オカリナと水泳日記、あ、うつ病と拡張型心筋症なども

病気は「ついで」かい!というようなタイトルですが(苦笑)。
古い記事はうつ病との闘いの記録?や花作りがメインです。

”自由主義”について考える。

2009年01月06日 | 時事ネタ(独善的見解)
お~!久しぶりの”小沢昭一的こころ”風タイトル。
いろいろと考えることもできるようになってきました。

いや、ここ数年来考えることや、読む本といえば「生きるとは」「死とは」なんて哲学的なことばかり考えてたからねー。
それはそれですごく大切な時間だったと思っています。自分の人生の中でね。
本当にいろんな、言葉にはしにくい気付きも多くあったし。

ま、それはそれでいいとして、ホントに久しぶりのびっきぃ風暴論記事です。

あ。ただし!久しぶりだけに(?)超長文です。約3,500字あります。
読む方は覚悟してどーぞ(苦笑)。

テーマは”自由主義”。
いきなりなんだよ。と言われそうなのでびっきぃの思考経路を整理しておきますと。

まあ思考のスタート地点は、今回の金融危機及びそれが引き起こした実体経済の失速、つまり景気の悪化(っていつ良くなってたの?って気もするがね)、失業率の上昇。現実に目につくのは派遣切りの悲劇ですね。

改正労働者派遣法(2000年だったかな?)及びその後の改正については、また改めて考察します(たぶん)。

で、金融危機が実体経済をおかしくしてしまう、という現在の資本主義の構造に対して、びっきぃは昔から疑問、というか違和感を持っていたんです。
1929年~の世界恐慌のこととか、バブル経済時代を思うとね。

どういうことかといえば、ものすごく単純なこと。
「金融」って人間が作ったものなのに、なんでその「金融」に人間(=実体経済)が振り回されないといけないの?ってこと。

ホント単純かつ素朴な質問でしょ(笑)。

その究極の答え(というか原因)が”自由主義”だと思うのであります。
あ、先に補足しておきます。自由主義と言っても”無節操、無責任、自由に伴うべき義務すら無い、自由主義”ということです。

まあここまで書いたら、あと何書きたいかは判りそうなものですけど(苦笑)。

びっきぃの解釈では、
政治的自由主義 = 民主主義
経済的自由主義 = 資本主義 です。

びっきぃは決して資本主義を否定する立場ではありません。
ただ、「共産主義が失敗したから資本主義が正しいんだ」という某超大国に多そうな単純な思想は持っていません。

だって、共産主義と資本主義以外にも経済システムはあるかもしれないじゃない?
発見、開発されてないだけでね。
ということでびっきぃの立場は、「現在の人類文明における経済システムとしては”資本主義”が”ベター”である。」と。ベストかどうかはわからないよね。誰にも。

で、その経済的自由主義である資本主義。
コイツがどーも最近おかしくなって来ているように思うんですよ。

びっきぃの取引先の人でこんなことを言ってた方がいました。もう10年以上前かな。当時50歳くらいの方です。

「お金が、”稼ぐ”ものから”殖やす”ものになってしまった。」って。

言い得て妙ですよね。
例えば株式。本来株式会社といういうのは、多額の資本を集めるために考え出された、本当に良くできた仕組み。
その事業に将来性、そして社会的必要性(が無ければ事業は成り立たんが)を認めたお金持ちが出資し、事業収益から配当(インカムゲイン)を受け取る。

んで、やがて証券化された株式は資産として取引されるようになって、各地に取引所ができた、と。
そうなると、証券自体が有る意味価値を持つようになってしまった。
つまり、安く買って高く売るキャピタルゲイン狙いの投資家が現われてしまった。
彼らにとって、その証券を発行している企業が何を作っているのかは関係ない。
株価のチャートと長短の移動平均線とローソク足と気配値があればいいわけです(笑)。

でもね、まだこの辺までは良かった。いくらキャピタルゲイン狙いだといっても、期待収益率から計算した「適正(と予測される)株価」からは大きく逸脱することはなかったからね。

