井財野は今

昔、ベルギーにウジェーヌ・イザイというヴァイオリニスト作曲家がいました。(英語読みでユージン・イザイ)それが語源です。

タネーエフ : 交響曲第4番 再び

2011-04-07 22:18:53 | オーケストラ
標記の曲を先ほどNHK-FMで再び聴いた。
演奏はネーメ・ヤルヴィ指揮ベルリン・フィルハーモニー。
2回目に聞くと、やはり第1楽章は結構面白いかな、と思った。前回と同じである。
同時に、申し訳ないけれど、やはりベルリン・フィルの音の魅力で惹きつける部分は大きいな、と言わざるを得ない。その魅力で結構聴けてしまうところがあった。
ただ最終楽章、やはり「これ面白いかなぁ」と、また思ってしまった。
聴きながら、同じハ長調の曲、チャイコフスキー作曲の交響曲第2番最終楽章と比べていた。

大体、タネーエフの交響曲を今発掘して演奏しようという人達は、何を狙っているのか?
知られざる名曲を発掘しようとしているのだろうか?


チャイコフスキーの交響曲第2番はタネーエフに比べれば演奏されている。でも、第4楽章のあまりのくだらなさが、人気を下げていると言っていいだろう。

ではタネーエフの方がチャイコフスキーより「まし」か?


チャイコフスキーのその楽章は、本当に「鼻につく」くだらなさがあると思う。ただ、魅力的なテーマが根底に流れているのは間違いない。


一方、タネーエフはくだらなくはない。しかし、面白くもない。
さて、どう考えたものか・・・。


知られざる名曲を発掘すること自体は魅力的なことだ。
でも発掘する側の見識が試されていることになる。
タネーエフが面白いと感じているのかもしれないけれど、私の考えでは、それよりもチャイコフスキーの交響曲第2番の普及をはかる方が、価値ある行動なのではないかと思わずにはいられない。


ちなみにチャイコフスキーの第2番は書きなおしている。そのためだと思うが、第3楽章まではかなりの名曲。それをフィナーレが台無しにしている残念な曲なのである。ここが第3番とかなり違う。ぜひ御一聴あれ。
(ちなみに、そのフィナーレは團先生の「やぎさんゆうびん」、あるいは輪唱「かえるのうたが」にそっくり。追記 : 聴いてみて下さい 「童謡メドレー」。)

やまぴーこん

2011-04-05 08:17:06 | 日記・エッセイ・コラム

駅のホームに紙をかかげて立つ少女。見ると、

「やまぴーこんチケットありませんか?」

ぴーこんと言えばP.con.(Piano cocertoピアノ協奏曲)だ。「やま」は何?

改札出ると、「チケット持っていたら買うよ」というだみ声が聞こえてきた。久しぶりに見た「ダフ屋」だ。何だこの騒ぎは・・・。

紙をかかげている少女達もどんどん増えていく。交通整理のお兄さんもあちこちに立ち、私のように関係ない者までまきこまれそうになる。行列が始まり、ハンドスピーカーの声が聞こえる。「○○席は向こうの列に並んで下さい・・・」

こうなると確かめたくなるのが人情というもの。

ホールの催し物案内で、ようやく正体がわかった。

山下智久、という方の演奏会だった。誰ですかね?

その方が、1万数千人を収容するホールを三日間満席にしているのだ。自粛なんてどこの国の話、とばかりに。キヤアキャア言っている少女の中には、シベリウスのヴァイオリン協奏曲を練習しているような大学生も含まれている。

その現実を目の当たりにして、古い映画を思い出した。

シューベルトが演奏会を開くけれど、なかなか人が集まらない。人々は、パガニーニに心奪われていて、みんなパガニーニを聞きに行ってしまったのだ。そのうち、シューベルトもパガニーニに夢中になってしまう・・・。

関東地方は一斉にコンサートが消えたが、関係なしに開催され、それを別にとがめる雰囲気も全くなく、ということが別の地域ではいつも通りに行われている。「これでいいのだ」

クラシック音楽の演奏会でも「ダフ屋」が出てくるくらいの人がいればさらにいいのだけれど。