日記

Hajime

しじま

2006年12月31日 | Weblog

今年最後の仕事である。

祖父の同級生、幼馴染であり僕の書道の先生である近所のおじちゃんがいて、そのおじちゃんがちょうど10年前から「黒松からのたより」という自作の小冊子を創刊している。
地元の方の俳句や短歌、書などの作品、その他一年にあった出来事(祭りなどの行事)等がまとめてある小さい冊子だ。
黒松町にいる方、またこの町で育ち他府県で生活している方に送り届けるためにそのおじちゃんが毎年一部一部手作りで作成している。
書道の先生ということもあり丁寧かつ味のある字で刻みこんである文章たち。
コピーせず一冊づつ作っているため年に数十冊しかつくれないし、おじちゃんも83歳になり「そんなに多くはもう作れないんだよ。」ともらしていた。

以前は妹の描いた絵なども掲載されていて、今年は僕が撮った写真のいくつかが載っていた。
祖父が逝った後、祖父の幼馴染でもあるそのおじちゃんにどうしても聞きたいことがあり一通の手紙を送った。今その文面が手元にない為、そして7年前でもあるため正確には書けないけれど、僕は祖父やおじちゃん達が育ってきた時代のこと、戦争という激しい時代を生きてきたことに対する想いや今感じることなど、祖父に聞き残してしまった様々な出来事をおじちゃんに手紙でぶつけてみた。
数ヵ月後、筆で書かれた一通の封書が届けられた。
そこには本当に様々な想いがつまっていた。
当時まだ20歳そこそこの若造である僕にちゃんと向き合ってくれた。

長く書かれた文章の最後に「私自身もこれを残しておきたいと思うのでコピーをとりました。今回このような記録が残せて私も大変うれしく思います。本当にありがとう。」というような文章でしめくくられている(東京の部屋に置いてあるため正確ではないけど、確かにそんな締めくくりだったと思います)。
その手紙のやりとりをして本当に良かった。自分の為にも、ひょっとしたらおじちゃんの為にも。

そんなおじちゃんが今日うちにやってきて、来年の冊子のために年越しの除夜の鐘の写真を撮ってほしいと言ってきたため今準備中である。

が、手元にカメラがなく実家のデジカメもすべて充電器がないというまぬけなハプニングのため大変なことになっている。
フィルムで撮ろうかと思ったが、もうフィルムのある店も閉まっている。おい田舎!!

そしたらおじちゃんがおじちゃんのカメラを使ってくれ、と手渡されたデジカメ。
それがまたちょっと大変なデジカメでね。

なんとかがんばります。

大好きなおじちゃんが残そうとしている想いとそれが形になる冊子。
何が何でも素敵なのを撮ります。

今年最後の仕事です。


それではみなさんよいお年を☆


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一番大切な人と一番大切な世界を見たい

波打ち際の光の調和や

森のしじま

そんな瞬間たちをあなたと一緒に見ていたいのです


好きな人と離ればなれということほど悲しいことはない



大切な人には愛を



ただそう思います


今日の夕暮れもとても繊細な時間が流れていました

白かった月が少しづつ光放つ様

その月を囲む空の青が深い紺に変化していく様

波の音

遠い海に映る黒い雲の影


そんなかすかな世界を一緒に見ていられたらなあ

波打ちぎいわ

2006年12月31日 | Weblog

今日はあれこれと考えて、いろんな感情の端々をつかまえようとしたけど飽和してしまったので改めて掴みたいと思います。

地元の夕暮れがあんまりにもきれいで、暗くて、強くて、優しかったので浜までダッシュしました。

そんな瞬間に出会えて本当に嬉しく思います。

2006年12月29日 | Weblog

薪でお風呂を炊きながら熱燗を飲む。

くべられた薪から燃え上がる火をぼーっと眺めていると時間の経つのを忘れてしまう。

この空気感を誰かに報告したいし、できたら誰かと共有したいと思ったりもする。
今年の1月にボーカルのとっしーが我が家に来て一緒に風呂を炊きながらあれこれと話したのを思い出した。


