日記

Hajime

めいりん

2014年08月28日 | Weblog

倉吉市の明倫AIR2014のオープニングに参加した。

廃病院を活用してのレジデンス。

滞在アーティスト、地域のスタッフ、鳥取藝住祭のスタッフ、行政スタッフ、学生、とてもあざやかな連携。
丁寧なリサーチと受け入れる姿勢。

助成金や事業ということではなく、地域に必要だと思うからこの大変だけど有意義で地域が楽しくなるプロジェクトを継続して開催したいという思い。

それ以外はない。

芸術とかいいだすと深みにはまるので、毎年地域が盛り上がるイベントとしてのアートプロジェクトとして考えるととても意義のある取り組みだった。

私は特にレジデンスがしたいというわけではないが、持続可能なまちづくりのアートからのアプローチは今とこの先少しの間はレジデンスの取り組みが一番いい形だと思う。

けれどそれには地域をはじめ、理解と忍耐、リーダーと支える母体の成長が不可欠。

今、レジデンスと名付けられた事業を行っているが、とてもレジデンスとは言い難い。

一度リサーチからやりなおし、新しく取り組み直すべきだと思っている。

地域のかしこいリーダー達は行政やそれに付随する組織とパートナーシップを組むとろくでもないことになるので、NPOやチームを組んで自分達の町を自分達らしく盛り上げる為に行政の予算や事業を利用するという当たり前の話しを当たり前に自分に言われると、そういうそれぞれの肩書きを外すとみんな向かっている方向に大きな違いはないのだからそれぞれ丁寧に連携していける仕組みづくりを役割分担してやっていければいいな、と思う。

個人的に楽しいなと思うことにそれぞれ間違いや善悪などないし、きっと大人になればその楽しいことに専門性もでてくるはずで、ともすればそのチャンスをきちんと活用してもっと楽しくなるように丁寧な仕組みづくりと周囲の本当に望む声に耳を傾けてじっくりやっていけばよいのだろうなと思う。

誰の声に耳を傾けて、どこの何が良くなるようにしたいのかを自分をごまかさずに捉えて行動していかなければいつまでたってもそのまんまなのだと思う。
割と人生あっという間だしぶつくさいってる時間がもったいない気がした今日の廃病院の盛り上がり。

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2014年08月24日 | Weblog

先日、大阪で10年前に活動を立ち上げた音楽活動を私が去って以降活動を継続していた方から連絡があった。

今年で10年を迎える、そして一旦この活動を終わらせる、そのために最後のライブを開催する。
そのライブの為にメッセージを送ってほしい、ということだった。
昨日そのライブの際に会場で流したというメッセージ映像が送られてきた。

元々、大阪のある場所で夜に地域の子どもを対象に勉強を教える活動をしていた10年前。
様々な問題を抱える子も多く通っていて、勉強をする意義や価値にたどり着くまでにはとても道のりは遠い気がしたし、そういう子どもたちにとって「勉強」を教える活動をしたとしても本当に身になるのだろうか、勉強じゃなくても何か自分の好きなことに熱中し、人にどういわれようと突き進んでいける何かを見つけることがまずは必要なんじゃないだろうかと思っていた。

そして、学習活動と同時に、写真で表現する活動と音楽で表現する活動の場を周囲の人に支えられ、協力しながら立ち上げ、写真の活動は写真展の開催、音楽の活動はライブの開催までこぎつけた。

ライブは小さいカフェで地域の人たちや仲間を集めたものだったけど、ちょうどそのすぐ後に私は大阪から東京へ旅立つ直前だったから「サヨナラライブ」というイベントとなった。
スーパーバタードッグのサヨナラカラーを皆で歌った。立ち上げたみんな、最初からずっと参加してくれた子ども、途中から一緒に音楽を楽しみはじめた子どもたち、東京行ってもがんばれよ大阪にいつでも帰ってこいよ、と子どもたちの活動の一環だったのに逆に励まされたライブだった。

あれから10年、彼らは継続し、大きなホールでライブをし、参加者も増え、東京でのライブは観にいった。
あの頃ギターが下手だったやつがとてもうまくなっていた。

10年の間ものを続けるのはとても大変だったと思う。
それ以上に10年続けたものを終わらせるのはもっと大変だったと思う。次へ進化させるために。
新しい場所に行くために。

しかし、尊敬する。






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しれない

2014年08月14日 | Weblog

最近は過疎化の進んだ中山間地の廃校で十数名のダンサーたちと過ごしていた

男子は体全体でなんだか大きな迫力
女子は細かいけれど滑らかでもある動き

そういうシーンを見ていると言葉にはならない身体表現の大胆さやしなやかさを取り込めるような気がした

元来あれこれと分解しがちというか分解する訓練を勝手にしていて
右手と左手、右足と左足、右手と右足、右手と左足、左手と左足、左手と右足、かかととつまさき、光と影やその中間のグラデーション地点の薄さや濃さ、それらの分解に意識が集中してしまうのだけど、それを束ねて身体で表現するダンサーってすごいなと思う

ひょっとして体の分解だけでなく時間や光の分解から、回路を再構築しているようなことなのかもしれない
それは見ていて興味深い