日記

Hajime

ラヴォー

2011年10月26日 | Weblog

に写真撮りに行ってきます

ぶどう畑がうまく紅葉していてくれたらいいのだけれど

行ってみなければまだ分からない感じ

明日はチューリヒに夕方着いて、すぐラヴォーへ移動です

朝まで起きていて出発しようと思ったけど

全然無理でした

ではー

がんだむ

2011年10月23日 | Weblog

先日、ANA本社ビルに撮影に行ったのだけれど
オフィスにANAカラーのモビルスーツがありました

ひどくかっこよかったので携帯で写真を撮ってみました
そして興奮しすぎてぶれました

ブルーをひきたてる白いパーツにむらむら


ガンダムとルパンが好きでアニメを録画したりプラモやフィギアを持っている人で、
友達に語るでもなく人知れず部屋に飾っている人はセンスがいいという勝手な法則を中学生くらいから見いだしています


しかし私は録画したこともなければフィギアも持っていません


夜の樹

2011年10月22日 | Weblog

9月が終わってからぱたりと読書をやめている
やめている、というとセーブしているような言い回しで本に失礼だなと思うので
正確に言うと読書に気が向いていないだけである

ムラがあるのはよくないなぁ、と思ったのは
今日、とある読書家さんとお会いしたからだ

仕事で知り合ったのだけど職種は全然異なり
今携わっているマラソンの本がきっかけで知り合った方なのだけれど
無類の本好きとお聞きして、竹橋のパレスサイドビルで皇居という超ランニングスポットを目の前にしながら(かつその方はランニング用の格好をしていた)ひたすらに小説の話しをした

特にヘミングウェイより前のアメリカの純文学が好きだということで
カポーティの話題から導火線に火がつき、およそランニングはそっちのけで小説についての話しをした
それは何もない不毛な荒れ地にわしわし鍬を入れてやがて一角の畑を手探りでかたちにしていくように実りに近づく会話だった

「暗い趣味の持ち主でどうもすみません。でもこれが私のライフワークでもあるんです」

コーヒーを少し口に含んだ後、カップをテーブルに置きながら彼が話すのに対して
私は尊敬の念を感じこそすれそれが暗いという言葉の、つまりネガティブな印象など感じないし
どちらかというと感謝に近いみずみずしい思いがあった
かつそれを初対面の私なぞに話すということは、実際は小説が好きでたまらないというぶれないものがあるからだろうとも感じた

そしてそれから私たちの会話もぶれることなく小説の話題に徹し
太宰の、しかも森見氏がリメイクした本のその書き方や
現代文学についての話しをした

私は文学部でもなければ、文芸関係のサークルに属したこともないので
ひたすらに独学で本をあさり、そのあさりかたは五里霧中というか
割と現代に近い本でおもしろいと思われる本を読んでみて
その作家の原点となる本を書いた作家を調べたり、過去に似ている展開や書き方
近い精神の持ちようの作家を遡って古本屋でひたすら本を探している

つまり、森見氏でいう太宰や、村上春樹でいうカポーティのような
今の作家に影響を与えた作家を独断と偏見で割り出しては古本屋を奔走している阿呆丸出し具合なのだけれど
やはり本についての知識のある人と話すと、私の試行錯誤などはあっさり解決するのである

そんな話しをこんこんとしながら気がつけば1時間半が経とうとしていて
「あれ、そういえばあまりマラソンについての話しをしていないような」

という心持ちだったのだけれど、そういう親睦の深め方もあるはずと思いながら皇居をあとにした
気づいたことはライフワークとして本を読み続けるにはまだ私はムラがあるということ
そして何より彼の足の速さに驚愕した(フル最高タイムが3時間7分だった)
私は地球の走り方という雑誌でも書いたのだけれど初フル4時間半だった。。。。 ずーん


それから最近はアラスカから一時帰国されている河内牧栄氏と久しぶりに再会して少し話しを聞くことができた
去年のアラスカ旅では北極圏にほど近い街で白夜の空の下、バーでビールをひたすら飲み
電気や水道の通ってない場所にある自宅にお邪魔させてもらったりとかなりお世話になった方である
方向性もものの発し方も異なる方なのだけれど1年以上ぶりにお会いできてまたアラスカに行きたいなぁと懐かしく思った

そして来週からスイスのローザンヌマラソンの撮影取材
いい写真を撮ってこようと思う



カポーティの本で「夜の樹」という私の大好きな短編集がある
それは何気ない人の心の波や、日常の些細な瞬間に潜む人の狂気を静かに切り取った物語なのだけれど
小説として形になって初めて光りを浴びたその物語の数々について話し合える人に出会えただけでも大きな財産であるし、
さて引き続き書いていこうというリビドーを腹の底でむらむらと感じながら机に向かおうと思えたのである







くも

2011年10月12日 | Weblog


東京マラソンに落選したわけですけども

今月末のスイス・ローザンヌマラソンも12月のジャマイカ・レゲェマラソンも撮影で走らないので、
東京マラソンには少し期待しておったよ
28倍

おちますた

おちるというこの心のゆらぎも落ち込みも
ひとえに生きている証なのだよ、
期待する喜びと早とちりの練習プランも、いつの間にか落ちるはずないのではないかと思うやや強気の心持ちも
それからやっぱり落ちたという意外な落ち込みも含めて十分フライング気味に東京マラソンを楽しめたやないか
と受け止めよう

