いまスピリチュアルが大ブーム。かつてはアヤシイと思われていた「守護霊」「前世」「魂」の話題が、軽く明るく普通に語れるようになったのはどうしてなのか?そこには「人は死んでも生き返る」と信じる子どもの増加、「科学のお墨付き」を売りにした「脳トレ」「健康食品」ブーム、「自分の幸せ」だけが大事な内向き志向との隠れた共通点があった――。時代の空気を読むスペシャリストが、ブームの深層にひそむ、日本人のメンタリティの変化を解き明かす。裏表紙より。
『スピリチュアル』といえば江原・・・誰だっけ?と思ったら、帯に
江原さんのこと間違いなく本文に出てくるわ、これ。
①大好き!②インチキ!
あなたはどっち?
まず俺の立ち位置を明確にしておこう。
①江原啓之氏の著作を読んだことがあるか?→1冊だけある
題名は覚えてない、だけど定価で買ってもいいと思った。
自宅外(確か病院の待合室)で読んだから手元に無い・・・あ、これこそブックオフの出番か。
②江原啓之氏は「何か見えている」と思うか?→見えている
動物は白黒でしか見えないところを、人間はカラーで見える。だから「視覚における突然変異」により「その人だけに何かが見える可能性」は否定できない、と思う。
③江原啓之氏にオーラや守護霊を見てもらいたいと思うか→思わない
結局「俺」には見えない訳で、1回頼り出したら見える人間(=江原氏)に頼り続けるしかなくなる。頼ると楽になるとしても、俺は江原氏よりは長生きするつもりなんでネ。
④江原啓之氏はどういう人間だと思うか→優れた洞察力と柔軟性を持っている
「一般大衆に受けるやり方を実践した」から「一般大衆の目に触れる機会を得た」んだと思う。そうでなければ商売にならないまま消えていたはず。
まとめると「油断ならねぇ人物」だと思ってる。こりゃ思考放棄の連中が信者化するわーっていうね。
さて、この本の著者はどういうスタンスだか読んでいこうじゃないか。
第1章 人は死んでも生き返る?『『週刊朝日』(二〇〇六八月十八・二十五日号』での江原氏と林真理子氏の対談より。
そして女性が飛びついた
「僕が救われるのは奥さん方のおかげです。男性は信じないけど、信じてくださる奥さんの力は強いんです。かたくなな旦那をねじ伏せる力を持っているんですね」
それを受けて林氏は「男性って、なんであんなふうにかたくなに受け付けないんですかね。女の人は、その点、柔軟ですよね」「目に見えるものしか信じないというのは、すごく狭量だと思います」と、スピリチュアルな現象に対して懐疑的なことを「柔軟性がない」「狭量」と批判し、それはまた世の男性の欠点でもあると指摘している。
まさに「女の論証テクニック」で吹いたwww
「林真理子=女」との対談で「奥さん方=女」を持ち上げる・・・油断ならねぇ。
そしてそれにあっさりひっかかる林氏。江原氏の「計画通り・・・!」。
第2章 スピリチュアルのカリスマたち最近は科学者が「霊魂」的な主張をすることもある、という流れの話。
「サムシング・グレート」からのメッセージ
たとえば、筑波大学名誉教授で、世界的にも著名な遺伝子工学者・村上和雄氏は、遺伝子研究の過程で「サムシング・グレート」の存在に気付いた、と言う。村上氏の著作から引用しよう。
今度は完全に孫引きになるけど気になったから書く。
ヒトの遺伝情報を読んでいて、不思議な気持ちにさせられることが少なくありません。これだけ精巧な生命の設計図を、いったいだれがどのようにして書いたのか。もし何の目的もなく自然にできあがったのだとしたら、これだけ意味のある情報にはなりえない。まさに奇跡というしかなく、人間業をはるかに超えている。そうなると、どうしても人間を超えた存在を想定しないわけにはいかない。そういう存在を私は「偉大なる何者か」という意味で十年くらい前からサムシング・グレートと呼んできました。『精巧な生命の設計図』『意味のある情報』・・・そういうのはあくまでも人間の勝手な定義じゃねーの。
(『生命の暗号』サンマーク出版、一九九七年)
それに『人間業をはるかに超えている』という一文が「(現代の)人間業をはるかに超えている」という意味に見えてしかたない。
どうも科学者の傲慢が感じられるんだよなぁ・・・いつまでも孫引きでぐだるのはよろしくないから、「村上和雄」という名前を覚えておく。
第3章 江原啓之という現象「責任を持て」と教えられてきた現代人がスピリチュアルに染まるのは必然・・・!
