007さんこんにちは。007さん皆様のお陰で最近やっと元気に普通になりました。
駅の街路伝道の記事を見て、私もそういった経験がありました。もう三年前の話ですが、私は駅から歩いて15分くらいの所に住んでいます。休みの日などに駅に買い物や散歩に良く行っていました。そんなある日駅でエホバの証人の方が喪のみのプラカードを持ち所々いるのを見つけました。私は聖書の事が知りたくて近くで見つめたりそばをうろうろしました。私に伝道してもらえないかと、何か聖句の一つでもしてくれないかな?と期待しましたが、証人のおば様たちは二人で会話をして気がついてくれず、それでも粘って近くをふらふらしたり見つめていましたそんな行動を10分くらいしていたらそのうち時間が来てしまったようで、帰っていかれました。私はでも駅でこのような伝道を頻繁にやっている事を知り、うれしくなり狙ってエホバの証人がいる時間帯に駅に行くようになりました。またも気づいてくれないかな?とそばをうろつき・・今度の方はお話はしていませんでしたが、やはりなかなか気づいてくれません・・・仕方が無いのでしばらくしてから、その冊子いただけるんですか?と自分から近づいていてみました。「お読みになりますか?」と言われ冊子を下さいました。でもそれだけでした。また違う日にもやってみました。証人の方の前をうろついてみたり、見つめてみたりそんな事をやってたら後ろから声をかけて来る人が!何?と思ったら統一教会の方でした。エホバの証人の目の前で統一教会の人に声をかけられてしまいました・・・文 鮮明さんの冊子をくれそして結構お話をするのです。私も聖書は信じていると話すといっしょに支部へ行きませんかと誘われる始末になり、げんなりして家に帰りました。今度は祈って行く事にしました。もしエホバが私に聖書の正しい知識を教えて下さり受け入れてくださるのならエホバの証人の方に声をかけてもらいたいと祈りました。そして駅に行ってエホバの証人の方を見つけ、近くによってみたりうろうろしました。中年の男の方と女性の方がプラカードを持ち道行く通りすがる人にこんにちはと挨拶していました。私は証人の方の横へそっと近寄ってみました。、気づき私にもこんにちはと言ってはくれまいかと・・・並ぶように寄ったのですが気づきません。気がついているのかもしれませんが、警戒されているのか?凄い近いのに声はかけてもらえません。証人の方が並んでいるすぐそばに自動販売機がありました。何にもなく近くにただ接近しているのも変と思い飲み物を買って、自動販売機の前で飲みながら休んでいる振りをしながら興味がありげに見つめたりしていました。でもやっぱり最後まで声をかけてもらう事は無理でした。祈ったのにと思い落ち込みました。
興味があって四回チャレンジしてアピールしても身使いは私には
働いてくれなかったみたいです。私はエホバに受け入れてもらえない人間なんじゃないかと不安と落ち込みました。
でもよく考えたら興味のある方に喪のみの塔を無料で差し上げます。みたいな活動であって話をかけの伝道ではなかったのでしょうがないのですけれど・・・声をかけてもらいたいと言うのも無理な話だったのです。
駅の街路伝道の記事を見て、私もそういった経験がありました。もう三年前の話ですが、私は駅から歩いて15分くらいの所に住んでいます。休みの日などに駅に買い物や散歩に良く行っていました。そんなある日駅でエホバの証人の方が喪のみのプラカードを持ち所々いるのを見つけました。私は聖書の事が知りたくて近くで見つめたりそばをうろうろしました。私に伝道してもらえないかと、何か聖句の一つでもしてくれないかな?と期待しましたが、証人のおば様たちは二人で会話をして気がついてくれず、それでも粘って近くをふらふらしたり見つめていましたそんな行動を10分くらいしていたらそのうち時間が来てしまったようで、帰っていかれました。私はでも駅でこのような伝道を頻繁にやっている事を知り、うれしくなり狙ってエホバの証人がいる時間帯に駅に行くようになりました。またも気づいてくれないかな?とそばをうろつき・・今度の方はお話はしていませんでしたが、やはりなかなか気づいてくれません・・・仕方が無いのでしばらくしてから、その冊子いただけるんですか?と自分から近づいていてみました。「お読みになりますか?」と言われ冊子を下さいました。でもそれだけでした。また違う日にもやってみました。証人の方の前をうろついてみたり、見つめてみたりそんな事をやってたら後ろから声をかけて来る人が!何?と思ったら統一教会の方でした。エホバの証人の目の前で統一教会の人に声をかけられてしまいました・・・文 鮮明さんの冊子をくれそして結構お話をするのです。私も聖書は信じていると話すといっしょに支部へ行きませんかと誘われる始末になり、げんなりして家に帰りました。今度は祈って行く事にしました。もしエホバが私に聖書の正しい知識を教えて下さり受け入れてくださるのならエホバの証人の方に声をかけてもらいたいと祈りました。そして駅に行ってエホバの証人の方を見つけ、近くによってみたりうろうろしました。中年の男の方と女性の方がプラカードを持ち道行く通りすがる人にこんにちはと挨拶していました。私は証人の方の横へそっと近寄ってみました。、気づき私にもこんにちはと言ってはくれまいかと・・・並ぶように寄ったのですが気づきません。気がついているのかもしれませんが、警戒されているのか?凄い近いのに声はかけてもらえません。証人の方が並んでいるすぐそばに自動販売機がありました。何にもなく近くにただ接近しているのも変と思い飲み物を買って、自動販売機の前で飲みながら休んでいる振りをしながら興味がありげに見つめたりしていました。でもやっぱり最後まで声をかけてもらう事は無理でした。祈ったのにと思い落ち込みました。
興味があって四回チャレンジしてアピールしても身使いは私には
働いてくれなかったみたいです。私はエホバに受け入れてもらえない人間なんじゃないかと不安と落ち込みました。
でもよく考えたら興味のある方に喪のみの塔を無料で差し上げます。みたいな活動であって話をかけの伝道ではなかったのでしょうがないのですけれど・・・声をかけてもらいたいと言うのも無理な話だったのです。
もこちゃんの健気な姿が目に浮かび いっそう愛おしくなります。
私が初めてJWを知った時、ノアの時代を思い出しました。
ノアと同じことを この人たちはしようとしているんだ!
