日記

Hajime

いつも鼻くそが真っ黒

2009年02月24日 | Weblog
今日は朝6時半からシャワーが待てども待てども水だったので水を浴び

犬に追いかけられ

暴れ馬に乗ってるような道をバイク二人乗りで延々走り

ハエと一緒にカレーを食い

インドのエロ本をやたらすすめるおっさんにしつこく絡まれ

ハエと一緒にジュースを飲み

ブータンの坊さんと仲良くなり

あちこち虫にさされ

日本寺で坐禅をして

犬と牛とヤギとイノブタと人のうんこを踏み

今からハエと一緒にごはんを食べ

ぼったくりのリキシャーを振り払って

夜行電車に乗ってコルカタへ行きます



とにかく毎日驚くほど鼻くそが黒い
ごめんなさい、少し楽しみになってます
日焼けをしていくように、もっと黒くなれ。と期待している私もいたりします

では





ガヤにて

2009年02月23日 | Weblog
今日ブッダガヤに着きました。
心配されるようなことは何もないけれど
いろいろとありました。

元気です

予想外にすこぶる元気

何度インド人にぶちぎれたでしょうか
その後けんかしたインド人と結局仲良くなったりを繰り返し
また次の日には同じ人にぶちぎれる
その繰り返しで、なんとかブッダガヤにたどり着きました

カジュラホでは少し瞑想と呼吸法を学びました
明日は仏教の聖地ブッダガヤにて坐禅をしようと思います

もういつもうんこ踏んでます

踏みっぱなしというのが正しいかもしれません

明日からもまた沢山踏んでいくはずです

では

夜のニューデリー

2009年02月10日 | Weblog
デリーの空港に着いたのは日没間もない18時半。
着陸寸前に日は沈み、少しずつ夜へと向かっていた。
入国手続きと荷物のピックアップを済ませ、成田とは違いすぎる閑散としたデリーの空港をでた。
ホテルまでの車に乗り込むともう一人、どうやら日本人らしき男性も一緒にワゴンに乗り込んできた。

車窓からは漆黒に染め上がった夜のデリーの街が見えた。
というのは嘘で、市内までの高速はがんがん照明に照らされて輝いていた。
車は100km近くで飛ばし、もう一人の日本人の彼との会話もあまりないまま車の外を眺めていると、
猛スピードで飛ばす車の間をぬって、ノーヘルの原付カップル、それからノーヘルの老夫婦、そしてノーヘルの自転車、それからノーヘルの犬、あとはノーヘル犬ががんがん車と一緒に夜の高速道路を走っていた。

空港から30分ほど走ると私を乗せた車は小道に右折。
道はアスファルトから土に変わり、道を照らし続けていた明かりも電灯の下を細々と照らすだけ。
電灯の下を通りすぎるたびに何十本もの電線が枝分かれに枝分かれを繰り返し、小道の奥の方へ延々伸びている。
露天が並び、こうこうと灯る明かりの下に色の濃い人々がせわしなく動きまわったり、地べたに座っているのが見える。

しばらく悪路を進むとホテルについた。
私ともう一人の日本人は夕食を食べに街にでることにした。
車の中でいくつかの会話をし、東京の住んでいる街が近いということで少し打ち解け、夜のデリーへ出かけることにしたのだ。
彼も今日デリーに入り、コルカタへ飛び、名前を忘れたがインドのどこかの島へ行くと言っていた。
30才の彼はそんなにそんなに勢いよくしゃべる方ではなかったが、逆にその方が気が楽だった。

真緑で濃厚なほうれん草カレーとタンドリーチキンを食べ終わりレストランを出るとニューデリー駅から延々と続くメインバザールには、カレーのような緑とカレーのような黄色のぼろぼろのオートリキシャ(原付タクシー)が暗い通りの電灯の下に集まる虫のように固まって置かれ、リキシャの中で爆睡する者や白く大きな目をこちらに向けて数人の男たちが何やら仲間と話あっていた。

私たちはしばらくメインバザールを歩くことにした。
それから少しして小道にそれ歩きまわった。
人一人がようやく歩ける狭く薄暗い道や、ハシシ?大麻?と声をかけてくる少年や白人を無視し歩く。

そんな狭い道をあてもなく歩いている時、目の前に突然真っ黒な牛が現れる度私は一瞬息を呑んでしまった。
夜の11時近くになって買う人がいるのかどうか分からないけれどフルーツを台車に積んで、照明の下にじっとしている人や、揚げ物を肩にかつぎ歩いている少年。
照明のあたらない闇にぼろきれのふくらみがあり、骨のような足が何本か突き出していた。その脇には何かをひたすら食べている痩せこけた犬と、寝そべる牛がいた。

今日の朝はまだ東京の街にいた。

当然すぎるけれど、国が違えば常識も目に映る人々の生活も何もかもが違う。
露天でいつから置いてあるか分からない大きい鍋に入ったヨーグルトと生水とバナナを混ぜたラッシーを一気した。
彼にも勧めると「生水はちょっと。」と断られたので思わず勢いよく飲んでしまった。

ホテルに帰り深夜2時、ゴキブリ駆除もようやく終わりシャワーを浴びようとしても水しかでない。裸で突っ立っていると、胃からこみ上げるものがある。やっぱりさっきのラッシーはまずったかな、コップもところどころ錆びてたし、と思いつつ無視して寝る。

朝6時、またもこみ上げてきたものをトイレで吐く。
その後は何事もなく安眠ちょっと夜のデリーの雰囲気に呑まれただけなんだろう。

次に起きた時はお湯が出たのでシャワーを浴び目を覚まして朝のデリーに出発することにした。





ほい出発!

