日記

Hajime

カープカープカープひろっしま

2011年05月25日 | Weblog


ひっろしっまぁーカーープー

こんにちは

暑くなったり雨がそぼ降ったりしていて温度差が激しい今日この頃
その気温差によって皮膚は刺激されているのにもかかわらず
知らず知らず外気に適応する人体の強さってすごいです

最近は偏った本ばかり読んでいるので、偏っているのですが

特に改めて歴史の本を読んでいると
ページをめくればめくるほど人類の過去は争いと略奪であって
もちろん全ての場所に置いて戦争をしているわけではないですが
あらゆる時代においても繰り返し奪い合っているという事実はいなめません

1ページ読んでそのページの争いを解釈し
次のページをめくると再び別の争いが始まる

そんな調子です


知識として歴史を学ぶ、という行為の他にも教訓として歴史から学ぶことが多いはずなのですが
それは繰り返す争いと略奪の中にあるのでしょうか

何かの番組でてきとう男の高田純次さんが
「毎日悲しいと思っていれば、少しの嬉しい事で幸せになれるでしょう」
と話していたのを聞いたことがあるのですが
歴史という視点でもそれは一理あるのかもしれません

しかしその歴史を誰かに教えるとなれば、戦争の中に、悲しみの中にあってなお、
むしろその中にこそ喜びや幸せは見つけられる
という捉え方や伝え方があっているのでしょうか
いや、こんなことに正解などあるはずないのですが、疑問として浮かび上がってくるわけです

もちろん歴史書に書かれない、愛すべき至極平和な瞬間も争いと同じように存在し
ひょっとしたら、今この瞬間もどこかで誰かが段ボールの中の捨て猫を優しく抱き上げているのかもしれませんし
歴史そのものを悲観する訳ではなく、果たしてそれを未来にどのように活かすか
活かせるようにふるまえる精神を養えるよう伝えていくのか、そんな風に考えたりもします
そして、ていうか逆にそんなもの活かす必要があるのだろうか、むしろないだろう、という気持ちも一方ではわき上がってきます

何を今更、しかも本の中でのみ知り得た情報に頭を抱えるのかと思う気持ちももちろんありますし
私自身きっと誰かからいろいろなものを奪い、誰かに腹を立てたりしているわけで
それを釈明するのも時間の無駄だと思うほどにそういう気持ちがあるわけで
自分以外のそれも歴史の大海原にあっては小さな奪い合いも、大きな争いもそれこそ当たり前のことのように起こっていて、
自分のことを棚に上げていちいち頭を抱えるなどどうかしてるぜ!(ブラマヨ風に)

でも、その歴史を知れば知るほど、なにか心のなかにエネルギーの固まりのようなものが生まれたりもします

それは、いかなる争いの歴史の中にあっても、希望はなくならなかった
と口で簡単に言ってしまえるような類いのものではなく

そりゃ誰にだって希望がなくなる時もあると思うわけで
しかし戦争や略奪の裏側にも言い表しがたい、何か決して負けないような、
素朴で強い人々の優しさはあったのでは、また今もあるはずだろう、と思います




関係ないけど、今、広島カープが2位
密かに今年こそはと思っています




I ain't got no home, ain't got no shoes
Ain't got no money, Ain't got no class
Ain't got no friends, Ain't got no sweaters
Ain't got no perfume, Ain't got no bed
Ain't got no mind

Ain't got no mother,Ain't got no culture
Ain't got no friends, Ain't got no schooling
Ain't got no love, Ain't got no name
Ain't got no ticket, Ain't got no token,
Ain't got no god,

And what have I got?
Why am I alive anyway?
What have I got nobody can take away?

Got my hair, Got my head
Got my brains, Got my ears
Got my eyes, Got my nose
Got my mouth, I got my smile

I got my tongue, Got my chin
Got my neck, Got my boobs
Got my heart, Got my soul
Got my back, I got my sex

I got my arms, got my hands
Got my fingers, got my legs
Got my feet, got my toes
Got my liver
I got my blood

I've got life
I've got my freedom
I've got life and I'm gonna keep it

I got my arms, my hands, my fingers,
my legs, my feet, my toes,
and my liver, got my blood..

I got life, I've got laughs, I've got headaches,
and toothaches and bad times too like you

Got my hair on my head
Got my brains, Got my ears
Got my eyes, Got my nose
Got my mouth, I got my smile
I got my tongue, Got my chin
Got my neck, Got my boobies
Got my heart, Got my soul
Got my back, I got my sex

I got my arms, my hands, my fingers,
my legs, my feet, my toes,
and my liver, got my blood..

I got life, and i'm going to keep it
as long as i want it, I got life

heart, soul


にしおぎくぼ

2011年05月13日 | Weblog

こんにちは

今日は雨です

昨夜は西荻に引っ越してこられた映画・旅ライターさんと飲みました

音楽と映画、本についてあれこれ話しを聞いて、
知識の広さはさすがだなぁ
精進せねば

いろいろと励みになります

文章と勉強はりきって楽しんでがんばっていこうと思います

やるぞー


夜おどり

2011年05月12日 | Weblog

こんにちは

今は去年の暮れに走った奈良マラソンの原稿を書こうとあれこれ記憶や資料をひっぱりだしたりしています

かなりゆっくり寝かせたなぁ(放置である)
と思いつつ、思い出そうとしていたのですが、
記憶を突っつくだけではどうにもならんというか、
奈良の歴史の奥深さを考えると、いくら走る行為の原稿だといえどもやはり結構な資料も必要で、
昨夜は夜な夜な奈良について考えていました
というより考えつつ酔っぱらいました

