1960年代生まれ、中でもその前半を中心に、昭和50年代、爆発的なヒットとなったのが、この「宇宙戦艦ヤマト」。他にもアニメはいろいろあったのだが、この人気には及ばない。猫も杓子も、という感じ。(こうなると、私は好きになれない天の邪鬼であった。)
余談だが、アニメという言葉も、この頃定着したと思う。昭和40年代は「漫画映画」と言っていて、「動画(アニメーション)」は専門用語に近い響きだった。動画が定着したのは21世紀になってからかなぁ。少なくとも「ヤマト」を「動画」と言った人は皆無。
ただ、ヒットに至るまでは、結構時間がかかったと聞いている。企画そのものは、まず手塚治虫の「虫プロ」から始まったが、虫プロの倒産で、まず難産。1974年にテレビ放映なるも、「ハイジ」に押されて視聴率低迷で一端打ち切り、とアニメ本体もなかなか苦労の船出だったそうだ。
で、ここで問題にしたいのは音楽である。作曲者の故宮川泰氏は、この「ヤマト」の音楽に大変な愛着を持っていたという。アニメがダメでも音楽だけ何とかならないかと、あちらこちらに売り込んだらしい。
途中経過は知らないのだが、作曲者の熱意がついには天に通じ、当初相手にされなかった時から数年を経て、交響組曲「宇宙戦艦ヤマト」の誕生に至った。ただのサントラ盤ではない、オーケストラ用に改編された「交響組曲」だよ!
これがまた、売れたんだなぁ。我々の世代は、ほぼ全員その交響組曲を聞いているに違いない。豪華ジャケットのLP、そうそう手の出るものでもないから、友達から借りてカセットテープにダビングして、という感じで、またたく間に普及していった。
気を良くしたプロデューサーと作曲者、ほどなくして第2弾も出た。この中でヴァイオリン・ソロが活躍していて、当時ソリストとして活躍していた外山滋さんが弾いていたのが目をひいた。
その昔「バイオリンのおけいこ」という番組があって、江藤先生や鷲見先生に交じって外山先生も結構出ていらしたので、かなりの有名人だった。東京芸大の非常勤講師もされていたので、ある後輩がヤマトのことをちょっと尋ねたら「ああ、あれ戦艦大和の映画の録音だと思ってたんだよ」だそうで・・・。
ついでに、これらの交響組曲はオーケストラ・メンバーも全員クレジットされている。後々読んでみると、芸大オーケストラやら読響メンバーの名前があったりして、業界人としては興味のつきないところである。閑話休題。
とにかくアニメ本体だけでなく、その音楽にも中高生が夢中になった。当時私はこともあろうに吹奏楽部に所属していた。その1年先輩方が、楽譜を自ら起こして、次の本番でやろう、などということを企て、私も内心その多少不出来な編曲に心中文句を言いながら、演奏に参加した覚えがある。何カ月か待てば大手出版社から楽譜が出たかもしれなかったのだが、そんなものは待てなかった(ひょっとしたら買えなかった?)。すぐにでもやりたい!と、こんな光景が、どうやら全国で展開されていたようである。
さらについでに書けば、私は大栗裕の「バーレスク」(吹奏楽コンクールの課題曲で、うちの学校はエセ・ディスコ曲を選んだおかげで吹けなかった幻の名曲)の方に夢中だったので、ヤマトはジャマト思っていた。
30数年前の当たり前の光景、熱意。宮川さんの情熱に端を発し、中高生が燃え上がる。このようなことがポケモンにあるだろうか。
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