昔、その焚き口では祖父が同じようにして薪をくべながら俳句を読み、それをススで真っ黒になった壁に何度も何度も書いていた。その跡は今はもう新しいススが壁にはりついて真っ黒になって見えなくなってしまっているが、流れるようななぐり書きを今でも鮮明に覚えている。
そしてただじっと火を見つめる横顔や、火をつけるのがへたくそな僕にいつも焚き木のセットの仕方を教えてくれる口調。
おかげで僕も今じゃなかなかのもんですよ。

明日、早朝からおもちをつくので昨日から大きいポリバケツいっぱいにもち米をつけている。せいろやうす、きね、むしろ、もろぶた(こねたおもちをならべるもの)などを準備する。おもちをつくのはすごく楽しいけど、準備は結構大変です。

うむ。吹雪、荒れる海、燃える薪、森の暗闇、朝焼けの朱色。
濃くにじみ出る地球の力にとても潤されるのです。
時に激しい感覚と感情の一粒一粒たちを静かに深く包みこんでくれているのを感じる。

2006年12月26日 | Weblog

間もなく実家帰ります。
また山の中に入ります。
誰もいない海岸を歩きます。
そこで栄養をもらえます。

秘密の洞窟で大量のヤブ蚊の冬眠を妨げます。

全くいつものことながらこんなことをしていますので地元のお友達たち気が向いたらお問い合わせ下さい。大体もちをつくか、山におるか、海におるか、風呂に薪をくべながらあれこれ思案しておりますので。
そして夜は多分父か妹と飲んでいます。
実は温泉行くの楽しみにしています。

今年1月5日に雪がふっていて曇り空がとてもきれいで好きなかんじだったので奥の奥へと行きました。
そしたらおじいさんに一人会いました。
よれよれのおじいさんは吹雪に立つ枯れ木のようですごい迫力でした。
いのししの去った跡を見ました。
紅い実を発見しました。
風がボウーと泣いていました。
波はザボウと叫んでいました。
僕はとびきりに興奮してその全てを見たくて歩きました。
山に駆け上がると自分の鼓動だけがはっきりと聞こえます。
山の上には大切な大切な場所があります。
誰かの思い出があります。
誰かの最後があります。
冷たい空気が体を出たり入ったりして、息づかいと頭の中のちょっとしかない余白が見えます。
そこで大きいみかんを木からもぎって食べようと思います。

はい。今年もそんな風にして来年に向けてのエネルギーを森と海と風にいただいてこようと思います。

帰りにどんな音楽を聴いて、何の本を読むか考えています。
帰りの道のりで会おうと思っている人もいるので楽しみです。
この文とは裏腹にだいぶ気分は上がっています。

やあやあやあ。

2006年12月25日 | Weblog

やあやあメリークリスマス。
暖かくしていてね。
寝てない人はちゃんと寝てね。
病んでる人も今日はハッピーに☆

大丈夫大丈夫。
肩の力は抜かなくてもよいよ。
眉間にしわがよっててもよいよ。

深呼吸すればよいよ。
それで解決できなくてもよいよ。
答えを簡単にしなくてもよいよ。
簡単にしてもよいよ。

優しくなろうとしなくてもよいよ。
優しくなろうとしてもよいよ。
素直じゃなくてもよいよ。
素直でもよいよ。

恨んでもよいよ。
恨まなくてもよいよ。
憎んでもよいよ。
憎まなくてもよいよ。

楽しめなくてもよいよ。
楽しんでもよいよ。

変に笑うなよ。
変に笑って。


そして全てがどうでもよくはない。
全部どうでもよくはない。


握ったボールがどんどん どんどん大きくなっていつか自分でもどうしようもないほどにふくらんでパンパンのふわふわになりそうになっても

しっかりと針に糸を通す様に研ぎすませて
静かに集中して
一本の細い
繊細なつむじ風みたいに


そして
そして
そしてね

水のように滑らかで
確かなものを
紡いで


不確かなものかな
不正確なものかな

それでもね
その瞬間が好きでね

メリーメリーメリー。

....................

