井財野は今

昔、ベルギーにウジェーヌ・イザイというヴァイオリニスト作曲家がいました。(英語読みでユージン・イザイ)それが語源です。

不死身のカシチェイ

2010-05-08 16:57:42 | 音楽

リムスキー=コルサコフのオペラのタイトルである。R.=コルサコフの曲と言えば,専ら管弦楽曲だと思われがちだし,実際それ以外はほとんど演奏の機会がないが,合唱曲もあれば,オペラもある。有名な「熊ん蜂の飛行」はオペラ「皇帝サルタンの物語」に含まれている。(昔,このオペラを演奏した人の話によれば,この「熊ん蜂」の音楽が何回も出て来て,面白いんだけど難しいので大変でもあった,とのこと。)

そして先日,この中のアリアを歌っていた方の放送をテレビで拝聴した。なるほど,有名にはならないだろうな,ということがよくわかった。わからせてくれたことに感謝である。

ピアノ伴奏だったのだが,明らかにリムスキー風,これは木管楽器のパッセージだろうな,というのが聞こえてくる。多分,オリジナルのオーケストラで聴けば,その音色の多彩さで,もっと心地よく聴けるのだろうな,と想像した。これをピアノ伴奏は,ちょっとナンセンスでは・・・。ピアニストもご苦労様なことだと思った。

ここで気づいた。そうか・・・。

コンチェルトばかりを演奏するヴァイオリン界の風習に対して、異議を唱えていたピアニストの友人が、他にも以下のようなことを言っていた。

「ヴァイオリン・リサイタルでピアノ伴奏のヴァイオリン協奏曲をやったりしますか?」

「昔は、やっていたみたい。むしろ、ソナタの方が新規参入で、約100年前にフレッシュがソナタをリサイタルで演奏するのを提案しているくらいだから。江藤先生もグラズノフの協奏曲をピアノ伴奏でよく弾いていたみたいだし、ギトリスもヴィエニアフスキーの例があったかも。」

「そうですか・・・」

「それが何か・・・」

「いやね、声楽家のリサイタルで歌曲とオペラ・アリアを平気で並べることがよくあるんですけれど、僕は、それおかしいからやめてくれっていってるんですよ。ヴァイオリン・リサイタルで、ソナタとコンチェルトを並べたりしないでしょって・・・」

ヴァイオリニストは、ソナタとコンチェルトを並べるのがおかしいからしないのではなく、ピアノ伴奏のコンチェルトを聴いてもらいたいとは思わないから並べないのだと思う。ピアノ伴奏はあくまで代用品的な匂いがつきまとうし。

まぁ、ピアニスト側にはいろいろやりたくない事情もあるものなのだろうな、という程度にしか考えていなかった。

そして、このアリアである。正直言って、それほど面白い曲ではなかった。元来がオーケストラ曲であり、その多彩な音色で成立するような曲なのだから、ピアニストの努力の範囲では解決しない問題が多々ある。ピアニストからすれば、なぜこれを自分が人前で弾かなきゃならないんだ?という疑問が出て当然なのだ。

この曲は極端な例である。でも、確かにそれまでピアノで考えられる多彩な響きを構築しながら演奏を進めていたのに、「はい、ここからは代用品です」というのは、コース料理の後ろにインスタント食品が出てきたような感じかもしれない。なるほどねぇ。

幸か不幸かヴァイオリン協奏曲をピアノ伴奏できかせるリサイタルは耳にしないが、プログラムの選択肢に入れる必要はないってことだな、とようやく納得した筆者であった。


筋肉質はほめ言葉?

2010-05-03 15:02:19 | ヴァイオリン

一般的に筋肉質と言えばほめ言葉なのではないかと思う。体を鍛えるのも良いことと考えるのが常識だ。

あるオーケストラに所属するオーボエ奏者が、その常識に従って筋肉トレーニングをしていた。が、ある日、それを止めてしまった。なぜか?

音が硬くなってしまったからだそうだ。ふくよかな音が出なくなってしまったとのこと。

以前から、ヴァイオリニストは太っている人の方が良い音が出ると思っていたし、仲間内でもそんな話を時々したものだ。オイストラフ、スターン、パールマン・・・。

「そんなことはない!」と、かなりスリムな我が師匠(III)、「ミルスタインだって・・・」

居並ぶ弟子共に、しばし沈黙が訪れる。だって誰一人ミルスタインを見る機会なかったもん。今と違って映像は出回っていないし。そりゃ先生は至近距離でお話したりアドバイスを受けたりしたと、もれ伺っておりますが・・・。

これとは別に、すぐに思い出したことがある。昔、管楽器に定評のあるオーケストラがあって、そこの管楽器奏者は見事に太っていた。一方、弦楽器奏者は申し合わせたように痩せていた。

当時は、「やはり弦楽器は音符が多いからエネルギーをたくさん使うんだよ」と思っていた。

その考え方は今でも否定はしない。しかし、考えもしなかった落とし穴を見つけた気分だ。

ふくよかな、と表現したが、それは「いい音」として認識されている音のこと。では「いい音」とは何か?

物理的な表現をすれば、「低次倍音が、ある程度存在して、高次倍音がカットされた音」のことを「いい音」というようである。俗に言う「豊かな倍音を伴って云々」という表現は、あまり正確ではない。本当に豊かな倍音を伴っているのは金管楽器やシンバルの類で、いわゆる金属的な音を指す。

高次倍音とは、この場合耳に聞こえるか聞こえないかくらいの高い音のことを指している。これは人間の「悲鳴」に結構含まれている。つまり非常時に強調される音であり、心地よく聞こえては困る音である。不快が当然なので、「いい音」とは「快い音」、つまりその悲鳴成分が含まれない音を言うようだ。(ようだ、というのは実験して確かめた訳ではないからである。)

弦楽器の場合は、まず左指に脂肪が多くついていると、高次倍音が吸収される。ビブラートをかける、駒から離して弾く、ハイ・ポジションで弾く、いずれも倍音が減る。

そこまでは学生の時から知っていたが、からだ本体になると人体実験になるから、そうそう知り得る話ではない。期せずして、実験の結果を知った訳だ。

そうかぁ。牛肉でも霜降りがおいしいけれど、人体でも脂肪が高次倍音を吸収してくれて、いい音になるのか・・・。その断定は医者と物理学者が協力しないとできないけれど、仮説としては、かなり納得してしまう部分が大きい。

日本人も、かつてに比べて随分脂肪が身についた人が増えているように思う。おいしい音が歩いている。日本も「豊か」になった、ということかな。