今日の108円

1日1冊108円・・・・・・最近そうでもない。

「考える力」をつける本 轡田隆史 1997年1月25日 三笠書房

2015-04-25 10:06:24 | 仕事
◎考える力の差は
どこから生まれるのか?

 男女や年齢の別を問わず、どんな仕事でも勉強でも試験でも、スポーツでも将棋でも碁でも、自分の持っている力をどこまで引き出すことができるかが、勝負どころなのである。
 とかく人は力の有無を云々したがるけれど、力の差とは、力そのものの差であるよりは、自分自身で持っている力の引き出し方の差なのである――――――――――轡田隆史
前袖より。
『朝日新聞論説委員』・・・ああ、「朝日新聞」に特別含むところは無い。どこも大して変わらないっしょ。
新聞自体暇つぶしにしか読まないし。「どうせ大きな事件が起きたらあっさり引っ込められる程度の情報しか載ってないから要らない」という考え方に絶賛賛同中かつ、「殺人事件があって被害者はー容疑者はー」って情報が、今自分に必要なものなのかという疑問もある。知らない人の表面的なことだけ知っても同情以外何ができるでもなく、数か月~数年後に犯人が捕まった(捕まらない)ことがまたニュースになった時も「ふーんそーなんだー」「警察は仕事遅いな(してねぇな)」程度の感想しか出てこない。つまり情報として仕入れる意味が無い。

話が逸れた・・・気にすべき点は、著者が「新聞」のどこに関わっていた人なのか。
はじめに――「考える力」の差はどこから生まれるのか?

 丸八年は、朝日新聞夕刊一面の、乱暴にもほんの二百字ほどで森羅万象を批評しようとする、おそらくは世界でもあまり類のない極小のコラムを、ほとんど毎朝ただ一人で書き記してきた。
ああ、あーゆーの書いてた人か。
毎日僅かなスペースにちょっとうまいこと書いてドヤ顔してるイメージ。(偏見)
しかし短い文章でなるほどと思わせるのは至難の業。頭がイイに違いない。(先入観)

2章 新聞から何をどう読みとっていくか
「自分の頭で考える」ための情報収集術

ハサミいらず、ナイフいらずの「切り抜き」法
論説委員は関心を持った記事を切るのが『重要な仕事』。その流れから本の話に。
 わたしは、ためらわずにページの角を折る。本を丁寧に扱うこころはもちろん大切だが、より重要なのは、その内容をいかにわがものにするかである。あとで付箋をはって折り目を正せば、元に戻るものだ。
ねんがんの 情報収集のプロのお墨付きをてにいれたぞ!
「折れ折れ読書」と名付けよう。

わかりやすく「要約された記事」だからこそ落とし穴もある

 ニュースの本質は、一見「枝葉」のようにしか見えない「細部」にこそ宿っていることも多いのだ。しかし、より多くの記事、つまり情報をつめ込んで「完成品」を目指す過程で、このように「本質」を示す細部を削ってしまうようなことが時に起こることも知っておいてほしい。
これが怖くて最近引用が長め。でも引用は必要最小限度にすることも求められる・・・難しい。

3章 「量の読書」と「質の読書」
役に立つ探し方、読み方、楽しみ方

限られた時間に、できるだけ多くの本を読むたった一つの方法

 本を速く読むには、本をたくさん読んで、読むのに慣れるのが第一だ。活字を読み慣れることこそ速読術の基本。
ですよねー。
 結局、数多く読むのが速読への道、というのがわたしの経験で得た結論である。ただし、と慌てて付け加えるのだが、それは、毎日たくさんのページを読まなければならないということのみを意味するのではない。毎日、二、三ページでもいいから、活字を読む習慣を身につける。それでも役に立つ。本ではなく、新聞を毎日必ず読むのでもいい。
新聞から読書の話に移りつつも、さりげなく新聞を推しよったで・・・!
子供に読書をさせたいなら、まずは漫画のノベライズから入るといいんじゃないかと思う。「ワンピース」とか「ナルト」とか。・・・いや、むしろ「コナン」「金田一」「デスノート」を読ませた方が早いかもしれない。単純に文字が多いから。
ツマラナイ文章を叩きこむから、読書離れなんて現象が起こるんだよねー。

7章 「考えるきっかけ」をどうつかむか
「世界」を見る目、「自分」を見る目

「歴史のちょっとした知識」が生きてくるとき

 歴史の、ちょっとした知識。「異質性」を確認するための、重要な一歩がそこにある。歴史とはそういうものであり、だれも歴史から逃れることはできない。である以上、歴史に積極的に立ち向かうことこそ、知的な態度といえるだろう。
 なあに、それほど難しいことではない。歴史の本をちょっと読むだけのことだ。それだけのことで、海外旅行の楽しさにぐんと深みが増すのに、人はあまりそれをしない。
『ちょっと』ができないのだよねぇ?
「できる(た)人」は、「できない人」の心情を理解できない。これこそ「なぜ?」を考えるべきことだよなぁ。

ついでに・・・この件の根本的な原因は「学校で教える歴史」がツマラナイからに違いない。年号とか人名とか、どうでもいいことべー言いよる。「歴史の時間=ツマラナイ時間」としてインプットされた後、わざわざ歴史を知ろうとするはずがない。もうテストは無いんだから。
つまり、歴史に学ぶという姿勢を教えるべき時間に、記号を覚える作業をやらせる教師が悪い。・・・あれ、俺こんなに教師のこと嫌いだったっけ?