2009年02月07日 | Weblog

いよいよ明日のお昼、エアインディアAI307成田12時発。
デリー18時着。

3月5日までの約1ヶ月間、デリーからジャイプル、アグラ、それからカジュラホ、バラナシ、ブッダ・ガヤー、コルカタ、ブバネーシュワル、プリー、国内線で一気にデリーへ戻る予定の旅。

鉄道の深夜特急2泊を含み、ホテルはほとんど未定。
荷物はバックパックとカメラバック、一人で旅するにはちょっと重ためだけど、ちょいちょい休みながら行って来ようと思う。

ついさっきやっと荷造りが終わった。
ニコンのカメラ2台と14~200mのレンズとストレージ、コンパクトカメラが1台。
それとパスポートビザがあればなんとかなるっしょ!
きっといろいろ足りないんだろうけど後は現地調達で。

インドの達人たちにあれこれと話しを聞いた。
結構本を買って読んだし、立ち読みで情報も入れた。
若槻ちなつの「ちなつの歩き方」までこそこそ立ち読みしたし。
いや、むしろ堂々と立ち読んだし。
後は現地で汗かいて歩くしかないっしょ。

けど、未だに解決していないルートもある。
バスと鉄道を使うカジュラホ周辺の情報。10時間以上移動にかかる日が結構あるのだけど、カジュラホ周辺の移動も時間がかかる。そしてそのあたりだけがまだ詳しく分からない。ネットも本も見たけどよくわからない。
う~む、現地でなんとかするしかないですな。
その辺りで下痢をして元気じゃなかったら大変なので特に気をつけないといけないところだ。

ipodに何を入れていこうか迷うが入れてる暇がない。
くるりを入れたかったけど諦めるしかない。
旅は思いきりテンション上げてくれる音楽がどうしても必要なように、
どうしてもそれとは逆の歌も必要だ。
スイスでもそうだったけど一人旅はやっぱり音楽にすごく助けられる。
街を歩き、山を登り、人との出会いとさようならまた会う日まで、そういう旅にはやっぱり音楽が必要だ。
旅と音楽と言えばジプシー。ジプシーはインドのラジャスターン州にいる楽師を生業とする人々が元をなしている。
今回ラジャスターン州ではジャイプルという街を旅する予定。ジャイプルには楽師は少ないと聞いたが、もし出会うことができれば最高だ。今回ガンガーの火葬場と並んで自分の中で見ておきたいものの一つだ。

一生のうちにあとどれくらい旅ができるのだろうなと思う。
一人で、大切な人と、友達たちと。
旅にでるチャンスはあるようでないし、実はないようでいっぱいあるようにも思う。
私は阿呆だから結構そういうことを見落としがちで、忘れがちだ。
そうしている内に時間を浪費していたりもする。
浪費するのも少しも悪くないし、旅をしたからといって何か変わることもない。
けれどせっかく旅にでるのならぼろっぼろになるくらい突っ走るのも悪くないと思う。
汗だくになってちりやらほこりにまみれて突っ走れるのも一回きりの今だけだ。

ではでは、しばし軽くインドで突っ走ってきます。
多分インドでもちょいちょい更新できると思います。





久しぶりにかっこいい

2009年02月07日 | Weblog

おかげさまでまだ日本です。
TVをつけると、ムッシュかまやつと安斎肇とローリー寺西が出てた。
60~70年代のギタリストについてけんけんがくがくごりごりろりろりろーりー語っていた。国営放送の電波に乗って!
かっこ良すぎる。
けっしてアイドルが3人揃ったというような華やかさはない。
けれどそれを凌ぐ強烈な濃さがある。

国民のお金を使って制作する番組でクラプトンやジミー・ペイジ、ジェフ・ベックについて夜な夜なギター談義が桜の季節を先取りして超満開だ。もはや花見シーズン到来を思わせる。
ローリーなどは司会の話しを横目にずっとギターを弾いている。
桜を見にきたのに結局酒ばかり飲んでる人のようだ。

私もインドではビール飲まないから、せっかくまだ日本にいるし伝統ある国営放送で繰り広げられる超マニアック的哲学的自己陶酔的ロック的決してモテないだろう的もろもろもろにつきあってビール片手に久しぶりにテレビを見る。