そう感じたんだけれど。。。
4回もスル-しちゃうなんて
一人でも多くの人の命を救いたい!
その思いは どこへ行っちゃったんでしょうね?
気づいてあげられなくて ホントにごめんなさいね。
もこさんのように、心から神を求めておられる方が私の身近にもいるのかもしれない!
そう 意識を高めているようにしたいと思いました。
もこさんの 純粋な祈りをいつもエホバが聞いて 守ってくれますように。
もこさん、気づかせてくれてありがとうございます。☆
自分なら4回スルーされると傷付くと思います。1回スルーされたら自分からもらいに行くと思うのですが、どうでしょうか?
もちろん形だけの奉仕でそこに突っ立っているだけの人もおかしいですが。
頭で考えて正しい結論をだしては
いけない世界があります。
もこさんの心の世界を
感じとって下さい。
この記事を大急ぎで読まれたのね?
あのね もこさんは 雑誌はいただかれたのよ。
ご自分から近づき いただけるんですか? と声をかけておられるの。
でも それっきりだったから
もこさんの目的は 雑誌をいただくことではなかったから
こんなことになってしまったの。
この後 あなたならどうされますか?
もこさんの側と 兄弟の側と。。。
でも当時の私聖書は正しいと思っていたのですが、聖書をうまく理解できず、間違ってとらえていたりしてて結構辛かったので、なにか正しい理解ができるヒントが欲しくて、エホバが見てて、エホバの証人の方と接触できて、本当の理解を得させてくれないか?自分の解釈が間違ってて苦しい思いをしているのをいつか訂正してくれないかと期待していました。
自分からまたエホバの証人の方に連絡して研究をすればいいのですが、以前研究してて理解できなかた事と司会者の方と合わなかったり辛い事が少しあり、自分から言い出す事もなんとなくできなくて、本当にエホバが引き寄せてくれるのなら、求めていたらまた自分に誰かが声をかけてくれたりするんじゃないかという思い期待があったんですよね。
でも結局自分から行動しないとダメなんですよね。私はいつも待っていました。家に訪ねてこないかとか道で会えないかとか・・・でもそんな機会は四年間巡ってこずやっと駅で見つけて期待してしまった・・・でも駅での奉仕はものみの塔を配る活動であって、声をかけるとかそういった伝道ではないので、スルーされるのは当然なことなんですよ。皆さんは忠実に奉仕をしていただけなんです。欲しい人に冊子を渡す。近くでうろうろしたりして興味を示している人がいてもそれ以上のことはできない。四回目の時は接近しすぎて多分相手の方も
警戒されてたかもしれません。変な人に絡まれて伝道を邪魔されてはいけないと思ったのかもしれません。
じつに興味深い
こういう経験やインタビューを大会で扱ったら、ほんとに意味あるものになるのに…
といって、僕もおしゃべりしてる側ですが… とほほ
慌て者の ピッピ です。
ごめんなさいね。
私の方こそ 大急ぎでコメントして 失礼な奴 でした。
実はわたしも集会にゆかなくなってから、もこさん状態だったですよ。
旅先でいつも、こちらから声をかけるのもはばかり、
声をかけられるのを待っていました。
10数回チャンスがありましたが、
結局声をかけられず、
例の時計をさっとみて帰りました。
京都では、コーヒーご馳走しましたが、それっきりでした。
神戸の三宮でも30分も粘りましたか
知らない顔されました。
だから…
おなじ経験していましたね。
奉仕中、わたしは パートナーの姉妹と おしゃべりに夢中になってました。
後ろから 愛する姉妹がそっと昔の経験を話して下さいました。
あの日 宣教者の兄弟が 『あなた方がおしゃべりしてる間に ここを通りすぎた あの方は 救われくて良いひとでしたか?』
『そうおっしゃって、私達は姿勢がぴん!としたものです。』
いつでも誰かの必要に 気づいてあげられるそんな存在でいたい。
エホバが望まれるのは そんなクリスチャンなんだろうなって思います。
そして、欠けたとこばかりの私もそうでありたです。
スルーなんてしない、踏み込む愛を培います。