「同質性」を知って得るものはただの「安心」だが、「異質性」を知って得るものは「知」の楽しみである。
皆に合わせる風潮はつまり、日常の中で安心を得られていないってことかしら。
「安」は屋根の下に女。家はある、つまり「女」がいなくなった・・・うーん?
一方「知」は矢口。知ることは矢口ること。つまり不倫は文化だったんだよ!


9章 ワープロ・パソコンでできること、できないこと
機械と人間とのつき合い方を考える

コンピューターのメリット、人間の頭脳のすごさ

 機械に対して意地悪ばかりいってきたようだが、能率と便利の陰には必ず落とし穴があるといいたいのである。わたしもこれからワープロ、パソコンを道具として使いつづけてゆくだろうが、パソコンの画面で読書をしたいとは思わない。買い物は、店をひやかしながら、自分の目で確かめながら楽しみたい。
1996年にあった人間とスパコンのチェス対決(人間側の勝ち越し)を例に、まだ機械は『この程度』と評してるけど・・・チェスはもうスパコンの方が強いんじゃないっけ?
参考サイト:スパコンがチェス王者に勝てた意外な理由とは?―NAVERまとめ
世界が注目するその戦いが行われたのは1997年5月

対戦したのは 当時のチェス世界王者 「ガルリ・カスパロフ氏」と IBMが開発したチェス専用のスーパーコンピュータ 「ディープ・ブルー」

前年(1996年2月)に行われた1度目の対戦では カスパロフ氏が3勝1敗2引き分けで勝利していた

しかし この2度目の対戦では 1勝2敗3引き分けで カスパロフ氏が敗れたのである
この本の4ヶ月後かよ!
・・・と思ったら、スパコン(ディープブルー)側の勝因となった一手は
キャンベル氏によると あの時ディープブルーは 次の一手を選択できず 「単にランダムに手を打った」のだという
機械の精密さと正反対。言ってしまえばただの苦し紛れ。それを深読みしすぎたカスパロフ氏が自滅しただけの話だったらしい。
チェス界史上最強ともいわれるマグヌス・カールセン氏がスパコンに頼らないという話も出てきた(参考サイト:チェス王者の勝利はスパコンに対する人間の勝利 JBpress(日本ビジネスプレス)し、これは認識を変える必要があるな。

話を戻そう。機械化が進んでも全ては『人間あってのことである』というのが著者の主張。通販とかネットのみの情報収集とかは否定的。『もちろん各人の趣味の問題』とも言ってるけど。
確かに必ずしも機械化がいいとは言えないことはやっぱりあるよナ。


10章 「情報」を生かすための考え方
情報の選択とは人生の選択でもある

<ビジネスマンのための十か条>

現状の認識についてはやや悲観的に。しかし、未来と将来の展望については楽観的に。

 何ごとも、がっかりし過ぎたらそれでおしまいなのである。オレほど悲観的な人間はいない。そう思い込んでいる人は、そう思い込んでいられる点においてすでに楽観的なのである。
午後の紅茶(ミルクティー)吹き出しただろうが!
実際、現状認識から起こり得る事態は最悪のものまで想定した上で、『何とかなるさ』と思ってることは否定しない。「どうにもならない」と思い込んだ奴が自殺する。何とかなるさ(俺は)。


11章 議論の方法――「論理的な考え方、話し方」とは?
理性と論理、そして直感について

「正しい論理」と、もう一つの「正しい論理」がぶつかるとき
 会社の会議などで発言すると、上司から、「キミイ、もっと論理的にしゃべってくれんかね」などといわれるときがあるだろう。もちろん、論の立て方が支離滅裂の場合もあるけれど、実は、キミの意見は気に食わん、反対である、という考えの遠回しの表現であることが多いのは知っておいたほうがいい。キミが「その方向」で語りつづける限り、その話し方がどんなに「論理的」であっても、反対の上司には「論理的」に響かない。「論理的」という言い方は、要注意なのである。
もう少し早く読みたかったよ・・・。
最近ようやく気付いて、結果貝ることにしたけどさ。目指す方向が違い、向こうに変える気は全く無く、俺も変わる気は全く無い。沈黙・・・それが正しい答えなんだ!
まだ実力が無いから仕方ない。速さを重視するなら会社都合退職が最良のシナリオと思えてしまうのがなんだかな・・・もっとも、そうなったとしても「どこも同じ」が真なら、もう琥太郎先生の生き方に倣うしかない。
「やっぱ俺向いてないかも」「働くことがさ!」

