もりのぼたもち

釣り、健康ランニングとお城巡りを楽しむアラ還おじさんです。
何事にもドンマイ!の気持ちであちこち出かけています。

御朱印巡り ~ 大浦 腹帯観音堂

2020年04月14日 | 御朱印巡り

さて、身内の話です。

かわいい孫は、ただいま2歳半。

よく動き、よくしゃべります。

ただ、人見知りがあり、慣れないとシーーーーン。

それと、おしっこが言えません。

まぁ、そんなことはいずれ克服するでしょう。

孫というのは無条件でかわいい。

じぃじは、なんでも許容しちゃいます。

だから、大人気。

そんな孫がお姉ちゃんになる予定。

まだ半年ほど先ですが・・・。

そこで、コロナのことも気になりますし、安産祈願。

一人目の孫の時もお参りしました。

滋賀県 長浜市西浅井町大浦にあります、「腹帯観音堂」。

由来については、HPからです。

由 来
○十一面腹帯観音菩薩
 平安初期、比叡山延暦寺の開祖として名高い伝教大師最澄が栢(かや)の木を一刀彫にして完成させたと伝わっている。
 高さ約160cm。頭には小さいながらも表情豊かな十一の菩薩面があり立派な頭飾の赤色の玉は日光菩薩、白色の玉は月光菩薩をあらわしている。
 肉付きのいい腰と少しふくらんだお腹が特徴。それらを包み込むように、さらしの腹帯が巻かれている。
 かつてこの観音堂は、現在地からほど近い大浦八幡宮の奥の院・観音寺に安置されていた。しかし元亀元年(1570)姉川合戦時、寺院排除が行われた際、戦火を避けるため境内の蓮池に沈められる。以来八十八年間、当時の大浦八幡宮神職によって掘り出されるまでは池の底、泥の中で眠っていた。 
 その後は大浦八幡宮社内に安置され明治維新の動乱期を機に現在地に移動。裏山が崩れたため昭和6年(1931)に現在のお堂が建立され、今に至る。 
 池から泥まみれで掘り出された際多くのさらしで御体が清められたという。そしてその布は腹帯として妊婦に分けられ皆が五体満足で安産であったという。そのことが現在も続く腹帯頒布のきっかけとなった。
 享保4年(1719)には観音像の木版が完成。お姿が刷られたさらしは写真のように一週間ほど観音堂の腹部に巻かれてご利益をいただき、安産を願う人々に広まった。
 平成15年9月23日、観音像盗難。平成17年4月23日に無事お戻りになったが、その間1年半、お堂に残されていた紅白の腰紐と腹帯に、頒布のための腹帯を抱き合わせて、絶えず安産祈願は行われていた。そんな、腹帯観音の慈悲深さとたくましさに惹かれ、安産はもちろん、子宝を願って全国からお参りが絶えない。
 腰周りが大変がっちりしていて、お腹が少しふくらんでおり観音様のお腹に巻いた帯を頂き、その帯を妊婦に巻くと御体満足に安産が出来るところから全国より腹帯の申し込みがある。

 

ということで、ご利益を授かりますよう、しっかり祈願。

場所は、ちょっと入り口がわかりにくいかもしれませんが、案内板をしっかりと見ておくことが肝要。

参拝者は、だれもいません。

お詣りを済まして、さい銭箱の横のケースを見ると・・・。

御朱印が入っておりまして、代金300円はケース内のビニール袋に入れて賽銭箱へ。

そして、長浜は観音の里としても有名。

そのため、観音様カードがありました。

子宝や安産のご祈祷も事前申し込みでできるとのこと。

また、その際には腹帯も用意可。

私としては、安産お守りを授かりたかったのですが、だれもおられませんし、どうしたものか?

ということで、元気な赤ちゃんが生まれてきますように・・・。

観音様、お頼み申し上げます。

コメント (4)
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