことが無い件について。

この後しばらく「オウム真理教とスピリチュアルは本質的に同じものである」という著者の考察が続く。それを認めようとしないスピリチュアル好きーな人々については
 こういった例を見るまでもなく、自分で複雑な思考をするよりも、「白か、黒か」と二者択一の選択肢を与えられて、そのどちらかを選びたい、という傾向は世界的なのかもしれない。
こういった例→ブッシュ大統領の対テロ戦略、小泉首相の郵政改革
「自分で考えた末に白か黒かをはっきりさせる」とは違う訳か。2択で答えられない問いにぶつかったら思考放棄する。


あとがき

 私や私のようにハマらない人は、もしかするとハマる人に比べて楽しさや豊かさの少ない人生を送っているのだろうか。それはそれで損な気もするが、そこでまた「得さえすれば考えるのを放棄してもいいのか」という疑問もわいてくる。「これさえ信じればバラ色の人生が待っている」と言われているような気もするが、そこのラインを踏み越えるのは、私のようにヒネくれた人間にはなかなかむずかしそうだ。
おれもおれも!


200ページ未満なのに時間かかった。正直テレビで何か言ってる人のイメージが強くて舐めてた。反省。伊達じゃない。時間切れだから片言った。急げ、俺。


※4月29日
途中から全部太字になっていたのを修正。これはひどい。

※上記から1分後、引用部分の間違いを修正。これは(ry




ツチヤの軽はずみ 土屋賢二 2001年10月10日 文藝春秋

2015-04-27 06:50:16 | 108円
この男の人間関係は職場でも家庭でもなぜこじれてしまうのか? こんなヒネクレた男が大学教授になったのは何かの間違いではないのか?こじれた人間関係と身にふりかかる不幸に苦悩する"笑う哲学者"プロフェッサー土屋が苦しまぎれに説く深遠な人生哲学(?)満載の「週刊文春」連載エッセイ文庫化第一弾。     解説・中井貴惠
裏表紙より。
元の本は1999年2月。
予告通り「軽」い本にしてみた。

まえがき

 なお、いうまでもないが、本書には何のメッセージも主張もない。教訓、提言、知恵、ドラマ、笑いなど、有意義なものは一切求めず、心を無にして買っていただきたい。
「みなみけ」的注意書き。あ、こっちが先か。
とにかくおk、把握した。

 熟慮は疲れる

 これだけ慎重な人間なのに、なぜまわりの連中がわたしを軽率な人間と考えているのか、理解できない。たとえば、よく健康診断で病気が見つかってあわてる人がいるが、慎重なわたしには考えられないことだ。万一異常が発見されたときに備えて、できるだけ健康診断を受けないようにしているのだ。
くっそwww
相変わらず・・・いやこっちが第一弾だから、最初からぶれてないわけかwww


女の論証テクニック①

 たとえば、ほとんどの女は「愛しているなら、ダイヤの指輪買って」くらいのことはいうだろう。このことばは男にも分かるように簡単な形で表現しているため、一見すると甘えているだけのように思われるかもしれないが、これまで述べたのと同じ手法を使っている。「愛しているということはダイヤの指輪を買ってくれるということだ」と定義し、そこから「買わなければ愛していない」と結論づけているのだ。

女の論証テクニック②

 よく「夫は理解がない」という女がいる(こういう女はきまって結婚している)が、どうしてこういう女の話を理解できるだろうか。もちろん、女は「理解できるはずだ」と主張するであろう。「理解する」とは「わたしのいいなりになる」と定義しているからである。
女にフラれた?馬鹿言っちゃいけねぇよ。いつだって男がフルに決まってるだろうが、白旗をよ。
 これほど洗練されたやり方でなくてもよければ、だれでもこの手法を使うことができる。
『やり方は簡単だ』と言われましても、ボクらには勝手な定義を押し通すほどの力は・・・
 いくらなんでも自分の定義は勝手すぎるのではないかと思う場合もあるだろうが、そのような場合は、「真の」とか「本当は」などをつけるとよい。
あ、速効回答出たわ。
 哲学者はこれを得意としてきた。自分の勝手な定義を基にして、「時間は、本当は存在しない」、「世間でいう幸福は、真の幸福ではない」、「確実だと思われているものは本当は疑わしい」など、常識に真っ向から対立する主張をしてきた。これをみても分かるように、ふつうのことばをほとんど正反対の意味に使ってもかまわないのだ。
つまり女は生まれながらに哲学者、否、哲学者より高みにいる存在・・・!
そういえば、「哲学(者)の話」で「女性の哲学者」を見た覚えが無い。存在しない訳じゃないみたいだけど(Wikipedia)・・・男から見て「哲学者」と定義して理解できる女は滅多に存在しないという証明か。