「論理的」なるもののイカガワシサをわたしはかなり「論理的」に論じてきたつもりだけれど、そのうえでなおやはりこういわなければならない。論理的に考え、語るように努めようでないかと。しかし待てよ、「論理的」ではなく「筋道」という便利な言葉があるぞ。いわく、筋道を立てて考え、筋道を立てて語れ、と。なんだか、このほうが落ち着きがありそう。大げさな言葉遣いはなるべく避けよう、という「書き方」の原則はここでも真理なのである。
hmhm。
 古代ギリシャの哲学者アリストテレスは、学校の散歩道を歩きながら講義した。だから、その一門を逍遥学派とも呼ぶ。もっとくだけていうなら散歩学派、あるいは筋道学派はどうだ。「論理」などと大きく構えないと満足できない人もあろうが、逍遥やら筋道のほうが、柔らかくいろいろ考えられて、柔らかな結論が出そうな気がする。
「論理」という固い言葉は捨てて「逍遥」「筋道」といった柔らかい言葉を使うべきなのである、なんて書いてあったら盛大に笑うところだったのに・・・文体は柔らかでありながら隙は全く無い。こういうのが書きたい。

14章 遊び上手は仕事上手
常に新鮮な「こころと頭」を保つために

 人類はもともと学名ではラテン語で「ホモ・サピエンス」と呼ばれている。「賢いヒト」といったような意味らしい。ほんとうの意味で「賢い」とはとてもいえないと思うが、もう一つの呼び方、「ホモ・ルーデンス」のほうはなるほどと感じいる。「遊ぶヒト」。
遊ぶだけでは生きていけない。遊べなければ、生きていく価値が無い。(どやぁ)

思いもよらない潜在能力を引き出す「遊び」の力

 仕事が終わらなくたっていいや、完成しなくたっていいや、何もかもどうでもいい、と人生を投げてしまったような人は例外として、人は、少ない残り時間にこそ「馬鹿力」を発揮するものだ。緊迫感であり、集中力である。
「火事場の馬鹿力」をなぜ普段は出せないか・・・筋肉が自壊するからじゃなかったっけ?
緊迫感や集中力が重要なのはわかるけど、そのために火事を故意かつ頻繁に起こすのはどうかと思う。ダメだったら焼死するですよ?大抵の火事は周りを巻き込むし。俺はそういうのを『勇気』とは呼びたくない。



18年前とは状況が違うと思う部分も無くは無いけど、とても充実した本だった。
・・・休みの日はやっぱりダラダラ書いてよろしくないな。

議論に絶対負けない法 ゲーリー・スペンス 松尾翼【訳】 1996年5月31日 三笠書房

2015-04-24 07:54:00 | 仕事
◎議論する技術は、まさに「生きる技術」だ!
ゲーリー・スペンス

 議論する技術は、まさに「生きる技術」である。人生に勝つことは、ある意味で、日々の議論(他人との対決、そして自己との対決においても)に勝ち抜くことである。
 職業上、議論は私の商売道具であり、私はこの道具を練りに練り、鍛えに鍛え、そしてこれを駆使して四十年以上のあいだどんな議論にも負けを知らずに今日まできた。
 この本は、そんな私の「議論に勝つための全知識」の結晶であり、私なりの成功人生の縮図でもある。自己実現するために、どう戦い抜くか――私は「生きる知恵」の伝道者としての使命感をもってこの本を書いた。
前袖より。
帯のよるとこの本は『全米で180万部突破、大ベストセラー中!』だったらしい・・・「基準値」がわからないと役に立たないどうでもいい情報だって言ってるでしょう!

日本の読者へ
あなたも、これを守るだけで「必勝の議論」ができる!

 さて、私は議論する能力を身につけていく過程で、あまり攻撃的でもないし、敵意といったものも少ない「東洋的なアプローチ」からも、実に多くのことを学んだ。ここで言う東洋的とは、自分ばかりを前面に押し出すのではなく、相手を思いやり、相手との和を何よりも大切にするという意味である。
hmhm。
 一方、アメリカにおいては、自分がまず第一で、相手のことを理解しようとか、相手に自分のことを理解してもらうまで辛抱強く待つなどという考え方には、まったくなじみがない。聞いてもらうこと、理解してもらうこと、自分の要求に応じることを相手に要求し、その要求が受け入れられなければ、なぜ受け入れられないかその理由を教えろとまた要求するのがアメリカ流だ。確かに「キーキー鳴るタイヤは油をさしてもらえる」が、ほとんどの場合、忍耐強く相手を待つことが大いに報われることもまた事実である。
/(^o^)\
・・・要は短気なんだよなぁ。
アメリカ人に東洋的なアプローチを学ぶ東洋人。どうなってるんだ。

