日記

Hajime

よろこびのうた

2014年01月17日 | Weblog

作用の問題でいうと

古いものが新しいものに作用されようと
新しいものが古いものに作用されようと

フィルムがデジタルに作用されようと
デジタルがフィルムに作用されようと

プロレタリアートがブルジョアに作用されようと
ブルジョアがプロレタリアートに作用されようと

田舎が都会に作用されようと
都会が田舎に作用されようと

感性が思考に作用されようと
思考が感性にさようされようと

甘さが厳しさに作用されようと
厳しさが甘さに作用されようと

昨日が明日に作用されようと
明日が昨日に作用されようと

ロックがクラシックに作用されようと
クラシックがロックに作用されようと

影が光に作用されようと
光が影に作用されようと


どってことない
なんだってとてもおもしろい


籐兵ドンと農民たち:よろこびのうた



一本の木とかを夕暮れに撮る

2014年01月16日 | Weblog



東京に行っていた
多分私はもうあそこには3日と住めない
なんというかそう感じた

気を張れば4日かもしくは死ぬまで生きることができるかもしれない

それでいろいろと考えてみたのだけど
それはおもしろい発見だった
こちらに移り住んで度々東京に戻るがその度感じ方が考え方に追いつかないくらいに変化していておもしろい

東京という場所には個人的にいろいろと詰まっているので嫌いというよりはむしろとても好きである

生きているのだからいろいろ考えたり変わったりそれを受け入れたりおもしろいと思ってよいのだと思う
見ないふりしていたらもったいないのだと思う
そんな予断は許さないほど猛スピードであれこれと過ぎていくのである
だから自分を見ないとかは無駄である
とても嫌だがその瞬間その都度自分と向き合って受け入れる方が効率がよい

でも井の頭公園で踊り狂ったり
バンドのメンバーが見つからずにうだつのあがらない日々を過ごしたり
ヨーロッパが全然刺激的ではなかったり
アラスカやインドの方が精神をえぐったり
毎日知らない町をぶらついてシャターばかり切る日々を過ごしたり
客観的にみてみると事実それらは全てあの場所が教えてくれたことではあるし
そういう自分の一番の時期の速度と共にあったことを考えると
あの場所とういフィルターを通してよく自分がわかる


それで今ここにいるわけだが
それもやはり受け入れることができるわけでなく
では何があるんだろうかと思うと
ここの目の前にあるものではなくて
あそこにいたころに描いていたここであって
それは酷く抽象的なのだけど
ないものねだりでもあるのだけれど
あそこにいたころに描いていたここの景色ではないのだろうかと思う

これはとてもくだらないことだなーと思うのだけど
仕方がないのでここにいてそれをフィルムによって淡々とつくるしかないのである

ここにいるけれどあそこにいる精神であそこからみたここを表現する

あそこにいくまでにかつてここにいた時間を経てあそこにいた時間も経てまた再びここにいる時間も経てあそこにいた時間をここにいてつかむ作業を経てあそこからみたここは本当のここではないのだけど本当のここはあそこから観ていたここであるのかもしれないというここをあそこから撮る


おもしろい

フィルムはなんておもしろいのだろうか






列車 / LOST IN TIME













光と闇についての考察

2014年01月09日 | Weblog



と言っても、特に何もない

道に似ているような気もする

遠回りか近道か、というような


遠回りを肯定する、とか
近道への羨み、とか
単純に焦り、とか


結局は満足しきれない現状にもなんとか自己肯定感を持っていないとかなり膝がガクブルな感じである

目の前や足元にあるものへの満足感とか、そういうものは元来の性かあるいは人生の時間に置けるメモリの区切りであるので人それぞれそのタイミングが訪れるのである
そしてそれは必ずよいものであると思う


あと一週間程でフィルムの現像がすむ

本当に嬉しい





another dawn - Chouchou




レンズ

2014年01月04日 | Weblog

Lレンズを買ってにやついている

フィルムに戻してから思うのは

デジタルってすごく余分なシャッターを切っていたのではないかということ

でもデジタルの時も余分な写真という意識はなかったというかかなり必死できちんと撮っていたとは思う

それでまたフィルムに戻ると一枚一枚に対して必死さというより大切さがある

確かにそれは一枚のコストはフィルムがものすごく高いし、現像やプリントにお金も時間もかかる

それでもやっぱりフィルムが好きなのは、デジタルも好きだけどフィルムの感じがもっと好きというだけ

デジタルのよさは、フィルムのよさを思い出させてくれたことかもしれない

しばらく実家に帰っていて、夕暮れに人のうちの畑でじっと撮るタイミングを待っていた

風は吹きすさぶし、暗いからあちこちブレるのだけど

たまらない時間だった

フォトジェニックなシーンの先に、ピクチャレイズな瞬間がある

でも現像ができるのは2週間後!

デジタルではこうはいかない

すぐ目に見えてしまう

写真ではなくて画面に、画像になってしまう

写真をはじめて、初めて写真の仕事をし始めた頃は、36枚撮りのフィルムを100本以上バックパックに詰め込んで関西や中国地方、四国地方に出かけていた

もっとも、本当に自分のカメラを手に入れた時はフランスとイギリスで露出のことなど知らずにとにかく目に入った知らない瞬間を撮っていた

いやあ、楽しい

自分が好きなものを自分が好きなカメラで好きな時間に沢山撮る

にやつくわ






相変わらずハンパないライブをしているね彼らは

Rage Against the Machine - Killing in the Name(Live / 日本語字幕)