「私」がより幸せになりますように
現代のスピリチュアルの祈りの文句は、「世界やすべての人類が幸せになりますように」ではなくて、「私がより快適に暮らせますように」なのではないだろうか。自分がより快適な状態になることで、相対的に他者が不幸になることも可能性としてはあるのだが、ほとんどのスピリチュアルの本ではそのあたりのフォローはされていない。
たとえば、スピリチュアルな波動やパワーを使って、「ステキでリッチなあの彼が手に入りますように」と願い、それが実現されたとして、その陰には恋人を奪われて泣く女性がいるのかもしれない。しかし、現代のスピリチュアルでは、そこへの配慮は不要らしい。もし、泣く女性が「私も幸せになりたい」と願うなら、彼女は彼女で別のスピリチュアル本なり何なりを見ればいい。その基本にあるのは、「自己責任」の姿勢なのである。
そして責任を負うのが嫌いな俺が染まりきらないのもまた必然・・・!
イメチェンの原動力「オーラ」俺が読んだ江原氏の本は霊的法則云々書いてあった。初期の本だったのか?・・・いや違う。「今までは重湯的なことを書いてたけど、そろそろおかゆ、そしてご飯的なことを書きたい」といったことが書いてあったから、むしろ新しめの本か。
江原氏を一気に人気者にした原動力のひとつに、この「オーラ」という概念があったのは間違いない。「オーラ」は、江原氏が初期の頃から主張する「まわりの人に幸せを与えることでしか、人は本当の意味での幸福は手にできない」といった"霊的法則"とは直接、関係するものではないが、江原氏から「オウム真理教くささ」を消し去り、怪しい霊能者から人を幸せに導くカウンセラーにイメージチェンジさせるためには、どうしても必要なものだったに違いない。
『本当の意味での幸福』・・・江原氏もまた「哲学者」かもしれぬ。
「個人の幸福」のその先は?江原氏が読み切れなかったのは「一般大衆の馬鹿さ加減」かねぇ?
一般の人たちにもスピリチュアルを知ってもらうためには、まずそれが決して世俗からかけ離れたものではないこと、「現世利益」「個人の幸福」を追求するものでもあることを強調しなければならない。
しかし、それはあくまでスピリチュアルの入り口でしかなく、本当はその先にある「たましいを磨くこと」「自分のためではなく他人の幸せのために何かをすること」を目指さなければならないのに、人はなかなかそこに向かおうとせずに、いつまでも「私のオーラは何色?どうすればもっとお金がもうかるの?」としか言わない。自分を世に広めた「オーラ」によって、いまでは逆に活動を妨げられている。それが、最近の江原氏なのではないだろうか。
第4章 スピリチュアルで癒されたい心理学者の信田さよ子氏が、女性誌の「お悩み相談」の回答者として受けた体験からの考察。
限りなく内向きな問い
実際、彼女たちが求めているのは、積極的な自信の持ち方といったスキルを身につけることですらない。内向きに構成された問いが最後に求めるのは、「そのままのあなたでいい」「自分の中にいる本当の自分を愛そう」といった受容や慰撫のことばなのだ。
アニメ版の「ボクはここにいてもいいんだ!」が思い出されるが、女性がクリスマス・イヴにこだわることとの関係も考察の余地があると思われる。しかし残された時間は少ない(現在7時38分)。
第5章 スピリチュアルちょい批判ここまで簡潔にオウムの件をまとめた情報を見たことが無い件について。
"むなしさ病"の恐ろしさ
かつてオウム真理教事件が明るみに出たとき、世間は、一流大学を出て弁護士、技術者、医者、公務員などの職を得た若者たちが、誇大妄想的にして反社会的な教義を唱える"尊師"の言うなりになっていたことに驚いた。
そして、「他人とは違う自分でありたい」「自分にしかできない何かをして世の中の役に立ちたい」と純粋な理想を抱いて大学に入り、社会に出た若者たちが、結局、自分は歯車のひとつにすぎないことや、要領のいい人間、コネのある人間だけが得をすることなどを思い知らされ、むなしさややりきれなさに苦しんだ末にこの教団に入って行ったことを知った。
この後しばらく「オウム真理教とスピリチュアルは本質的に同じものである」という著者の考察が続く。それを認めようとしないスピリチュアル好きーな人々については
こういった例を見るまでもなく、自分で複雑な思考をするよりも、「白か、黒か」と二者択一の選択肢を与えられて、そのどちらかを選びたい、という傾向は世界的なのかもしれない。こういった例→ブッシュ大統領の対テロ戦略、小泉首相の郵政改革
「自分で考えた末に白か黒かをはっきりさせる」とは違う訳か。2択で答えられない問いにぶつかったら思考放棄する。
あとがきおれもおれも!
私や私のようにハマらない人は、もしかするとハマる人に比べて楽しさや豊かさの少ない人生を送っているのだろうか。それはそれで損な気もするが、そこでまた「得さえすれば考えるのを放棄してもいいのか」という疑問もわいてくる。「これさえ信じればバラ色の人生が待っている」と言われているような気もするが、そこのラインを踏み越えるのは、私のようにヒネくれた人間にはなかなかむずかしそうだ。
200ページ未満なのに時間かかった。正直テレビで何か言ってる人のイメージが強くて舐めてた。反省。伊達じゃない。時間切れだから片言った。急げ、俺。
※4月29日
途中から全部太字になっていたのを修正。これはひどい。
※上記から1分後、引用部分の間違いを修正。これは(ry