こんな本を読んできた

 わたしの考えでは、タメになることを求めて本を読んでも、けっしてタメにはならない。第一、タメになる本しか買わないというのは、ケチくさいではないか(こういう人はわたしの本を買わないタイプだ)。
このヤロwww
どう見ても前述の論証テクニックです本当に(ry

寡黙な哲学者

 こどものころ、父は、「しゃべりすぎる人間にはなるな。昔の人は、雄弁は銀、沈黙は金といった」といっていた。昔の人は「地球は平らだ」ともいったのだから、必ずしも信用できないが、しゃべりすぎるのが軽薄な印象を与えることはこども心にも分かった。父は、
「ふだんは黙っていて、時折ぽつんとつぶやくと、重いのある人だと思われるものだ」
 と私に教えた。実際に重みのある人間になる方法は教えてもらえなかったが、重みのある人間に見せる方法は教わったわけである。
「父親のちょっといい話」にできる話が台無しに・・・
 だが、父もわたしも黙っていられないタチで、結局、黙っていることができるためには重みのある人間でなくてはならないことが後になって分かった。
もうやめて!とっくにお父さんのライフは0よ!

大決心

 くじける原因を考え抜いた結果、一つの結論に到達した。くじける原因は決心することにある。
ナ、ナンダッテー!?
 決心には奇妙なところがある。実行できることなら、決心するまでもなく、すでにやっているはずだ。
 食事をしたり映画を見たりするのに決心する人があるだろうか。逆にダイエット、禁煙、本の整理、棚の修理などを何の決心もなくやれる人がいるだろうか。
 実行できそうもないと思ったとき、人は決心するのではなかろうか。
 何をするかは、決心するしないに関係なく決まっているのだ。こんなことでは人間に自己決定能力があるかどうか、疑わしい。決心してもどうせ行動を変えられないのなら、いっそ抵抗をやめて成り行きにまかせた方がいい。
これでキレイに終わらないのが土屋賢二流。
くだらない→やっぱりくだらない→くだらなくなくなくない・・・?→くだらねぇwww
これはこれで起承転結か。

高熱に苦しんだ日々

 食欲もなくなる。お茶でさえ喉を通らないのだ。ゴキブリ、机、電車、妻の料理など、食べる気も起らない。
これ読んでキレる人は上っ面だけのフェミニスト。(きりっ)


早く書き終わろうとして土曜から1時間早く起きてるのに、土日の書き終わりは結局遅かった。でも「今日こそは!」のつもりでやったら1時間早くなった。ふぅーふぅー!
・・・いや、この本だからだな。本当に土屋先生の本はマジパネェっす!だから皆新刊で買ってほしいっす!


逆転の発想 社会・企業・商品はどう変わる? 糸川英夫 1982年5月30日 角川書店

2015-04-26 10:20:35 | 仕事
 これからの日本はどうなるか。企業はどうしたらいいのか。また個人として、どう生きていけばいいのか。
 混沌とした現代に満ちているこの‶危機感"は、どこから生じているのか。
 本書は、その根源をさぐり、これからの時代に対していく処方を具体的に解説していく。
 情報の収集・選択の仕方、ベスト商品へのアプローチ、エネルギーへの考察、そして将来への展望と、従来の発想法を大転換して、これからの時代に対処する方法と手段を示唆する、万人必読の書。
前袖より。
この本は82年だけど、この本の前に『五冊刊行されて、「発想ブーム」の元祖になったように言われて』いたらしい。
あとがき

 第一冊目の『逆転の発想』が出版されたのは、第一次オイルショックのまさに始まったときであった。
・・・70年代前半。10年経っての6冊目か。

反企業時代の経営戦略

反企業運動のパターン

 しかし、ここで終わるわけではない。第3図を見ていただくとわかるように、フェーズⅠ(第1段階)では、ロジックとロジックのやり取りである。その次のフェーズⅡになると、ロジカルで科学的な判断ではなくなり、好き嫌い、情緒的な判断に移るのである。この場合、新聞の書き方が一方的なのだなどとよくいわれるが、そうでもない。新聞は数で勝負しなければならないので、マーケットの潜在的欲求にのらないと売上げが伸びない。だから、どちらが一般大衆の潜在的ムードに合うかをいちおう判断したうえで記事にしているわけである。むずかしいところである。
企業と批判者の対立の流れ。
「一方的な報道によって一般大衆が誘導される」のではなく、「一般大衆の感情に合わせた報道をしないと売れない」。うーん。

