難易度などを今更考えると,今までの自分が,あまり何も考えていなかったのがよくわかる。もっとも,私だけでなくヴァイオリン界全体,あまり深くは考えていないだろう。なぜなら,順序はどうあれ,最終的に行き着く地点が大きくは変わらないからだ。
徐々に難しいものへ、というのは学習の王道だ。でもそれだけで上達するのは結構難しい。たまにドンと難しいものを交えて、その分必死になって練習させるという「ショック療法」も併用するのが一般的だろう。
この両者のバランスが良い時、最も効率よく上達するのではないかと思う。
筆者が大学院生の時,先生が「それでは・・・」ということで提案されたことがある。
2晩分のリサイタル・プログラムを用意して1ヵ月で仕上げる,というもの。量をこなして成果を上げるアメリカ流のやり方かもしれない。量はそのうち質に転換するから。
「(長時間書けてさらいこむのも大事だが)短期間でたくさんこなすのも必要」と言われた。
と言われて,先生と一緒にプログラムを考え,実行してみた。一応何とかなった。この場合,先生の助けがあった,というのが大きい。他人がいきなりそれを与えてきたら,どうなるか?
ということを思い起こさせることがあった。
ある方が,なけなしのポケット・マネーをはたいてホーム・コンサートを企画した。演奏を頼まれたのは大学を出たてか,まだ在籍中かという若い演奏者のみ。
企画者は,長年の夢を果たす思いが強く,かなり意欲的なプログラムを組んでくる。演奏者は経験不足で,まだまだレパートリーが少ない。弾くもの全てが新曲の状態だ。
ここで,それぞれが抱えている背景の違いがでてきた。
卒業生の弦楽器は,それでも与えられた曲を何とかこなさないと,やっていけないぞという自覚が多少あり,注文通りのことをやり遂げる姿勢がある。
一方,在学生のピアニスト,生まれてこのかた,ステップ・バイ・ステップしか経験したことがない。おまけに与えられた曲がメンデルスゾーンのピアノ三重奏曲,ほとんどピアノに負担がかかる曲である。ピアニストには大変申し訳ないが,ヴァイオリンは初見でもほとんど何とかなる程度に易しい。いや,私が謝る筋合いではないはずだ。メンデルスゾーンがピアニストだったからピアノは難しくて当然なのである。
ピアニストは悲鳴をあげて,本番の延期を申し出たり,楽章のカットを提案したりと,泣きそうであった。
片や企画者,家族から「音楽=騒音」と言われ,財政圧迫もちらつかされる中,必死に説き伏せて実現するやに思われたものを,こんなことで企画がつぶれるなんて・・・と,こちらも泣きそう。
と双方から泣き言を聞かされて,私も泣きそう・・・にはならなかったが,学生ピアニストに少し助言をするのが精一杯であった。曰く「短期間でたくさんこなすのも必要・・・云々」。
結局,ある程度楽章数を減らして,三方一両損みたいな解決をしたようだ。
チャンスは突然やってくる。そのピアニストにとってはチャンスだったのに・・・と思わないではない。でもそのピアニスト自身は思ってないかもしれない。
それをチャンスにできるかどうかは普段の準備次第,という「ありふれた話」でした。