アンソニーモリスやサミュエルハードの場合 聴衆を生き生きさせてしまう秘訣は
たとえにあるように思います。
難しい込み入ったたとえよりも
子供や身近な人のしぐさを観察して
それを実際演じて見せる。
しかもエホバの証人的にNGに近いところから入っていく。
ある意味自分を馬鹿にして話してゆくイエスも身近な観察つに基づいて
たとえを述べていた。
それに対して
日本の話し手や巡回監督や地域監督は自らのたとえに酔ってしまい
本末転倒になり
さわやかさを残さない。
自分が馬鹿になれない。
こうしたところを改善してゆく必要があるようにおもいます。
ある地域監督の自らの例えに酔いしれる姿は異様だった。
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懐かしく
俺たちの旅は
何処へ
これこそ,私の目指している,目指すべき姿です。
うまく話そうとすることから,脱却したいです。
たとえ,自分が話をしていて途中でつまっても,
話なかばパニック発作が起きて倒れても,
それでも,聞いてくださる人の益になりますように,
そう祈って,講演にのぞんでます。
もっと捨て身になります!
毒にも薬にもならないですね。