人間性とは何か

自然破壊は人類の専売特許か

 ここから先はどういうことが起きるかというと、沢山の親が出した排泄物が問題になってくる。親が出す毒素で次の赤ん坊の育ちが悪くなる。そして自然に数が制限されて、一定のところできまって頭打ちになってしまう。だから、私は地球を一つの容器として考えた場合、親が沢山の毒素を出して次の赤ん坊の健康を害することで、人類もやはり一定の人口にとどまるのではないかと思う。
本物のねずみのねずみ算の話から。
このあと西丸震哉氏(著者の知人)による「日本の人口は1980年代に1億を割り、90年代には7700万まで減る」という悲観的な試算も出てくるけど、残念ながらそうはならなかった。
 だが、ここで人間がほかの生物と違うところは科学という武器を持っている点だ。科学の力で、こうした危機をなんとか打開できないものだろうか。
打開できてるのかねぇ?延命治療の分野は、正直余計なことを・・・感がする。

涙は人間だけのものか

 ところが、涙を出すのは人間の特技かというと犬や猫や猿でも、親と引き裂かれればワアワアと泣き叫ぶ。子犬を親犬から離すと、一日中、泣き続けるし、にわとりでも声を大にして泣いている。つまり、泣くという行為は多くの生物に共通なもので、人間だけに特有のものではない。にもかかわらず、それは人間的だといわれ、人間独自の行動は機械みたいだといって軽視される。
 するといったい、現在の状況の中で"人間性とは何か"とか"人間性の回復"とか"人間的でありたい"ということは、どんなことを望んでいるのだろうか。
暗算が得意な人間を機械的と評し、感極まっての涙を人間的と評することついて。
『人間性』とか『人間的』ってのは、「人間らしく」じゃなくて「生物らしく」を求めているのかもしれない。とすると、人間にしかできないことを推し進めることは「生物離れ」と同義ということになる・・・?
「おれは生物をやめるぞ地球ーッ!」
「おれは生物を超越するッ!」
「地球、お前の血でだァーッ!!」
問題は盾になってくれる人がいないことかナ。

情緒過剰時代の生きがい

原点否定の都市生活
 結局、私はだれかの役に立てないかということが、人類の原点であり、これがなくなったら、人類は全くバラバラになってしまう。
 ところが、都市というところは、だれかの役に立とうとするチャンスをことごとく奪ってしまう。山深い農村で、たとえば小野田さんみたいな生活をしたとしよう。わずから食物であっても、だれかに分け与えたとしたら、その相手はどんなに喜ぶだろうか。
 しかし、都会の真ん中では、だれかにお腹がすいているでしょうと言ったところで、ラーメンもあればカレーライスもある。ありとあらゆるレストランが沢山ある町の中では、なにか食物をあげようと言っても、それほど感謝されるはずがない。感謝されるチャンスを都市生活が奪ってしまっている点に、都市の最大の問題があると思う。
だれかの役に立とうとした人々が、いつでも誰でもラーメンとかカレーライスを食える都市を開発したのに。至れり尽くせりも過ぎたるは・・・ということなのか。

ポストエコノミー社会の経済学

第二のパージの必要性
 第8番目は、戦後のパージにより経済エリートが一新された。すなわち老人層が全部パージされ、若手経済エリートが登場したということである。しかし、戦後約三〇年余りということになると、こうしたリーダーの老化現象も濃厚になってきている。だから、再度のパージが必要なのだが、当分期待できそうもない。新しい難問として考慮すべき点である。
高度経済成長の要因その8。
新しい時代を創るのは老人ではない!・・・のになぁ。

今日は選挙がある。俺は「ネット投票ができるようになれば若者の投票率が上がる」なんてのはウソだと思ってる。
「投票所に行く時間がメンドクセェ」から「サイトに接続して本人確認をする時間がメンドクセェ」になるんじゃねーの。要は投票なんかのために自分の時間を使いたくないってことなんだから。
「期日前投票まで含めて投票に行く時間がどうしても無くて悔しい」なんて人が「投票行かずにネット投票実現を要求してるだけの人々」の中に居るかね?そして居るとしても、そういう人のためにネット投票が最善と言えるのか?
「ネット投票があれば~」なんてごねてるのは選挙に対する責任逃れにしか見えない。それを見透かされてるから、政治の側も早急な対応をしないんだろう。政治家のことを「口先だけのゴミども」と非難してるだけの連中は、その政治家から「口先だけのゴミども」と舐められていると知るべき。