3 常に「主導権」を確保せよ
なぜ相手に力を与えてしまうのか、なぜ自ら手放してしまうのか

「正義」が生んだとんでもない私生児

 私は偽善が大きらいだ。不正が大きらいだ。だから攻撃した。視界に入った人を一人残らず攻撃した。不可解な微笑みを浮かべながらずる賢い弁論をした。感じのいい企業弁護士も攻撃した。口先巧みに悪賢い論述をした学者ぶった専門家も攻撃した。情け容赦ない言葉を連発しているうちに、うかつにも陪審員まで攻撃してしまったのだ。私があまりに冷酷だったために、陪審員がやむを得ず被告側に味方したのだった。私は自分のありったけの力を使って、自分自身をぶちのめしてしまったのだ。
むむむ・・・むー。
「ふせい」を打ったら「父性」が最初に出てきてギクリ。俺の思考回路は「ふせい=不正=父性」を憎むということなんだろうか。「父性=男性」であり「俺=男性」である、故に「俺は俺を憎む」。実にスッキリとした結論ですナ・・・ナ。


6 「偏見」を突き崩して議論に勝つ
頑固で手に負えない「刷り込み」をきれいサッパリ洗い落とす法

「自滅」は避けるのが最高の将軍

 前に定義したように、勝利とは私たちが望むものを手に入れることだ。長い目で見れば結局、私たちが「望む」ものは、私たちの豊かな人生の貯えを無駄に使わず、実を結ぶ努力のために使うことだ。自分たちの人生を無駄にされたくない。私はどの戦争で戦うべきか、誰を相手にどの戦いとどの議論をすべきか決める権利を自分自身のために残しておいた。もし私が将軍なら、敵の防備が非常に固くて、攻め込めば自滅するという時に、兵を戦いに送り込むことは決してしないだろう。将軍が自分の兵隊を大事にしなければならないのと同様、私たちは自分を大事にしなければならない。したがって、勝利は必ずしも勝利ではない。特にどうやっても変えられない偏見を相手が持っている時、つまり、相手がどうしても壊すことのできない戸棚に閉じこもって心に錠をかけている時には、勝利とは、退却するという戦術を取ることが賢明だと認めることだ。
やっぱり三十六計逃げるに如かずに落ち着くんだなぁ・・・。

13 怪物「リバイアサン」とどう戦うか
自分の力の及ばない相手に究極的に勝利する法
ははは、リバイアサンは海の怪物ではありませぬか。
僕は漁師とかダイバーじゃないんで・・・
 職場で議論するためにはまず、私たちと雇用主との関係について理解しなければならない。会社のもとで働いているなら、その本質を理解していなければ職場で意味のある議論をすることはできない。怪物のことを何も知らなかったら、私たちはその怪物と格闘しないはずだ。会社で働いている時に、会社という怪物の本質を十分に理解せずに議論をすることは、無駄であり、おそらく危険である。
gkbr。
負けないことによって勝つ方法

「他人の倫理観に合わせて利益にノーと言うことなど、どうしてできるだろうか。われわれは倫理という名のゲームをしているんじゃない。利益という名のゲームをしているんだ。ゲームをはじめたからには、こう考えてゲームをしなくてはならないのだ。倫理が最優先されるのは、倫理を守ったほうがより大きな利益を生む場合だけだ。わからないのか?」
著者自身『誇張しすぎているだろうが』と断ってはいるものの、これが所謂『会社役員』の『陳腐で、お決まり』の主張・・・らしい。
倫理を守らなかった会社は利益どころか潰れてるよねー、と思うだけにしてる。
 覚えておきなさい。給料の支払い小切手にサインするのが誰であろうと、私たちは常に自分のために働いている。雇ったり解雇したりするのが誰であろうと、私たちは常に自分自身を満足させる。私たちは常に自分自身の基準に従って生きている。結局のところ、それが常に勝つ方法なのだ。

