今日の108円

1日1冊108円・・・・・・最近そうでもない。

超常識 平凡のなかの非凡のすすめ 森政弘 1988年2月15日 PHP研究所

2015-04-15 07:41:39 | 仕事
 難しい問題に直面し、解決の糸口が見出せない時、どうすればいのか?丸いはずの百円玉も横から見れば四角いように、ちょっと視点を変えれば、見えないものも見えてくる。とかく我々は常識的な物の見方・考え方に促われがちだ。
 当り前、常識と思われるさまざまな事例にメスを入れ、超常識で発想すればどんな創造的な世界が拓けるか、その思考法とともに明かす。
裏表紙より。
元の本は1977年12月(ダイヤモンド社)。
『促われがち』・・・?流れ的に『捉われがち』の誤字か。「うながわれる」なんて言葉は無い・・・と思う。どうやって入力したんだろう?
ああ、誤字だと決めつけて突っ込むのは危険な行為だからもう止めておこう・・・もしかしたら、言葉に詳しい人にズバッと斬られるかもしれない。(ちらっ)

まえがき(旧版)

 常識を超えるということは、つまり、このようなことをいうのであり、今日の常識を否定することではない。換言すれば、常識が本当に正しい天地の大道に合致するように常識のレベルアップを図るという意味である。
『このようなこと』=百円玉は横から見ると四角い
……おや!?
じょうしきの ようすが……!テンテンテンテンテンテンテーテン

1 超常識のすすめ

割箸を習う

「見学とか質問は、壁にぶち当たってからにせよ」。これが私の方針である。だが、わが国では、何かを始めるときには、まず調査をするという姿勢が強い、まじめ学生しかり、学者のほとんどしかり、創造性をモットーとするシンクタンクの多くまでがそうなのである。この姿勢では創造性は育たない。まずは自力で零から出発して考えるくせをつけておかなければ日本の将来は危うい。いや人類の将来がだめになる。
「先人の結果(及びそこまでの過程)」を知ることは重要だろう・・・という指摘は『正しい』と認めつつも、
私にいわせれば、まねさえも完全にはできていない。本当にまねをするには創造性が必要なのである。別の表現をすれば、外国の創造能力をまだ日本はまねをしていない。
うーん。まぁ40年近く前の日本を観ての話だからなぁ。
たかが個人の創造性だけでやってると、「こういうのがあります。一本差し上げます」になる可能性が高いんじゃないかと思う。
今は、どうやってるか
→なぜ、そうやってるか
→ならば、こうできないか
こういう流れなんじゃないか・・・もちろん別の本の受け売り。

 学生諸君は、学ぶということは、自分よりもすぐれた相手から何かを受け取ることだと思っているようである。もちろんこれは正しい。教師は学生よりもすぐれていなければ教師ではない。だが、本当に学ぶということは、自分よりもすぐれていない相手、自分よりも目下の人、欠点を持った相手……から学ぶことでもあるともいえるのである。ここまでお読みいただけた読者の方々は、もう逆転の発想になれてしまわれただろうが、これも間違いではないと思っている。人間はつねに向上努力しなければ、調和して生きてゆかれないようにつくられている。学生のうちはまだよいとしても、年を取るにしたがって、前記の姿勢がなかったら向上はない。いや本当は、学生のうちからそうでなくては、本当の勉強ではないのである。神仏を除いて、世の中に完全なものはないといえるし、裏を返せば、どのように不完全なものであっても、学ぶべき点はそなえているものである。欠点のある対象から学ぶことを拒否すれば、何も学べなくなるはずである。欲をいえば、欠点以外の長所を学びとるというだけでなく、欠点からさえも何ものかを学んでほしいのである。
大事な話だと思うけど、「反面教師」とか「他山の石」で済むような。それだと軽くなるってことかな。

Π型人間

 欲をいえば、これからは「Π型人間」になる必要がある。専門を二つ持つと同時に幅を広くという意味である。専門を二つ持つと、ひとりでに視野は広がってしまうものである。同時に、自分の二つの専門領域の深さから、他の専門の深い内容を類推することができるようになり、結局、すべての分野を深く理解できるようになる。
(特定の事について)『深く知っている』→『|型人間』
『広く浅く知っている』→『-型人間』
『あるものについて深く、かつ広く知っている』→『T型人間』
この3種類の人間がいるとした上で、『Π型人間」になることを必要と言い切る。
これだと「趣味を仕事にする」ってのは『|型人間』の最たるものか・・・むむむ。

7 発想人間・ヒラメキとコツ

節約とケチのちがい

 おろかな者は、節約せよと言うと、必要なときでも使わなくなってしまう。使えというとむだ遣いする。
ギクリ。
 節約とは、本当は心の問題なのだ。世界的に資源の有限を意識しだしたため、節約のかけ声が盛んだが、人類が生き延びるために、資源の底が見えてきたから節約するというのは、本当の節約ではない。浪費よりはましとしても、その次元の節約では、人類は長生きできない。それは人間のエゴが優先しているからだ。エゴが優先しているときは、他よりも自分のほうが、あるいは自分たち人類のほうがうまいことをしようとしているわけだから、自分のことだけに視点が偏り、満遍なく全体をみることができない。つまり真実をみられなくなっている。だから方針を誤る。ゆえに長生きできない。
確かに節約と言われている方法は、あくまでも人の都合を優先した上でこうした方がマシ、ってことが多いかな。
 発想の転換、先入観の払拭は、開き直って言うならば社内でアイデアを出して人を押しのけて出世するためのものではない。他者を出し抜くためのものでもない。人類が一人残らずともに救われるための道なのである。
・・・小さい、と思わされる。


内容は論理的に思えるけど、文章がどうもクドいというか長すぎる感あり。
もっとも、俺の読解力の方を疑った方がいいかな・・・ただ漢字の変換の基準が変な感じはする。漢字だけに。
古い本でも良い本は良いと思える本。

それにしてもなんなんだろう、このタイミングの良さ(悪さ?)・・・言語化できないのが歯痒い。