うだうだ言う間に投票いこうず。俺の判断基準は年齢。60超えたら「お前ら下がれー!」。「イっちゃえよ!」でも可。穏やかな老後を満喫していただくためにも丁重にお引き取り願うのです・・・「出てこなければ、やられなかったのに!」。

入社式はいつまで続く

 つまり、入社式とは終生この会社に操を捧げて忠誠を誓うということにほかならない。新入社員も心の中ではバカげたことだと思いながらも、第一日目だから仕方なしに出席しようという者がほとんどのようだ。しかし、これからは、病気とか、事故があったとか、法事だとか適当な理由書が会社に届けられて、本人が欠席する率が増えていくのではないか。つまり、日本の労働力が良質かどうかは入社式の出席率でおおよその判断がつくということになる。
今のトレンドは「親同伴」らしいから、むしろ出席率は上がってるかもしれない。
高学歴化と組織づくり
 もう一つ、労働力で重大な問題は三〇項目の中でも説明したが、高学歴化という点にある。第8図を見ると、昭和四〇-五五年に中学卒が激減する半面、高卒、大卒が急増している。
 これはどういうことを意味するかというと、私どもの行った二つのアンケートからも明らかになる。すなわち、①地球の環境は悪くなると思うか、②文明の進歩は人々を幸福にすると思うか、という二つの質問なのだが――①については、中、高、大卒の順にそう思うと答えた者が多くなっている。②については逆に、同じ順でそう思うと答えた者が少なくなっている。だから、この回答の背景にある問題というのは、高学歴になるほど、地球を汚すような企業は無くなってしまった方がいいという考え方である。
「革命はいつもインテリが始める」ってのはこういうことかぁー・・・とすると、学生運動に手を焼いた反省から「学生が制度に対して攻撃を実行しようと思わないように育ててきた」のが現代の教育で、その結果として「現行制度に不満があっても攻撃的手段は取りたくない(取れない)人々」が高学歴ニートになるのか?

エネルギー・一九八五年

冷えた社会
 エネルギー問題のしめくくりとして、一九八五年のエネルギー事情を中心とした私なりの未来予測を述べておこう。
wktk!
 戦後ッ子は、物資の豊富な時代に生まれ、過保護のもとに育てられた。このような甘えの構造の下で育った世代は気力も体力も独創力もなく、人間的資質からいっても画期的な技術を期待しえない。いまの高校生は、無気力、無感動、無責任、無目的という四無主義のとりこになっているが、一九八五年ころにはこの四無主義が社会の大半に広がっていると思う。
 アメリカも同じような傾向に一九六〇年代になったが、それでもアメリカにはワスプ精神が残っていて、つねに冒険を行なおうというホットな雰囲気がある。しかし、日本ではたまたま冒険心に富んだ人が出ても、そういう人は海外に出てしまう。
「団塊世代の少し後」かな?しらけ世代(Wikipedia)のことを指してるっぽい。
 冷たい社会は二〇〇〇年まで――。
 この年、一九四五年生まれは五五歳で定年。一九五〇年生まれの人は五〇歳だが、この無気力組は五〇歳前後で次の世代にその座を譲り、早々に隠退してしまう。次の世代――それは一九七五年生れの人々だ。エネルギー不足、紙不足といったように、生れついたときから"不足社会"に育った人たちは強い。デニス・ゲイバーも言っているように、逆境の中でこそ気力・創造力に富んだ人間が育つのである。彼らは個性豊かである。彼らのエネルギーは再び大きな技術革命を起こし、経済は大きな上昇期に入る。一九七五年までの上昇が洋風化というインパクトに支えられたのに対して、二〇〇〇年以後の上昇は"個性化"がインパクトである。
うーん。2000年頃景気はよかったんかなぁ?「不況」もしくは「少しはマシになった」程度の話しか聞いた覚えが無い。
ここで『無気力組』とされる連中、2015年になっても隠退してないしなぁ・・・。
これほどの文章が書ける人でも、未来予測は難しい・・・いわんや凡人をや、か。



『あとがき』まで含めて224ページだけど、これまた「厚い」本だった。連続で当たりを引くのもこれはこれできつい。まだ理解力が追いつかない。明日は軽く読めそうなのを用意しよう。