井財野は今

昔、ベルギーにウジェーヌ・イザイというヴァイオリニスト作曲家がいました。(英語読みでユージン・イザイ)それが語源です。

ヴァイオリニストが好むピアノの音色

2015-03-05 18:47:40 | ヴァイオリン

先日、福岡の方でオーケストラのオーディションがあり、東京からの受験者もいたようだ。東京からピアニストを連れての受験で、なかなか大変な努力をされている。

が、結果はその努力に見合ったものだったらしい。と、そのピアニストから連絡があった。

そのピアニスト、私の知人の紹介で何年か前に知り合ったのだが、長年、東京芸大の伴奏助手をしていた経験もあり、実に「弦楽器奏者好みのピアノ」を弾いてくれる方だ。

この「芸大弦楽器の伴奏助手」を務めた方々は、私より先輩から現在の若手に至るまで脈々と、その音色の伝統を引き継いでいる感がある。上述のピアニストも然り、である。

その音色とは、師匠の故・田中千香士曰く「柔らかーいピアノ」、それにミケランジェリみたいなキラキラしたものが加われば言うことなし。

師が評価したピアノの音色、さらに補足すれば「弦楽器と溶け合う音色」を持つピアニストのことになる。(私にしてみれば、これは最重要事項だと思っている。)

かくして、忠実なる弟子を自認する不肖としては、それがそのまま自分の理想と化していくのであった。

と述べると、個人的な思い出話のようだが、実際はそのような私的の好みの問題ではない。タイトル通り、弦楽器界全体が好む音色がある。

そして、それを持つピアニストに演奏を頼むと、コンクールは入賞しやすく、オーディションは合格しやすい。現に今回の連絡がそうだったように。

これも当然の話で、同じように努力をすれば同じような結果がでるのが普通の人間。それならばピアノが「好み」ならば、自然とそちらに惹かれるはずだ。

しかも、レパートリーに精通しているから、事細かに伝えなくとも、大体のところはやってくれる。

私が学生時代に目を丸くしたのは、それが初見の状態でもできる、最初から音楽的な演奏をする伴奏助手の方もいらしたこと。今はフェリスで教授をされているHさんと千香士先生の二重奏は、衝撃的で忘れられない。本当の初見とは、こういうものなのかと思ったものだ。

「伴奏は伴奏にあらず」と言われているけれど、相手を上手にも下手にもできるのがアンサンブル、これは真実だ。


ラロ:スペイン交響曲 ヘンレ版

2015-03-01 22:09:32 | ヴァイオリン

最近、続々とヘンレやベーレンライターが新版を出している。ヘンレはピアノ伴奏を全く作り直しているため、あちこちに違和感を感じ、受け入れられない人も多々あるのだが、かなり考えて作り直されているのは確かで、さすがヘンレというほかはない。

特にこの曲は、版による細かな違いが多い曲で、何が正しいのやら全くわからなかったところが多々ある。

それを細かく追求しなくても良いような気配がラロにはある。なぜかというと、かなり「感情的」な楽譜だからだ。ヴァイオリン・ソロ・パート譜の1ページ目にはフォルティッシモが10個以上出てくる。毎小節出てくる箇所もある。明らかに非論理的で「この想いをわかってほしい」という作曲家の感情が表れているという意味で、私は「感情的な楽譜」と呼んでいる。

感情的な楽譜は、整合性がないのが特徴で、代表的なところで言うと、かの有名なドヴォルジャークの新世界も、実はあちらこちらで不整合箇所がある。オーケストラや指揮者ごとに(ほんの細かいところだが)違いがあって、臨機応変に(適当に)対処しているから、あれだけ演奏されているにも関わらず国際的には全く統一されていない。

だって、ドヴォルジャークに訊いたら「それがどうした?」と言われそうだモン。ラロだってきっとそうさ・・・。

このヘンレ版の伴奏を使うと、まず最初にびっくりさせられる。今まで、全く無視されていたフルートパートがしっかり聞こえるからだ。これはオーケストラで聞いても、ほぼ聞こえないパートなので、正直言って、この楽譜を使うまで、そんな旋律が演奏されていたとはつゆしらず、だった。

ただし、従来版のピアノ・パートは作曲者自身の手によるものと思われる(第3楽章にオーケストラ・スコアは間違っているが、ピアノ譜は正しいという変な箇所があるし、リズム自体が若干違う箇所もある)。その作曲者が無視しているのだから、そこの部分は大きな問題ではない。

大きな問題は、以下の通り。

・第1楽章の第2テーマに現れたmf

既存のデュラン、ペータース、インターナショナル、いずれもクレッシェンドの行き先が書いてなかった。始めて現れた行き先のお陰で、このフレーズが大変引き締まってくる。

・第2楽章のリタルダンドが整理

なぜかダブって書いてあったものが一つになり、場所も変更になった。

・第5楽章のリタルダンドが整理され、a tempoの位置が半小節前に

これは違いまっせ。ソリストのかなり強い意思が必要。

・第5楽章の最後のアルペジオのかけあがりがA音で終了に

従来はDかGだったのに、Aは初登場だと思う。

他に数箇所、音のヴァリアントが存在するところが、一応の決着を見ることになった。

第5楽章の変化は、かなり大きい。ヘンレ版は実は2001年に出ていたそうで、今まで知らなかったのは不勉強のそしりを免れないかもしれないが、そうだとしても、これの普及は結構時間がかかるだろう。

とは言え、例えばヘンレ版フランクのヴァイオリン・ソナタ、出て10年はまだまだ珍しかったけれど、20年たったらスタンダードになり、ほぼ全ての人が使うようになった。ラロもあと5年すれば、みんなが使いだすのかもしれない。