近頃僕は毒が全身にまわりました。
けれどもねそれを優しく変化させたいです。
毒のまわったまま終わるなんてもうこりごりごり五里霧中です。
怒りや悲しみとかそんなものはみんな多かれ少なかれあるもんですからね。
それをねこの手でにぎりにぎり、ばくりと食べてみてはね、がっつり消化して、きらきらしているうんことしてだしてやろうじゃないかと。
自分の中の矛盾もあれもこれも葛藤も沸騰もなんもかんも本当の優しさに変化していく道のりならスルーできないものですよね、などとたまに思い込んだりもしてしまうわけです。

だからそういう訳でおもいきり消化してやろうじゃないかと。腸。
そしてねおいおい優しいってなんだよ、と耳元でループされてもね。俄然やる気ですよ。
おうおう中畑清ばりに絶好調ですよ。
振り逃げでも全力ヘッドスライディングですよ。


僕は口が大きいから食べれないものはない。
胃腸が弱いけどね消化できないものはない。と思っているわけです。

結果

2006年12月18日 | Weblog

余計なものは剃り落としました。

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一人一人になって、分かり合うのに時間がとてもかかって
まず名を名乗れというのが流儀なら

まず見せる
剃って見せたりする


色眼鏡をたくさんかけて
上手くて斜めからの切り口でかかってきても

剃り残しなくさらけだそうじゃないか


僕は全部見せて欲しい

美しかったんだ
それを見た瞬間



不安で
馬鹿みたいに馬鹿馬鹿しくもあるけれど

僕は
それを

あなたのそれを美しいと思う

だったらたかが剃る、されど剃る

そんな自分に混乱することもあるけどそれもまたかかってきてよ
ららら、ららら。

すなわちそれは

2006年12月18日 | Weblog

第一回 東京Blue Weeps初年会☆(ひろも携帯で参加!)
が開催されました。
忘年会って例えばゆく年の辛く苦しかったことも笑って、くる年を迎えてやろうじゃないか。というのもわかるんですがどうしてもそのネーミングがしっくりこない。
とても濃密で礎になるであろう今年を忘年会という言葉では締めくくれない。
ということで初年会というネーミングにしました。
こっちのほうがしっくりくるんです。
僕、とっしー、東京Blue Weepsカメラマンのしずか。
そしてベースのひろは現地には参加できなかったけど携帯で参加しました。

笑ったなぁ
僕の好きな空気と時間が流れてた。


忘年会って。

忘れてしまうことも沢山あるんだ本当は本当は本当は忘れたくないことも。
忘れちゃいけないと思うこともいつか時間とともに忘れちゃうかもしれない。

だけどたまに思い出して感じることが大切なのね。

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あいまいだけど深い色に

飲み込まれ

混ざってゆく



赤も黄も青も白も黒も緑も



目を閉じて
混ぜる 混ぜる


その向こうの最後の一滴が僕だ

Yes or No のその先の
最後の一滴がこの僕だ


その選択がこの僕だ

この一滴、一滴を拾い集めて
僕は僕になる


「感色」~Blue Weeps~

東京Blue Weeps はじめ

もめー!