「リバイアサン」の正体がわかれば勝負は見えている

 これまでにあなたは、いつ議論すべきか、どうすれば人の信頼を得られるか、どうすれば力を理解できるか、聴くことができるか、議論を準備し、作り出し、実践することができるかなどを学んだ。議論を生涯の仕事とする私にとって大きな意味を持つこれらの道具、テクニック、助言は、あなたが職場で議論する際に大いに役立つだろう。
あざーっす!さぁ早速実践d
 だが、もし私があなたを反逆しようという気にさせてしまったなら、急いで警告するが、反逆はめったに成功しない。反逆者は理解されないし、人々は自分が理解できない相手を恐れるからだ。それに、ありのままの自分でいること、自分自身の決断力にこたえること、自分自身の力を大事に取っておくことと、自慢げにいばり散らして騒音を立てまくることとはまったく別のことだ。
 ものおじせず、率直に主義を主張することがよくないと言っているのではない。主義を誇示することに、ふつうは何の利点もないと言っているのだ。自分の倫理に従って静かに生きている人は、自分の倫理観について耳をふさぎたくなるほどの大声で怒鳴り散らす人よりも、意味の深い議論をすることができる。
ここで(朝からちんたらブログをいじるような)短慮な読者を引き留める著者の先読み力には嫉妬すら覚える。



ページ数が300超えだったからいつもより早起きした甲斐はあったと思う。読み返し必須とメモしておく。

ガンダム人物列伝 株式会社レッカ社 2008年2月18日 PHP研究所

2015-04-23 07:54:00 | ガンダム
アムロ、シャア、カミーユ、ジュドー。もし彼らが歴史上の人物だったとしたら……。本書は、『機動戦士ガンダム』『Zガンダム』『ガンダムZZ』『逆襲のシャア』に登場した90人を、実在の人物と仮定して捉え、それぞれのエピソードを紹介しながら寸評を加えたものである。「ザビ家打倒を目論むジオンの『赤い彗星』=シャア・アズナブル」など、新視点で解説を施した大人のための一冊。文庫書き下ろし。
裏表紙より。
『新視点』・・・?2008年時点では新視点だったのかも・・・ははは、御冗談を。

第1章 機動戦士ガンダム

キシリア・ザビの政略を支えた腹心
マ・クベ

戦場に降りた貴族趣味の官僚

 彼は戦術に長けていたり、戦功で有名な軍人ではない。貴族趣味を持ち、数字など目に見えるものしか信じないという言動からは、官僚臭が強く感じられる。戦術や戦闘に関しては、参謀や前線指揮官にまかせていたのではと推測できる。しかし、戦争全体を見渡すことができた数少ない軍人でもある。
残念な将の解説に『官僚臭』という表現が使われて、しかもそれに納得できてしまうあたりが・・・。
『戦争全体を見渡す』ったって、目の前の兵士のことも見えない奴に何ができると。

ミライ・ヤシマの頼りない婚約者
カムラン・ブルーム

親の力を自分の力だと思い込む

 親の金や権力を使うのは、カムランには当たり前のことだった。もしも、それを鼻にかけて自慢するようであったなら、逆に誰かに叩かれて成長できたのかもしれないが、彼はそこまで腐ってはいなかった。あくまでも善良なのである。そのことが、かえってミライとの別れにつながってしまう。




第2章 機動戦士Zガンダム

名前を変え地球圏に再び舞い戻ってきた赤い彗星
クワトロ・バジーナ

クワトロ・バジーナという仮面に隠した傍観者の立場

 シャアが名を変えエゥーゴに加わったのは、地球連邦政府と戦うことを名目に、アースノイド(地球居住者)による、自主変革の可能性を確認したかったからではないだろうか。そのために、できる限り傍観者という立場を貫こうとしていたのだろう。
 ティターンズという当面の敵を倒すことには協力するが、「導く者」として立つなどということは極力避けてきたのである。そのためのクワトロ・バジーナという名前だった。シャアとしてはアースノイドが自覚的に地球を離れることを期待していたのだ。
民衆(ボクを含む)は基本バカだから、どうしても「指導者」がいないと動けない。クワトロ(=シャア)もそれはわかってるはずで、諸々の事情を客観的に考えれば「自分ならどうにかできなくもない」「今よりいくらかマシにはできる」こともわかってたはず。
それでも僕はやりたくない・・・が結局通らなくなって、ご覧の有様だよ!というのがZ。不憫な子やで・・・。


失意のジェリド・メサを献身的に支えつづけた女性パイロット
マウアー・ファラオ

聡明な彼女がジェリド・メサの中に見たもの

 その後、ジェリドと共にパプテマス・シロッコ配下として可変モビルスーツ「ガブスレイ」のパイロットとなったマウアーは、いつしかジェリドと男女の仲になっていた。しかしそのことを知りながらシロッコは、マウアーに何度となく自分のものになるよう誘う。しかしマウアーはそれを頑なに拒む。希代のナンパ師であるシロッコが、手元に引き込めなかった唯一の女性がマウアーだけだったことから、その強い意志と、ジェリドに対しての深い愛がわかる。いや、それだけでなく、ジェリドの中にこの世界を変える力を見たのだろう。聡明な彼女が単なる個人的な感情だけで、ひとりの男に固執する理由がほかにないのだ。
「ダメな子」ほど可愛いと思う女性の典型。
厳密には「ダメな子(ただし諦めない)」であることを「ダメな奴(ボクを含む)」は忘れないようにしましょう。