ってあほか

普通にショックやわ


しかし練習を開始
どこかのマラソン大会を走ろうと再び練習を開始
先週末は久々に20km走
未だ海外マラソンは撮影ばかりで走っていないのでいつになるのか分からないけど勝手に走る準備をしておく

先日でた雑誌で、マラソンの起源になったマラトンの丘を目指して走るアテネクラシックマラソンを走りたいと書いたばっかりだしね

そう書いたからには走ってやらにゃならん
何年後だろうかわからんが

しかしまたマラソンシーズンの到来である

その瞬間にしか味わえない
静かに乾燥した月のきれいな季節の到来である
雲のきれいな季節である
東京マラソンには落選したけれども遠くの空を眺めながら走るには今しかないという旬な季節である
この短い瞬間を逃すとまた来年まで味わえないような気もするので、
もくもくもくと走るのである






5じゃないのか

2011年10月09日 | Weblog

いやしかし
まいったことにiPhoneに入れていたインドとアラスカで撮った写真と動画が全部消えてしまった

なんてこった

いろいろ試したけど全然回復しなかった
PCとの同期は気をつけなければ
しかしどうやったら回復するんだろう
無理なんだろうかー

それにしてもまたインド行きたいなー

Panjabi MCは曲がかっこいいのにPVの微妙なだささがまたインドらしくていい








じゃまいかじゃないか

2011年10月07日 | Weblog

こんにちは

本屋で料理の本ばかり読んでいます

それは恥ずかしながらワインを上手に撮りたいからです
料理をあんまりしないのに料理の本を読む後ろめたさは恥ずかしくはないです

いろんな撮り方するやつおるー
白ワインのグラスに背景のワイン畑がうまく逆さに写りこんで爽やかに撮ってるやつとかおるー
赤ワインのボトルをマットな輝きで撮るやつがおるー
浅いピントでかわいく瓶を並べて撮るやつがおるー

久しぶりに行くラヴォーのことを調べつつ、
一昨年書いたラヴォーの記事を思い出しました

ラヴォーはスイスにあるワインで有名な世界遺産のエリアです
太陽の光を鏡の様に反射させる輝くレマン湖沿いの美しいワイン畑
そこで葡萄とともに暮らす人々
ワイン畑の石垣でふてぶてしく寝るネコ
夕暮れ時にワインを片手にたわいもないことを話す駅前の大きな木の下にある小さなレストランバーのテラス席
私がスイスで最も好きな場所のひとつです

それはもう失敗することは許されないというよりも、どちらかというと今からわくわくしています
新しさを受け入れつつも古き良きを重んじるラヴォーの地に足ついた落ち着いた雰囲気や、
斜面に連なる葡萄畑の遥か上にある丘の上の白い一軒家
脈々と受け継がれてきた土地の、その土地らしさを口で味わうのではなくて、
全身で深い呼吸で味わうようになんとかうまく抱え込んで撮りたいです

それからその後はジャマイカ行きです

これはなんというか、未知すぎ
ひとりのカメラマンとしてはもちろん、
ひとりの人としてジャマイカを味わってこようと思います





こうして初々しい気持ちをよみがえらせてくれた方々に感謝しております
非常にだめだめな数年でしたが、糸口が見つけられたような気がします
とにかくいい写真を撮ってこようと思います




べっひゃーーー

2011年10月06日 | Weblog

の写真はやっぱりすごいと思う

ドイツっぽいといえばそれまでのかちかちした感じなのに
記録としてのタイポロジーは一枚二枚と並べることによってレフェランが広がって、
それは被写体が無機質であればあるほど奥行きがあって
並べば並ぶほど滑らかに延びていく世界がある

私のうちは毎年正月に家族全員で写真を撮る
毎年毎年例外無く撮る
撮り続けている
これもある種のタイポロジーと言えなくはないが、いややっぱり言えないと思うのだけれど、
ある者は成長し、ある者は老いて
次の年にこつ然といなくなり
それでもまた次の年も家族で写真を撮る
いなくなった者の代わりに次の子らが写真に登場する
よく目を凝らして見ると、遠くに映る灯台や船がゆったりと朽ちていくのも分かる
そしてごくまれに新しい物も写りこんだりする

人だとあまりにも写真に順序がついてしまうのだけれど
例えばベッヒャーやシリングのような写真家のように反有機物や画としての空間をモチーフにすると、
その羅列は順序やパターンから解放されていて全てでひとつの図面になっているのが分かる

全く関係ないのだけれど、文章ならばヘミングウェイの書き方に似ている気がする
特に短編

思想や思考ではなくて
文章や写真にする時に、最大限に物事を客観的に再現するという部分が似ているのだと思う
釣りの表現や戦争にいたるまで

案外これは難しい作業で、
だからとてもおもしろいのだけど
掃除に似ている
いいものを集めるばかりではなくて
掃除する

特に細部にいたるまで掃除する

私の部屋には整理されないままのものが山積みだと気づく


掃除をしなければ



でもたまにうだうだとした太宰を広げてみたくなる欲求

だから片付かないのである