日記

Hajime

痛点つきます揺りうごきます

2010年01月29日 | Weblog

なんといいますか、はい
おっさんの写真です

あらためてインドの季節やなぁ

予定も大体決まって、後は宿とか現地で決めることが多いです
どういう風な雰囲気で、そしてどんな風なタイミングで写真を撮るか
今からそんな想像をしております

行ったらその時のタイミングで撮る、というのも大切なんですが
私としては最初に撮りたいイメージを描いておいた方がやりやすいです
時間も無限ではないので、なるべく想像しておきます
そうしておくと、夕暮れの撮影も夕陽が沈む時に慌てないないというか、

ぐへへ、きたきた、大好きよ夕暮れちゃん、君の美しさが美しくあるイメージはあるよ私
はい、だから今から撮るよ
うんうん、よいよ
えへへ、そうか、じゃ撮ってみるよ 
という具合の気持ち悪さですが

なんていうんでしょうねそういうの
がちがちに決めているわけじゃないですけど
きっとそこにあるであろう美しげなものに逆らえないというか
きっと逆らえないかなわなさがあって、
撮るしかないのなら、その美しさそのものに近づけるように逆らわず撮るという
でもそんなに美しく撮れたことはいまだかつて皆無だという
がんばらねばな

そういのは私の中で音楽や文章にも同じことを感じることがあります

音や言葉ももうすでにそこにあって、それに逆らわないようにしてみる
習字の時、何も書いてない半紙にすでに文字があって、後は自分がうまく筆を動かせることができる技術や気持ちなぞがあるのかどうか

といいつついつも失敗です
個性みたいなのはその先にある気がするのだけど
いかんせん、焦りや自我が先走り


ははは、まぁいらっしゃいよインドへなんも考えずに
と、言われるような気がしますがおっさんに

そういう頭の準備体操も決して無駄ではないし、無駄にしてはいけないし、できないと思ったりしてまた自意識の回転

自意識を否定しようとして、それを否定できるのもやっぱり自意識だけなのですが、
いや、でも否定はしないのですが
とりあえず、逆らわないように一枚でも多く、そこにある撮りたいものが撮れたらいいですねあなた、私

撮りたい欲の痛点(毛穴くらい)をきっとまた刺激されるんやろうなぁインド





メモ
1月の本
「死者の奢り・飼育」/大江健三郎
「老人と海」/ヘミングウェイ
「潮騒」/三島由紀夫
「先端で、さすわさされるわそらええわ」/川上未映子
「アグニの神」/芥川龍之介

言葉の選びとり方が驚異的に素敵、全員
大江さんは賢くて、芥川さんのはすごい短くて素朴なかんじ




楽したい時もあるわけで

2010年01月26日 | Weblog

スイスはユングフラウ地方にそびえるシルトホルン(2970m)山頂からの眺めです

10月中旬に登って、-8℃でした

ちょっと脈略のない流れですがインド行き2月の中旬からになりました
今スケジュールを立てています

パキスタンとの国境付近の町ジャイサルメールからの移動が......
てっきり次の目的地(ウダイプル)まで飛行機が飛んでいるものだとばかり思っていたのですが、ありませんでした
くまなくインド国内線を探したのですがどうやらフライトはないらしく、結局鉄道での長旅、そして多分夜行列車

夜行列車や長時間のバスは他にも何度か乗るのだけど、ジャイサルメールからは飛行機を使いたかった!
他の町まで遠すぎやねーん
あー
ちょっと現実逃避

それでスイスのシルトホルンを思い出してみたりしてました
スイスええな
ちっさいし、移動が楽やし

こうなったらジャイサルメールでは砂漠の夕景をばっちり撮ったります
ラクダに乗って砂漠で毛布一枚の素泊まりはとても楽しみなんですが、
なんつっても飛行機がなぁ
なんでないかなぁ

明日また新しいルート考えます











2月

2010年01月13日 | Weblog

また、お尻を手でふく季節がやってきました
インド、今年は砂漠地帯ラジャスターン

去年ラジャスターンはジャイプルという町だけ訪れたのですが、
見事発熱と下痢で返り討ちにあった感があります

今年はジャイプルからさらに砂漠の奥へと行くことになります
いろいろな面のたるみを少し引き締めていかねば

砂漠の写真
砂漠の町に暮らす人々の写真
とにかくまぁ撮ってこようと思います

ジャイプルやジョードプルなど町自体がピンクだったり、真っ青だったりするとてもかわいらしい場所もあるので楽しみです


うないのうないの

2010年01月12日 | Weblog

三連休はものすごく、爆発的にというよりは底の方から湧きあがるようなニュアンスのエネルギーでもって外に出かけたわけですけど、ものすごくという言葉がもろもろの諸氏との個人差をわきまえない、ひたすらに私のみの中で感じるものすごくという尺度であります

尺度、尺と度というと一定キャパの中で発生し個々限界のあることなのだが、そのわたくしのなかの尺と度と特に前方と上方へと押し上げるような、つまり後退し落ちていかない方向へと働く力、それは勢いというよりはもはや力と言ってよいのではないでしょうか?

