リムスキー=コルサコフのオペラのタイトルである。R.=コルサコフの曲と言えば,専ら管弦楽曲だと思われがちだし,実際それ以外はほとんど演奏の機会がないが,合唱曲もあれば,オペラもある。有名な「熊ん蜂の飛行」はオペラ「皇帝サルタンの物語」に含まれている。(昔,このオペラを演奏した人の話によれば,この「熊ん蜂」の音楽が何回も出て来て,面白いんだけど難しいので大変でもあった,とのこと。)
そして先日,この中のアリアを歌っていた方の放送をテレビで拝聴した。なるほど,有名にはならないだろうな,ということがよくわかった。わからせてくれたことに感謝である。
ピアノ伴奏だったのだが,明らかにリムスキー風,これは木管楽器のパッセージだろうな,というのが聞こえてくる。多分,オリジナルのオーケストラで聴けば,その音色の多彩さで,もっと心地よく聴けるのだろうな,と想像した。これをピアノ伴奏は,ちょっとナンセンスでは・・・。ピアニストもご苦労様なことだと思った。
ここで気づいた。そうか・・・。
コンチェルトばかりを演奏するヴァイオリン界の風習に対して、異議を唱えていたピアニストの友人が、他にも以下のようなことを言っていた。
「ヴァイオリン・リサイタルでピアノ伴奏のヴァイオリン協奏曲をやったりしますか?」
「昔は、やっていたみたい。むしろ、ソナタの方が新規参入で、約100年前にフレッシュがソナタをリサイタルで演奏するのを提案しているくらいだから。江藤先生もグラズノフの協奏曲をピアノ伴奏でよく弾いていたみたいだし、ギトリスもヴィエニアフスキーの例があったかも。」
「そうですか・・・」
「それが何か・・・」
「いやね、声楽家のリサイタルで歌曲とオペラ・アリアを平気で並べることがよくあるんですけれど、僕は、それおかしいからやめてくれっていってるんですよ。ヴァイオリン・リサイタルで、ソナタとコンチェルトを並べたりしないでしょって・・・」
ヴァイオリニストは、ソナタとコンチェルトを並べるのがおかしいからしないのではなく、ピアノ伴奏のコンチェルトを聴いてもらいたいとは思わないから並べないのだと思う。ピアノ伴奏はあくまで代用品的な匂いがつきまとうし。
まぁ、ピアニスト側にはいろいろやりたくない事情もあるものなのだろうな、という程度にしか考えていなかった。
そして、このアリアである。正直言って、それほど面白い曲ではなかった。元来がオーケストラ曲であり、その多彩な音色で成立するような曲なのだから、ピアニストの努力の範囲では解決しない問題が多々ある。ピアニストからすれば、なぜこれを自分が人前で弾かなきゃならないんだ?という疑問が出て当然なのだ。
この曲は極端な例である。でも、確かにそれまでピアノで考えられる多彩な響きを構築しながら演奏を進めていたのに、「はい、ここからは代用品です」というのは、コース料理の後ろにインスタント食品が出てきたような感じかもしれない。なるほどねぇ。
幸か不幸かヴァイオリン協奏曲をピアノ伴奏できかせるリサイタルは耳にしないが、プログラムの選択肢に入れる必要はないってことだな、とようやく納得した筆者であった。