日記

Hajime

なつ

2013年07月09日 | Weblog



いしいしんじの小説がとても好きだった

なぜそんなことを思ったのかというと

い、がつくもののことを考えていたからで

インド

いしいしんじ

そんな風にして思い出していた

いしいしんじは東京にいる時の初期に随分とお世話になった

トリツカレ男のジュゼッペやみずうみとか、彼の本は中央線によく似合っていた

井の頭公園のベンチとか三鷹の陸橋や西荻窪の古本屋とか

素朴なのだけど古くない

懐かしいのだけど褪せてない

安心した途端に狙いすませたかのように静かに落とし穴が用意されている

手の込んだ伏線、突出した狂気、鮮烈な個性はない

深淵のようであって深淵ではなく

浅瀬の小刻みな波の震えや飛び散る水泡の軽やかさでもない

けれどその両方がゆったりと広がっている

寝ぼけて朝焼けと夕焼けのどちらかよくわからず目を覚ました時のように

うっすらとぼんやりとしている



時間の経過を鮮明に記憶しているのだろうかと思うと

やはりそうではなくてうっすらとぼんやり漂っている塊のような時間の経過も少なくない

思い出せることと思い出せないこと

けれど、うっすらとぼんやりした塊としてあるような気がする

というよりある

うっすらとぼんやり漂っている過去の塊

そういうものに似ている


忘れてしまったのではなくて

思い出せないのである

そして思い出せなくてもいい部類のものなのだけど


関係ないが最近は鈴木理策の写真にはまっている




楽しい

2013年07月06日 | Weblog

エルメスでシガリット・ランダウや現美でフランシス・アリスを観た

またチンポムと岡本太郎の企画展を観たりしていた

特にランダウとアリスはそれぞれ「境界線」に主眼を置いていて、
根底に横たわるアイデンティティの中にあるいくつかの境界線と他者、国、文化、歴史、捉えようによっては外や外にある様々な境界線に結びつけられるのだけど
どちらかというと個に内包する内の境界線というか、分裂して分解した自分の小さな粒同士の距離や微かな結びつきを見いだすような作品だった

安定したものを思い切り揺さぶって不安定にしたい
そうしなければ疑いようも晴れないもので、
けれど決して疑いたい性でも不安定にしたいわけではなくて、
確固たるものを揺さぶって確固足らしめる要素をそぎ落とした先にあるものを見たいということである

ランダウの揺さぶりはとても心地よく、激しく、ぐらぐらしていて落ち着いていた

いろいろなものの境界線のど真ん中に大きな木が立っていて、
それは深く根を張ろうが、太い幹に成長しようが、
どん、ときて ばりばり揺れて 実は落ちて 削がれていく

この心地よさは至極快感であるし

もっとびりびりと撹乱するとにやにやする





Sigalit Landau



あそぶ

2013年07月04日 | Weblog

6月はかなりかつかつだった
自分の器の小ささがよく感じられた

静岡に行って
東京に行った

もっと学びたかったし
もっと知りたいことがあった
もっともっと勉強したいし
もっともっとつかみたい

東京は本当によかった
「境界線」について、現代美術館やエルメスの展示、
チンポムと岡本太郎をきちんと観た
国境線や文化、思想、価値観、生と死、光と影、人と人の境界線について
きちんと向き合ってぐるぐるとした
すてき


文句ばかりたれてないで
馬鹿みたいに進んでいけたらよいと思う

7月


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