きょうを生きて living in a moment アドラムの洞窟

できることに集中すると美しさが生まれる。

その美しさを感じて息を吸おう。

いなかったはずの信者

2015-08-29 20:24:42 | 日記
長崎に大浦天主堂をたてたとき、







フランス人の司祭が立てたこの天主堂ですが

日本人のキリシタンにもわかるように、漢字で

天主堂と書いて日本人に教会があると知らせたようだ。




その献堂式に日本人がひとりもこないで


司祭は失望してしまう。



大浦天主堂の献堂から約1ヵ月経った3月17日に事件がおきます。

司祭が12時半頃至聖所で跪いて祈りを

捧げていたときです。

振り向くと


ひとりの婦人が近づいてきた。

いなかったはずの信徒が
姿を現したのです。




男女子供負わせた12名から10名の1団が、天主堂の門に茫然と立ちます。

そして司祭にこういったと言うのです。


ここにおります私どもは、全部あなた様と同じ心でございます。浦上では、ほとんど全部の人が、私たちと同じ心思っております。

こうして、250年もいないとされていた、キリシタンの信者が公に姿を現したのだ。


彼女たちはマリアの像はどこと聞き、マリアの像を見つけるやいなやほんとにサンタマリア
様だと叫んだそうな。


当時は禁令下で

役人がある婦人に

貴様が拝んでるこの像はなんだ!?

と詰問すると


とっさに婦人は


お役人さま

田舎婆がそんな難しい説明できるでしょうか?





見物客のふりをしたようだ。


そして

夜間や雨の日 早朝を選んで

天主堂にしのびこんだ。


噂は長崎近郊の島

外海

五島列島からもキリシタンが姿をあらわした






お役人はお役人で 信者だと気がついていたが


天主堂の参観禁止をした程度で

弾圧はしなかった。








1592年の当時


日本でキリシタンの人数は

217500人


今のエホバの証人と同じ人数だ。


ところが


1570年には


信者は26520人しかいなかった。


わずか22年で

日本のキリシタンは10倍に信者を増加させたのだ。


日本のエホバの証人が恥ずかしくなるような、


素晴らしい増加率の伝道活動を展開させた時代が

あったのだ。


かれらは世の終わりを信じて

ひたすら伝道活動していった。


ちなみに昔日本の各家庭には仏壇がなかったようだ。キリシタンであるかどうかを見分けるために各家庭に仏壇を置くようになったという説がある。






当時の日本人はなにに夢見て


キリシタン信者になっていったのだろう?