2006年12月16日 | Weblog

ええそうです私クラゲです。
エチゼンクラゲ。


今日は読書熱が上がりました。
山田詠美さんといしいしんじさんのを読み終えて再びムーミンの文庫本へ。
これおもしろいんです。大好き。
映画はアニメーションの「MIND GAME」がおもしろかった。実写では表現できないなんらかの意味や想いをそこに感じてしまう。やるなロビン西氏、湯浅政明氏。
やるな今田こうじ。

特にとりとめのないことです。
明日はのぶきさんのショーが六本木ヒルズであるので行ってみようと思う。
六本木ヒルズといえばひろみちにも久々に会えるかもしれんから楽しみであります。

まさにとりとめのない日記。


あっ、

なんでもないです。

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悲劇のヒロインには思わず笑いが出てくる

喜劇のピエロは泣けてくる

喜劇のピエロはとても痛い
痛くて痛くて泣けてくる
すごく悲しい
すごく切ない

が、ピエロに失礼なので最後は爆笑してやるんだ
お前馬鹿だなぁ、と
お前心広いなぁ、と


そしたらだんだんとどちらが悲劇でどちらが喜劇かわからなくなってきた
悲劇の物語が喜劇で
喜劇の物語がとんでもなく切ない悲劇


せちがらいけど
大丈夫、続く僕らの物語

ひねくれてもいいし
泣いてもいいし
笑われたっていいじゃん


出会うよ必ず






完全に俺。

2006年12月14日 | Weblog

こたつに甘えるのも

面倒くさいことをつい後回しにしたりするのも

あれこれ考えすぎてぎこちない笑顔になるのも

愚痴ったり

甘えたりするのも


夕日を見て涙するのも

少し優しくなるのも

会いたくなるのも

くさい言葉が嫌いなのも

くさい言葉が好きなのも

傷ついたり傷つけたりするのも


正直に今100%俺
混じりっけなしの俺
俺100%
あなた100%


一つ一つの歯車が少しづつかみ合って今がある
そう感じる
できるならば全ての出来事、そして出会いに感謝できる心を

.....................

今日はほとんどスタジオにいたんだけど
帰ってきて一人
何故か思い出す様々な出来事、出会い。

数年前ボーカルのとっしーとまだバンドを組む前にニューキャッスルのむちゃくちゃに冷たい海に猛ダッシュで飛び込んだこと
寒くて冷たくて散々だったけど最高にむき出しの僕ら

出会った頃はまだ高校生だった優しいベースのひろしのこと

僕の大事な友達で、以前のバンドのキーボードのゆたかと電話で話して彼の優しさや強さに触れ、暖かい力をもらったこと

しょうげんの一筆に励まされたこと

その一つ一つをふと思い出して、少しの歯車も完全にかみ合って今があると思った

ひいては自分以外の何か、果てしない歴史の一つ一つがあって自分が今ここに在る
スタジオにこもって一人の時間の中でぐるんぐるんになった後
外にでて薄青い空を見るとたまにがつんとそういう風に思わされる
生かされてるんだなあ

全ての事が運命かそうじゃないかなんて本当はどうでもいいんだ


僕は嬉しくてたまらないし
そういう感情を大切にしたい

多くの価値観や思想や現実を学んだけどそれも今そう感じる為にあったのだとすら思う

僕は今嬉しい
単純だけどそれでいいんだ

何かを知っている、経験しているという物差しではかれることがあるなら僕は全く何も知らない顔をしていたい
それを言う顔や、それを言われる誰かの顔を見るのはやっぱり嫌なの

いろんなことを複雑にして、自分の顔を隠してしまうくらいならそれでいいと思ったんだ

笑顔で何も知らん顔でノグソの話なんかしてさ
そしてもっと強くもなる
大丈夫、大丈夫

のんきで全部素敵だと思うんだ

はじめ

マツクロ

2006年12月11日 | Weblog

いるものはいる


いらないものもいる



本当にいらないものはいらない


あなたに本当に必要なものはなんですか


...................

素敵な

笑顔で

いれるあなたを

僕は

見たことが

ある


ただそれくらいに自由だということ

........
今日はさくらぎさんとしらいしさんのとこに行きました。
さくらぎさん、しらいしさん、とっしー、加藤さん、しずか、いもちゃん、森さん。
本当にありがとうね。
うんうん、そうだそうだ。