もんもんと酔っぱらって2時、ぐっすり眠りこけてしまって3時
つけっぱなしのラジオからパフュームの新曲が流れてきて急に目が覚める
真っ暗な部屋です

そこいら中真っ暗な中、朦朧としてレーザービームが流れておりました
あぁなんと心地よい(きもいが)
そしてラジオの語り手の「今は今日と明日の境目です」という言葉を聞きながら3時過ぎ


奈良といえば万葉集、日本書紀、妖怪、鬼です
平安よりも平城、白鳳よりも天平です
ややマイナー感が私の好みではあります

以前、妖怪についての本の中で、
歴史上で鬼が登場したのは奈良時代である、
鬼というのは、例えば覇権を狙う宮内の誰かが邪魔な存在の誰かを暗殺し、
暗殺した人がそれを鬼という化け物の仕業だと言い、
当時の宮内の覇権争いには度々鬼が現れては誰かを連れ去り、殺したというのを読んだことがあります

それでは鬼というのはとどのつまり人間の心ではないでしょうか
都合の悪いことは鬼という恐ろしげな存在に押し付けてしまうという人の心の恐ろしさ、それこそまさに鬼のなかの鬼

化け物の類いとしての鬼の役割を押し付けられた鬼には同情こそすれ、恐ろしさは感じないというか、
あさましさに染まった人の心に比べればよっぽど優しく柔らかげな、そして親しい存在ですらあるのではないでしょうか

はっ、とそんな風に目を覚ましてパフュームがラジオから流れてくる3時
あまりに腹が減ってそうめんをゆではじめてみました

朦朧としながら箸で鍋の中のそうめんをつつく
白い糸が鍋の中心から沸き立つ
ゆらゆらと鍋から白い糸がこんもりわき上がります
白髪の鬼が鍋の中からこちらを向いています

よいしょー、とその白髪の鬼をざるに上げてすする
なかなか旨いではないか鬼、とすすってみます

はっ、いかんいかん、とマラソンの思い出から随分遠ざかっている自分に気づく3時半
脱線していないでさくっと書いてしまいたいものであります





五月のはじめ

2011年05月10日 | Weblog

こんにちは

からからとした冬が去って、足早な春にはまるで追いつけず、気がつけば桜も散り、
見上げても見下ろしてもそこいら中にわなわなと緑が萌えているではないですか
濃ゆい濃ゆい五月です

今はつつじが見頃です
パンジーひなげし藤鈴蘭
と、路肩はさながら花たちの青春まっただ中の様相

名もなき緑の葉っぱなども我生えりと息巻き、
その見事な葉っぱの影の下、軒先の大皿の中でちょろりと泳ぐ赤い金魚を見るにつけ、
この五月はなんと五月か
なんとその五月は五月らしき五月かとふれてまわりたい病であります

しかしながらそんなことをして回ればあいつは阿呆かと思われるということは想像に易く、
また、阿呆は私ではなく、あえて言うならば阿呆は五月であって、五月の花々であって、葉っぱであって、
ちょろりと泳ぐ金魚ではないかと反論したいところではありますが、
するときっぱり言われるのである、やっぱり阿呆はお前だと


五月であります

GWを含めそのしばらく前から結構多くの人とお会いしました

アラスカの写真家とは、新宿の思い出横町の一角、せまい木造の階段をぎしぎし上がった所で燗をちびりちびりと飲み、
侃々諤々話しこみました
理系の彼の考え方が非常に興味深く、野生動物を撮ったその写真にはいかにもその生き物から放たれる熱気がおさめられているのに、
その語り口は非常に冷静で、写真の構図からゲーテの哲学までお酒がまったく進む夜でした

『卑怯な考えの動揺、しりごみ、小心な嘆き。
そんなものは不幸を防ぎもせず、お前を自由にもしない。
あらゆる暴力に逆らって己を守り、決して屈せず、そして力づよく振るまえば、
神々の腕をよびよせる』

そんなゲーテの言葉を思わせる深い目をした男でした。ちくしょう。いい男であります

さてまた、東北へボランティアへ行かれた方と話して興味深い話しを聞く事ができ、
(いかんせん興味深いなどと言葉にしてしまうとどうしても言葉自体が信用ならないのだけど、それは興味深いというか、その現状そして心情をお聞きし、時間を共有しなければ東北及びその方の心情を私は知り得なかったという点において興味深いと思うのです)

はたまた膨大な量の絵はがきを自分自身に出し続けた方にお会いし、
行為そのものと、それ以前にその行為に結びついた心理の流れは、
デトックスというよりもはやカタルシスとさえ感じられ、つまり大変味わい深い時間を過ごすことができました

それから政治の話しや、ご当地話し、自然から絵から写真から妖怪、古本音楽料理に情事
そのような話しをもりもりと人々として、不毛すぎるこの脳内畑のすこぶる肥やしになりました

かたや日中はカフェで勉強にあけくれ、いい加減出てってくれないかという店員の視線及び目の前のノートとの格闘に時間を費やし、
さらなる不毛な畑は広がるわけですが、夕刻から出会うそのえげつなく興味深い人々のことを考えると、やはり世界は広いわけです
いや世界というより種々人格の多様性の無限なことといったらばすごいと感じるわけです

それから好きな小説をここぞとばかりに手に取って、ざくざく物語を進んでいくと、
もはや一体あの名言を語ったのは誰だろうか、実際に酒を飲みながら夜な夜な話してくれたあの人であっただろうか、
いや小説のあいつだっただろうかと我ながら馬鹿丸出し状態であって、
やっぱり阿呆はきっぱり私であるような気もします


そんな風な五月はじめです