第3章 機動戦士ガンダムZZ

ジュドー・アーシタにライバル心を持つジャンク屋のリーダー格
ビーチャ・オーレグ

変わろうとする自分、振り向かせたい彼女

 戦闘がはじまり出撃を要請されるも決心がつかず、大人がはじめた戦争の尻拭いをなぜ子供の自分たちがしなければならないのかと、出撃を渋ったりもした。
 だが、その言葉に反論できないメカニックのトラジャ・トラジャが、動かせもしないモビルスーツ「百式」で出撃しようとするのを見かねて「百式はオレのですからね」とコクピットに着くビーチャだった。
 素直じゃない行動だが、ブライトもトラジャも、エンドラで見たネオ・ジオン軍の兵士たちのように私利私欲で戦っているのではないと感じ取れたからだろう。ただ、今はこの艦の人たちを手伝ってもいいと思ったのだった。
ビーチャすら自発的に働かせるブライトさんやトラジャさんを我々は見習うべき。
あ、俺は誰かを働かせる立場ではなかったワー。

光を求めて孤独な戦いをつづけた女性指導者
ハマーン・カーン

手に入れたかった光

 そう、ハマーンの求めていた光とは、自分より強い心の持ち主だった。極寒のアクシズの中で孤独な戦いを続ける自分を助けてくれる強い力。
 周囲の人間はすべてハマーンにつき従うことで、彼女にすべての責任をかぶせていた。それゆえ彼女は、自分を導いてくれる強い父性の持ち主にめぐり会いたかったのかもしれない。そして最期にそんな人間に出会えたことを確信したハマーンは、本来のやさしい顔に戻って光の中に消えたのである。
ジュドーがあの時点で10代後半なら・・・それでもまだ・・・同い年、いや1,2歳上でもまだ厳しいか。
ええい、アムロがヘルメットをぶち抜いていればこんなことには!



この本に限らず「レッカ社のガンダムの本」は読んでて微妙に思うところもちょいちょいあるけど、どういう訳か本棚に増えていく。「このセンス、嫌いじゃないぜ」ということかもしれぬ。時間切れ。

人生が変わる「朝5分」速読勉強法 高島徹治 2005年1月20日 講談社

2015-04-22 07:54:15 | 仕事
「頭のいい人」「試験に受かる人」の勉強の極意は、効率よく読む技術にあった!通勤時間などの毎日朝5分間からすぐ始められ、最小時間で最大の効果を生む「高島式」勉強法が、あなたの仕事人生をも激変させる。キャリアアップを望みながらも仕事にプライベートに忙しい現代ビジネスマン必読の書!
裏表紙より。
元の本は2003年1月「40歳からの人生を変える1日10分速読勉強法」を改題、さらには『大幅に加筆、改筆して再編集』。
・・・『40歳から』?まだ早過ぎんよシット!

2冊目の速読本。前回は「どうも内容を信じきれない」。今回はどうだろね。


プロローグ――「速読勉強法」で知財社会を勝ち抜こう

勉強の時間効率を考えるなら速読は必須の心得だ
うん、そうだね・・・ここで著者からのお断りが入る。
 それは、本書は昨今「世に盛る」、右脳型を詐称している速読術とは根本的に異なるものだ、ということだ。
 端的にいって、そうした速読術は羊頭狗肉に近く、本当に速読効果があるのかさえ疑わしいものが多い。効果のほどは本人の主観に任されていて、客観的に測定できないのだ。
 あくまでも、主宰する側のビジネス・パフォーマンス(利益)に貢献するだけのものと断じてよいものが多い。
「既存のもの=悪」「それをぶち壊す姿勢=良」という構成ktkr。
これはwktkせざるをえない。

 さて、プロローグの締めとして、この本で私がめざすこと、つまりこの本の目的を簡単にまとめておくことにしよう。
①時間密度がますます濃厚になった現代において、短時間で知識を獲得するため「速読勉強法」を身につけてもらうこと。それを駆使して、知識あるものこそが恵まれる知財社会、知価社会を乗り切る武器としてもらうこと。
②「速読勉強法」は、世の中で喧伝されている右脳云々という言辞をふりまわす、効果不明の速読術とは明らかに一線を画するものであること。そして、その「世に盛る」速読術に反省を求めていること。
③「速読勉強法」を構成する技法自体は、何ら難しいものではなく、暮らしの中で気軽に実践できる合理的なものであること。最短単位五分、一〇分という身近なレベルで実行できる簡単なものであること。

 以上である。
見せてもらおうか、『短期間に八〇の資格を取ることができた』という『速読勉強法』の詳細とやらを!

