そしておじいちゃんとぼくは海の奥へと向かった。
ますますおじいちゃんは溶けてく。
トビウオも跳ねない、そんな海の奥まで来てた。
海の奥のばけものの命を飲み込む叫びだけがますます大きく聞こえた。
ぼくはなんとかおじいちゃんを引き止めたかった。
それが不可能だともその時は思ってなかったんだ。
海の層のずいぶん奥までやってきた。
おじいちゃんはもうほとんど溶けてた。
その命だけが色を濃くしてる。
ここらの波はもう荒れ狂ってまるで森のように高くそびえ立ちすごい勢いでぼくらをつかまえようとした。それをなんとかかわしながら歩く二人。ぼくは叫び続け、のどが潮にやられがらがらになってた。
次の層を越えた時、もうおじいちゃんはほとんど形がなかった。
放射するような強い光の命だけになりかけてた。それでもずるずると海の奥へ進む。
その瞬間顔面から足の先まで衝撃が走る。
体中がしめつけられる。
もう海の奥のばけものの手につかまえられて海へたたきつけられてた。
そしてまた水面へ持ち上げられる。
あぁおじいちゃんごめんなさい、と思った次の瞬間すごい勢いで空へ舞い上がる、高くどこまでも。
遠く月明かりの方に銀の鳥が今日も行き来するのがゆったりと見えた。
そして最後に振り向いた時、海の奥に飲み込まれて行くおじいちゃんが一瞬だけその形を取り戻し、いつもの柔らかい笑顔を見せたようにも見えたんだ。
半魚人がぼくを背中に乗せ部屋まで送り届けてくれた時にはもう東の方から朝がやってくるようだった。
それからぼくはぼくの部屋でこの世で一番大きくて頑丈な袋に詰め込まれたみたいな眠りに落ちた。
半魚人が夜の浜辺の夕顔の上でラフマニノフの狂詩曲を吹く夢を見た。
優しい音色だ。
どれくらいたったのかわからないけど、辺りはもう真夏の日差しで、アブラゼミや沢山の虫達が鳴く声でぼくは目を覚ました。
それからぼくは部屋をでて一階まで降り、キッチンに行った。
かあさんがとても明るい笑顔で言う。
「さっき魚屋さんが今朝早くに今年最初のウミガメの子が夕顔の丘のすぐ先で卵からかえって海へ入ったって教えてくれたよ!いよいよ夏だねぇ。」
それを聞いた時、ぼくは海へ向かって鍵盤ハーモニカでラフマニノフを吹こうと決めた。
半魚人へ、海の奥のばけものにつかまらないように警告の「ラ」を強めにして。
おわり。