できればほんのささいな、ささいなといっても諸氏との尺度は異にしていて、想像と予想ですがきっとささいな、という尺度も皆違う気がするのです
そう、できればささいなことで小さな爆発で、アリを踏みつぶしてしまった悲しみや人知れず季節を感じるようなできごとで起爆して機関車のように進むことが理想ですが、たまには綱引きのように運動会の赤か白か黄か青か西か東か春か夏か秋か冬かにわかれる運動会で行われるそうあの綱引きのように思いきりずるりずるりと肩ごと体を持っていかれるような見えない力でひっぱられたい欲もちらりのぞかせるその厭らしい顔とも新年のあいさつをかわしこんにちは、まさにこれは欲ですが欲なのか、えぇ欲欲、そして他力と自覚するのは悪いことではないのでふたをするのはかわいそうな事実ではある

なので恵比寿から新宿まで5駅分を歩いてみたのです
結論から言うと、と言うともう言うことも言えなくなるような言い方なので言いたくはないと言わせてくださいと言ってはみるが
寒かったです
そして半端ない尿意が

そうだ冬だ、冬だよまさに冬
いったいもう明確な区切りを付けてもいいじゃあないか科学
冬の終わりを、明日からは春がくるよと言ってみてよ
でもとりあえずは昨日は冬はおそらく終わっていなくて、つまり春はまだきていないということでそれを実感へ結びつける推論を積み上げながら歩きました、および暖かくなると変質者が増えるということを聞いたことがあるなとおもいつつ、暖かくなったからといって変質者は増えないのであって、それは元来変質というものを暖かさがその部をくすぐって解放、いや優しく起こす、揺り起こす、起きろ!起きろ起きろ!というので起きるわけであって、変質は全て日本の美しい四季のなかですくすくと成長しているし決して春に増えるわけではないのです
そうしてつかまる露出の人はあまりに激しくまるでしばかれるように変質を起こされてしまったためにつかまってしまい、つかまったり、本当は変質なのにつかまらなかったりするのは皆大差はない気がしてうっかりうかうかうかとしてはいけないような気がします私も

たとえばうどん屋さんでうどんを食べるとするならば、そしてそこにうどんをずるずるちゅるちゅるとあっぱれな音を立ててすする女人がいるとするならば、口は性器を連想させるという事実が脳裏を横切り、うどん屋でうどんを食べるという官能のへったくれもない状況で妄想にふける成年男子がいるとして、それをうどんを見事にをすする女人の目の前で成年男子が打ち明けると変質者と化すでしょうが、だまっていれば変質者ではないというわけではありません。むしろそんな妄想にかられつつだまっている方が変質の質は姑息ではないのか
しかし女人が、私にとって性は子を孕む可能性がある以上、官能を凌駕する域でもあるのにかかわらず、見ず知らずのあなたにうどんをすする姿で妄想をされてもうれしゅうはない
といったとして
ジェンダーではない性としての差異で分かち合えない両者の悲しみよ
と、そこへもう一人成年がやってくるとして
やぁ、君やめないか女人におかしなことを言うのは、それは変質じゃないか
と述べたとして
変質は、ぼくも君のようにうどんをすする女人を見て妄想などしとうなかった
たとえ妄想していても伝えとうはなかったし、そもそもうどんで妄想などする男にはなりとうはなかった
そして君は本当にじゅるちゅるうどんで妄想しないか、しているのではないかと疑ってしまう自分にはなりとうはなかったということを自覚していながらの変質であったらば、一体全体これはなんだろうというが実際はルサンチマン
そして助け手の男と女人がうどん屋を去るその後ろ姿を眺める変質成年の後姿を見ながらじゅるじゅるちゅるとうどんを食べてみたい


そうして代々木公園に着いたのだけど以前にあった絵や太鼓やもろもろのそこにいた人の面影すら感じるのが精いっぱいの、時間が空間と物質の結び目をゆっくりほどいた時間の人に対する厳しさと、そこに残った一本の木に対する時間の優しさを見たのですが、あれは一体なんなのでしょうか

そんなことでアラスカは行かないことになりましたが、2月からはインド再び2010です