第一章 いまほど速読が必要な時代はない

情報洪水を乗り切るためには速読が必要

 全国出版協会・出版科学研究所の『出版月報』二〇〇四年一月号によると、二〇〇三年の書籍の新刊点数は七万二六〇八点、雑誌の創刊点数は二〇七点だという。
今は微増傾向かな?もっとも7万でも1日191冊。無理だな。
でも2対8の法則なら1日38冊・・・あれ?ここからさらに全く興味無いジャンルを切ればできなくもない、か?


第二章 いい速読法、悪い速読法を見分ける

疑念①右脳型か、左脳型か、その正体は?
「右脳型の本」と「左脳型の本」の主張を紹介してからの~
「この後すぐ」脅威の事実が発覚!

 ところが……まさにところがなのだが、この二つの書物の著者は、まったく同一の著者なのだ。あとの本のほうが先に出版されたもので、一九八九年の発行、前の本はつい最近、二〇〇二年の発行のものだ。
こ れ は ひ ど い 。
 既成のいわゆる速読術の世界というのは、こういうことが平気で行われている世界のようだ。そうとしか、思いようがない驚愕の事実である。
だがちょっと待ってほしい。それは速読術の世界だけの話だと言えるだろうか?どこででもある問題を「この世界だけの問題」として、「こういうことが平気で行われている既成の速読術は悪」であり、「故に私の説は正しい」という流れに持っていくのは論理的に飛躍があるように思う。
「論理的に飛躍」と言いたかっただけなことは否定しない。


第三章 「速読勉強法」で「知価社会」に切り込め

「速読勉強法」⑥――キーワード連結による速読技法

 佐藤泰正氏はその著書『速読トレーニング』(講談社ブルーバックス)の中で、日本語の場合、漢字がキーワードをかたちづくることが多いので、漢字だけを拾い読みしていけば、文章の大まかな内容を掴むことができる、といっている。
俺が漢字の変換基準でイライラするのはコレが理由。漢字なら知らない言葉であっても意味が分かるのに、平仮名だと知ってる言葉でも分かり辛い。
で、これだけで「これ佐藤泰正氏の説だよね」ってのは早合点。この先が大事。
「速読勉強法」⑦――スキーマの数を増やして「待ち伏せ読み」をする
スキーマとは!?
 スキーマとは「いくつかの知識の集合体」のことだ、といっている人もいるが、この理解で十分だと思う。
hmhm。
 つまり、速読力をアップし、速読という技術にたけた人間になるためには、スキーマの数を増やしたり、またその認識の質を高いものにする必要があるのだ。
要するに、予備知識の無い話題を速読できるはずが無い。
・・・あれ?前回の本も「簡単なのから読め」って書いてあったな。スキーマとかいう聞いたこと無い単語に踊らされていた・・・だと・・・・。


第四章 ビジネスマンのための「速読勉強法」

八〇の資格につながった私の勉強法
ktkr!
 私は、五三歳のときに自分が創業した会社の経営権を若手に譲渡して退職し、かなり暇ができた。平成二年夏のことだ。そのまま現役を引退してしまうのは早すぎるので、数年先に資格評論家を開業することをめざして、資格に挑戦し始めた。
・・・んんん?ちょっと待て。一般的な資格挑戦者と姿勢・立場が偉い違わないか?
そりゃ資格の勉強だけやってりゃいっぱい取れるでしょうよ。しかもそれぞれの資格について厳密に覚える必要も無い。とりあえず取れればいいんだもの。


既成の速読術に対する考え方や、速読勉強法そのものはなるほどなぁと思える部分が少なくなかったのに、読み終わったときは正直なぁんだ感が大きかった。時間切れ。

あらすじとイラストでわかる 孫子の兵法 知的発見!探検隊 2012年4月11日 イースト・プレス

2015-04-21 07:53:34 | 仕事
古今東西、数多ある兵法書の中でも、最古にして最高の水準を誇るのが「孫子の兵法」。今も世界各国で愛読されているこの古典には、あらゆる「戦い」の機微が書き尽くされている。現代においても、ビジネス競争、受験戦争、出世競争、スポーツ、恋愛などさまざまな「戦い」がある。そうした場面にも十分に応用できる「知恵」がここには凝縮されているのだ。本書では、イラスト、図表をたっぷり使い解説。また「実践・孫子の兵法」もあわせて紹介する。
裏表紙より。
元の本は2011年1月。
「三国志」を読んでるところ(現在白帝城)だったから目に入った。「損して得取れ」ならぬ「孫子で得取れ」ばりに出てくるからサ。


第1章 孫子の兵法とは何か

歴史上の偉人と孫子の兵法
孫子に影響を受けた・孫子を評価していた人々の例その1。
ナポレオン、ヴィルヘイム2世、ヒトラー、毛沢東、ホー・チ・ミン、マハティール。

戦国武将も愛した孫子の兵法
孫子に影響を受けた・孫子を評価していた人々の例その2。
楠木正成、毛利元就、武田信玄、織田信長、明智光秀、豊臣秀吉、山本勘助、徳川家康。

ビジネスマンたちのバイブル
孫子に影響を受けた・孫子を評価していた人々の例その3。
松下幸之助、本田宗一郎、ビル・ゲイツ、孫正義。

・・・後光効果半端ねぇな!
「孫子の兵法ってどうなん?」と軽い気持ちで手にした人間を完全に捕獲するための構成
こいつはちょっと危険な本だぜ・・・と思ったところに追撃が!