モテない型マニアックというのがとてもかっこ良い。萌える。
かっこ良さも、かっこ悪さもなく、ただただそこにはマニアックな興奮がある。
けれどその興奮は決して夏の熱に浮かされた砂浜のいちゃいちゃではなくて、満ち潮で岩場に波が打ち寄せてようやく息を吹き返す岩にへばりついた貝類の潤いのようにほんのささやかな興奮だ。
いやどうだろう、ささやかなどとは失礼ではないだろうか。むしろ生きるために必要かつ必死な生命力とすら思える。そこが浜辺か岩場か、という違いだけだ。たまたま浜辺にいて、たまたま岩場にいるだけだ。
けれど岩場には魅せるということを越えたかっこつけない素敵さがある。そこがまた萌える。


以前何かの番組(多分Tクラブ)で聞いた安斎肇の名言が忘れられない。
「自分を探す前に彼女を探せ!」
妙に納得したうら若き日の自分を思い出し、テレビを見ながら安斎肇ここにあり!とビールを握る手が一段と力強くなった。

また、ムッシュかまやつが以前、堺正章に「本物?本物のムッシュさんですか?」と久々の再会で聞かれた時に、
「ずっと知っているくせに、僕が偽物だってことを。」と深くかぶったニット帽の奥の、海の底のような目でニヤリ言ったのを思い出した。それからギター片手に早朝の浜辺で一人歌ってギターぶん投げてた。私は本物かどうかは分からないけど、その言葉だけでビール2杯はいけるなと思った。

ローリーに至っては、ジェフ・ベックのギターについて
「ぐるぐるぐるぐる廻っていく感じがたまらないですよね、とても普通の精神では聞いていられないような音色。」となかなかエッジの効いたコメントをしていた。きゃっぴきゃぴのひらひらスカート女子高生が何気にテレビをつけていきなりこのシーンだったら、「キモイ」の一言だったかもしれない。そこがまたローリーの萌える所だ。なんせあのよくわからない目の周り真っ黒メイクに怪しげな衣装と関西弁、なのにギターばりうまなところなど萌え要素てんこもりのうんこもりである。自分のかっこ良いと思うことをやり抜く味のしみ出し方などは、なかなか真似できるものではない一級の渋さをかもし出している。大量生産というより一点ものの貴重さがある。

国営放送よありがとう。お金払っても悪くないじゃないかと思えるかっこ良い番組を見ることができ、しばしビール飲まない私はぐびぐびとお酒が進んだ。最強のギタリスト3人とローリー、ムッシュ、安斎肇の3人が重なるほどかっこよく見えた。

ちりとほこり

2009年02月05日 | Weblog

正直、結構不安である。
インド出発まであと3日。

行ったことのない国や街に行くということはそれほど不安ではないし、むしろあちこち行きたい方だ。
昨年のスイスやフランス、ドイツはかなり楽しめたのだけど今回のインドはなぜか不安がある。
11月に起こったムンバイのテロなど治安面ではなくて、何か漠然とした不安がある。

ここ数日間インドにいる自分の夢を見た。
デリーについてすでに何日か経っていて、なんだ楽勝じゃん!と思ってる夢。
目が覚めて、そんなに楽勝だと思いたいのかと思う。
あ~ほんとにもうインドに着いてたらそんな不安なんてないのによ!とか思っている。
早く着いてしまいたい、という運動会の100M走のピストルが打たれる前の感じに似ている。
ややびびっているのか。

カメラや写真のデータを死守しないといけない、ということや
スケジュールをこなさないといけない、ということからくる緊張感もある。

でも、それだけではない気がする。

多分、着いてもいないのにすでにインドの熱に呑み込まれているのだ。
想像を超える豊かさを生み出しつつあるインドと
想像を絶する貧困を孕むインド
全てを吸い込んで大きな目を剥いて呼吸している国
人口の大半を占めるヒンドウー教そのものが
バラモン教を呑み込み、仏教を生み、また呑み込む。
カーストを創りだし、11億人の人々の中にある激しい格差。
それらを全て受け入れ、今私の生きるこの瞬間にもインドという国は実際に存在しているという興奮にうなされているのだと思う。

そしてそのどろどろとした熱に私自身も体温を上げ、熱を帯びつつあるなと思う。
その興奮と同時に反面、熱を上げつつある自分を知っていくことが今の不安ではないかと思う。
それはまだ熱を上げられる自分がいる、ということを知る不安だ。
がんばっているつもりでもそれは単なる自己陶酔にすぎないことや
現に日々のつまらない不満をぶつぶつなげいていることや、それを言い訳にまだ情熱を燃やせる自分から目を背けているのではないかと思ったりしている。


実際インド入りしたらインドなんて大嫌いになるくらい幻滅するかもしれない。
それでも見てこようと思う。とことん感じてやろうと思う。



寒さと飢えと渇えと
風と太陽の熱とアブと蛇と
これらすべてのものにうち勝って
サイの角のようにただ独り歩め

というブッダの言葉がある。
このご時世にバックパックをしょって放浪するなんて馬鹿げているかもしれん。
けれど実際馬鹿げていない人も時代もくそもないな、と思う。
びびってはいるが何にびびっているのかというとインドではなくて、インドにびびってる自分を知ることをびびってる!