日記

Hajime

まつえのすたじお

2013年05月31日 | Weblog

とにかく私自身が理解したのは、表現の感覚の中にいる感覚を鈍らせない
それだけ

6月末に静岡にアウトリーチについての研修に行くのだけど、期待していた静岡市美術館の企画展はあまりおもしろそうではないし、
あいちトリエンナーレは8月からだし、どうしようかなと思っていたら、ふと、岐阜に行きたくなった

養老天命反転地に久々に行きたくなった
荒川修作とマドリン・ギンズの公園で随分前に行ったきりである
とてもいい場所だから、今改めて行ってみようと思う

今日は久しぶりにドラムを叩きに今からスタジオへ

ちょっといろいろ鈍化ぎみ
本を読んで、いい写真を見て、いい作品をきちんと自分に取り入れてしゃんとしよう

帰ったらニーチェの馬を観てぐつぐつしよう

31歳がもう終わる

2013年05月25日 | Weblog

大変しんどい
非常に仕事が忙しいのでちょっと手一杯でまずい感じである

その上に性質上突っ込まれやすいのでここにきて精神的にまいりつつある
しかし、それは性
いたしかたない

なので少しでも優しい人や作品と出会えると、本当にすごいなぁと思う
部屋で強がらずにじっと噛み締めていたりする

多分、ほんの少しずつ優しさみたいなものをもって発する諸々があれば人間関係は損なわないのかもしれない

無粋なやりとりは創作側にも制作側にとっても無益で生産的ではない
また、その両者でなくとも単に人同士の付き合いであっても同じくであると思う

なるべく群れずに、無意識に自分の中に積まれていく不要なプライドを意識下に統制してひとつひとつつぶしつつ、人に優しくできたらなぁと思う

まるで馬鹿のように優しい人には出会ったことがまだないが、
自分を強くして(強くならざるを得ないのかもしれない)優しさを失わない人には幾人か出会ったことがある
そういう希有な人たちからもらった瑞々しい粒を汚さないように私は私と闘っていこうと思う


今度島根にくるダンスカンパニーの面々はなんというかとても良心的な人々で、
あまり強くないけど決して弱くない
そして優しい
表現という厳しい世界にいながらも素直なあの優しさはとても居心地がよく、好きである
狂っているがそれを会話せずに、見合うだけで打ち解けられるのがまたいい
そういう連中が間もなくやってきて、ふたたびどっぷり時間を共にできるのもいい保養になる

しかし眠い










ねむい

2013年05月20日 | Weblog

ドイツとオーストリアとスイスを巡った旅からもう5年も経つのだと知る

そこから旅の日々が続いたのかと思うと、感謝の念が強まるような、何かきっかけとなるようなヨーロッパの旅だった

そこから毎年インドやスイスに行ったり、アラスカに行ったり、多くの人と出会ったりした

そんなことをひょんなことからちょうど5年前が最初だったのだと知る


最近読んだ本で気になるポイントがいくつかあるからメモ書きしておく


イギリス北部 ニューカッスルの文化施策について
英国北東部の経済を、より想像力のあるサービス分野中心のものにする、という長期的なビジョン。
戦略に必要な文化の条件は「われわれの遺産となる独自なもので、市民が参加できる文化。そして、社会の要望に応えてかわることができる持続可能な文化」


フランス マルセイユの工場跡を利用したアートプロジェクト
工場跡のアートの拠点について、
劇場や美術館のようにアートを消費する場所ではなく、アートの創造拠点となっている

横浜 横トリの元となる要素
最初は理解されなくても大胆にやる方がいい。行政がやると、不特定多数の声にとらわれ過ぎてしまうこともある。コンテンポラリーダンスや現代アートはわかりづらい、もっと一般的なものをやって欲しいと。しかし、BankARTの活動は最先端の発信をしたいアーティストをつれてきてバリアを取り払っていった。クオリティをキープし、発進力が強ければ、人は後からついてくる。
創造都市実現という観点からいえば、まちづくりを行うことが最終的な目的で、アートはツールだともいえます。ツールであるからこそアートのクオリティが高くなければいけない。文化政策としてのアートの振興はもちろん、都市政策としてもアートの振興が必要です。だからこそアートの存在意義は重大なわけです。



2006年出版の本なので既に時代はそれらを経てさらに進化しつつあるのだけど、
今いる地点ではこれらの要素を虎視眈々と取り入れて前進すべきなのだと思うのだけど、
彼がアドバイザーになってくれるのであれば当地域にも一筋の希望が刺すのだと思う

長期戦である

間もなく閉校を使ったコンテンポラリーダンスカンパニーのレジデンスがある
今の職場周辺だけが島根ではない
新しい試みとおもしろい粒が着実に芽を出して広がりもできつつある、レジデンスの意義や意味を理解するアンテナのある人も少しずつ協力してくれつつある
外に出てみると老若男女しがらみを飛び越えておもしろいことをしたがっている人たちが大勢いる
長期戦だけれど非常に興味深く、くらいついてみたくなる
笑われてでもいいものだけを選んで、刺激的なものを創る人とつるむ道筋を坦々とつくるように精査していこうと思っている
来年以降そういう人たちだけとからんでいけるように今年は我慢の一年である

長期戦だ


とりあえずは今から飲もう日本酒を







夢がひどい

2013年05月07日 | Weblog

雑誌「IMA」を読む

写真は世界を旅する、
Watching Humans Watching,
その先の未知なる風景を求めて、
時間の流れを写真に閉じ込める

そういう心にひっかかるフレーズがあった

ヴィヴィアン・マイヤーの見ているだけで泣けてくる彼女の写真もあまりに素敵だったのだけど、
特集の旅に関する写真についてもとても腑に落ちた

写真を撮る人は、見ている人だと思う
写真を撮るということは、そこにある光やその逆をただ見ている行為なのだと思う

それが性なのだと思う

そして新しいそれらを求めて旅をするのだと思う
遠く離れた灼熱の砂漠や見たこともないような建築や人々の生活や懐かしい故郷を



それから米子あたりや砂丘や松江あたりをうろついていた
砂丘は言わずもがなフォトジェニックな場所で、ともすれば時間など忘れてしまいそうな所で、
大自然を目の前にすれば今も昔も変わらずに老若男女目を輝かせ、じじいは若返り、ばばあは飛び跳ね、ガキはでんぐり返し、若者は息せき切って砂の壁を駆け回る
普段閉じ込めているような輝きをちりちりの砂の集まりに受け止めてもらうかのように、それはただの石が砕けて水と風にさらわれた集合体に過ぎないのにも関わらず、その小さなつぶつぶの集合に輝きをさらけだしながら踊るのである

植田正治はすごい

ただそう思った

篠山紀信曰く「写真は時の死の立会人」

とても美しい砂丘に群がる光景だったと思う

知らず知らず楽しくなっていた


新しい風の旅人がもう少しで発刊される
これも楽しみ
編集長からのメールが内容と同じく丁寧で、次号も心待ちにしている



そういう今日この頃悲喜交々
それ以外に特に関心がない