ビジネスで役立つ孫子の兵法

力の浪費を避ける
 孫子の兵法の中でもこれほど有名な一文もないだろう。「兵とは詭道なり」…戦うこと、それはつまり敵をだますことだ。サービス残業を押し付けてくる上司…これは間違いなく敵。しかしそのまま戦っても勝ち目はない。そこで「故に、能なるもこれに不能を示し…」これが役に立つ。出すべき時にパワーを出せるよう温存するため、可能なことも不可能なように見せる。これも立派な兵法のひとつだ。
うっはwwwこれが第1章の締めwww
思わず笑っちゃうくらい、「絶対に逃がさん!」という意志が感じられる
この時点でもう大好きだ。



第2章 あらゆるものに「勝つ」ための心がまえ

交戦せずに勝利を目指す

必ず全きを以って
天下を争う
故に、兵、頓れず、
しかして而して、利を全うすべし
此れ謀攻の法なり

(謀攻篇)
解説 傷を負うことなく勝てばともにダメージは少ない
名将は自軍の兵を疲弊させない
 およそ名将と呼ばれる者は、戦わずに敵軍を屈服させ、城を攻めずに落城へと導く。敵を撃破するにしても、短期戦である。
 なぜなら、自軍の宝でもある兵を疲弊させたくないからだ。交戦すれば傷を負うし、疲弊する。名将は戦が長引けば、兵だけでなく国家までが疲弊することを知っている。
ワタミ()

第5章 人望を得て優秀なリーダーになる

敗北をもたらすリーダー

将に五危あり
必死は殺す可し
必生は虜とす可し
忿速は侮る可し
廉潔は辱む可し
愛民は煩わす可し

(九変篇)
あらすじ

「必死」は、必死になりすぎて引き際を知らないこと、「必生」は、臆病すぎて前進できないこと、「忿速」は、短気で敵の挑発に乗りやすいこと、「廉潔」は自分の名誉にこだわるあまりすぐ傷つきやすく、そのため自分の任務を全うできないこと、「愛民」は慈悲深いが、それゆえに小を殺して大を活かすことができず決断できないことである。

解説 優れたリーダーは柔軟性に富んでいる
こだわりすぎることの悪影響

 これら5つの特性がないというのであれば、慎重で勇敢といった矛盾した性格になるようにも思えるし、美点に思える性格もある。だが、何にせよ、将軍がひとつのことにこだわりすぎることは敗北につながるといっているのであり、将たるものは柔軟性を持って臨機応変に対応することが望まれるのだ。
『必死』『必生』『忿速』『廉潔』・・・「将」にはまだまだなれそうにないな・・・。
『愛民』は心配要らない。殺す時は全部殺すから。(きりっ)

第6章 応用力でピンチを乗り切る

敵の力をじわじわと奪う

敵、佚すれば
能く之を労し、
飽けば能く之を飢えしめ、
安ずれば能く之を動かす

(虚実篇)
解説 補給路を断ち休みを与えるな
不利な事態を打開する方法

 有利な状態の敵をそのままにしておけば、いつまでたっても自軍は不利なままで、いつかは敗北することになる。だからこそ、一見遠回りに見えても、自軍を有利な状態にするように、相手の戦力を忍耐強く削る必要があるのだ。
このあとの実践例がこの本で1番衝撃的だった。
実践孫子の兵法
歯医者Aの策略
同じ町に歯医者が3軒あって、その中でAは1番劣勢だった。Aの策略とは・・・!?
 ある時、AはB、Cに先駆けて夜間営業を始めた。すると、B、Cも負けじと同じように夜間営業を始めた。すると、なぜかAはすぐに夜間営業をやめてしまい、現状の患者のケアに集中した。一方、B、Cは長時間営業を行うために安い賃金で経験不足の歯科医や歯科衛生士を雇ったため、治療が荒くなったと悪い評判が立ち始めた。そして、次第に客足は減っていき、その客はAに流れることになった。
「戦略」ではなく「策略」と表すにふさわしい・・・おそろしい子!



全て「孫子の言葉→簡潔なあらすじ→わかりやすい解説→実践例」という明快な流れ。非常にわかりやすく読みやすい。これは定価で買っても満足できたんじゃないかと思う。