問題はね~。いわゆるデリバティブなんだと思うんですよ。金融派生商品。
例えば先物取引。
なんだったの?数ヶ月前までの、あの原油先物価格の暴騰。
んでここ2ヵ月ほどの急落。

暴騰時には、「中国やインドの原油需要が高いから供給不足になる(なっている)」とまことしやかに語られ、先物価格はどんどん上がっていった。
実際のところ原油の需給バランスが崩れていなかったことは、今の原油価格をみれば一目瞭然。
だって、暴騰時からこっち産油国は増産してないし、中国やインドの需要が減ったわけでもない。(この金融危機以後の世界実体経済の減速では、減ってるようだけど。)

つまり暴論をいえば、原油先物に関わる投資家は、お金を転がすだけで(ひょっとしたらテレビのコメンテーターなんかに「原油価格はまだまだあがる」なんてしゃべらせていた人もいるかもね)、濡れ手に泡の暴利を貪っていたわけです。

ということはどういうことか。
金融市場(特にデリバティブ)が、実体経済とかけ離れた独自の動きをするようになってしまった、金融市場だけで「お金を殖やす」ことができるようになってしまった、ということです。

と言うと、デリバティブの投資家は言うでしょう。
「何が悪いの? そんなの”自由”でしょ。法律で規制されてるわけじゃないしぃ。」

しかしタチの悪いことに、金融と実体経済は密接に繋がっているわけでね。
彼らのマネーゲームの失敗が実体経済を悪化させることになるから問題なんです。

投資家本人らはいいですよ。「あ~失敗こいた。」で済むわけだから。済まないか。でも投資会社自体が潰れる程のリスクの高いマネーゲームはしない。基本的に。
でもサブプライム・ローンは違った。住宅需要が米国経済を支えているという認識の下に住宅バブルとなっても銀行は貸し出しを続け、債権を引き受けた証券会社、投資会社はマネーゲームで金儲けをし続けた。

で、とうとうリーマンがボロをだした。と。
で、投資家たちは「とうとうバブルは終わったぞ、急いで資金を引き上げろ!」
ですわ。その結果が株式大暴落。

びっきぃの言いたいことわかるでしょ。
要するに、モノも作らずサービスも提供せず、金を転がすだけで大儲けしていた連中の動き一つで、実体経済が大打撃を受ける、ってこと。
しかも、彼らは経済の専門家。自分たちの行動の結果どうなるかの見通しはできるはず。

そこでやっと「自由主義論」に戻るわけです。

つまり金融市場は「自由すぎる」。
いや、言い方悪いな。自由であることはいいんです。

ただね、人間として、道徳としてね、「自由」には、それにともなう「責任」があるんだよ。ってことを投資家の皆さんは忘れていらっしゃるんじゃあ、ありゃあせんかい?

権利があるから義務がある。自由があるから責任がある。当たり前のこと。
自由に行動していいという権利をもっているんだから、その結果起こったことについては責任を持たなければならない。

それが人間でしょ。
でもそれが今の金融市場ではできなくなっている。競争社会だから。
だから、「自由」の美味しいとこ取りをしてあとは知らん顔。
むしろ「不良債権抱えて大変なんです~。」なんて被害者ヅラしたりしてね(笑)。

「自由」。本当にいい言葉でいい概念ですよね。でもそれには「責任」がついていてこそ本当の自由だと。
そんな道徳的なこと、生き馬の目を射抜く競争社会の市場原理の下では顧みる余裕はないよね。ライバル他社がやってれば自分の会社もやらないと仕方が無い。

企業家・投資家の道徳心が期待できない、とすれば「官」による規制しかないんだけど、それはなんかイヤだよなあ。

ああ「経済的自由主義である資本主義」よ。君はいつ「心ある資本主義」に生まれ変わるのか…。

え、そんな気ないって? あ、そう。ゴメン(悲観的…)。

どうやら次のテーマは”成熟経済社会における過当競争”ということになりそうな。

とにかく、人間が人間らしく生きられる世の中にならんかなあ?
って、「人間らしい生き方」って何? 
ああ、また哲学の世界が俺を呼んでいる…(笑)。

あ、最後まで読んでくださった方、本当にありがとうございます。

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