オカリナと水泳日記、あ、うつ病と拡張型心筋症なども

病気は「ついで」かい!というようなタイトルですが(苦笑)。
古い記事はうつ病との闘いの記録?や花作りがメインです。

お友達の精霊たち。(怪しいタイトルだなぁ。苦笑)

2009年02月01日 | 徒然雑草(びっきぃのこと)
唐突に”精霊”なんて言葉が出てきましたが。

結論からいうと、びっきぃは最近はやりのスピリチュアルな世界にハマっています。
といっても江原さんとかシルバー・バーチとか、飯田教授(教授昇格おめでとうございます。)とかの世界観そのままを「信じてる」わけではないんですけどね。
結構びっきぃ独自の世界観かもしれない。

あ、ちなみにびっきぃは完全な無宗教です。つまり既存の宗教には一切興味なし。説得力も全く感じない。もちろん主な宗教は基本的に勉強した上での話です。
といって既存の宗教を否定するわけじゃないですよ。「俺には合わない。」というだけのことですので誤解なきようお願いします。

ただ、以下だらだらと書いたような、びっきぃ独自の(つーか勝手な)「信仰(?)」は持っているんです。

なんていうかなあ、世の中のあらゆるものに「命」というか「神性」みたいなものを感じるわけです。
ま、いわば日本古来、そして世界中にある自然崇拝的なものなんですがね。
とにかく全てのものに何かが宿っていると思うんです。

で、あらゆるものに宿っている「神性」は大元の「人知を超えた存在」の一部であるように思えるんです。
だから世の中全てのものは、根源的なところで、「人知を超えた存在」を介して全て繋がっていると。そんな風に思えるんです。

だから、いつもオカリナを吹きに行く公園の木々や草花たちにも、なんともいえない「友情」を感じるんです。

いや、もちろん最初からじゃないですよ。毎日のように通ってオカリナを聞いてもらっているうちに「友達になれた」っていう感じ。

吹き疲れて休んでいるとき、ボーと考え事なんかしていると、彼らの声が聞こえてくる。いままで堂々巡りしていた悩みごとを、全く違う視点から見ることに気付かせてくれる。

「潜在意識の仕業でしょ。」と言われれば、そうかもしれない。
でも、彼ら木々や草花の精霊が教えてくれた、と思えばなんか楽しいじゃない?

そういう意味では、「生きがい」シリーズの飯田教授と同じスタンスです。
結局この世にいる間は何が正しいのか判らないんだから、「そう思う」ことで楽に生きられる、幸せを感じられるなら思えばいいし、そうでないなら思わなければいい、というだけのこと。

で、さらにびっきぃの場合さらにヘン?なのは自然だけではなく人工物にも精霊を感じてしまうことです(笑)。

特に楽器。これはオカリナを始める前から。
というとまだ小学生~高校生のころだけどね。
ギターにそういう感じを持ってたなあと思うんです。愛着があっただけなのかなあ。

そのころは今みたいに”精霊”というような概念?は持ってなかったけどね。
今は当然オカリナに”精霊”を感じています。
新しい「風雅くん」とはまだなかなか仲良くなれなくて困ってるんですけどね(笑)。

…演奏がヘタなだけなのを”精霊”のせいにしていると思われるかな(苦笑)。

他に”精霊”を感じるのは、スポーツクラブのジムとプール。
それぞれ、その空間と水に”精霊”を感じます。

さらに言えば、愛車「ヴィヴィオビストロ」(爆笑)。
ホント笑われるだろうと思うけど…。あ、でもバイク乗りの人ならなんとなくわかるんじゃないかなあ?

自分の心とマシンの心が同調したとき、最高に気持ちいい走りができる。
あんな感じです。(どんな感じだよ!わからんわい。というツッコミはおいといてね。お願い。)

で、「その”精霊”とやらが繋がってるという”人知を超えた存在”って何よ。”神”のこと?」と聞かれそうですが。

実はそんなことはどうでもいいんです。
「何かそういう存在がある。」というだけで、びっきぃにとっては十分なんでね。

ただいろんな宗教の聖典に登場するような、人格(喜怒哀楽)を持った”神”とはちょっと違う。

そんな、人間が想像できるような安っぽい?もんじゃない、と。
自然の摂理そのものというか、それを作り上げたもの。
想像もできない究極のものだと思うんですね。

その分身があらゆるものに宿っていると思うようになって、世界観が変わりました。

「赤の他人」が「他人」じゃ無くなる。
「草木」が「単なる植物」ではなくなる。
「山」が「単なる他より高い場所」ではなくなる。

さらには、クルマが「単に、ガソリンを空気と混合して火花で爆発させた圧力でピストンを動かしその上下運動をクランクで回転運動に変換してタイヤを回転させ動く機械(笑)」では無くなる。

ま、最後は無理やりって感じだけどね(笑)。

ただね、びっきぃが大事にしたいと思っていることは、人の精霊も、動物や植物やその他もろもろの精霊も皆平等だってこと。
人間だけが特別エライ精霊を持っているなんて思っちゃいけない、ってこと。

といってもね。毎日他の命を奪って食事にして生きていることも事実でね。
でもまあ、本来は人間だって食物連鎖の一部だったんだから…。
文明のおかげで、”物理的には”特別な存在になったというだけでね。

だからこそ、人間は他のものに対して「傲慢」になってはいけない、と思うのでした。

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