亀田騒動で、ガッツ石松が株をあげたみたいですね。
「言葉を濁す人が多い中で、直球で亀田批判をした」
という、正義の味方として、ガッツ石松は
国民からかなり支持されたみたいですね。
対して、亀田擁護をしたタレント達は、
軒並み評判を落としたご様子。
爆笑問題の太田さんとかも、擁護していましたが・・・
たぶん評判を落としたんだろうな~。
まあ、もちろんみなさん、
評判が落ちるのを分かった上でやっていると思います。
僕だって、評判が落ちるのを分かってて書きました。
思いっきり反論が来るだろうな~と
びくびくしながら書きました。
でも敢えて、こういうとき、僕は少数派を大事にします。
「今の日本の風土は、太平洋戦争突入前の日本に似ている」
と、だれかが言っていましたが、そうだな~て思います。
戦争前、多くの日本人は
「戦争はいやだ~!開戦はやめてくれ~!お願いだ~!」
と、思っていたわけではなく、
世論の大半が
「戦争賛成!鬼畜米英!大和こそ最高!いざ突撃」
というムードだったみたいです。
で、戦争反対派はかなりの少数派、非国民扱い。
たとえ戦争反対でもそれをいうことができないムード。
仮に戦争反対でもしてみようものなら、
仲間はずれにされる、殴られる。
で、そのムードを作ったのは、他ならぬ
「マスコミ」
でした。
国民の大半が気づかずマスコミによって操作されていた。
スケールは違うとはいえ、
開戦前の風土と、亀田騒動に対する風土は似ています。
「亀田批判するものは英雄!亀田排斥!
亀田を擁護するやつは死ねばいい!死ね!消えろ!
ガッツ石松は俺達の代弁者だ~!!!」
で、亀田擁護派を徹底的に潰そうとする、その世論。
言論の自由!言論の自由!
とかいいながら、結局世論のせいで、
一方の意見しか言えないように拘束されている。
コメンテーターのなかにも、
亀田兄弟のバックボーンを分かっていながら
自分の信用を守るため、敢えて亀田批判をする。
そういう人も絶対います。
そもそも、
僕がもしタレントだったら、確実に亀田批判します。
だって、亀田批判をしないと、
信用を失って、干されて、視聴率が取れなくなって、
そして消えてしまうから。
無言の圧力が確実にあるのです。
だから絶対亀田批判をする。
あのアホが~!!国民をなめやがって!!と言います。
言論の自由は、視聴率のために消えている。
もし仮にいま、
北朝鮮からの爆撃で日本人が大勢死んでしまったら、
確実に世論は
「北朝鮮を攻めろ~!遺族のため爆撃しろ~!正当な報復だ!!!」
となるでしょうね。目に見えています。
そういう世論調査もすでに出ていました。
そして、北朝鮮攻撃反対派は、思いっきり糾弾される、
叩かれる、信用を落とす。
涙をためて「愛するものを失われた遺族のために、戦いたい」
といったタレントは英雄扱い。
亀田騒動と全く一緒。
言論の自由は、視聴率のために消えている。
この風土。
言論の自由があるというのに、
実はほとんど言論を拘束されているこの風土。
まさに、太平洋戦争突入前の日本と同じ。
そして、どれが正しいかはわからないけど、
世論の大半の考え方が、正しい!!
太平洋戦争突入は正しい!
北朝鮮攻撃は正しい!
亀田批判は正しい!
ほんとに正しいのがどれかは、
はっきりいってどうでもいい。
その数年後の世論によって
「あれは正しくなかった。」
「やっぱりああするのが正しかった。」
と決められてしまう。
180度世論が変わっている場合もあります。
歴史は、そうやって決められる。
で、それもこれも全~~~~~部。
みんな巧妙に
「マスコミ」
によって操作されているからです。
それがめちゃくちゃ怖いと思います。
それを、改めて感じる今日この頃です。
最後に、僕の行ってる大学の有名な数学者の森毅先生が、
授業中、なにかのデモを行うための広報をしに来た学生に、
おっしゃったひとことです。
何か自分が意見を言うとき、
決して「絶対にそれが正しいんだ!」と思って言ってはならないよ。
「そういう考え方もある」くらいのつもりで言いなさい。
奇しくも終戦記念日に近い今日。
その言葉の重さを改めて感じます。
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