東京に行っていた
多分私はもうあそこには3日と住めない
なんというかそう感じた
気を張れば4日かもしくは死ぬまで生きることができるかもしれない
それでいろいろと考えてみたのだけど
それはおもしろい発見だった
こちらに移り住んで度々東京に戻るがその度感じ方が考え方に追いつかないくらいに変化していておもしろい
東京という場所には個人的にいろいろと詰まっているので嫌いというよりはむしろとても好きである
生きているのだからいろいろ考えたり変わったりそれを受け入れたりおもしろいと思ってよいのだと思う
見ないふりしていたらもったいないのだと思う
そんな予断は許さないほど猛スピードであれこれと過ぎていくのである
だから自分を見ないとかは無駄である
とても嫌だがその瞬間その都度自分と向き合って受け入れる方が効率がよい
でも井の頭公園で踊り狂ったり
バンドのメンバーが見つからずにうだつのあがらない日々を過ごしたり
ヨーロッパが全然刺激的ではなかったり
アラスカやインドの方が精神をえぐったり
毎日知らない町をぶらついてシャターばかり切る日々を過ごしたり
客観的にみてみると事実それらは全てあの場所が教えてくれたことではあるし
そういう自分の一番の時期の速度と共にあったことを考えると
あの場所とういフィルターを通してよく自分がわかる
それで今ここにいるわけだが
それもやはり受け入れることができるわけでなく
では何があるんだろうかと思うと
ここの目の前にあるものではなくて
あそこにいたころに描いていたここであって
それは酷く抽象的なのだけど
ないものねだりでもあるのだけれど
あそこにいたころに描いていたここの景色ではないのだろうかと思う
これはとてもくだらないことだなーと思うのだけど
仕方がないのでここにいてそれをフィルムによって淡々とつくるしかないのである
ここにいるけれどあそこにいる精神であそこからみたここを表現する
あそこにいくまでにかつてここにいた時間を経てあそこにいた時間も経てまた再びここにいる時間も経てあそこにいた時間をここにいてつかむ作業を経てあそこからみたここは本当のここではないのだけど本当のここはあそこから観ていたここであるのかもしれないというここをあそこから撮る
おもしろい
フィルムはなんておもしろいのだろうか
列車 / LOST IN TIME